鮫島くんのおっぱい

とびらの

鯨さんの命令

 
 霞ヶ丘高校から、梨太の家まで徒歩二十分。そこに、黒い軍服の集団がいた。

 犬居、虎、蝶、猪といったいつものメンツに加え、もう三人ほどの軍人。
 全員が後ろ手を組んで整列していた。押し黙る男たちの中心に、赤いくじらくんが浮遊している。モニター付きの通信機は、その画面に豪奢な美女を映し出した。
 星帝皇后が、赤い唇を開く。

「おかえり、二人とも。思っていたよりは早かったな」
「ど、どうも。ええと、この人数は……」
「わたしひとりで留守番をしても防犯になるまい。近くにいた騎士を召還したのだ。そこで少し、事情を聞いたのでな。関係者を呼びだした」

 そう言われて初めて、梨太は三人の騎士の正体に気がついた。あの日、梨太を取り囲んで脅した連中だ。罪も無き民間人を虐待した咎を受けていたのかと思ったが、そうでもなさそうだった。
 騎士達は皆梨太をにらむようにして佇み、彼らを背に従えた星帝皇后は、傲然と上空へ上った。鮫島の方へ画面を傾ける。

「鮫。なぜくじらくんを携行して出なかった」
「あ」

 鮫島の返事は恐ろしく簡潔にして、全てを物語っている。
 鯨もそれで合点が行ったようで、軽く頭を抱えた。

「……わかった。だがそれは契約違反だ。おまえには相応の罰を受けてもらうぞ」
「了解。……どうすればいい?」
「騎士団長の力が必要な場合に限り出動を要請する、を、一時撤回だ。大した獲物ではないがこれから出てもらう。むろん報奨もない。タダ働きしてこい」
「了解」

「ちょ、待ってよ!」
 梨太は慌てて声を上げた。
「追い出したのは僕だよ、悪いのは――」
「そういうことじゃない。これは鮫とラトキア軍との約束事だ。子供が口を出すな」
 鯨の言葉は痛烈であった。

 さらに突きつけてくる。
「リタ君、君にも言わせてもらうぞ。
 今聞かされた話だが、騎士の仕事場に顔を出したそうじゃないか。危うく怪我をするところだったな? 無事でよかった――というのは、君への好意で言うのではないぞ。地球人がバルゴによって傷を負った場合、我らラトキア軍がどれだけ日本政府に弁解せねばならないかわかっているか? その手続きにかかる費用は、君への慰謝料まるごとより多くかかるのだ。頼んでもいないのに何をやっている。手間をかけさせるんじゃない。我らの仕事の邪魔をするな」
「……はい。すいません……」
「……わたしは、君はもっと、冷静で打算的な少年だと思っていた。自らの身を危険にさらしてまで、鮫を追うほどの想いを持っていたとは――」
 鮫島が目を丸くし、見下ろしてくる。梨太は自嘲気味に苦笑して見せた。

 鯨の追及は再び鮫島へと向いた。
「鮫。きさまに確認しておくことがある」
「……なんだ」
「きさまは、ラトキアを旅立つときわたしに言ったな。――リタに、三年前の礼と詫びをしたい。俺には騎士団長としてその義務がある。義理を果たしたい――」
 へ? という、梨太の相槌は無視された。鮫島は無言のまま、姉であり将軍である女を見据えている。鯨はさらに言う。
「――ちょうど、休暇と貯蓄を消化したいと思っていた。日本の観光や食事に興味があり、それを楽しむ旅がしたい。ついては、土地勘があり語学に堪能なリタに頼めたら僥倖だと、そのようなことをぐだぐだと並べていたが。……あれは、嘘か?」
 鮫島の表情は変わらなかった。まっすぐに姉に対峙して頷いて。

「嘘ではない」
「では、その数日、リタ君とともにどこへ出て、何をした。きさまの言う義務とやらは果たしたのか。きさまの望んだ観光というのは、リタ君の自宅のなかだけか?」
「……それを答える義務はあるのか?」

「ああ、大いにあるね。今回の特例を許したのは何も可愛い弟を甘やかしてやったわけじゃない。
 鮫騎士団長殿には、いい加減に男に戻ってもらわないと困る。
 きさま、もう一年も雌体化しているのだぞ。戦闘力は弱体化する一方だ。どこの男が相手だと国中を沸かせておいて、リタが満足すればもう女の体に用はないからと戻るはずなどと、貴様が言うから、軍部役員が頭を抱えてやむなく許可をしたのだろうが!」
 鯨の怒号が刺さる。

 星帝皇后は、本気で怒っていた。
 怒鳴られた騎士団長が目を背ける。
 将軍の背後で渋面になった騎士たち。
 彼らすべてを、視界に入れて――

「……はい?……」
 梨太は、素っ頓狂な声を上げた。

 星帝皇后にして、ラトキア軍の女大将。その迫力は伊達ではない。彼女はやはり、その星の覇者であった。しびれるような威圧感の中、梨太はすっかり身をすくめて、おそるおそる、隣の鮫島を見やる。

 彼は――
 赤面していた。

 白い頬を桃色に染め、それを隠すよう両手で覆うと、軽く俯く。なにやらもじもじと体をくねらせる。
 なにごとかと一同が目をやる中、彼は、なんともはかなげな声を漏らした。

「だって……」
「……だって……なんだ?」

 弟の異常な様子に、半ば呆けた声で聞き返す鯨。騎士たちも固唾を呑んで、己の長の挙動を見守る。
 そして、続いた言葉に全員が絶句した。

「……誘いかたがわからない」
「……」
「…………」
「………………」

 灼熱の太陽がアスファルトを焼く、うだるような真夏の正午。騎士団長の吐いた台詞に、八人の男とくじらくんが一匹、言葉を失ってただ佇む。

 発言した本人は、それほど驚かれるとは想定していなかったらしい。熱をもった頬を手のひらで隠しながら、小首を傾げて一同に視線を巡らせていた。
 そのままたっぷり三分、沈黙が降りて――

「……なんじゃそりゃぁ」
 その的確なつっこみは、名も無き騎士のひとりがつぶやいた。


 やはり、何を驚かれているのかよくわかっていない鮫島に、根負けしたのは鯨の方だった。頭痛を抑える仕草のまま、
「……もーいい。わかった。とりあえず鮫、ピアスを取ってこい。コミュニケーションが成立する気がしない」
「そこは問題じゃないと思うけどなー」
 けらけら笑いながら言ったのは虎である。彼はすっかり緊張を解いて、いつもの底抜けに明るい笑顔だ。鯨がにらみつけると今更姿勢を正し、横を向いて小さく舌を出した。そして、呆然としている梨太に向け、金色の魅力的な瞳を瞑ってウインクひとつ。
 横にいた蝶と猪が苦笑い。

 鮫島は黙って梨太の家へ入っていく。支度を手伝うつもりだろう、犬居が続く。梨太はそこで初めて硬直が解け、慌てて鯨にすがった。

「待って! 鮫島くん、昨日の昼から何も食べてないし、ろくに体を休めてもいないんだ。平気そうに見えるけどさ、さすがに、戦いに出すのはやめてよ。罰なら明日でいいじゃないか」
 鯨の、冷たい瞳が梨太を射抜く。
「携帯食料と栄養剤、体力を回復するカンフルは常備しているはずだ。それを採る時間くらいはやるよ」
「そういうものじゃなくて――」
「心配をするな、それすらも取れずに何日も行軍が続くことは珍しくない。あれはそういう訓練を受けている。それに、その状態で十分に勝てる敵と見定めたゆえに罰として派遣するのだ」
「だから、そういうことじゃなくてっ――!」
「じゃあどういうことだ」
 厳しい口調に、梨太はウッとうめいて後ずさった。

 負けずに言い返そうとはしてみる。
「……だから……。鮫島くんは今、女性なんだから……男の時と同じように扱うのは……よくないと思う……」

 鯨が唇を結ぶ。梨太は、こんなに激昂した鯨女史を初めてみた。彼女は平常、弟と比べ言動に感情表現豊かであるが、それでも泰然とした余裕を纏っている。場の空気を和やませるためにあえて道化じみた愛嬌を振りまいても、その実、彼女はやはり理知的である。その鯨が――激怒していた。

「君は、あれを誤解しているようだ」
「……」

 そして彼女は衝撃的な言葉を口にした。
「リタ君。この仕事の後、あいつをこの家に帰す。君は前回の報酬を受け取るといい。我らはなにがあっても騎士団長の呼び出しをしない、それを約束する」
「はっ?」
 素っ頓狂な声が出た。
「え、えと? よく意味が分からないんですけど」
「さっさとやってしまえ、と言っているんだ」
 鯨の言葉はひどくぶっきらぼうである。シンプルすぎる言葉を受け止めて、梨太は一瞬赤面し、すぐに、怒りをあらわにした。

 剣呑な視線で星帝皇后をねめ上げる。
「……なにそれ。そりゃ、願ったりかなったりですけど。でもそんなことあなたに言われる筋合いはないよ」
 少年の抗議など、鯨は意にも介さなかった。
「遠慮をするな。あれも拒むことはない。まあ、いかんせん体のほうが不完全だろうからそのあたりは配慮してやってくれ。なるべく傷つけないで帰してくれたら助かるよ。あとは君の采配を信用しておく。三十六時間、好きなようにするといい」
「……それで?」
「――それで、終わりだ。リタ君、以降二度とあいつと接触することを許さない」
 梨太は息を呑んだ。

 言い捨てるだけ勝手にした鯨はそれで話はしまいとばかりに、空中へふわりと浮遊した。
 梨太は慌てて腕を伸ばした。むなしく宙を掻いた指先を、あきらめずにぶん回して、上空へ向けて大声をあげた。

「何だよ! どうして僕がそんなことあなたから言われなきゃならないんだ。僕はあなたの部下じゃない!」
「その通りだ。だから君には何も命令しないよ。
 だが、鮫は軍人だ。上官に従う義務があり、わたしには命令を下す権利がある。あいつにはちゃんと言い聞かせよう。反抗したらただちに拘束、ラトキアに強制帰還させる」
「はあっ!?」

「これは、わたしの慈悲だと理解しなさい……」

 それ以上彼女は何も言うことはなく、どうあがいても梨太の手の届かぬ高さまで逃亡すると、騎士達になにか指示を与える。彼らはめいめい散会し、その場には猪だけがひとり、残った。彼は体を半分におり、梨太に深々と礼をした。
 この一礼はいったいどういう意味なのかもわからない。

 立ち尽くす梨太の後ろで、玄関の扉が開いた。出てきた鮫島は、すっかり武装した姿だった。

 たおやかに見えたはずの美女は、軍服という衣裳を纏い、凛々しい戦士の姿に気色を変えていた。
 引き締まった肢体は女性的な曲線でありながら、同時に肉食獣の優美さがある。編み上げブーツの底には分厚いゴムがあしらわれ、長身をさらに嵩上げしていた。長い手足のあちこちに巻かれたベルト。仕込まれた大量の投げナイフは十分重り代わりになるだろう。耳には翡翠色のピアス。

 ほんの一時間前には鉛筆で野花を写生していたしなやかな指に、革の手袋を装着して、鮫島はフウと小さく息をついた。神妙な様子で後ろにつく犬居に目配せをし、すぐに、梨太に向かってほほえむ。

 その笑顔だけはずっと変わらない、彼の穏やかな本質そのものを表に出した、素直で愛くるしい笑み。ふふっと声を出し、いたずらが見つかった子供そのものの声音で、梨太にそっと耳打ちした。

「俺も未熟者だな。うっかりしていた。何もかも置いて出てしまったのに、今気が付いたよ」
「え……」
「仕方ない。行ってくる」
「……あ……ああ」
「そう言えば、言い忘れていた。冷蔵庫にいろんなものを塩ゆでしてみただけのものが入っているけど、アレは習作だから食べない方がいい。食べられるものではあるけど不味い」
「……うん」
 知ってる、という言葉はすんでで飲み込む。

「夜ご飯までには戻る。じゃあまたあとで」
 別れの台詞をご飯の話題で終始して、先ほどの鯨の台詞を知らないまま、鮫島は猪に駆け寄っていった。合流を果たし、二、三言葉交わすと、彼らは真夏の町へと跳んだ。あっという間に姿が見えなくなる。

 ――何度目だろうか、この光景を見るのは。

 梨太は己の問いが聞こえないよう、耳をふさいだ。

 梨太は平常、汚い言葉遣いを嫌っている。それなのに真夏の日差しは汗とともに梨太の中にある邪気をあふれさせ、その空中に吹き出すのを止められない。
 空中に向かって、吠える――

「――どいつもこいつもっ、あの人を、なんだと思ってる!……お前らが死ねよっ――!」

 暴れ出したい欲求を地団駄に込めて、梨太はその場で数分肩を怒らせ、荒い呼吸の中、毒づくのをやめられなかった。
 ずきずきと痛む心臓を抱きかかえて、アスファルトにしゃがみ込む。熱に魘される。
 慟哭はしばらく収まりそうになかった。

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