ノスタルジアの箱

六月菜摘

七夕夜の手紙


今夜は、どうしても思い出してしまう人がいて
夕闇が落ちて星が降ったら、私にとって特別だったその人を想う時間。

君のことだから、七夕なんて特別じゃないとか
煙草をくわえて悪態をつきながら、それでも空を見上げるだろう。

あれからもう一年が経ったんだね。
君は、元気にしていますか。

音沙汰はないけど、きっと何処かで歌を詠んでいるのでしょうね。
チェロは君の手からメロディを奏でるようになりましたか。
それとも、もう捨ててしまいましたか。

愚かな私は、夏が過ぎたら帰ってくるのかなと、ぼんやり待っていて。
君の紡ぐ言葉をいつまでも読んでいたかっただけなのに。

いや、帰って来ないとわかっていて、だから誰かに甘えて。
後悔するくらい思い切り傾いていたのに。



また性懲りもなく君に手紙を書いている。もう読まれないと知っていて。
ここのところずっと手繰り寄せていた、過去のやり取り、君の作品。

或る日、君が私を見つけてくれたね。
互いに響くものがあって、似ていたから引き寄せられた。

よく気づいたね。あんな勝手な思いが伝わるなんて奇跡だった。
私は作品の何処かに、君宛ての言葉の暗号を交ぜるのが癖になっていく。

雨上がりのポストに、ことりと入っていた小さな青い手紙。
私の密やかな欠片に気づいて困惑しながら、惑星間通信の速度で届いた。

君がたとえてくれた私の言葉たちは
雫色の封筒に、夜から貰ったインクで書いた便箋の中。

七夕の二ヶ月前に交わされた手紙は、かくれんぼしてる。
誰でも探せる場所にあるけど、でも、私たちだけのもので。



まるで予言のように、二人で会話するようになった瞬間から
離れる日のことを憂いていた君。風に乗って何時しか消えていく。
哀しみを帯びていた私宛の手紙。それは、雨上がりの詩。

   透明に消えてゆくひと言の手紙が
   弱いつながりを保ち、その色は失われ
   たったひとりの読者に手渡され
   少年の初恋めいた手紙に
   こっそり込めた不器用な言葉が
   受け継がれ、どこかで生きていくといい

言葉の花束をくれた日さえ、嬉しさをすぐ過去に葬り去るかのようにね。

   郷愁のつまったノスタルジアの箱に
   こっそりしまわれた誰かへの手紙が
   移り気なあなたのとおい未来、今この時が過去になった頃
   もう一度そっと開かれて、少しだけ甘やかな残り香を漂わせる。
   その日に、想いを馳せずにはいられない。

果たして、甘い香りは漂っているのだろうか、私と君に。
君が私を思い出すなんてこと、ありはしない。
思い出しているのはきっと私だけなんだ。一方的に。



七夕の夜にしたためた最後の伝言に
呼応するようにはじまった物語は、途中で投げ出されたまま。

君が言葉を残したまま消えたのは
私のためなんてことは一切なくて、勿論それは優しさでもなくて。
もう存在も思い出さず、振り返ることもなく、未練もなく
ただ前を見つめて、君は行ってしまっただけ。

使われなくなった宇宙基地と同じで、いつしか廃墟になっていく抜け殻。

それでも私は、時折そこを訪れるの。瓦礫を踏む足音をさせながら。
一瞬で消えてしまった情熱の残り火で、また焚火をはじめようとするんだ。
ひとりで、一人で。
棄てられた言葉を、拾い集める。

いつかしら、その残骸さえも消える日が、突如として来る気がする。
思い出を訪れる場所さえ失った心は、途方に暮れてしまう。
ね、いつまでも残しておいて。
そう言った途端に失くしてしまうのかもね、アマノジャクな君だから。



別れにつながる夜は、記憶の箱の中に閉じ込められている。
あの一言が、あの表情が、最後だったのだと。今思えば。

氷で封印された向こう側を、ちらちらと自由に泳ぎ回る。永遠に。
仕方ないのにね。どうすれば良かったかなんて、考えても意味はない。

どうしていつしか皆、去っていくの。
擦り抜けていくの。もう捕まえられない場所に。
逢うわけにはいかない言葉だけの間柄なんて、所詮脆い。

七夕の夜が来るたびに、きっとこの先も、一年に一度
私は君を思い出すのでしょうね。
風鈴の音がして、もう泣かなくていいよと撫でていく。

またね、来年まで忘れるよ。
私には今、大切にしている人がいるから。
風前の灯火だけれど、構わずに。




* 愁う月の君 「雨上がりに届く青い手紙」に。 2017.7.7

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