鮫島くんのおっぱい
バルゴの探索
二人がかりで歩き回り、大きな児童公園も、完全に踏破してしまった。死角らしいものもない。
「こりゃ、ビル街のほうに逃げていっちまったかな?」
濡れた髪をかきあげ、ぼやく虎に相槌は打たず、梨太はスマートフォンを取り出した。画像を呼び出す。
バルゴの写真である。
画像に指を添え、拡大。
じっとその体躯を観察した。
画像は、パズル部の後輩少年が最新機種の高性能カメラで撮影したものである。画質はよかったが、いかんせん被写体との距離があった。
柳葉少年はバルゴに襲われ、逃げ込んだ自宅のリビングから見下ろすように、襲撃者の写真を撮影している。じっと画面を見つめる。
「……やっぱり、前足が短い、な」
「うん?」
梨太のつぶやきに、寄ってきた虎は持ち主になんの遠慮もなく端末を自分に寄せた。その尖った顎からボタボタと水滴が落ちてくる。
どうせ防水仕様である、梨太はこの若き騎士の行動をいちいち気にしないことに決めた。
ほら、と画面を指さしてみせる。
「ふつうの犬――イエイヌと比べて、前足がちょっと短いんだよ。あとこの写真じゃよく見えないけど、たしか爪も太くて分厚くて、後ろ足がやたらと太かったよね?」
「あ? しらね」
という、返事がくる予感はしていたので梨太は相手にせず言葉を続けた。
「最初に遭遇した時にさ。二足歩行、ていうか、後ろ足で立ち上がってたんだよね。犬も芸で仕込まれることはあるけど、野生でそういう動作ってのは聞いたことないし。カンガルーほど極端でもない。襲いかかってくるときはやっぱり四足歩行だった。あれは威嚇だったんだろうね。アリクイなんかがよくやるしぐさだよ。
なんであれ、後ろ足だけで立てるっていうのは、前足は手として、それなりに器用って考えるべきなんだよ。だけど熊や猫と違って、間接が内側への可動域が少ない。物を掴むことはほとんどできないだろうね。で、この胴が長めで、のっぺりした短毛。水をはじく脂。そして極端に狭い生息域、短い移動距離。そして力強く器用だけども物を掴むのには不向きな前足。
……僕、陸上生物学にはあんまし興味がなくて、教科書以上のことは知らないし考えたこともなかったけどさ。これってなんか、犬よりも、ネズミとかウサギぽいんだよなあ」
「? どういうことだ?」
「臆病で非好戦的で、土に穴を掘りやすいってことさ」
梨太は話しながら画像をいじり、色彩を調節して、さらに観察する。
暗い色の毛並みでひどくわかりづらいが、体のあちこちに砂土の汚れが付着していた。
背中や尾もよごれている。
いったん画像を消し、梨太は後輩に電話をかけた。すぐにつながった少年に向けて質問を重ねる。
「ネバギバくんの家って広い庭がある? 広い空き地とか、公園とか――畑? うん。うん、なるほど了解ありがとう」
短い会話で通信を切り、きょとんとしている虎を放って、梨太は公園をぐるりと見渡した。
敷地の隅のほう、整備のためにできた余分なのだろうか、土が山積みにされたところがある。といっても頂上までせいぜい三十センチ、小高い丘のようになっているだけだ。
そのあたりに生えた背の高い雑草を押し退けると、ひとの靴あとほどの、小さな横穴があいていた。
「おおっ?」
「確証はないけど、きっとここが巣穴だね」
「すげえ! なるほどそうか、地下に潜っちまったからセンサーに反応が消えたんだな」
「生き物を探すのに、巣の考察なんて最初にやることでしょ。ほかにもエサ場とか排泄物とかさ。いきなり本体を探して歩き回るなんてただの博打じゃん」
虎が明るい声を上げる。
その大きな口を開いて笑っている騎士に、梨太は滑らかに提案した。
「虎ちゃん、ちょっと手を入れてみて」
「あ? なんでだ。居たら咬まれるだろ」
「……ち。思ってたよりバカじゃなかったか」
「ふざけんなお前がやれよ」
「なんでだよ。居たら咬まれるじゃん」
「わかりきったうえでやらせようとするんじゃねえ!」
ひととおり漫才を行っておく。
虎は泥で汚れるのも構わずに、這いつくばって穴を覗いた。
照明が仕込まれているらしい、リストバンドをかざしてまた唸る。
「三十センチくらいはまっすぐ水平だが、すぐにすごい角度で斜め下に向かって掘られてるな。バルゴだと100%は言えないが、子供のいたずらじゃないってのは間違いない。……ん? 分かれ道になってるぞ。けっこう深そうだ……水責めにでもしてみっか」
「それは無駄だよ。どうにかして水はけできるように作られてる」
「……なんでわかるんだよ」
「本日のお天気は?」
「なるほど」
すぐに手のひらを打つ虎。自分でいったん考える、ということをしないらしい。
「たぶんビーバーと同じような構造だね。日本の城にも近いか。堀を作って水を溜め、もう一度山にをつくりそこで寝る。堀の水を抜くために、どこかからほかの地上につながってると思うんだけど……」
言いながら、梨太はあたりを見回した。公園の隅に、用具倉庫らしい、コンテナを発見。倉庫のほうへ歩み寄っていった。もしかしたら土を掘り返す道具がしまわれているかもしれない。簡素な扉に、番号を合わせるタイプの錠がかかっている。
扉には張り紙があった。『公園使用、管理について、お問い合わせはこちらまで』――梨太は再び携帯電話を取り出した。
と。
べき。薄い金属の鍵部分に武器を当てて折り曲げ、引きはがす虎。
「…………」
目を点にする梨太に気づきもしないで、虎は錆かけた鉄の扉をゴリゴリ開いた。
「すこっぷすこっぷ。あった。よしこれで掘るんだよな?」
「……うん。そのつもり、だったんだけども、そういうの察してくれるんならほかのことにも気を配ってもらえないかしら」
「心配すんな。ちゃんと二本あるぜ」
体の半分ほどの長いシャベルを差し出してくる。梨太はそれを無視して引き続き電話をかけた。
「もしもし恐れ入ります、えーと、霞本駅北口二丁目の児童公園から、看板をみて電話してるんですけど管理担当の方……ああどうも、突然すみません、僕は栗林と申しますが」
これだけ話すのを待たずに動こうとする虎の腰布をひっ掴まえて止めておく。一瞬つんのめって、じたばたする騎士。
「……公園で、えー、飼ってるウサギを散歩させていたら、なにか横穴みたいなのに入り込んでしまいましてね。はい、そういうのが空いてたんですよ、子供が掘ったものかと。それでその、うちのツトムちゃんを助けるために土山を掘り返したいのでその許可と、道具を借りられないかと……それがですね、今見たら、用具倉庫が、どこかの狼藉者がイタズラをしたらしく鍵が開いていまして……すみません、便乗するみたいでアレですけども、そこのシャベルをお借りできないかと――」
「なあリタ、なにややこしいことしてんだよ、黙ってりゃバレ――うぐっ」
横でわめく虎の声を、腰布を締めあげて黙らせる。
「はい。はい、もちろん元のように土を均して帰りますので。どーもすみません。ありがとうございます。はい失礼しまーす」
と、電話を切ってから、梨太は胡乱な目で騎士を睨みあげた。低くはない男の声で、言う。
「虎ちゃん。それ、団長や将軍にも同じこと言えるの? ラトキア騎士団ってそういうの厳しいんでしょ」
「う? ああ、まあ、いや……」
「他の人に聞かれたら困ることは、他の誰にも言っちゃいけないよ」
梨太はそういってスマホをポケットへしまい、土山へ歩み寄りながら、ぺろっと、舌を出す。
「ま、この会話を、さっきの管理人さんに聞かれたら僕も困るんだけどね」
そう言って、虎よりも先に、濡れた土にシャベルを差し込んだ。
「こりゃ、ビル街のほうに逃げていっちまったかな?」
濡れた髪をかきあげ、ぼやく虎に相槌は打たず、梨太はスマートフォンを取り出した。画像を呼び出す。
バルゴの写真である。
画像に指を添え、拡大。
じっとその体躯を観察した。
画像は、パズル部の後輩少年が最新機種の高性能カメラで撮影したものである。画質はよかったが、いかんせん被写体との距離があった。
柳葉少年はバルゴに襲われ、逃げ込んだ自宅のリビングから見下ろすように、襲撃者の写真を撮影している。じっと画面を見つめる。
「……やっぱり、前足が短い、な」
「うん?」
梨太のつぶやきに、寄ってきた虎は持ち主になんの遠慮もなく端末を自分に寄せた。その尖った顎からボタボタと水滴が落ちてくる。
どうせ防水仕様である、梨太はこの若き騎士の行動をいちいち気にしないことに決めた。
ほら、と画面を指さしてみせる。
「ふつうの犬――イエイヌと比べて、前足がちょっと短いんだよ。あとこの写真じゃよく見えないけど、たしか爪も太くて分厚くて、後ろ足がやたらと太かったよね?」
「あ? しらね」
という、返事がくる予感はしていたので梨太は相手にせず言葉を続けた。
「最初に遭遇した時にさ。二足歩行、ていうか、後ろ足で立ち上がってたんだよね。犬も芸で仕込まれることはあるけど、野生でそういう動作ってのは聞いたことないし。カンガルーほど極端でもない。襲いかかってくるときはやっぱり四足歩行だった。あれは威嚇だったんだろうね。アリクイなんかがよくやるしぐさだよ。
なんであれ、後ろ足だけで立てるっていうのは、前足は手として、それなりに器用って考えるべきなんだよ。だけど熊や猫と違って、間接が内側への可動域が少ない。物を掴むことはほとんどできないだろうね。で、この胴が長めで、のっぺりした短毛。水をはじく脂。そして極端に狭い生息域、短い移動距離。そして力強く器用だけども物を掴むのには不向きな前足。
……僕、陸上生物学にはあんまし興味がなくて、教科書以上のことは知らないし考えたこともなかったけどさ。これってなんか、犬よりも、ネズミとかウサギぽいんだよなあ」
「? どういうことだ?」
「臆病で非好戦的で、土に穴を掘りやすいってことさ」
梨太は話しながら画像をいじり、色彩を調節して、さらに観察する。
暗い色の毛並みでひどくわかりづらいが、体のあちこちに砂土の汚れが付着していた。
背中や尾もよごれている。
いったん画像を消し、梨太は後輩に電話をかけた。すぐにつながった少年に向けて質問を重ねる。
「ネバギバくんの家って広い庭がある? 広い空き地とか、公園とか――畑? うん。うん、なるほど了解ありがとう」
短い会話で通信を切り、きょとんとしている虎を放って、梨太は公園をぐるりと見渡した。
敷地の隅のほう、整備のためにできた余分なのだろうか、土が山積みにされたところがある。といっても頂上までせいぜい三十センチ、小高い丘のようになっているだけだ。
そのあたりに生えた背の高い雑草を押し退けると、ひとの靴あとほどの、小さな横穴があいていた。
「おおっ?」
「確証はないけど、きっとここが巣穴だね」
「すげえ! なるほどそうか、地下に潜っちまったからセンサーに反応が消えたんだな」
「生き物を探すのに、巣の考察なんて最初にやることでしょ。ほかにもエサ場とか排泄物とかさ。いきなり本体を探して歩き回るなんてただの博打じゃん」
虎が明るい声を上げる。
その大きな口を開いて笑っている騎士に、梨太は滑らかに提案した。
「虎ちゃん、ちょっと手を入れてみて」
「あ? なんでだ。居たら咬まれるだろ」
「……ち。思ってたよりバカじゃなかったか」
「ふざけんなお前がやれよ」
「なんでだよ。居たら咬まれるじゃん」
「わかりきったうえでやらせようとするんじゃねえ!」
ひととおり漫才を行っておく。
虎は泥で汚れるのも構わずに、這いつくばって穴を覗いた。
照明が仕込まれているらしい、リストバンドをかざしてまた唸る。
「三十センチくらいはまっすぐ水平だが、すぐにすごい角度で斜め下に向かって掘られてるな。バルゴだと100%は言えないが、子供のいたずらじゃないってのは間違いない。……ん? 分かれ道になってるぞ。けっこう深そうだ……水責めにでもしてみっか」
「それは無駄だよ。どうにかして水はけできるように作られてる」
「……なんでわかるんだよ」
「本日のお天気は?」
「なるほど」
すぐに手のひらを打つ虎。自分でいったん考える、ということをしないらしい。
「たぶんビーバーと同じような構造だね。日本の城にも近いか。堀を作って水を溜め、もう一度山にをつくりそこで寝る。堀の水を抜くために、どこかからほかの地上につながってると思うんだけど……」
言いながら、梨太はあたりを見回した。公園の隅に、用具倉庫らしい、コンテナを発見。倉庫のほうへ歩み寄っていった。もしかしたら土を掘り返す道具がしまわれているかもしれない。簡素な扉に、番号を合わせるタイプの錠がかかっている。
扉には張り紙があった。『公園使用、管理について、お問い合わせはこちらまで』――梨太は再び携帯電話を取り出した。
と。
べき。薄い金属の鍵部分に武器を当てて折り曲げ、引きはがす虎。
「…………」
目を点にする梨太に気づきもしないで、虎は錆かけた鉄の扉をゴリゴリ開いた。
「すこっぷすこっぷ。あった。よしこれで掘るんだよな?」
「……うん。そのつもり、だったんだけども、そういうの察してくれるんならほかのことにも気を配ってもらえないかしら」
「心配すんな。ちゃんと二本あるぜ」
体の半分ほどの長いシャベルを差し出してくる。梨太はそれを無視して引き続き電話をかけた。
「もしもし恐れ入ります、えーと、霞本駅北口二丁目の児童公園から、看板をみて電話してるんですけど管理担当の方……ああどうも、突然すみません、僕は栗林と申しますが」
これだけ話すのを待たずに動こうとする虎の腰布をひっ掴まえて止めておく。一瞬つんのめって、じたばたする騎士。
「……公園で、えー、飼ってるウサギを散歩させていたら、なにか横穴みたいなのに入り込んでしまいましてね。はい、そういうのが空いてたんですよ、子供が掘ったものかと。それでその、うちのツトムちゃんを助けるために土山を掘り返したいのでその許可と、道具を借りられないかと……それがですね、今見たら、用具倉庫が、どこかの狼藉者がイタズラをしたらしく鍵が開いていまして……すみません、便乗するみたいでアレですけども、そこのシャベルをお借りできないかと――」
「なあリタ、なにややこしいことしてんだよ、黙ってりゃバレ――うぐっ」
横でわめく虎の声を、腰布を締めあげて黙らせる。
「はい。はい、もちろん元のように土を均して帰りますので。どーもすみません。ありがとうございます。はい失礼しまーす」
と、電話を切ってから、梨太は胡乱な目で騎士を睨みあげた。低くはない男の声で、言う。
「虎ちゃん。それ、団長や将軍にも同じこと言えるの? ラトキア騎士団ってそういうの厳しいんでしょ」
「う? ああ、まあ、いや……」
「他の人に聞かれたら困ることは、他の誰にも言っちゃいけないよ」
梨太はそういってスマホをポケットへしまい、土山へ歩み寄りながら、ぺろっと、舌を出す。
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