苦役甦す莇

マウスウォッシュ

Episode15 Man in the mirror labyrinth

 ゆっくりと霧の夢の中から表層意識に浮かんで、目を覚ます直前だった。瞼に力を入れてからゆっくりと開いた。


 あれ?なんか天井が遠いな......あ、そうか今日は床に布団敷いたんだった......起きなきゃな......

 俺はゆっくりと顔を左に向けて、転がる形で布団から出ようとした。しかし、それは出来なかった。

 左を向くとそこには寝ているサクリが居た。

.........

「ええええ!?」

 俺はびっくりして反射的に反対方向に転がって行ったが、布団の右側にはベッドがあるのを忘れていた。

 結果ベッドの足に頭をぶつけてしまった。

「ぁぁぁぉぉぉぃてぇぇ......すっげぇいてぇ......」

 俺は痛みのあまり、毛布に頭を埋めた。柔らかい物で包んだところで痛みが消える訳では無いが。

「ん......あ、おはようございます。どうしたんですか?」

 今起きたばっかりのサクリから見たら、俺はただ頭を毛布に埋めてる変人にしか見えなかったことだろう。

「ぁぁぁぉぉぉおはょぉ......頭ぶつけちゃって......」

「大丈夫ですか!?」

 びっくりしたサクリは俺の頭を撫でてくれた。
 なんで朝っぱらからこんな情けない醜態を晒さくてはならんのだ......

「ベッド空けおいたのに......」

 俺はぼやくようにサクリに言った。なんでわざわざ同じ布団で添い寝してくれたのかが分からなかった。

「いや、私はお邪魔してる立場なのにベッドを使うのはどうにも気が引けてしまって......」

 なるほどね…...今まで奴隷生活だったから相手優先のしみったれた根性が染み付いちゃってるわけね......まぁ悪かないとは思うが。

「クーネさんの事呼んできますか?」

「いやいい。昨日のブヨブヨで頭冷やさなくても大丈夫だ。
それよりリビング行って朝飯食おうや…...」

 俺はゆっくり立ち上がると、サクリと一緒に部屋の外に出た。

 リビングにいたのはサギとクーネだけだった。

 とりあえず俺らは顔を洗うという事でリビングを突っ切って、洗面所まで歩いて行った。

 洗面所に着いて1つ大きな欠伸をすると、サクリが少し困った顔をしているのに気がついた。

「ん?どうしたんだ?」

「いや、私なんかがこんな生活していいのかなって......」

 サクリの表情が曇っているのが見てわかった。

「いいんだよ。元々奴隷制なんて作ったやつが悪いんだ。サクリは何も悪くない。」

「親を殺したのに?」

 その瞬間、その場の空気がピシッと張り詰めた。

「......えっ?」

 なんだこの感じ......? 管理局の時と同じ......?

「私......殺したんですよ......実の親を......生きるためとは言え...…」

 サクリの言葉には重みがあった。それが1つ1つ俺に投げかけられてくる。

「何が悪くないんですか......?
私は主人の命令で親を殺した......殺さなければ私が死んでた......」

 親殺し......奴隷......

「私は悪い子なんです......こんな生き方......許されるはずが無い......」

 その時、俺はこのまま沈黙を続ける気はなかった。

「俺が許す。」

 俺は強く言い放った。

「......えっ?」

 サクリは目を丸くした。

「俺がお前の事を連れてきたんだ。お前の悩み事とか愚痴とかそういう色んなものを聞いてやる。なんでも1人で抱え込もうとするな。」

 言い方に少々難がある気がしないでもないが、きっと俺は夢の中のあの言葉に感化されているのだろう。

 人間として強くなる。最強を目指すつもりで。

 そうなると、サクリを受け入れる事もその為の一歩だと感じた。

「......ありがとうございます......」

 突然、サクリが泣き出してしまった。

「大丈夫。大丈夫だ。」

 俺はそっとサクリの事を抱きしめて、慰めてあげた。



 その時、また誰かに見られてる感じがした。

「すまん、サクリ。少し離れてくれ。」

「ど、どうしたんですか?」

サクリは不安そうな声で尋ねてきた。

「......誰かに見られてる気がする......」

 俺は嫌な予感がし、ゆっくりと周りを見回した。

 すると、『そいつ』は意外な所に身を潜めていた。

 俺が違和感を感じたのは洗面台の鏡だった。

 勿論、鏡には俺とサクリが映っている。だが、何故かもう1人分の人影が鏡に映っていた。

 普通ならありえない事である。何故なら今この場には2人しか居ないはずなのだからだ。

 そいつは鏡の中からこちらを見ていた。柱に隠れていて細かい人相とかは分からなかったが、男だろうということだけは分かった。

 そしてそいつは笑っていた。不敵な笑みと言っても差し支えないほど奇妙に口角を歪ませていた。

 そいつはゆっくりと近づいてくる。鏡に映っているサクリの像に近づいてくる。

 そいつは右手を振り上げたので、俺はサクリに危害が及ぶ気がした。

「サクリ! 危ない離れろ!」

 俺はサクリを突き飛ばした。すると、瞬間的に目の前の景色が違和感の塊と化した。

 突き飛ばしたサクリは消え、目の前の景色は全て左右反転した。

「ようこそ。我が鏡の迷宮へ。」

 それは男の声だった。俺は声がしたと思われる方向に振り返ったが、誰もいなかった。

「迷宮だと? ふざけやがって。ただの左右反転しただけの世界じゃねーかよ。どこが迷宮なんだ!」

「迷宮とは、何も物理的な事を指し示している訳では無い。」

 男の声はどこからともなく聞こえてくる。

 どういう事だ? 何が迷宮なんだ?


「俺の能力は反射するものに映った人間をその中に引き込むだけ。

ただそれだけの能力だ。俺は直接手を下すことは出来ないが、それでも十分に強い。

何故なら俺の能力でしか外に出ることは出来ないし、俺が直接手を下さなくても、餓死するか精神がトチ狂って自殺するかで始末出来るからな。」


「迷宮ってのはそーゆー意味か。
ここに引き込んだやつの精神を表してるわけだな。」

「おっ、気づいたか。
流石実力至上主義ルドに一発で入った男は違うなwww」

「......お前かずっと俺の事を監視してたのは。」


「そうだ。お前に賊をけしかけた時は鏡が無かったから木陰から見るしか無かったがな。

ただ、それ以外は建物の窓とか鏡とかから貴様の事を監視していた。

今回お前を引き込むのは計算外だったが......まぁいい。

気をつけろよ......鏡の中の世界に魔獣が迷い込んでるからな…...

あははははははははははははははははははははははははははははははwww」


 そいつはまるでゲームを楽しんでるかのような笑い声を上げた。

 恐らく魔獣と俺が戦うのを観戦して、ゲーマーにでもなったつもりなのだろう。

「趣味悪いぜ......」

 恐らく直接的に干渉出来ない分を鏡の中に魔獣を連れ込む事で補っているのだろう。

 鏡の外にいるサクリは異常を察知するだろうが、細かい事情は流石に理解できないだろう。

 セルギュもベッドの上に置きっぱなしにして来てしまったし、鏡の外にいるサクリにこの状況を伝える手段がない......ん......いや待て......洗面台や家具と言った『物』ならこっちの世界でもある......という事はワンチャンセルギュもベッドの上にあるんじゃないか…...?

 可能性としてはかなり大きいと思うので、俺はゆっくりと洗面所から顔を出した。

 廊下には誰もいない。左右反転してる分違和感極まりない風景が眼前に存在するが、逆に言えばそれだけである。左右反転して、他の人がいないだけ。

 俺はゆっくりとリビングの方に向かった。リビングの扉は曇りガラスがはめ殺しになってるので、よくは見えないが動くものがあれば一応分かるようになっている。

 曇りガラスに顔を近づけて、何か動くものが無いか目を凝らした。


 そこから2分ほどドアの前に齧りついていたが、特に動くものも無いようなのでリビングの中に入った。

 リビングの中も特にこれといって変化無し。大丈夫そうだ...でと思った瞬間

 ガシッ! と何かが俺の足を掴んだ。いや、何かなんて言う必要は無い。

 今ここにいるのは俺と......魔獣だけだ!


 下を向くとそいつはそこにいた......犬の影みたいなやつ。

 床にへばりついてる漆黒の犬。そいつの前足が形を変えて俺の足を掴んでいた。

 いや、厳密に言うと俺の影の足に当たる部分を掴んでいた。

 そうか......影みたいなやつだから曇りガラスでも気が付かなかったんだ。これはやらかしちまった......

「鏡の次は影かよ!そんなん初見で対応出来るわけねぇだろぉが!」

 俺は足をブンブン振りまくった。その時、そいつの考えてる事が俺の頭に流れ込んできた。

 それは映像や音声と言うよりは泡に近かった。水の底から現れては消えていくように、頭の奥底から現れては消えていくを繰り返した。

 それは俺の暗い過去だった。何度も封印したいと願っていた暗い過去。








 俺の親父はろくでなしだった。ほんとに絵に描いたようなろくでなし。

 酒に生き、酒に溺れ、酒で死んだ。

 俺の親父の生涯は酒抜きでは語れず、俺の人生の障害となり立ち塞がった。

 親父が酒に溺れ始めたのは俺が10歳くらいの頃。

 酒に溺れるというワードに必ずと言っていいほど付属するのは暴力である。親父も例外じゃ無かった。

 親父の暴力は物を使う事が多かった。灰皿を投げたり、木刀で殴りかかってくるのは当たり前で、近くにそれらが無い時はリモコンの角で殴ってきたりした。

 近くにあるものならなんでも武器にする才能があった。

 俺はずっと生傷と青アザが耐えない日々が続いた。

 そしてその頃の俺は肉体的に追い詰められるのと同時に、精神的にも追い詰められていった。

 親父の暴力に怯える奴隷のような暮らしだった。

 その時、変な癖がついてしまった。痣を見られたく無い一心で、自分の痣が出来た部分の皮膚を剥くという癖だった。

 剥いてる内に段々と脳内麻薬が働いて、痛みを感じなくなり心の傷も誤魔化せた。

 辛くなったら痣を剥く、苦しくなったら痣を剥く。血が出ようが関係無い。凄く気持ちいいのだから。

 自傷行為をする度に脳内を駆け巡る快楽。それは最早俺自身では止める事が叶わなかった。


「ソウ......もうソウが傷ついてる姿見たくない......」

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