鮫島くんのおっぱい
鮫島くんがお泊まり
それから、梨太は鯨とさらなる検証をおこない、第二、第三の候補に別の場所を上げる。
 それは念のため可能性を考えただけといったところで、とりあえずくだんの旧学生寮を念入りに捜索することは決定している。情報漏れがないか、虻川にも尋問を繰り返し、騎士団員はめいめい自分の仕事を分担して、本拠地へと帰還していった。
「では、またなリタ君。結果は報告するよ」
夜空を背景に、くじらくんがなにやら軌跡を描いた。おそらくは『バイバイ』などであろうが、ラトキアの文字で書かれても梨太にわかるはずもない。気持ちだけ受け取って、梨太は手を振った。
その横で、鮫島も、騎士団の背中に手を振っている。
「……えっと」
横を、上目遣いに見上げる。目があって、鮫島は不思議そうに小首を傾げて見せた。こともなげに言う。
「泊まると言っただろう?」
「え、ええまあそれは覚えてるけど。なんか流れ的に、なしになったのかなと。早く終わったし」
梨太が言うと、鮫島は逆のほうへ首を傾けた。二十五センチ余の身長差を埋めるように身をかがめ、囁く。
「ダメか?」
「ダメじゃないですです。布団の用意もしてありますます」
「じゃあ部屋に戻ろう。寒い」
勝手にきびすを返していった。
梨太も黙って続いたが、彼が愚痴るほど気温は低くない。梨太は半袖パーカーにデニムのハーフパンツという部屋着で、鮫島は長袖カッターシャツの学生服、さらにその下に薄手のシャツを着込んでいるようだった。そういえば初めてあったときには学ランで汗一つかいていなかったし、犬居はニット帽、騎士団も全員軍服で暑苦しい。ラトキア人は寒さに弱いのかもしれない。
リビングに戻ると、鮫島はダイニングテーブルのいつもの席に腰掛け、なにやらまた書類を並べていた。息つく暇もなく、文書を熟読したり筆記していく。
よく働く人だ、と、梨太は思った。
この姿をみれば、彼のクラスメイトたちは鮫島を不良だのサボり魔だのという印象を覆すだろう。おそらくはもっとも彼と親しい地球人である梨太からは、鮫島に不良生徒という要素は全く見えなかった。
なんだかわからないけど邪魔しちゃいけない――と、身を引く少年では、梨太はない。
「それってなにしてるの?」
向かい席に座って尋ねる。鮫島は顔も上げずに、意外な答えを返した。
「勉強」
「えっ? なんの?」
「資格。いまラトキアで、南のアマゾン区に住む民族が森林を伐採、放火し農地にしているという風習でその近郊の小国と問題になっている。小競り合いはとりあえず収束したが、根本的な解決にはなっていない。アマゾンの民に森を破壊しない農業の手段を提案できるよう、あるいはその方法の安全性を近隣国へ説明をし理解を求めるよう、塩湖マングローブの土地について知り、指揮するのには専門の資格がいる」
「えっと……それ、騎士団の、団長の仕事なの?」
「別に俺でなくてはダメではないが、以前にその小競り合いを収めたのが俺たち騎士団だ。塩湖を実際に見たのは俺だけだし、交渉にもっていくのも族長と面識があった方がよかろう。それと、変な話だが、騎士団長という肩書きはそれだけで話を聞いてもらいやすい」
「ふうん……」
わかるようなわからないような理論だが、反論するようなことでもないので黙って引き下がる。
ちらりと部屋の時計を見ると、夜の八時を回った頃である。
「僕も勉強しよ」
つぶやき、梨太はカウンターデスクの方に移動して、ノートパソコンを開いた。ヘッドフォンを装着し、インターネット、ブックマークへつないでいく。
トップページにいくつものウィンドウリンク。それぞれ人間が一人ずついて、すべてがリアルタイムの動画だ。梨太がそのうちのひとつをクリックすると、中年男性がホワイトボードを背に講義をしている映像が拡大化された。ボードの方は画面から切れているが、その内容が別の画面に活字で表示されていく。
梨太はしばらくそれを眺め、音声を聞いていたが、途中でキーボードをたたき文章を投稿した。また別の画面に自分の文章が表示されている。二分ほどで、梨太の質問にたいして返事になる文章が表示された。その間もホワイトボードの板書は更新され、講義もリアルタイムで進んでいく。
そうして、四十分ほど梨太は講義を受けた。続いてもう一本、今度は別のウィンドウへ飛んでいく。一時間後、教授が一礼をすると画面がブラックアウトし、梨太は小さく息を吐いて、ヘッドフォンをはずす。
ふと気配を感じて振り向くと、今度は鮫島が、背中から覗いていた。
「今のはなに?」
「えっと。オンライン塾。授業内容は普通に工学」
「日本語じゃなかったようだけど」
「うん、だから、ネイティブの語学と一石二鳥で」
「ふうん」
さっき自分がいったのとそっくりの、気の入らない相槌をうつ鮫島。梨太はヘッドフォンをテーブルへ置いた。
「鮫島くん、勉強終わった?」
「いや。今日で終わるようなものじゃないし。覗きにきただけ」
「じゃあそれ、また明日にしてよ。僕ももう終わる。あそぼ」
「あそぶ?」
鮫島は首を傾げた。ソファの背もたれに肘をつき、こちらに身を屈めたまま表情をキョトンとさせた。
「せっかくお泊まり来てくれたんだもん。寝る前にちょっと遊ぼうよ」
「……何をして?」
言われて、梨太はウームと考えた。
「今からだと、ゲームくらいだなあ」
さすがにこの時間から外に出る気はなかった。それでも室内で過ごす玩具はある。豊富といえないながらもテレビゲームも持っているし、トランプやオセロくらいなら心身を疲れさせなくてよいだろう。いくつかそういった提案をしてみたが、鮫島は首を振った。
「俺は眠らない。仕事が残っている」
「えーっ!? なにそれー!?」
梨太は小学生のような声を上げた。
「そんな夜中になにやんのさ」
「騎士はこの日本だけにいるのではないぞ。他の任務についている騎士から報告を受けなくてはいけない。少々は物音がするから、寝室のある二階にはあがらずここにいさせてほしい。リタは自分の生活で眠っておけ。俺は、仮眠は取るとしても床でいい」
「なーにーそーれー。じゃあなんでウチに来るっていったのさ」
「まず検証がもっと遅くまでかかると思ってたし、それで翌朝は学校へいくならリタの家からのほうが近い。宇宙船は、ほかの騎士や捕虜もいて騒々しいから、仮眠も取りづらいしな」
「まあ可愛げのないお返事。なんだ、便利に使われただけかあ」
梨太は大げさにガッカリして見せた。デスクの下に置いていた紙袋から、奇抜なデザインのクッションを取り出す。
「せっかくイエス・ノー枕も買ったのに」
「なんだそれは」
「いや、まあ実際イエスっていわれても困るんだけどね。ただ何にも知らない鮫島くんが、ピンクのイエス面でスヤスヤ寝てる映像が欲しかったというかなんというか、おもしろいかなと、ネタで。ドンキで。勢いで。さよなら二千六百四十円」
リビングのほうへ向け、ぽいっと床に投げた枕が反転し鮮やかなブルーの面をさらした。鮫島はそれを視線で追いながら、そのままの表情で、ぼそりと言った。
「それに、もう少しリタと話したくなった」
目を丸くして見上げる。彼は枕の方から視線を戻し、梨太のほうへ顔を向けていた。そこから言葉が続くかと思ったが、そのまま黙って停止している。
梨太は戸惑いながら、率直に聞いてみた。
「いや、じゃあなんで急ぎじゃない勉強なんかはじめたのさ」
「……。苦手なんだ。雑談」
低い声でいう。梨太はしばらく彼の言葉を飲み込んで、腹に落とし、そして腹から声を出した。
「なんじゃそりゃあ」
 それは念のため可能性を考えただけといったところで、とりあえずくだんの旧学生寮を念入りに捜索することは決定している。情報漏れがないか、虻川にも尋問を繰り返し、騎士団員はめいめい自分の仕事を分担して、本拠地へと帰還していった。
「では、またなリタ君。結果は報告するよ」
夜空を背景に、くじらくんがなにやら軌跡を描いた。おそらくは『バイバイ』などであろうが、ラトキアの文字で書かれても梨太にわかるはずもない。気持ちだけ受け取って、梨太は手を振った。
その横で、鮫島も、騎士団の背中に手を振っている。
「……えっと」
横を、上目遣いに見上げる。目があって、鮫島は不思議そうに小首を傾げて見せた。こともなげに言う。
「泊まると言っただろう?」
「え、ええまあそれは覚えてるけど。なんか流れ的に、なしになったのかなと。早く終わったし」
梨太が言うと、鮫島は逆のほうへ首を傾けた。二十五センチ余の身長差を埋めるように身をかがめ、囁く。
「ダメか?」
「ダメじゃないですです。布団の用意もしてありますます」
「じゃあ部屋に戻ろう。寒い」
勝手にきびすを返していった。
梨太も黙って続いたが、彼が愚痴るほど気温は低くない。梨太は半袖パーカーにデニムのハーフパンツという部屋着で、鮫島は長袖カッターシャツの学生服、さらにその下に薄手のシャツを着込んでいるようだった。そういえば初めてあったときには学ランで汗一つかいていなかったし、犬居はニット帽、騎士団も全員軍服で暑苦しい。ラトキア人は寒さに弱いのかもしれない。
リビングに戻ると、鮫島はダイニングテーブルのいつもの席に腰掛け、なにやらまた書類を並べていた。息つく暇もなく、文書を熟読したり筆記していく。
よく働く人だ、と、梨太は思った。
この姿をみれば、彼のクラスメイトたちは鮫島を不良だのサボり魔だのという印象を覆すだろう。おそらくはもっとも彼と親しい地球人である梨太からは、鮫島に不良生徒という要素は全く見えなかった。
なんだかわからないけど邪魔しちゃいけない――と、身を引く少年では、梨太はない。
「それってなにしてるの?」
向かい席に座って尋ねる。鮫島は顔も上げずに、意外な答えを返した。
「勉強」
「えっ? なんの?」
「資格。いまラトキアで、南のアマゾン区に住む民族が森林を伐採、放火し農地にしているという風習でその近郊の小国と問題になっている。小競り合いはとりあえず収束したが、根本的な解決にはなっていない。アマゾンの民に森を破壊しない農業の手段を提案できるよう、あるいはその方法の安全性を近隣国へ説明をし理解を求めるよう、塩湖マングローブの土地について知り、指揮するのには専門の資格がいる」
「えっと……それ、騎士団の、団長の仕事なの?」
「別に俺でなくてはダメではないが、以前にその小競り合いを収めたのが俺たち騎士団だ。塩湖を実際に見たのは俺だけだし、交渉にもっていくのも族長と面識があった方がよかろう。それと、変な話だが、騎士団長という肩書きはそれだけで話を聞いてもらいやすい」
「ふうん……」
わかるようなわからないような理論だが、反論するようなことでもないので黙って引き下がる。
ちらりと部屋の時計を見ると、夜の八時を回った頃である。
「僕も勉強しよ」
つぶやき、梨太はカウンターデスクの方に移動して、ノートパソコンを開いた。ヘッドフォンを装着し、インターネット、ブックマークへつないでいく。
トップページにいくつものウィンドウリンク。それぞれ人間が一人ずついて、すべてがリアルタイムの動画だ。梨太がそのうちのひとつをクリックすると、中年男性がホワイトボードを背に講義をしている映像が拡大化された。ボードの方は画面から切れているが、その内容が別の画面に活字で表示されていく。
梨太はしばらくそれを眺め、音声を聞いていたが、途中でキーボードをたたき文章を投稿した。また別の画面に自分の文章が表示されている。二分ほどで、梨太の質問にたいして返事になる文章が表示された。その間もホワイトボードの板書は更新され、講義もリアルタイムで進んでいく。
そうして、四十分ほど梨太は講義を受けた。続いてもう一本、今度は別のウィンドウへ飛んでいく。一時間後、教授が一礼をすると画面がブラックアウトし、梨太は小さく息を吐いて、ヘッドフォンをはずす。
ふと気配を感じて振り向くと、今度は鮫島が、背中から覗いていた。
「今のはなに?」
「えっと。オンライン塾。授業内容は普通に工学」
「日本語じゃなかったようだけど」
「うん、だから、ネイティブの語学と一石二鳥で」
「ふうん」
さっき自分がいったのとそっくりの、気の入らない相槌をうつ鮫島。梨太はヘッドフォンをテーブルへ置いた。
「鮫島くん、勉強終わった?」
「いや。今日で終わるようなものじゃないし。覗きにきただけ」
「じゃあそれ、また明日にしてよ。僕ももう終わる。あそぼ」
「あそぶ?」
鮫島は首を傾げた。ソファの背もたれに肘をつき、こちらに身を屈めたまま表情をキョトンとさせた。
「せっかくお泊まり来てくれたんだもん。寝る前にちょっと遊ぼうよ」
「……何をして?」
言われて、梨太はウームと考えた。
「今からだと、ゲームくらいだなあ」
さすがにこの時間から外に出る気はなかった。それでも室内で過ごす玩具はある。豊富といえないながらもテレビゲームも持っているし、トランプやオセロくらいなら心身を疲れさせなくてよいだろう。いくつかそういった提案をしてみたが、鮫島は首を振った。
「俺は眠らない。仕事が残っている」
「えーっ!? なにそれー!?」
梨太は小学生のような声を上げた。
「そんな夜中になにやんのさ」
「騎士はこの日本だけにいるのではないぞ。他の任務についている騎士から報告を受けなくてはいけない。少々は物音がするから、寝室のある二階にはあがらずここにいさせてほしい。リタは自分の生活で眠っておけ。俺は、仮眠は取るとしても床でいい」
「なーにーそーれー。じゃあなんでウチに来るっていったのさ」
「まず検証がもっと遅くまでかかると思ってたし、それで翌朝は学校へいくならリタの家からのほうが近い。宇宙船は、ほかの騎士や捕虜もいて騒々しいから、仮眠も取りづらいしな」
「まあ可愛げのないお返事。なんだ、便利に使われただけかあ」
梨太は大げさにガッカリして見せた。デスクの下に置いていた紙袋から、奇抜なデザインのクッションを取り出す。
「せっかくイエス・ノー枕も買ったのに」
「なんだそれは」
「いや、まあ実際イエスっていわれても困るんだけどね。ただ何にも知らない鮫島くんが、ピンクのイエス面でスヤスヤ寝てる映像が欲しかったというかなんというか、おもしろいかなと、ネタで。ドンキで。勢いで。さよなら二千六百四十円」
リビングのほうへ向け、ぽいっと床に投げた枕が反転し鮮やかなブルーの面をさらした。鮫島はそれを視線で追いながら、そのままの表情で、ぼそりと言った。
「それに、もう少しリタと話したくなった」
目を丸くして見上げる。彼は枕の方から視線を戻し、梨太のほうへ顔を向けていた。そこから言葉が続くかと思ったが、そのまま黙って停止している。
梨太は戸惑いながら、率直に聞いてみた。
「いや、じゃあなんで急ぎじゃない勉強なんかはじめたのさ」
「……。苦手なんだ。雑談」
低い声でいう。梨太はしばらく彼の言葉を飲み込んで、腹に落とし、そして腹から声を出した。
「なんじゃそりゃあ」
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