鮫島くんのおっぱい

とびらの

犬居さんの想い

 肌寒い夜だった。冷気を含んだ湿気が産毛に張り付いて、剥き出しになった梨太の頬を凍えさせる。

 構わず、バルゴのものであろう、生物の痕跡を探して歩く梨太。

「次の分析で、まずバルゴのものだって確定させる。それが出来たら、地球の生態系に害のない毒を仕掛けよう。ラトキア騎士団はそれを禁じられているだろうけど、僕個人の判断で、じぶんちの敷地でやるぶんには問題ないでしょ」

 背中越しに犬居に向かって言う。犬居は返事をしなかった。代わりに、話題を引き戻してきた。

「……てめえ。本気で言ってんのか。団長を女にするなんて」

 その声音に強い嫌悪を感じ、梨太は、眉を上げた。

「女にっていうか、とりあえず、地球人になってもらいたいなと。もっと言えば騎士団長を辞めてほしいと思ってる」
「それで、どうなる。――あの人は、今でこそ女に似たようなもんに見えるけど、ほんの一時的なものだ。雄体優位で生まれてきたひとなんだ」
「わかってるよ、ラトキアで女性が生きづらいっていうのはもうたっぷり聞いた。だから地球に来てくれっていってるんじゃん」
「あの人は、雄体だからあれだけの地位と名声を得た。女になればそれを全部捨て去ることになるんだぞ」
「わかってるよ、だから無理強いはしないで、必死に説得してんの。選ぶのはあの人」

 梨太はシャベルを置いて振り向いた。

 赤い髪を逆立てた犬居。鮫島の側近であり、もっとも友人に近い男。梨太の語調は毅然としていても、言い易いセリフではない。
 それでも、ちゃんと伝える。

「今までのものを捨て去った分だけ、新しいものは手に入る。――僕が与える。
 こっちを選んでもらえる自信はあるよ。なにせ彼は、男の体で手に入れたものを喜んではいなかった――」

 その言葉は、犬居にとって酷い侮辱になるはずだった。一発殴られることを覚悟してのセリフ。
 だが予想に反し、犬居はそれで怒りを燃やしはしなかった。
 彼がこだわったのは、そこではなかった。

「女は、ひどい生き物だ。そんなものに、あの人を墜とすな」

 犬居はそう言い切った。梨太は眉をひそめる。

「……何? そういやなんか、さっきから、妙にそこにこだわるね」

 犬居は地面に唾を吐く。斜めに傾いだ視線で、梨太を睥睨し、犬歯を剥いてうなる。炎の色の髪が逆立っていた。

「地球で、どれだけやつらが安寧と暮らしているかなんて関係ない。どうせラトキアと同じように、男の慈悲で護られているだけだろうが。
 ……女は弱い。力も弱い、精神も弱い、頭だって悪い。だから仕事がない、当たり前のことだ」

 噛みしめた牙が硬質な音を漏らす。
 犬居の声音は静かに、ゆっくりと、その凶暴さを増していく。

「だからラトキアの女どもは、若いうちにせっせと着飾って、男の生理につけ込んで婚姻する。子供が生めるというだけを武器にして男を脅迫して金を略奪している。そうでなきゃ生きられねえ。
 それが女の社会貢献? 幸せな家庭を築き我が家を守る? おためごかしだ。生きるために惚れてもいない男をもてなし、寝所で待ってる、女なんてみんな売春婦だろ!」

 犬居の絶叫が、閑静な住宅地に響きわたる。宵闇の、胸くその悪い反響音に、梨太は軽薄な口調で吐き捨てた。

「……ずいぶん極端な暴論をいうねえ。政治家だったらイッパツでクビになる発言だ。いっそ小気味がいいくらい」

 口元だけで笑ってみせると、犬居は開き直ったように胸を張った。普段からたまっていた腹のうちをさらけ出し、どこか爽快な顔をしている。ラトキアでもやはり禁忌の発言らしい。悔いるように瞳孔が揺れたが、それでも撤回はしなかった。

「……そんなものに、あの人を堕とそうとしてんだ、お前は」

 おやまあ、と、小馬鹿にする。

「なるほど、そういう理論展開か。ふむ。まず女は無能っていう、その断定を根幹から叩いていかなきゃダメ、と……うーん。お国柄もあるし、難しいな」

 後ろ頭をかき、梨太は頬を膨らませた。愛嬌のある丸い顔に空気を溜めこんで、沈黙のうちに脳内で文章を組む。そして大きく吐き出して、反論した。

「……十分の一くらいは、的を得てるかな。そうでなきゃ世界中で同時多発的に女性蔑視が起こってるわけがないし。ボク自身、基本的にはキャリアウーマン萌えの共働き推奨男子だけども、仕事のパートナーが女性ってなると、悲喜こもごもってのが正直なところ。
 でもさすがに、専業主婦を悪し様に言うのは同意できないや。男社会で頑張って働く女性も、一所懸命家族を守る母も、どっちも尊いよ」
「……男を信じて家庭に入り、途中でイヤになっても自立のすべがない。一生男の奴隷だ」
「はい? 離婚すればいいでしょうが。むしろ女性側に決定権が強いって、虎ちゃんが実例を見せてくれたよ。いや、虎ちゃん夫婦が主従関係にあったとか思ってないけど」
「寡婦が、どんな生活を送ると思ってるんだ!」
「それも聞いた。あれでしょ、ようするに生活保護。実際働けないんだからなんら恥じるもんでなし贅沢は出来ないなりに生きていけるならいいんじゃないの」

 簡単に言う梨太に、犬居はなにか大きな物を諦めた、深い嘆息をして見せた。
 低い声で、言及してくる。

「オーリオウルの英雄に、国費乞食になれと言う? 寝言は寝て言えボケ」

「……ハナシにならないね。犬居さんがこんなに会話ができない人だと思わなかった」

 梨太は嘆息し、言い捨てた。

 犬居のこの激情は意外だった。感情豊かではあるが、視野が広く、物事を客観的に見れる男だと思っていたのである。
 ふと梨太は、三年前の犬居の様子を思い起こした。梨太とは丁々発止やっていたものの、彼は平時、むしろ物静かな男だった。梨太以外の人間に声を荒げたことはない。
 そして彼がもっとも激昂したのは、梨太が鮫島を女性扱いしようとしたとき。
 しかし実際に鮫島が雌体化し、女々しい様子を見せれば、急速にその態度を冷ました。

 雄体時の、鮫島への狂信的ともいえる深い敬愛。
 それはラトキア騎士団長へのものとは、違ったのかもしれない――

 梨太は目を伏せた。鮫島を口説き落とすのに、また一つ障害が増えた。こいつをなんとかしないとなあと考え込む。

 それはたいへんな難題であった。ゆえに、梨太の思考は深くなる。
 俯いて、思考疾走に意識を集中していた梨太の注意力は、平常とは比べ物にならないほどに散漫。

 そのため、すぐ目の前にいた犬居の行動に、気が付かなかった。 


「おまえはあの人の敵だ」


 振りかぶった小さな手には、漆黒の刀。梨太の肩に振り下ろされた麻酔刀を、犬居は手元の操作で稼働させた。

 ばぢっ。
 ――三年ぶりに聞いた、電流音。

 初めに感じたのは小さな痛み。そして急速に訪れる甘い眠気。

 人間の意識、脳から体へと送られる稼働命令は、すべて電気信号に置き換えることが出来る。信号により『すべての身体活動を停止して、睡眠する』という命令を下された梨太の体は愚直にそれに従う。
 心地よいホワイトアウト。圧倒的な眠気に膝から崩れ落ちるのを、犬居が襟首を持って捕まえた。
 そのまま早足で引きずって、空き地の奥へ。

 梨太自身によって、こんもりと盛られた土の山。バルゴをおびき寄せる香水を含み、見事、バルゴの巣穴が出来ている。
 背の高い藪を蹴り飛ばせば、直径四十センチほどの穴が開いていた。犬居の踵が土を蹴る。穴の周辺の土壁は薄く、ぽっかりと巨大な穴が露出した。

 犬居が手を離す。
 浮遊感。頬に触れる冷たい土。 

 かすむ視界で、遠のく地上を見上げる。梨太をバルゴの巣穴に放り込んだ犬居は微動だにせず、赤銅色の瞳を見開いて、少年の消えた暗闇を見下ろしていた。

 足元で、犬の吠えるような声が聞こえる。
 同時に、犬居の声がした。


「……リタ……っ!!」


 梨太は意識を失った。

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