鮫島くんのおっぱい

とびらの

鮫島くんの故郷


 アップルパイを食べ終えて、カモメはホゥと大きく息をついた。

「ごちそうさま、美味しかったわあ。リタ君、材料費いくらだった?」

 いいながら、自分の左手を掲げてくる。梨太は慌てて首を振った。

「いいですよ、ただのお土産ですから」

「あらそう、って受け取るには豪華すぎるわ」

「でも調理場や調味料もこの宿のものだし」

「そんなの、宿代に含まれてるわよ」

「あの、大丈夫です。鯨さんが用意してくれたお金、まだずいぶんあるから」

 カモメは少しだけ声音を変えた。

「……リタ君。ひとからもらった大きなお金なら、なおさら大切に使うべきじゃないかしら」

「あ……は、はい」

「地球人がこの星に、なにをしに来たのかまでは知らないけど、目的のためにも資金は必要なんじゃなくて? 大金といっても、何年も持つわけではないのだし。大丈夫なんて言葉は働き口が見つかってから口になさい」

「リタ様なら、すぐにでもどんなお仕事でもできそうですけどねっ」

 フォローに、ハーニャが叫ぶ。梨太は思わず頬をほころばせ、頷いた。

「……僕もそう思っていたけど、向こう見ずで傲慢だったね。カモメさんの言うとおりです。遠慮なくちょうだいします」

 にっこりと笑うカモメ。彼女とバングルを重ね、支払いを受け取りながら、梨太はふと既視感を覚えた。

(……穏やかな口調で、ド正論。なんだか、鮫島くんみたいだったな……)

 ――と。がらんがらんと、扉口のベルが鳴らされた。カモメが立ち上がる。

「あっごめんなさぁい、今日はもう満室で――」

「きゃあ! 皇后陛下!」

 オーナーの言葉を、ハーニャの悲鳴が遮った。体中の毛を逆立てて硬直したバルフレア族に、鯨はにっこり笑って見せる。

「邪魔するぞ。三日ぶりだなリタ君、迎えにきたよ」

「鯨さん!」

 梨太は飛び上がって、そのまま挨拶もせず、自室へと駆けていった。いつでも出ていけるようにしていた荷物を取って、再びダイニングへと駆け戻る。

「お待たせ! 行きましょう!」

 息せき切ってきた若者に、星帝皇后は豪快に笑った。

「おいおい、わたしもお茶くらいは飲ませておくれよ。ここはわたしにとってもひと息つける、なじみの宿なんだ。久しぶりね、カモメ」

「ええ、ハルフィン殿のお葬式以来かしら。……今日は顔色がいいわね。少しは落ち着いた?」

 鯨に茶を注ぎ、宿屋の主はそう尋ねる。
 鯨は笑った。

「いいや。これからが修羅場っぽい」

「あらそう。大変ね。お疲れの出ませんように」

 カモメの返事は淡泊ながら、忌憚のない労りがあった。紅茶の香りを楽しんで、鯨は少しだけ息を吐く。

「……どうなるか、このリタ君次第、かもしれないな」

「えっ?」

 急に呼ばれて声を上げたが、鯨は相手にしなかった。カップの半分ほどを飲むだけで立ち上がる。

「また、この子の宿に使わせてもらうかもしれない。あと十日ばかり空けておいてくれ」

「はぁーい。宿代は、ほかの宿泊希望を断った日だけでいいわよ」

「世話になるな。では、行こうかリタ君」

 思いの外短いくつろぎタイムを終了させて、鯨はさっさときびすを返す。リタは慌てて後を追い、ロッジを出たところで振り返った。
 カモメとハーニャが見送ってくれる。

「いってらっしゃいませ、皇后陛下。リタ様」

 深々と一礼する、ハーニャ。対してカモメは手を振るだけだった。

 大通りに出ると、地球でも乗った自動車型エア・ライドが停車していた。荷物を載せ後部席に乗り込む。鯨が浮上操作をしたところで。梨太は気になっていたことを質問した。

「カモメさんって、お友達なんですか? ずいぶん親しげでしたけど。学校の同級生とか」

「ん、妹だ」

 梨太は前のめりに思い切りコケた。狭い車内で額を強打しもんどりうつ。鯨が苦笑した。

「何だ、大げさな。というかあいつ言ってなかったのか」

「聞いてません! いや、こっちも聞かなかったけどーーって、え? 鯨さんの妹? じゃあ鮫島くんの
お姉さん? 家族っ!?」

「わたしの三つ下になる次女だな。この下にもうひとり女がいて、続いて男二人の計五人。鮫が一番下だ」

「うわキョーダイ多っ。なんか聞いたこともあった気がするけど、いきなり会えるとは思ってなかった。びっくりしました……」

「五人兄弟などさほど珍しくなかろう」

 そう言われても、日本の出生率は年々減少傾向にある。梨太の自身が一人っ子、三人以上は子だくさんという感覚だ。こんなところでもカルチャーショックをくらい、梨太は小さく息を吐いた。

 エア・ライドは空中を滑走する。他に走っているエア・ライドは一つもない。
 かといって道路に自動車があるかといえば、それも全く見当たらない。
 もしや自動車というものじたいが無いのだろうか。尋ねてみると、鯨は首を振った。

「軍用車と、警察車両と救急車ならあるよ。だがそれも有事のときだけだ。個人的に自動車を持つことも禁止ではないが、王都を走ることは出来ないんだ。大枚はたいて購入したところで、ドライブできるのは自宅の庭くらいかな」

「このエア・ライドは? 空中はOKってこと」

「許可はされていないが禁止もまだされてない。これは他の星からの輸入品なんだよ」

「いいのかそれ。……高そう」

「一人乗りのやつで家一軒分、このサイズだとその十倍だな」

「どひぇえ」

 梨太は奇声を上げてひっくり返った。なるほど、かつて地球で騎士たちが乗っていたのは、完全に私物であったらしい。
 それにしても、さすがお値段十倍、星帝皇后のエア・ライドは、以前に乗った二人用とは格が違っていた。
 四人乗りサイズのシート、高度も高く、速度も倍ほど早い。上空五十メートルから見下ろすと、真下をちょうど、公共バスが走っていた。
バスは三日前に梨太が辿った道、そのまま同じルートを巡回する。三十分ごとという間隔で、いくつものバスが回り続けているらしい。

 カモメのお宿があった宿場町、それから公営のホテル街。飲食街。続いて販売系の商店街。そして王都住宅街へと入っていく。

 ラトキア王都はこのように、目的の店舗が実に几帳面にカテゴライズされた計画都市であった。

 エア・ライドは中心へ向けて、まっすぐに空を切り進んだ。都会になるにつれ、建物は小さく、背が高いビルになっていく。終点は軍事施設――役場街だ。

「そこから先は、帝都と呼ばれる、ごく限られた軍人しか入れない地域だ。上級貴族でも中のほうから呼ばれなければ入ることができない」

 ハンドルを操作して、鯨。バスは帝都のなかには通っていないらしい。身を乗り出して見回す梨太に、鯨はしなやかな指を立てた。

「というよりまあ、入る用事がないな。兵隊と政治家しかいないつまらない街だ。星帝の宮殿を中心とした半径十キロのこの丘は、羽虫だって見向きもしない」

 指先が北を指す。梨太は従順に視線で追いかけた。
 遙か遠く、小高い丘の中心に、丸みのある白亜の宮殿が見て取れる。城、というよりも、どこか霊廟のようだと梨太は思った。それは現星帝がすでに鬼籍に入っているからかもしれないが。

 梨太は来た道、王都のほうを振り向いた。
 あちらにはいくつもの色味があった。騒音と生活臭もだ。主婦の立ち話、騒ぎながら走り回る子供たち、窓辺にぶらさがる洗濯物。

 だがこれから行くさきにはなにもない。ただただ、白い建物が並ぶだけである。看板もない、何の特徴もない、ビルディングの群れ。

「見えるか? あれが兵隊訓練校。鮫の母校だ。その隣が訓練校生の寮」

「……鮫島くんが、六歳から暮らしていたところ?」

「そう。その先はすべて軍施設だ。あちらが一般兵の詰め所、そして寮、演習場」

 次々指さしてくれるが、梨太には正直、建物の区別すらつかなかった。それがわかっているのだろう、詳しく説明する気がないらしい。淡々と紹介し終えると、鯨は口をつぐんだ。
 梨太はうめく。


「……こんなところで……鮫島くんはずっと過ごしてたんだ……」


 不意に、エア・ライドの高度が下がった。
 大きな建物に囲まれた、広場のような場所である。音もなく着地すると、鯨は梨太を振り向いた。

「さあ、着いたぞ。騎士団領だ。あそこが騎士達の寮になる」

 言われて見上げる。四階建てだろうか。それは、梨太の記憶の中にある、高校の校舎によく似ていた。
 飾り気のない白の建物――鯨は指を突き付けて、そのまま右へ、少しだけずらした。

「半分は寮。半分は執務棟。鮫は今、その地下牢にいる。……案内しよう」

 梨太は唾を飲みこみ、頷いた。

「鮫島くんのおっぱい」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く