鮫島くんのおっぱい
鮫島くんが笑った
くつくつ、震える肩は全身へと派生し、鮫島は腹を折る。梨太をソファの上で手放すと、両腕で自分の身を抱いて、そのまま笑いだした。
こらえきれなくなった笑いの衝動を、高らかにあげる。
端正な顔をくしゃくしゃにして、舌が見えるほど口を開き、鮫島は笑った。
「リタ、リタは――可笑しい。面白いやつだ」
笑い声の中になんとかそれだけの言葉を入れて、腹筋を押さえてこらえている。
梨太は、なにを彼に笑われているのか、よくわからなかった。だがけらけらと明るい笑い声をあげる鮫島の姿を、幸福な気持ちで眺める。
彼がようやく笑いの衝動から逃れ、ソファに脱力した。腕の中に顔を隠そうとしているのを、のぞき込んで、梨太はほほえむ。
「鮫島くん、笑うと超かわいい」
彼は、もう勘弁してくれと手を振って、顔を背け、また苦しそうに笑っていた。
鮫島の顔立ちは、端正のなかに冷たく鋭利なものがある。
だがこうして笑い出せばまったく普通の少年のようだった。
やがて笑いの衝動を抑え、落ち着いてくると、リタに向かってどこか照れくさそうに微笑みかけてくる。細めた双眸は暖かみがあり、優しく、素朴な心の優しい性根が見て取れる。
「鮫島くんって、実際、温厚だよね」
梨太は言った。
「僕だったら、そろそろぶん殴ってるもの」
「怒られるようなことだと自覚があったのか」
ちょっと怖い顔をした。梨太は笑ってごまかすと、かねてから不思議だったことを問いかけてみた。
「鮫島くんって、なんで軍人になったの?」
それは、素朴な疑問だった。鮫島は言われて、視線を空中へ這わせる。すこし、思案してから、こともなげに言った。
「家から近かったから」
「バイトかっ!?」
全力でつっこむが、鮫島本人はなんら、己の発言に違和感を覚えていないらしい。なにを驚くのかという表情で、言葉をつづけた。
「自分の意思で目指したわけじゃない。生まれ育った家と、騎士になるという未来はそのままつながっていた。特別、軍人になりたい、騎士になりたいと希望を言ったことはないが、それがイヤだとは思わなかった。向いていた、のだと思う。
同じように訓練を受けていた連中の、多くは途中でいなくなってしまった。俺は長く続けることが出来ている。それだけのことだ」
「……。鮫島くんの家って?」
尋ねる。それはなかなかに大がかりな解説が必要になる質問らしかった。鮫島はしばらく思案して、言葉を模索した。
やがて、ゆっくりと話し始めた。
「騎士というのは……軍の兵のなかでも、特別な位置にある。実際にすることは、警察や兵隊と大差はないんだが、騎士団に入るには、ただ戦闘が強いというだけではいけない。騎士になると、ラトキア人の一割しか持たない参政権があるし、オーリオウル以外の星へ渡航できるのも騎士だけだ。騎士であることはそのまま貴族の肩書きをも背負うことになる」
要するに貴族しか騎士になれないといったところか。しかし確か以前、犬居が下町生まれと言っていたような――
鮫島が続ける。
「現在のほとんどの騎士は、平民に生まれ、まずは一般兵になり、実力を付け、兵団長に推薦されて、騎士を目指す。そして貴族の家に奉公に出るんだ。形式だけの養子だな。迎えた貴族は、自宅で騎士見習いを心身ともに教育しなくてはならない。必然、その貴族も元騎士ということが多い。
俺は、その家に生まれた」
なるほど、と納得する。
最年少の騎士誕生の理由は、ただただ優秀だったからだけではない。他人が通らなくてはならない課程をひとつ飛ばせる近道に、生まれたときから乗っていたのだ。
鮫島は、緩く組んだ己の指先を見下ろしていた。独り言のようにつぶやいていく。
「祖先は大きな戦争で武成王になり、祖父は騎士団創始の初代団長だ。現在の騎士二百人の七割は、うちから送り出されている。犬居もそうだ」
「それじゃ、みんな義兄弟ってこと?」
「……いや、奉公は、やっぱり養子とは違うから。そういう感覚とは違うかな……。近くて遠い。それに、俺は物心ついた頃から訓練校の寮にいて彼らとも父とも暮らしていないし」
鮫島は天井を見上げた。そしてぼそりと、つぶやく。
「俺が一番、うちから遠いのかもしれないな」
鮫島の横顔を眺める。凛々しい青年の顔立ち。それでも、親の話をすると、どこか幼く見えた。
若き騎士団長は、年上の団員たちにどこか敬遠されていた。それは犬居のいった、鮫島への敬愛、その実力へ感服しているゆえというのはあるだろう。だがそれだけではない――国の功労者の子孫、大貴族、奉公先の御曹司、将軍であり星帝皇后の弟という、いらぬ肩書きが、彼を必要以上に持ち上げているのだ。
(団長は特別――)
誰の言葉だっただろう。ふと頭をよぎった。
「高嶺の花、ってことか――」
梨太がつぶやくと、鮫島は不思議そうに振り向いた。
「でも花っていうには、鮫島くんには色味が足りないよね。赤とか黄色とかピンクとか。頭に花冠でも付けてみる?」
そういって笑う梨太。
鮫島は一度微笑み、すぐに口元をこわばらせた。ゆるく結んでいた指先をほどく、妙にまじめくさった声音で、
「リタ。俺は、軍人だ」
突然、そんなことを言った。
「騎士で、団長で、英雄だの惑星最強だのアダナまで付けられてる」
「うん? 知ってるよ」
「強いんだぞ」
「……はっ? え……だから、知ってるけど」
キョトンとする梨太をじっとみつめる、鮫島。
そして真顔でいきなり、大きな手を梨太の頭に乗せて、そのままグリグリ回し始めた。
痛みはないが、髪の毛ごと頭蓋骨を回されて目がチカチカしてくる。ひとしきり遊んだ後、鮫島は梨太の頬を指先で摘んだ。横にひっぱって伸ばし、目のあたりを、親指の腹でこすられる。
これはいったいなにをされてるのだろうかと、とりあえず黙ってされるがままになってみた。
どこかでこういった動作に記憶があると思い出してみると、幼い頃、飼っていた犬を相手に自分が毎日やっていたような――
梨太の柔らかい髪をつまみあげ、パラパラ落としてみる鮫島。そろそろ勘弁してもらいたいころ、彼は満面の笑みを浮かべた。
「おまえは可愛いなあ」
そして、また、明るい笑い声をあげた。くっくっと体を揺らしながら、ちょっと乱暴に耳をひっぱられた。左右ともつまんで広げられる。これ以上ないほど楽しげに遊ばれて、梨太は複雑な顔でじっとしていた。
「あんまりソレいわれるのイヤなんだけどなあ……」
ぼやくと、鮫島はわざと怒ったような表情を作って見せた。
「なんだと? さんざん、ひとを怒らせるようなことを、自分はやっておいて」
また頬を引っ張られる。
「のびるのびる。おかしいなあ。地球人は男か女かしか生まれないんだろう? お前は生まれてから十六年、ずっと男なんだよな。なんでこんなにちっちゃくて可愛いんだ。いったいどうなってるんだ?」
「知らないよもう。文句があるなら両親にいってよ」
「なにが、俺がお前に惚れるだと。くっくっく。ばかめ。十五の雌体でも今のお前より背丈があったし、腕だってずっと堅かったぞ。
お前、俺を女にしようなんて企むよりも、お前が女装でもしていますぐ俺にしなだれかかったほうがてっとり早いんじゃないか?」
「あっ、それ言う!? ついにそれ言ったなっ!」
梨太は鮫島の手を振り払い絶叫した。
「いつか誰かから言われると思ってたけど、まさか鮫島くん本人から言われるなんて!」
「ん、なんだお前。まさか、俺が女に興味がないとでも思っていたか?」
頬杖をつき、意地悪な笑みを浮かべる鮫島。鋭い目がやけに野生的だ。
「俺が、十六からほぼ完全な雄体優位になったのはなぜか、考えてみろ」
「あ。あー。いや、やあ、そうじゃなくって、鮫島くんってそういう冗談言いそうにないから」
「別に冗談は言ってないぞ。……どうにかしてやろうか」
そういうと、彼は立ち上がり、再び梨太の襟首をつかんでひょいと持ち上げた。クッションでも弄ぶように、梨太の体重を簡単に空中へ放り投げて捕まえ、肩に担ぐ。
「うわっ?」
あわてて手足をばたつかせるが、騎士団長の軸はびくともせず、梨太を担いで足音もなく歩き始めた。
いつもの早足でリビングスペースをぬけ、狭い廊下を挟んで、二階へ続く階段を登っていく。逆さ吊りに揺られながら視界いっぱいに階段の床が見え、ちょっとしたジェットコースターよりも恐怖である。梨太はいろんな意味で悲鳴を上げた。
「うわ、わ、わあわわわあああっ!」
「リタ、寝室はどっちだ?」
「ひ、左、じゃなくって! さめじまくんっ」
「左だな」
肩の荷物の悲鳴は無視を決め込み、鮫島は木製のドアを開くと、梨太を抱えたまま部屋へ進入していく。
寝室というより、梨太の私室である。八畳ほどの洋間で、大きな壁付けクローゼットにほとんどの荷物をしまい込んでいるため、飾り気のない家具があるきりで、床面は広々している。壁の端に簡素なベッド、そこに並べて客用の布団が置かれていた。鮫島が来るというので、夕方のうちに用意しておいたものである。
「や、やだやだやだっ、鮫島くん、僕、こっちは絶対――」
彼はポイッと簡単に、梨太をベッドのほうへ放り投げた。スプリングに跳ね返されて転落する。鮫島のために敷いた布団の上に顔面からべちゃりと突っ伏して、梨太はあわてて身を起こした。
「絶ッッ対ッいやだぁっ!!」
と、そのときすでに、鮫島は部屋から体を半分退出させていた。ドアノブを向こう側へ引きながら、隙間から舌を出す。
「もう寝ろ。おやすみ」
パタンと軽い音を立て、扉が閉められた。
梨太はそのまま、五分ばかり床にへたりこみ、呆然と過ごした。自室の時計を見上げてみると、すでに午前零時にほど近くなっている。目覚ましアラームを登録している携帯電話を一階に置いたままなのを思いだし、逡巡すること十五分、仕方なく、そうっと足を忍ばせて階段を下りていく。
ダイニングの方につながる扉から進入していくと、リビングスペース、ソファに鮫島が仰向けに寝転がり、その姿勢のままくじらくんを操作しているのが見えた。背もたれ代わりにあの枕――憎らしいことに、水色のほうを表に敷いて、かったるそうに作業を続けている。
「…………おやすみ」
小さく、声をかける。鮫島は無言で片手をあげた。
携帯電話を回収し、二階へと戻る。
途中ふと、結局鮫島くんは僕と何の話がしたかったのだろうと疑問に思う。なにか、言いたいことなり聞きたいことなりあったのではないのか――
それとも、本当になんにもなかったのだろうか。
布団に体を入れたときには、眠れそうにないと思った。だが数分もすれば急速に眠気が訪れて、梨太はひとり、熟睡していく。
家の中に他人がいるという、緊張感はなかった。
翌朝、いつもの時刻に目を覚ましたとき、鮫島はすでにいなくなっていた。早めに登校し、朝と昼休みにと三年生の教室を訪ねたが、彼はきていなかった。
結果を報告するという、鯨からの連絡もなく。
五日後、梨太はクラスメイトとの談笑で、三年四組鮫島しんのすけが退学したことを聞いた。
こらえきれなくなった笑いの衝動を、高らかにあげる。
端正な顔をくしゃくしゃにして、舌が見えるほど口を開き、鮫島は笑った。
「リタ、リタは――可笑しい。面白いやつだ」
笑い声の中になんとかそれだけの言葉を入れて、腹筋を押さえてこらえている。
梨太は、なにを彼に笑われているのか、よくわからなかった。だがけらけらと明るい笑い声をあげる鮫島の姿を、幸福な気持ちで眺める。
彼がようやく笑いの衝動から逃れ、ソファに脱力した。腕の中に顔を隠そうとしているのを、のぞき込んで、梨太はほほえむ。
「鮫島くん、笑うと超かわいい」
彼は、もう勘弁してくれと手を振って、顔を背け、また苦しそうに笑っていた。
鮫島の顔立ちは、端正のなかに冷たく鋭利なものがある。
だがこうして笑い出せばまったく普通の少年のようだった。
やがて笑いの衝動を抑え、落ち着いてくると、リタに向かってどこか照れくさそうに微笑みかけてくる。細めた双眸は暖かみがあり、優しく、素朴な心の優しい性根が見て取れる。
「鮫島くんって、実際、温厚だよね」
梨太は言った。
「僕だったら、そろそろぶん殴ってるもの」
「怒られるようなことだと自覚があったのか」
ちょっと怖い顔をした。梨太は笑ってごまかすと、かねてから不思議だったことを問いかけてみた。
「鮫島くんって、なんで軍人になったの?」
それは、素朴な疑問だった。鮫島は言われて、視線を空中へ這わせる。すこし、思案してから、こともなげに言った。
「家から近かったから」
「バイトかっ!?」
全力でつっこむが、鮫島本人はなんら、己の発言に違和感を覚えていないらしい。なにを驚くのかという表情で、言葉をつづけた。
「自分の意思で目指したわけじゃない。生まれ育った家と、騎士になるという未来はそのままつながっていた。特別、軍人になりたい、騎士になりたいと希望を言ったことはないが、それがイヤだとは思わなかった。向いていた、のだと思う。
同じように訓練を受けていた連中の、多くは途中でいなくなってしまった。俺は長く続けることが出来ている。それだけのことだ」
「……。鮫島くんの家って?」
尋ねる。それはなかなかに大がかりな解説が必要になる質問らしかった。鮫島はしばらく思案して、言葉を模索した。
やがて、ゆっくりと話し始めた。
「騎士というのは……軍の兵のなかでも、特別な位置にある。実際にすることは、警察や兵隊と大差はないんだが、騎士団に入るには、ただ戦闘が強いというだけではいけない。騎士になると、ラトキア人の一割しか持たない参政権があるし、オーリオウル以外の星へ渡航できるのも騎士だけだ。騎士であることはそのまま貴族の肩書きをも背負うことになる」
要するに貴族しか騎士になれないといったところか。しかし確か以前、犬居が下町生まれと言っていたような――
鮫島が続ける。
「現在のほとんどの騎士は、平民に生まれ、まずは一般兵になり、実力を付け、兵団長に推薦されて、騎士を目指す。そして貴族の家に奉公に出るんだ。形式だけの養子だな。迎えた貴族は、自宅で騎士見習いを心身ともに教育しなくてはならない。必然、その貴族も元騎士ということが多い。
俺は、その家に生まれた」
なるほど、と納得する。
最年少の騎士誕生の理由は、ただただ優秀だったからだけではない。他人が通らなくてはならない課程をひとつ飛ばせる近道に、生まれたときから乗っていたのだ。
鮫島は、緩く組んだ己の指先を見下ろしていた。独り言のようにつぶやいていく。
「祖先は大きな戦争で武成王になり、祖父は騎士団創始の初代団長だ。現在の騎士二百人の七割は、うちから送り出されている。犬居もそうだ」
「それじゃ、みんな義兄弟ってこと?」
「……いや、奉公は、やっぱり養子とは違うから。そういう感覚とは違うかな……。近くて遠い。それに、俺は物心ついた頃から訓練校の寮にいて彼らとも父とも暮らしていないし」
鮫島は天井を見上げた。そしてぼそりと、つぶやく。
「俺が一番、うちから遠いのかもしれないな」
鮫島の横顔を眺める。凛々しい青年の顔立ち。それでも、親の話をすると、どこか幼く見えた。
若き騎士団長は、年上の団員たちにどこか敬遠されていた。それは犬居のいった、鮫島への敬愛、その実力へ感服しているゆえというのはあるだろう。だがそれだけではない――国の功労者の子孫、大貴族、奉公先の御曹司、将軍であり星帝皇后の弟という、いらぬ肩書きが、彼を必要以上に持ち上げているのだ。
(団長は特別――)
誰の言葉だっただろう。ふと頭をよぎった。
「高嶺の花、ってことか――」
梨太がつぶやくと、鮫島は不思議そうに振り向いた。
「でも花っていうには、鮫島くんには色味が足りないよね。赤とか黄色とかピンクとか。頭に花冠でも付けてみる?」
そういって笑う梨太。
鮫島は一度微笑み、すぐに口元をこわばらせた。ゆるく結んでいた指先をほどく、妙にまじめくさった声音で、
「リタ。俺は、軍人だ」
突然、そんなことを言った。
「騎士で、団長で、英雄だの惑星最強だのアダナまで付けられてる」
「うん? 知ってるよ」
「強いんだぞ」
「……はっ? え……だから、知ってるけど」
キョトンとする梨太をじっとみつめる、鮫島。
そして真顔でいきなり、大きな手を梨太の頭に乗せて、そのままグリグリ回し始めた。
痛みはないが、髪の毛ごと頭蓋骨を回されて目がチカチカしてくる。ひとしきり遊んだ後、鮫島は梨太の頬を指先で摘んだ。横にひっぱって伸ばし、目のあたりを、親指の腹でこすられる。
これはいったいなにをされてるのだろうかと、とりあえず黙ってされるがままになってみた。
どこかでこういった動作に記憶があると思い出してみると、幼い頃、飼っていた犬を相手に自分が毎日やっていたような――
梨太の柔らかい髪をつまみあげ、パラパラ落としてみる鮫島。そろそろ勘弁してもらいたいころ、彼は満面の笑みを浮かべた。
「おまえは可愛いなあ」
そして、また、明るい笑い声をあげた。くっくっと体を揺らしながら、ちょっと乱暴に耳をひっぱられた。左右ともつまんで広げられる。これ以上ないほど楽しげに遊ばれて、梨太は複雑な顔でじっとしていた。
「あんまりソレいわれるのイヤなんだけどなあ……」
ぼやくと、鮫島はわざと怒ったような表情を作って見せた。
「なんだと? さんざん、ひとを怒らせるようなことを、自分はやっておいて」
また頬を引っ張られる。
「のびるのびる。おかしいなあ。地球人は男か女かしか生まれないんだろう? お前は生まれてから十六年、ずっと男なんだよな。なんでこんなにちっちゃくて可愛いんだ。いったいどうなってるんだ?」
「知らないよもう。文句があるなら両親にいってよ」
「なにが、俺がお前に惚れるだと。くっくっく。ばかめ。十五の雌体でも今のお前より背丈があったし、腕だってずっと堅かったぞ。
お前、俺を女にしようなんて企むよりも、お前が女装でもしていますぐ俺にしなだれかかったほうがてっとり早いんじゃないか?」
「あっ、それ言う!? ついにそれ言ったなっ!」
梨太は鮫島の手を振り払い絶叫した。
「いつか誰かから言われると思ってたけど、まさか鮫島くん本人から言われるなんて!」
「ん、なんだお前。まさか、俺が女に興味がないとでも思っていたか?」
頬杖をつき、意地悪な笑みを浮かべる鮫島。鋭い目がやけに野生的だ。
「俺が、十六からほぼ完全な雄体優位になったのはなぜか、考えてみろ」
「あ。あー。いや、やあ、そうじゃなくって、鮫島くんってそういう冗談言いそうにないから」
「別に冗談は言ってないぞ。……どうにかしてやろうか」
そういうと、彼は立ち上がり、再び梨太の襟首をつかんでひょいと持ち上げた。クッションでも弄ぶように、梨太の体重を簡単に空中へ放り投げて捕まえ、肩に担ぐ。
「うわっ?」
あわてて手足をばたつかせるが、騎士団長の軸はびくともせず、梨太を担いで足音もなく歩き始めた。
いつもの早足でリビングスペースをぬけ、狭い廊下を挟んで、二階へ続く階段を登っていく。逆さ吊りに揺られながら視界いっぱいに階段の床が見え、ちょっとしたジェットコースターよりも恐怖である。梨太はいろんな意味で悲鳴を上げた。
「うわ、わ、わあわわわあああっ!」
「リタ、寝室はどっちだ?」
「ひ、左、じゃなくって! さめじまくんっ」
「左だな」
肩の荷物の悲鳴は無視を決め込み、鮫島は木製のドアを開くと、梨太を抱えたまま部屋へ進入していく。
寝室というより、梨太の私室である。八畳ほどの洋間で、大きな壁付けクローゼットにほとんどの荷物をしまい込んでいるため、飾り気のない家具があるきりで、床面は広々している。壁の端に簡素なベッド、そこに並べて客用の布団が置かれていた。鮫島が来るというので、夕方のうちに用意しておいたものである。
「や、やだやだやだっ、鮫島くん、僕、こっちは絶対――」
彼はポイッと簡単に、梨太をベッドのほうへ放り投げた。スプリングに跳ね返されて転落する。鮫島のために敷いた布団の上に顔面からべちゃりと突っ伏して、梨太はあわてて身を起こした。
「絶ッッ対ッいやだぁっ!!」
と、そのときすでに、鮫島は部屋から体を半分退出させていた。ドアノブを向こう側へ引きながら、隙間から舌を出す。
「もう寝ろ。おやすみ」
パタンと軽い音を立て、扉が閉められた。
梨太はそのまま、五分ばかり床にへたりこみ、呆然と過ごした。自室の時計を見上げてみると、すでに午前零時にほど近くなっている。目覚ましアラームを登録している携帯電話を一階に置いたままなのを思いだし、逡巡すること十五分、仕方なく、そうっと足を忍ばせて階段を下りていく。
ダイニングの方につながる扉から進入していくと、リビングスペース、ソファに鮫島が仰向けに寝転がり、その姿勢のままくじらくんを操作しているのが見えた。背もたれ代わりにあの枕――憎らしいことに、水色のほうを表に敷いて、かったるそうに作業を続けている。
「…………おやすみ」
小さく、声をかける。鮫島は無言で片手をあげた。
携帯電話を回収し、二階へと戻る。
途中ふと、結局鮫島くんは僕と何の話がしたかったのだろうと疑問に思う。なにか、言いたいことなり聞きたいことなりあったのではないのか――
それとも、本当になんにもなかったのだろうか。
布団に体を入れたときには、眠れそうにないと思った。だが数分もすれば急速に眠気が訪れて、梨太はひとり、熟睡していく。
家の中に他人がいるという、緊張感はなかった。
翌朝、いつもの時刻に目を覚ましたとき、鮫島はすでにいなくなっていた。早めに登校し、朝と昼休みにと三年生の教室を訪ねたが、彼はきていなかった。
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