ノスタルジアの箱

六月菜摘

花火のせいだ


泣き虫の女は苦手だ。
泣けば済むと思ってるとか、単なる甘えだろ。

映画に行けばエンドロールまで泣いてるから、外出たら目が真っ赤。
水族館は大丈夫かと思ったら、ラッコが手を叩いてるって号泣。

夕方、暮れ行く頃の車窓の風景なんて、絶対見せちゃダメ。
灯りが揺れているだけで、ほら、もう目がうるんでる。呆れるくらい。

彼女の涙は、自由自在にすっとあふれでてくる。
きらいなはずなのに、穏かな海を見ているようで
彼女の場合は、潮の満ち干きのように、日々を彩る波の音と同じに思えてくる。



俺は男だから、物心ついてから片手で足りるくらいしか泣いたことがない。
涙なんて何処かに置き去りにしてしまった。

多分、あの時以来。
高校生の時、初めて一人旅を決行した。
寝袋を背負って山に登ったんだ。山と言っても、近くの低い山だ。
けれど、夜の闇は確かにそこに存在した。
怖くて、同時に新鮮で、なかなか眠れなかった夜。

星明りに目が慣れた頃、隠れていた白い月が薄雲からゆっくり顔を出す。
あの時、自然に涙がこぼれて耳の中に落ちていった感覚だけが、涙の記憶。



あいつには、一途に思い続けてきた相手がいる。
そいつは都合のいい時だけ彼女を呼び出して、惑わせ、迷わせた。
許せねーよ。男も、そんなヤツに惚れてる方も。
俺に許されなくても関係ないか。

私ね、あの人のこと、期待してないの。
時々見せてくれる優しい顔はただの気紛れで、本気じゃない。

自分の心を閉ざして、黒に染まっていく感情のない世界。
自分にささやかれる言葉を本気で受け取れずに、心は真っ白になる。
ストップウオッチで止まったまま。
可哀相な私。自分に同情してる。まるで世界の終わり。

だんだん笑わなくなって、凍結した人形のようになっていく。
彼女はある日突然、いなくなった。



毎日気がかりで、心がバラバラに切り裂かれていくようだった。
連絡しても返事はない。友人に聞いてもわからない。
今あいつのいる場所はこの空と繋がってるだろうかと、窓の外ばかり見てた。

二週間が経って、唐突に電話が鳴った。

元気? 無邪気な声。

はぁっ? 元気じゃねーよ。どんだけ心配させれば気が済むんだよ。

えー、怒らないで。
もしかして呆れてて口ききたくない?

呆れてるけど切るな。ずっと話せ。今、どこだ?

えっとね、北海道。

はいー?

湖のほとりだよ。すごくいいところ。

そりゃあ、いいご身分で。



あのね、今から30分後に花火をはじめます。
だから、君も準備するように。去年の残りでもいいよ。
同じ時間に炎を見つめるのって、ロマンチックじゃない?

言われるがまま、物置に行って去年放置した花火セットを持ってきた。
これ、しけてねーかな。火、つくかな。
そういえば、昔はよく川原で花火やったな。
マッチで火をつけるのが怖いって、俺は点火係りを押し付けられて。

そんなことを思い出して、擦った火をかざす。
花火に点火すると、真っ白な煙しか出なくて、むせて涙が出てきた。
言っとくけどな、煙いせいだぜ。

シュルルルル。うわぁー。
あ、ねずみ花火でしょー。きゃははっ。
ちっ。でも、笑えるようになったんだな。

彼女が花火の映像を送ってくる。
パチパチしている火花を撮っているだけで、自分は映さない。
こら、振り回すな、目が回るだろ。 

最後は決まって、線香花火。
蛍のようなまるい玉を、少しでも長く、落さないように
風に揺れないように左手で守りながら、どっちが長く残るか競い合った。

そっと息を潜める。
ジュッと音を立て、君の最後の火の雫がぽつりと落ちた。

そばにいたときには横顔が気になって
ついよそ見して、いつも負けてた。今年はおまえがそばにいない。



帰ってきた彼女は陽に焼けてて、拍子抜けするくらい元気だった。

どうだった、北海道。

えっとね、絨毯みたいだったよ。あちこちで、ごろごろ転がったの。

今回の旅行ではね、なんと3回しか泣きませんでしたー。
毎日泣いてばかりかと思ってたでしょ?

そうだな、今も涙目だが。

今はいいの。ほっとしたらちょっとね。
と、見る間に、目がうるうるになっていく。

今この瞬間がすごくいとおしくて、でも同時にもう二度と戻ってこないんだよ。
そう思うと、やっぱり泣いちゃうんだ。

もうさー、黙って抱きしめていいか?


 






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