苦役甦す莇

マウスウォッシュ

Episode16 Good friend

 傷ついてる俺を誰よりも早く察知したのは幼馴染であり、親友でもある環菜だった。

 いや、厳密に言えばそれより踏み込んだ関係だったかも知れない。

 俺には母親がいなかった。母親は俺を産んですぐに他界した。

 そしてそれが親父の酒に溺れるきっかけにもなった。本格的に暴れ始めたのは祖母が亡くなった10歳の頃からだが。

 親父が俺を責めるのは分からなくも無い。だから、俺は環菜に母親の代わりを求めたのかもしれない。

 俺はその日、環菜と一緒に自分の家に行った。その時、最悪のタイミングである事も知らずに。

 俺は環菜と部屋で談笑していた。それが気に食わなかったのか、親父は部屋の扉を蹴飛ばしながら怒鳴り込んできた。

「おじさん! ソウになんでこんな酷いことするんですか!?」

 環菜は怖いもの知らずだった。その事は俺にとっては解しにくい事であった。毎日怖いものに囲まれ続けてる俺にとっては。

「うるせぇ! 小娘! 剥いちまうぞ!」

 親父はその時、最高に虫の居所が悪かったのと、最悪レベルで女に飢えていた。

「きゃああああああ!」

 その光景は今でも脳の奥底に焼き付いている。クソみたいな親父の汚い手が環菜の柔肌を掴んでいる所を。

 俺はもう何も考えちゃいなかった。

「うわあああああああああ!」

 俺は雄叫びをあげながら、親父の足にしがみついた。

「このぉ......ガキがあああああああ!」

 親父は足をブンブン振り回して、俺の事を蹴飛ばした。

 その時俺の心に初めて殺意という物が沸き起こった。

 俺はいつも親父が使ってる木刀を隣の部屋から持ってくると、フルスイングで親父の顔に食らわせた。

 親父は気絶して、俺と環菜は環菜の家まで走って逃げた。

 親父は運良く気づいてもらった近所の人に緊急通報されて救急車に運ばれていったらしい。



 それから少しして、親父は肝臓の病気で死んだ。入院中も「酒で菌を殺すんだ!」とか喚いて酒を隠れながら飲み続けたらしい。俺が木刀で殴った事は殴られた衝撃と酒の力ですっかり忘れていたようだった。

 ホントに馬鹿な親父だ。間接的にとはいえ、俺は親父を殺した。俺は葬式のとき何も思わなかった。ざまあみろとかそういう感情も湧かなかった。ただそこには虚しさアザ痛みキズがあるだけだった。

「ねぇソウ......一緒に住まない?私のお父さんとお母さんがね、ソウの事を引き取りたいって。」

「ん......そうか......ごめんね......環菜......俺......俺......」

 その時とめどなく涙が溢れてしまっていた。もうどうしたらいいか分からなかった。

 すると、環菜は優しく俺の事を抱きしめてくれた。

「私がソウを連れて行く。あんたの悩み事とか愚痴とか色んなの聞いてあげるから。なんでも1人で抱え込もうとしないで。」








 そのセリフが頭の中でこだまするように響いた瞬間、俺は現実に引き戻された。

 そうか......こいつは俺の暗い過去の部分を飲み込んだ魔獣か......別に取り戻さなくても良いような気がするが......

「ま、いっか。お前は気に食わない事を思い出させやがった。それだけでお前をぶち殺すには充分だ。」

 俺がそう言い放った瞬間、そいつは犬の形を少年時代の俺のような姿に形を変えた。

 そして床から抜け出てくるように、平面だった形を立体にさせて俺の前に立ちはだかった。

「君も俺の事虐めるの?」

 少年の頃の俺の声で話しかけてくるのが余計に俺の神経を逆撫でした。

「そうだな......お前はそんな魔獣の中にじゃなくて......」

俺は能力を発動し

「俺の中に還ってくるべきなんだよ。」

恐怖の外の力を行使した。

 するとその魔獣は何も言わずに消え去って行った。

 あとに残ったのはやはり光る玉。俺は暗い過去を取り戻した。少し......複雑な気持ちだが。

 消え去った魔獣の周りには煙のように魔力が残っていたので、俺はそれを取り込んだ。


 俺はそのまま自分の部屋に入った。そしてベッドの上を見た。

 そこには鉄の輪っかが1つ置いてあった。それを拾い上げて、全体を握って起動するように念じる。しかしセルギュは起動しなかった。

「ハッハッハッハ〜残念でした〜。魔獣を倒したのはお見事だけど、やっぱり鏡の外に出る手段とか鏡の外に連絡する手段は無いんだよね〜www」

 またあの男の声だ。

「だけどまぁ、今回苦労して用意した魔獣倒されちゃったしなぁ…

ん〜......ま、いつでも君の事は殺せるから今日のところは解放してあげるよw

あでゅ〜wwwwww」

 小馬鹿にするような男の声が響くと、また一瞬にして目の前の景色が左右反転した。

 恐らく自室の姿見を使って俺の事を戻したのだろう。

 その時、一瞬だけ姿見から窓に向かって何か一筋の光がピッと走ったような気がした。


 俺は握っていたセルギュを起動させた。ゲオルグからのメッセージが一件届いていたが、今は放置する事にした。

 それよりもサクリやほかの皆のことが心配だ。俺は勢いよく扉を開けて、リビングに入った。

 リビングにいたクーネとサギは驚いた顔をしていた。そしてそこにはサクリもいた。

「「良かった無事だった。」」

 俺とサクリのセリフが被ってしまった。

「さっきサクリが『アザムキさんが突然消えちゃった』なんて騒いで来たもんだから、どうしようかと思っちゃったよ。
ま、でもやっぱり無事だったか。」

 クーネはどうやら落ち着いて事を構えていたらしい。

「買いかぶりすぎだよ。別に俺はそんなに強くないさ。」

「何が起きたの?洗面所で消えたアザムキが自室から戻ってくるなんて。転移でも使ったの?」

 サギは俺に説明を要求した。まぁ当然と言えば当然か。

「鏡の中に引き込まれた。中で魔獣と戦った。それだけだよ。」

 俺はごく簡潔に説明した。

「ごめん、今日の朝飯要らないや。」

 そう言うと、俺は自室に戻って行った。


 ベッドの上に放置してたセルギュをもう一度起動して、ゲオルグからのメッセージを確認した。

 内容は以下の通りだった。ゲオルグの上司であるフェルトという男が、俺が異世界に来たばかりの時から俺の事を見ていたらしい。

 空を哨戒中に偶然見つけた半透明の男、それが俺だったらしいのだ。そして俺の事を少しの間尾行していたらしい。

 するとフェルトは何故か鏡男を追っている同僚と出くわしたらしいのだ。

 つまりは、俺のことを追っていたのはフェルトと鏡男で、さらにその鏡男をフェルトの同僚が追っている形になったらしい。

 具体的に言えば能力を貰ったばっかりのあの時、摩耶が割った窓ガラスには鏡男が映っていたらしい。

 そんなにも初期の段階から俺らの存在がバレている事を考えると、俺はゾッとした。

 そして、この事実は他言無用にする事と書き添えられていた。

 もしかしたら俺の命だけでは済まされないかもしれない。

 それに、誰が何の情報を持っているか分からない。

 俺が下手に動けばあちらの思うツボである。

 鏡男が高ギルド狩り集団の一派である可能性は大きいし、何より「いつでも殺せる」という言葉が未だに頭の中に居座っている。

 奴への対策はどうしたら良いものか......奴は鏡の中では俺に手出し出来ない。裏を返せば俺も奴に手出し出来ないという事である。

 しかし、木陰から俺を見ていたというあの件があるので、奴は鏡の外に出る事が出来るし鏡の外ならば俺は奴に手出し出来る。

 つまり、俺は今度あいつと戦う時、鏡の外で戦わなければ勝ち目は極薄という事である。

 今回は奴の気まぐれで鏡の外に出してもらえたが、毎回こうなるとは限らないだろう。

 勝つためには鏡の外で、かつ鏡や窓などの反射する物が無いところで戦闘しなければならない。


 勝つための条件は理解した。しかし、その条件に持っていくまでが大変だということを今気がついた。

 奴がノコノコ外に出てくるわけが無い。第一、奴の能力は奴自身がよく知っているのは当たり前だ。

 普通にしてたら勝てるのに、わざわざ相手の土俵に立つ必要なんて奴にとってしてみればどこにも無い。

 どうやって外に引きずり出すか。これが最難関の問題である。

 窓や鏡を物理的に割ったとしても、ゲオルグからのメッセージを見る限りそれが有効な手段とは思えない。

 奴が持っているのは、反射する物に映った人間をその中に引きずり込む能力......

 俺はその文字を頭の中のど真ん中に据え置いて、何遍も何遍も反芻して見返した。

 反射する物に映りこまなければ、奴は俺を引きずり込む事は出来ない。

 かと言って毎日反射する物に注意しながら生きていくなんて普通なら出来ない。

 鏡なんてそこらじゅうにあるし、ましてや窓なんてもっと沢山ある。


 こんな感じで1人であれこれ悩んでいたが、結局なかなかいい案が思い浮かばず俺はリビングに戻った。

 リビングに入ると、さっきの3人に加えてホロウもいた。

「おはよう」

 ホロウが普通に朝の挨拶をしてきた。

「あぁ......おはようございます......」

 その時俺は酷く悩んでいたので、傍から見たらすごく具合悪い人に見えたかもしれない。

「どうした?あまり元気が無いようだが。」

「まぁ、そうですね今ちょっと壁にぶつかってて。」

 頭の中はあの鏡男の事でいっぱいだった。

「......その壁はどうしても乗り越えなきゃいけない壁なのか?」

「どういう事ですか?」

 俺はホロウの言葉の意味を察しかねた。

「そのままの意味だ。その壁を迂回して、もっと言えば回避して別の道を行く事は出来ないのか?」

 そこで俺は少し黙り、奴のことを考えた。能力の相性の悪さ、奴の全貌を未だに掴めていないという事実、奴はいつでも俺を殺すことが出来るという恐怖。そして避けて通れない奴だと悟った。

「......多分無理ですね。きっと迂回した先にも待ち構えるだろうから。」

「そうか......なら立ち向かわなきゃな。
しなくていいことはしない。しなくてはいけないことは最低限の努力で。これが俺の信条だ。」

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