苦役甦す莇

マウスウォッシュ

Episode22 Grade up monster

 俺はマジマジと触腕を凝視した。

 凝視すればするほど、気色悪いという感情がより高まってくる。そんな感じの触腕だった。

 結界に貼りついては、何かをひっぺがすかのように勢いよく縮む。そんな挙動を何回か繰り返していた。



 恐らくその挙動の9度目が終わった時のこと。触腕はいきなり今までやっていた事を中断し、空にいた監視者のうち2名を捕まえた。

 俺は巻き込まれたくないので監視者2人を助けようとせず、傍観者という立場を甘んじて受け入れた。しかし、その選択は間違いだったと今となっては思う。


 空の監視者2名は最初抵抗こそしていたものの、味方の応援が間に合わず海に引き込まれてしまった。

 その2名が水面下にいたドでかいイカに食われた事は想像に難くない。

 しかし、真に想像に難かった事が2つ、この数秒後に起きた。


 1つ目の予想外の出来事。それは捕食を終えたイカの触腕が水面下からまた伸びてきて、いとも容易く結界をぶち破ったという事。

 これに1番驚いていたのはサギだった。結界に対してかなりの自信を持っていたからだろう。


 2つ目の予想外の出来事。それは結界をぶち破った触腕が、これまた船をいとも容易くへし折ったという事。


 立派な木で組まれた頑丈な船を、まるで小学生がそこら辺に落ちていた木の枝をポキッとイタズラ心で折るかのような簡単さで、水面下にいるイカはへし折った。


 船がへし折られる際、何名かの船員も巻き込まれてしまった。


 水飛沫と血飛沫と木の破片のパーティーを見て、俺の脳裏には恐ろしい想像がよぎった。


 それはこの海域にはこのクソイカレベルの水棲魔獣がうじゃうじゃいる事だ。


 俺は沈んでいく船の上で、呆然としていた。敗戦のせいで臆病風のようなものにでも吹かれたのかも知れない。あの時の臨死体験が脳を埋めつくして行った。


 最早俺は冷静に考える力を失っていた。


 今振り返ってみて冷静に分析してみると、俺とフランとサギは割られた船の前半分、サクリとシナトラとクーネとホロウは船の後ろ半分ないしは船の内部にいた。


 その時の俺はそんな事もよく考えられず、ただ必死にサギの足元にしがみついて「陸地に逃げなきゃ!」と言うとても稚拙な事を連呼していた。

 やろうと思えば俺も転移の真似事くらい出来た筈なのに、サギに頼って逃げようとする事しか出来なかった。

 生への執着、そして敗戦からくる恐怖感。この2つが俺の冷静さを奪っていた。


 後の事はよく覚えていない。イカが本格的に暴れ出してからは、俺はジェットコースターに怯える小学生のように、ただひたすら目の前の光景を見まいと目を瞑り、全力を振り絞ってサギの足にしがみついてただけだった。


 ただただ情けないばかりである。


 俺がちゃんと考える力を取り戻したのは数分後だった。



 いきなりバカに静かになったんで、とうとう耳がやられちまったか、はたまた命とられたか、どっちかなと思いゆっくりと瞼を上げた。


 そこには摩訶不思議な光景が広がっていた。

 そう。ただでさえ摩訶不思議なこの世界にいて、感覚がマヒした状態にいるのにそこから更に摩訶不思議と感じた程の景色だった。



 目の前の景色はまるで美術館に飾られてる1枚の絵のようだった。

 全ての物質が時を止められてしまったかのように、その景色は一秒に詰め込んだ世界のように全て静止していたのである。


 いや、全てと言うのは語弊がある。少なくとも生命体は動くことが出来た。しかし、船の飛び散った破片やイカに引きちぎられ空中に放り投げられた死体や、飛び上がる水飛沫や水柱などといった生命以外の全てはその場に止まっていて、空間に固定されていた。



 あまりの珍妙な出来事に、さしものクソ暴れん坊イカも触腕を引っ込めて様子を伺うしか無かったようだった。



「無様だね。その格好。」

 その声は俺の頭上から聞こえてきた。そして俺には聞き覚えがあった。


 俺は声がした方に視線を移した。

「カシイ......マヤ......」

 そこには宙に浮かぶ椅子の上に座ったメイド服がいた。


「ハッ!随分と腑抜けたもんだな。
ミラと魔獣に負けたのがそんなにショックか。」

「やっぱり......お前......」

「そう。お前の予想通り。今現在の『バンデット』のリーダーはこの私。香椎摩耶だ。」

 目の前にいるのは見紛う事なき、あの香椎摩耶だ。

 その時の俺はそいつに全集中を向けてたから気付くことは無かったが

 サギとフランは俺を守るような立ち位置に立ってくれていた。その時、俺は幾分か冷静だった。

「この状況、お前の能力だな?
今、この海域一帯を支配しただろう?」


「ご名答。その通りだよ。
そして、君は疑問に思ってる筈だ。

何故私がここにいるのか。と。」


 すっかり俺の心理は見透かされていた。下手なウソはつく必要は無いだろう。

「そうだ。なんでこんな所でお前なんかとバッタリ合わなきゃならん。」

「強がってる言い方だな。さっきまでイカにビクビクしてた癖に。」


「俺の質問に答えろよ。」

「ハッ! 質問に答えるかどうかは私の自由だろう?

今の状況をよく考えてからものを言え。

主導権はこの私にある。

が......まぁいい。答えてやろうじゃないか。」


 奴の性格......少し変わったな。大仰かつ、傲慢になったような気がする。


「お前は恐らく、『ミラが死んだ』とでも信じているのだろう?


それは大きな間違いだ。


この世界にあるただ一つの真実はこうだ。


『ミラは生きている。』


お前はこの点において大きな勘違いをしている。」


 その瞬間、俺の脳にはいくつかの謎と少しの恐怖が湧いてきた。


「まず大前提として。

私はあんたと同じように、自分の欠片を探している。

そしてそこにいるダイオウイカは私の欠片を取り込んでいる。

そこまでは良いんだが、問題はここからだ。

1つ目の問題はダイオウイカがお前の欠片も取り込んでいるという事。

2つ目の問題はお前の船にミラが乗ってると言う事だ。」

「は?」
 俺の中の疑問は更に膨れ上がっていった。

「1つ目の問題に関して。
この事はお前は知らないだろうが、ある人物の欠片を飲み込んでいる魔獣は、その人物にしか倒せない。
つまり、お前と私2人分の欠片を飲み込んでいるあのダイオウイカは、お前と私2人で倒さなければならないという事だ。

そして2つ目。
ミラが生きているという事に大きく関わっているが、今現在貴様の船......いや船の残骸に乗っている『ホロウ』という男。
そいつは『ホロウ』では無く、『ミラ』なのだよ。」

「......は?」








 アザムキが負けた日に起きたもう1つの出来事。


 ホロウがアジトに戻ると、そこには1人の男の死体が置いてあった。

 その死体にホロウは見覚えがあった。

「フェルト......」

 昔日の仲間。翼の生えた友人だった。

 そして、フェルトの死体は鏡の破片が突き刺さっていた。

 ホロウはおもむろに、それを引き抜いた。いつまでも突き刺さっていては可哀想という思いからの行動だった。

 すると血が飛び散り、服にかかってしまった。

「やぁ......里の裏切り者ホロウさん。色々話す事があるから、この死体をこのまま外に運び出してよ。話はそれからだ。」

 鏡の破片の中から声が聞こえてきた。アザムキが言っていた鏡男。ミラであった。

 ホロウはえも言われぬ怒りに打ち震え、奥歯をギリっと噛み締めていた。


 そこに、フランがやって来た。

「え!? ちょっ、これどういう状況?何があったの?ホロウ?」

「......こいつの後始末をして来る。」

 ホロウはそのまま死体を抱え、鏡の破片を片手に持ちアジトの外に出た。

 そもそも人里離れた山の中腹に建っているアジトだが、ホロウは山の更に奥に行くように歩いていった。



 アジトが見えなくなるくらいの場所まで来て、ようやくホロウはフェルトだったものを地面に置き腰を下ろした。

 そして、鏡の破片をそこら辺に投げ捨てた。

「出てこいよ。俺に用があるんだろ?」

「安い挑発だね。僕は自分の強さを弁えてるから安易に出て行ったりしないよ。」

「なるほど。聞くところによると、お前は三流臭いんだがな。」

「演技だよ。演技。アザムキに捕まったのもわざとだし、逃がしたのもわざと。

僕の目的その一。アザムキソウセキを程よく痛めつけ、一時再起不能まで追いやる事。

僕の目的その二。僕の生まれた里の裏切り者ホロウ......つまり貴方に復讐すること......

......行け。」

 ミラが低い声で指示すると、鏡の破片から1匹の魔獣が出てきた。

「は?こんなんで俺に勝とうってか? 随分とナメられたもんだな。」

 その一瞬、ホロウは慢心してしまった。すかさず出てきた魔獣を殺してしまえば良かったのに。

 この一瞬の慢心から生まれた隙が命取りになった。

「そこに置いてある死体を捕食しろ。」

 小さい魔獣は言われるがままに、地面に置いてあったフェルトの死体をパクリと丸呑みにした。

 すると、そこにいた小さな魔獣はみるみる姿を変え、以前の貧相な肉体からは想像もつかないほど筋骨隆々のゴリゴリの強化魔獣と化した。

「アンタは知らなかったようだね。この世界の魔獣は獣人を食らうと『グレードアップ』する事を。」

 ホロウは絶句していた。開いた口が塞がらなかった。

 今まで読んだどの書物にも書いてなかった。

 そして悟った。今まで蓄えていたものは浅知恵に過ぎなかったという事。

 とうとう自分にもツケが回ってきたという事を。



 ホロウは臨戦態勢を取らなかった。これは里を裏切ったが故の運命だと悟り、彼は事の流れに流されるがまま。


 強化された魔獣はその爪を振りかぶり、あっさりとホロウをもぎ取ってしまった。



「さてと......僕の目的その三。ギルド内に忍び込むを実行するか......

顔だけ『鏡写し』で貰ってくよ。」

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