苦役甦す莇

マウスウォッシュ

Episode36 Missing one

 私はソウが消えてから、心ここに在らずと言う表現が似合うほど、ボーッとする事が多くなった。

 彼のいない時間は私にとって酷く苦痛に感じられた。

 そこで私はお風呂に入り、湯船の水面を眺めながら物思いにふける。

 そもそもどうして私はこんなにもソウの事を想っているのだろうか。

 幼少期の事を化石を掘り返すように思い出してみた。








 ソウと初めて会ったのが何歳の頃かはもう忘れてしまったが、西陽の眩しい夕刻のどこかの公園だったような気がする。

 とても綺麗なオレンジ色の西陽の中で、私は一人寂しくブランコに乗っていた。

 小さい頃から私の両親は共働きで、家にいてもつまらなくなったら公園に遊びに行くのが日課だった。

 でも子供の頃は体感時間が物凄く長いので、たとえ5分だろうと同じ遊具で1人で遊んでいると飽きてくるのである。

 そうして結局は何となくブランコに股がって一人寂しく公園の時計の鐘が鳴るのを待つだけだった。


 ある日の帰りを告げる鐘が鳴る1時間ほど前、彼が私の前に現れたのである。

「ねぇ遊ぼ? 遊ぼうよ......あははは」

 まるで夢を見てるようだった。私に微笑みを投げかけて、しかも話しかけてくれたのは家族以外でソウが初めてだったからだ。


「お名前なんて言うの?」

「ソーセキだよ! よろしくね!」

「私はカンナ!よろしくね!」


 彼はとても快活で素直で、笑顔を絶やさず、ひたすらに明るかった。

 その明るさは西陽よりも眩しく感じられた。


 彼は私の横のブランコに乗りながら、色んな事を話し始めた。

 ここの近くに住んでる事、父親と祖母と3人で住んでる事、父親とあまり仲良くない事、祖母が不治の病気で今は最後のひとときを自宅で過ごしている事、家にいても全然楽しくないから公園に遊びに来た事......


「カンナちゃんはどうして公園で遊んでるの?」

「暇......だからかなぁ......」

 私は錆びたブランコの鉄を握りながら、明日もどうせ時計の針が2周するのを無駄に過ごすだけの生活なんだろうなと思った。


「カンナちゃん、明日も遊ばない?」
それは私にとって予想外の言葉だった。


「え......?」

 生きる楽しみが無かった私に、生きる楽しみが生まれた瞬間だった。


「明日だけじゃなくて、これから先も!」

 彼は西陽より眩しい笑顔で私の乾いた世界に色を塗った。


「う、うん!」

「じゃあ俺らは友達だね!」

「うん! 友達!」

 私とソウはそこで指切りをしたのだった。








 いつからだろうか、私はソウの事をソウセキ君とは呼ばなくなり、心理的距離は友達以上になっていて、いつの間にか家族同然の仲になっていた。

 あの西陽の中のやり取りは何故だか今でも色褪せないのだ。


 お風呂から上がり、いつか切ろう切ろうと思いながらもいつまで経っても切れない鬱陶しい長い髪を乾かした。

 この髪も......確かソウの為に伸ばしたような気がする。

 いつの日か彼が長い髪の女の子が可愛いと言うから、わざわざ何日もかけて伸ばしたというのに......

「当の本人が消えてしまっては頑張って伸ばした意味が無いじゃないか......」

 私は髪を乾かし終えると、ドライヤーを洗面台の下の収納にしまった。

 自室まで戻ることをものぐさに思ったので、その日はリビングのソファで寝てしまった。






 翌日、学校で過ごしていると昼休みに生徒会室に来るようにと生徒会長から呼び出しを食らった。
 なんだろうと思いつつ指定された生徒会室に行った。


「やぁ。この前ぶりだね。」

 部屋では私を呼び出した張本人、生徒会長の九法 令クノリ レイが椅子に座っていた。


「なんで私の事を呼び出したんですか?」

「事のあらましを説明する為だよ。」

「事のあらまし?」

 私はなんの事かよく分からなかった。


「まず、話のゴールから説明すると、僕はアザムキ君とカシイ君がどこに消えたか知っているし、もう二度とここに帰って来れない事も知っている。」

「え?」


「かなり突飛な話かも知れないけど、彼らは今別の世界にいる。

あ、別に死んだわけじゃないよ。別の世界って言ってもあの世じゃないからね。

何故かと言うと、僕が彼ら2人を別の世界に飛ばすように仕向けたからだ。」


「あなたが......仕向けた?」


「そうだ。細かい部分は省略して、大筋だけ話すが、俺は異世界から来た女と出会った。

そいつは俺とコンタクトを取って、2人を事故に見せかけるように消して欲しいと頼んだ。

そうしたらなんと『都合が良かった。私もあの二人が欲しかった所だ。』だって言うもんだから利害が一致したんだ。」


「......なんで2人に消えて欲しかったんですか......?」


「カシイはただ単純にウザかったから。どうやら俺に気があるみたいでどれだけ断っても粘着されてたし......

アザムキは相当な恨みがあるからな。特に君! カンナに関する事だよ。」


「え......私?」


「君とアザムキが初めて出会ったのは......確か10年ちょっと前くらいだったかな?

そう......俺は今でも鮮明に覚えている。あの日あの公園でアザムキと君は知り合ったんだ。

でも俺はそれより昔から君に好意を寄せていた......そして、あの日俺は君に声を掛けるつもりだったんだ!

それを! あの男! アザムキが先に声をかけて邪魔しやがった!

それに加えて、関係を深めて今じゃひとつ屋根の下で同棲!?

ふざけるのも大概にしろ!

俺の方が先に君のことを好きになっていたんだ!

それをあいつが横取りしやがった!」


 クノリは激情に駆られ、平生の冷静さを欠いていた。

「そんな理由の為だけに......ソウを......」


「そんな理由!?

何故だ? 何故君もバカにする?

私は身を焼くほど君に恋焦がれているというのに!」


「たとえあの日貴方が話しかけてきたとしても、きっとただの幼馴染に終わっていたと思います!

だって私は貴方のことを好きでは無いのだから!」


「......そうかそうか。君がその返答する事は期待してなかったよ......なるべくこの選択はしたくなかったんだけど......」

「え?」

「残念だ。」


 クノリが私の前に手を翳すと、私は意識が吹っ飛んで倒れてしまった。








 目を覚ますとそこは保健室だった。


 あれ? 誰かが私の手を握ってる?


「おはようカンナ。」


「あ、おはようレイ。」

 そこには幼馴染で彼氏のレイがいた。


「なんで私こんな所で寝てるんだろ?」

 私は倒れる前の記憶があやふやだった。


「お前が貧血で倒れちゃったからだろ?」


「あっそっか!」

 そうだ。貧血で倒れたんだった。


「生徒会室からここに運んでくるまで大変だったんだから〜。
健康管理ちゃんとしなきゃだな!」


「そうだね。」


「あとカンナ髪長すぎじゃない?
そろそろ切ったら?」

 レイは私の長い黒髪に手を当てて、サラサラっと流しながら話した。確かに、意味も無く伸ばし続けても邪魔なだけだ。


「うん......あれ? なんか大事なこと忘れてるような気がする......」

 私は記憶の彼方に何が大事なものを置いてきてしまったような気がした。

 大事なものというより......大切な人?


「忘れるようなことなんて大した事じゃないでしょ。気にしない気にしない。」

 レイの頭ポンポンは謎の安心感をくれるのと共に、細かいことは気にしなくていいんだという安堵もくれた。


「うん......そうだよね。気にすることないよね。」


「じゃ俺はもう教室に行くから、午後からの授業も頑張れよ。」


「分かった。予鈴までにはちゃんと教室行かなくちゃね。」


 レイは保健室から出て行った。


 程なくして、私も自分の教室に戻った。


「あれ? カンナ遅かったね。クノリ先輩の用事って何だったの?」

 教室に入るなりモモが私に話しかけてきた。


 ふと私は記憶を辿ったが、そもそも何故生徒会室に呼び出されたのか思い出せなかった。

「あれ? なんでだっけかな?」

 私は曖昧な笑みを浮かべて誤魔化した。


「カンナったら......アザムキ君消えてからボーッとしてんじゃないの?

午前中の授業だって先生にかけられた時、ちゃんと答えられて無かったじゃん。」


 アザムキ......?


「それに朝だって忘れ物してて怒られてたし......アザムキ君帰ってきたらカンナが叱られちゃうよ?」


「ちょ......ちょっと待ってモモ。」


「ん? 何?」


「アザムキ君って......誰?」


「ちょっとふざけないでよ〜。アンタの幼馴染でしょうが〜。」

 幼馴染......その瞬間私の脳内に広がったのはあの西陽の中の公園。

 その中で私に微笑みを投げかけ、一緒に遊んでくれたのは......


「何言ってるの? 私の幼馴染はレイだよ?」

「は? レイ? 誰?」


「生徒会長の九法 令クノリ レイに決まってんじゃん。

モモどうかしたの?」


「え......? え? 何言ってるの?

アンタの幼馴染はアザムキソウセキだよ?

カンナこそどうかしたの?」


「アザムキソウセキ? 誰それ?」


 モモは何か可哀想なものを見る目で私を見た。


「カンナ......ちょっとこっち来なさい。」

 モモは私の手を引っ張って女子トイレに連れて行った。


「モモ! 何するの?」


「カンナ ふざけてるの?

辛いからって記憶喪失の真似事?

貴女は私をバカにしているの?」


 珍しくモモは怒っていた。


「え? 何言ってるの?

私は大真面目だよ。

私の幼馴染はレイだし、

アザムキソウセキなんて知らないよ?」


 私は何故モモが怒っているのか分からなかった。


「じゃあ貴女の隣の不自然に空いた席は誰の席?」


 あの席は......あの席は......あの席はレイの席じゃない......


「あの席は......誰の席?」


 酷く頭が痛い......私が割れそうになる頭を必死に抑えて蹲った。


「カンナ!? どうしたの!?」


 あの席は......あそこにいた人間は......思い出せない......


 忘れちゃいけなかった気がする......でも誰だか思い出せない......


 アザムキソウセキ? 私の幼馴染? 誰? 誰? 誰?


「そんな奴は居ないよ。

大丈夫。思い出さなくていいよ。

そこに1がないなら、それはもう0だ。」


 私の頭がどす黒い煙で満たされていく......頭の中であの安心感をくれる声が聞こえる。私はそれに身を委ねた。


「あぁ......アザムキソウセキ......そうだったね。あの席はあいつのだったね。」


 私は適当に話を合わせた。


「良かったぁ......思い出したんだ......」

 モモは私を抱擁した。


「うん......思い出したよ......ハッキリとね......」

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