鮫島くんのおっぱい

とびらの

約束を果たす

 鯨はまだ、しばらくは戸惑っていた。しかしやはり、彼女は頭のいい人間だ。気持ちが落ち着きさえすれば、素直に青年の提案を理解し、咀嚼して、飲み込む。
 そうすると急速に、目に光が宿った。

「――わかった。なるほど、君の提案は全員の利害が一致する。リタ君の提案に心から感謝をし、甘えさせてもらおう」

 言葉はやはり、可愛げのないものであったが。

「しかし実現可能かは、現段階でなんとも言えない。法には解釈の幅というものがある。正直わたしの記憶だけでは怪しいし、可能だからといって、独断で動けるものでもない。――少し、時間が欲しい」

「どのくらい?」

「……明日の朝までには報告する」

「そりゃいいけど、それまでどこでどうすればいいのさ。鮫島くんはもう釈放でいいんだよね?」

「……好きにしろ」

 言って、鯨は立ち去った。梨太は彼女の背に手を振り、遠のく靴音を見送って――
 やがて、鮫島を振り返った。鮫島はまだ座り込んだまま呆然としている。梨太は腰を落とし、彼の顔を、正面から覗き込んでみた。

「ごめんね。突然、勝手なことをして」

「……ば……かな……馬鹿だ、リタ」

 震える声で、彼は言った。視線がぼんやりしている。どうやらまだ混乱しているらしい。

「だめだリタ……俺の代わりに星帝になろうだなんて」

「身の程知らず、かな」

 彼は首を振る。

「辛い仕事だ。この帝都から、下手をすれば、二度と出られなくなる……」

「それはひどく退屈だね。でも、ほんの一年きりのことだからさ」

 鮫島は、そこで初めて目に光を湛えた。彼の視線に、鷹揚にうなずいて見せる。

「まず僕が、ハルフィンの後を継ぐ、そして彼らが作ったばかりの憲法を成立させる。そして落ち着いたら、今度は女性が星帝になれる法案を通す。そして次期星帝に鯨さんを就ける」

「――鯨に!?」

 鮫島は大きな声を出した。どうやら完全に想定外だったらしい。梨太は肩をすくめた。

「だって嫌だよ、政治家なんて。僕は人様の代表者面して表に出るのは嫌いなんだ。大体僕はラトキアの政治に興味はないの。あの夫婦の悲願でしょ。手助けはするけど、最後は自分でケリをつけるのが道理ってもんじゃないか」

「そ、それは……でも、鯨は女だ。星帝にはなれない」

「だからその法律を変えてしまおうって言ってるの、今の話聞いてた?」

 コクコクうなずく鮫島。全身で動揺しているが、理解力まで失くしているわけではない。 
 状況を整理していく。

「……そうか。あくまで、中継ぎになるということだな。ハルフィンの遺志を、鯨が継ぐためだけの星帝。たしかに、それなら……」

「うん、一年ってのは最低の年月だから、二、三年伸びちゃうかもしれないけどね。だけどそれなら、君はもう無理に男性になる必要もない。安心して僕と結婚できるよね」

 にっこり、こともなげにそういう梨太。

「…………」

 絶句する鮫島。
 その様子に、梨太はアレッと声を上げた。

「何その反応。あっ!? もしかして、もう二度と雌体化できなかったりする!?」

「いや、それは。薬が切れれば、また雌雄同体に戻るし、周期が来れば、雌体化もすると思うけど」

 よかった、と梨太は胸をなでおろした。しかし思い返してみれば、鮫島からの返事はまだもらっていなかった。第三者もいて、ロマンチックとは言えないシチュエーションであったかもしれぬ。
 顎先に手を当てウゥムと唸る。

「もしかして誤解してる? 僕がここに来たのは、君を助けるためじゃない。鮫島くんと結婚したくて、やってきた。その障害排除ために全力を尽くしてるだけだから。
 ……だからこれは、同情とか策だとか何もかも抜きで、ただただ単純に僕の気持ち、お願い、です」

 言いながら、なにか腹のあたりがざわつく感覚。自分が、思っていたよりもずっと緊張していることを自覚した。
 大きく、深呼吸。
 梨太は改めて正面に向き直り、床に手をついて、居住まいを正す。正座をし、そろえた膝をまっすぐに向けて。


「――鮫島くん。鮫さん。……愛してます。結婚してください」

「――ヒック」


 鮫島の全身が縦に揺れた。
 梨太よりも二回り大きな、成人男子。こうして体を縮めていても戦士の迫力を感じさせる。
 向かい合って座る二人の男。
 一見、説教をしている騎士団長と土下座で詫びる新人兵士、という絵面である。だが真実は違う。かなり違う。全く違う。

 ヒック。

 鮫島は口だけ開いたものの、ひっく、ひっくと、シャックリ遮られ、しゃべることすらできないでいる。梨太は辛抱強く待ち続けた。
 あまり慣れない正座に、梨太の足がすっかり痺れてしまうころ。
 今更突然、鮫島の頬が染まった。湯気が出るほど紅潮したのを慌てて隠す。顔の九割九分を手で隠したまま、かすかに覗く唇が、彼の意思を告げた。


「はい……」


 梨太は鮫島に飛びついた。ぎゅうと強く抱きしめると、鮫島もすぐに抱き返した。
 成人男子同士の抱擁は暑苦しく、体育会系だ。男女のそれとはまったく違い、梨太の欲情をかすかにすらも刺激しない。

 愛する人を抱きしめてみて、改めて思ったことを、梨太は率直に口にした。

「奥さん、でっかッ」

「仕方ないだろう。俺は男だからな」

 鮫島が言う。梨太はなんだか可笑しくなって、彼を抱いたままクスクス笑った。伝染したのだろうか、鮫島もやがて笑い出す。

 そして二人は一緒に笑った。腹を抱えて――いや、お互いの背中を抱えて牢の中を転がりまわる。
 げらげらと品のない笑い声をあげ、相手の肩や背中、床を叩き、色気など何もないその世界で、二人は一度だけキスをした。
 五年前からの通算で、何度目のキスだったかは覚えていない。だがこれは最初で最後、生涯でたった一人としかしない口づけだった。

 結婚しましょう、そうしましょう――その会話の代わりにキスをする。


 梨太は決して、楽観的な人間ではなかった。問題山積である。
 まずは梨太が星帝になれるかどうか。鮫島の騎士団長としての進退、鯨の思うままにすべてが進むことはないだろう。すべてが頓挫する可能性もある。
 だがひとつだけ、疑うことなく確信している未来があった。

 梨太はその生涯を、鮫島ともに過ごし、ともに終えるのだと。

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