鮫島くんのおっぱい

とびらの

鮫島くんのおうち①

 ラトキア星。『輝王』と呼ばれる恒星につく、直径一万三千キロメートル弱の惑星である。恒星からの距離は、およそ一億五千万キロメートル。
 一恒星年、すなわち季節が一巡する時間は三百六十六日。自転時間は二十四コンマ七時間。五年に一度、三日から十日ほどの『空虚の日』を設け、季節の巡りがずれこまないように調節される。

 一日は二十四時間。一年は、平均三百六十五日。一週間は七日で、週に一度は、国民の休日。

 と、いうことを、初めに言ったのはかつての神か、それとも侵略者だったのか。ラトキア王都民は、それをもう忘れてしまったらしい。いくら資料を調べても、その起源は見つからなかった。
 ただ確かに、それが惑星ラトキアの常識であり民意であり、今後も揺るぎない、惑星の在り方である。


 ――その、惑星ラトキア、秋の早朝。
 梨太は目を覚ました。しかしすぐに起き上がることがかなわない。季節と気候、ベッドのマットレスとクッション枕、掛け布団の心地が、あまりにもよろしすぎるために。

「極楽じゃ……」

 そのまま二度寝を始めたところに、コンコン、とノックの音。巨大な扉の向こうから、中年男の声がかかる。

「リタ様。おはようございます」

「あ……おはようございます」

「主は先にお目覚めで、応接室の方におられます。お支度が済みましたらそちらへお越しください」

 はいわかりましたと頷いて、梨太はふと、この執事は一体いつから僕の目覚めを待っていたのかと懸念した。まさか夜明けからではないだろうなと、なんとなく不気味なものを感じ慌ててベッドから身を起こした。

 寝間着を脱ごうとして、ふと声を上げる。

「すいません、応接室ってどこですか?」

 答えはまた扉越しにすぐに返ってきた。

「こちらの客室を出て、右へまっすぐ。扉を三つ越えた先ところに大きな戸がございますので、そこから中庭へ。渡り廊下の先が本館、メインフロアから大階段を二階に上がって、正面にある部屋の左でございます」

「……ええと、はい、わかりました」

「メインフロアまで出ればわかりますよ。三女神の、末の娘の胸像がある部屋です」

 そう言われても、梨太には『ラトキアの三女神』の姿がよくわからない。それでも道順は記憶したので、問題なく目的の場所へ向かっていった。

 客間のみが並ぶ別館、そしてそこから続く本館。そのいずれも豪奢な作りの大豪邸。梨太はいちいちきょろきょろと、完全におのぼりさんで歩いて進む。そして改めて嘆息。

「……昨日も思ったけど……鮫島くんって、ほんとに『貴族様』なんだなあ。すごいや」

 つぶやく頭上に、巨大なクリスタルのシャンデリアがぶら下がっていた。

 昨日、あのあと。

 果てしなく笑い続けている二人を止めたのは、知った顔の騎士だった。

「――リタ君がラトキアに来てるだって!? 信じられない、本当に!?」

 遠くから聞こえた声に覚えがあった。駆け足気味に近づいてくる足音。梨太は鮫島に体の下で、何とか顔だけ覗かせた。ちょうど緑の髪の騎士が飛び込んでくる。
 年のころは三十前後、鮫島に負けず劣らずの長身で、戦士の身体に温厚な笑みを浮かべた男である。梨太は視線だけで挨拶した。

「あっ、どうも。蝶さん、お久しぶり」

「うわリタ君! うわ! え。うわっ!」

 蝶は面白い悲鳴を上げて飛び上がり、後ろにいた、案内役の騎士に衝突した。無駄にジタバタともがいて叫ぶ。

「えっもっもしかして団長を奪いに来たの、あれ、でもなんでリタ君が奪われてる? あれ? あれ、君たちソッチだったのか!?」

「違います!」

 梨太はきっぱりと否定した。

 鮫島は特に何の反論もせず、のろのろと立ち上がった。二人を放置し、牢を出ようとする。どこに行くんですかと聞く蝶に、彼は「自室」とだけ答えて去った。彼の寝床は、騎士団寮ではなくこの執務棟、団長執務室とつながっているらしい。去りゆく背中を、呆然と見送る。

「……僕、どうするの」
「とりあえず待ってみたら」

 という、蝶のアドバイスの通り、そのままそこで待つ。実際、鮫島はすぐに戻ってきた。私服の外套を羽織り、簡単な手荷物を小脇に抱えている。

「リタ、行こう。蝶、あとはよろしく頼む」

 そう言って、歩き出す。とりあえず後ろに続きながら、梨太は尋ねた。

「どこいくの?」
「俺の家」

 そう、彼は簡単に回答した。

 この王都では基本的に、個人自動車で走行はできない。誉あるラトキア騎士団長、鮫島もまた特別待遇などはなかった。
 騎士団寮から、帝都の入り口へつながるシャトルバス。さらにそこから王都中央へ。周回バスに乗り換え、王都の西外れへ。そこに至るまでたっぷり四時間を要した。
 一見してすぐにわかる豪邸の群れ。貴族の屋敷がひしめく地区に到着したときには、もうすっかり日が暮れていた。

 バスから降りて、梨太は思わず大きく嘆息した。

「これは、ちょっとした旅行だね。通える距離じゃないや……」

「うん。しかも騎士は、勤務日は寮に泊まる規則だ。屋敷を与えられると言ってもあまりありがたみがない

「じゃあ普段は家族だけを住まわせて、単身赴任なんだ? ……なんかさびしいね」

 梨太は呟いた。
 遠距離通勤と、有事には駆けつける必要を思えば、寮生活は合理的だ。警察や医療関係も、同じように寮と家とを持つ者が多いそうである。
 しかし、ラトキアには電話というものがない。あの「くじらくん」はあくまで騎士団の任務用、一般家庭には、貴族であっても電話回線など引かれていないのだ。
 騎士達は本当に月に数度しか、家族の顔も声も聞くことが出来ないのである。

(……宇宙船なんか作れる国が、電話線を引けないわけがない。国営放送オンリーのテレビといい、車といい、完全にデータ化された貨幣制度といい……これは国民の情報規制だな)

 そう考えるとなんとなく悪どい独占政治という気がするが、実際、それで街は平和である。交通事故もごくわずか。不満を持っている民もいない。梨太は誰に文句をつける権利もなく、黙って鮫島のあとをついて歩いた。

 そうして到着した、鮫島の家。梨太の感想は、
「うわあ」
 ――と、いう他なかった。

 邸宅区街の住宅はすべてが豪邸である。しかしそれらとも一線を画す、明らかに一般人向けではない「お屋敷」がそこにあった。
 遠目には赤煉瓦づくりの美術館。近づくと、自然の木材と石を組み合わせた一軒家だと気が付く。
 形は洋館のようだが、艶のある赤い石材は地球にない素材のようだった。

 彫像や、凝ったレリーフなどはない。ただただ巨大で荘厳な、騎士団長の住まいであった。

「すごい。これ、鮫島くん一人で暮らしてるの?」

 鮫島は頷いた。なんとなくぎこちない所作で、懐から鍵を取り出して、

「住人はな。しかし俺はずっと騎士団町執務室にいて留守だから、ふだんは管理をかねて家政夫が」

 がちゃり、玄関の扉を開くと、そこに半裸の男がいた。

 寝起きのボサ髪、上半身裸、パンツ一枚というあられもない姿で、玄関の物音に起き出してきたという様子。
 ばたん。
 鮫島は無言で扉を閉めた。
 そのまま十分ばかり放置。そして扉を開くと、先ほどの男が正装してそこにいた。

「お帰りなさいませ、ご主人様」
「うん、ただいま」

 こともなげにそういって、彼は執事――いや家政夫? に荷物を預け、梨太を屋敷へと導いていった。

 玄関を入ってすぐそこに、まさに貴族の象徴、吹き抜けのホール。その奥に進むと、十人掛けのテーブルが置かれた食堂ダイニングになっていた。一点の曇りもない白いクロス。やたらと重いイスを、鮫島が引いてくれる。
 腰掛けたとたん、家政夫がお茶をおいてくれた。

「あ、ありがとう。お気遣い無く……」
「ご遠慮なく。これがわたくしの仕事です」

 さっき超くつろいでたくせに、というつっこみは、紅茶と一緒に飲み込んだ。
 むやみやたらと広い食堂で、すぐそばに家政夫を絶たせたまま、男二人、無言でお茶をすする。
 ……若干居心地が悪かった。
 梨太は立ち上がりながら、

「ねえ鮫島くん、トイレどこかな」

 鮫島は、首を傾げ、家政夫のほうを振り向いた。

「どこかな?」
「ここから一番近くだとメインフロアのそばでございます」
「客室の方にもあったな? たしか館内図が、玄関の近くか、サロンのあたりに……」
「いやちょっと待って、なんで鮫島くん、推論オンリーなの。自分の家でしょ」
「滅多に帰ってこないから」

 言いながら、鮫島も立ち上がる。どうやらトイレに案内してくれるらしい。梨太は嘆息して首を振った。

「大丈夫、自分で探すよ。なんとなく雰囲気でわかるだろうから。そんなにせっぱ詰まってないし」
「そうか。じゃあ、俺はその間に食事の用意をしておこう」
「……鮫島くんが料理するの?」
「やってみようかと思う」
「人生で何回目の挑戦なのそれ」
「キッチンはどこかな?」
「……ご主人様、お任せくださいませ」

 家政夫は恭しくそう言った。それは仕事の意気込みだったのか、それとも大惨事を避けようとしたのか、梨太にはわからなかった。



 家政夫による食事は美味であった。食事休憩をせず長距離移動を敢行した二人は、ほとんど無言で平らげて、それでようやく人心地。そしてそのまま、大した会話もせず就寝してしまったのである。

 寝坊なんて珍しいことをするあたり、相当旅の疲れが出ていたらしい。あるいは、梨太も少々舞い上がっていたのだろうか。

 「だってこのお屋敷、ホントすごいんだもん……」

 言い訳をしながら、梨太は案内された通りに、鮫島の家を進んでいった。

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