愛殺―あいころ― 番外編・イラスト

@yumetogi_birt

襲撃!成金屋敷

 みさきの灯台が発するまばゆい光を頼りに、ガーネット号は暗夜を突き進んでいた。
燃料や食糧を補充するために、一度陸に上がることにしたのだそう。
入港のためにせわしなく動く船員たちを横目に見ながら、舳先へさきに座ったままのわたしはあくびを噛み殺していた。
さぼっているわけじゃない。わたしにしか出来ないことを、わたしなりにやっているだけ。

まあ幸い、今夜は珍しく雲一つない晴天に恵まれ、柔らかい月の光が差し込んでいる。
ジウが言っていた通り、当面はここの海が荒れることは無さそう。
とはいえ、万が一ってことがあるから、ここで見張っていなきゃ。

クラーケンと戦った時と同じ態勢を取っているせいか、文句を言ってくる船員もいないし、ラムズはどこかに引っ込んじゃってるし、わたしはこのままここにいて良いよね(って、誰に言い訳をしているんだろう。おかしいわよね)。
がやがやと心地よい喧騒けんそうを聴き、船の後方の真っ黒い海をぼんやりと眺める。
月の光が微かに海面で反射してはいるけど、水平線の輪郭がぼやけて見える程度で、何も見えやしなかった。
ただ一つ、いだ海に、白い航跡こうせきが残っているだけ。
ガーネット号が押しのけた水が攪拌かくはんされたせいで、泡だった水が残ってるのよ(夜だからあまりよく見えないけど、昼間だったら凄く綺麗なのよ? 見せてあげられなくて残念だわ)。

しばらく航跡を眺めていたけど、線の描き方がだんだん遅くなった気がして顔をあげたら、どうやら着々と入港の準備が整っているらしかった。
船速がだんだんと緩んでいき、少しずつ、少しずつ陸が近付いてくる。
暗夜を漂っていた頃は頼もしかった灯台の眩い光が、今は鬱陶しいくらいの近さにある。
さっきまで真っ暗ななぎを眺めていたせいか、わたしは余計眩しく感じた。
まったく、目が痛いったらないわ。

「メアリちゃん」

わたしがごしごしとまぶたをこすっていると、不意に背後からエディの声が聞こえた。
灯台の光をものともせず(恐らく、ずっと明るいところで作業していたから慣れたんでしょうね)、好青年は爽やかに微笑みながらわたしの名前を呼ぶ。

「この通り真っ暗だから、日の出を待つってさ。それから、燃料や食糧の調達をやるらしいよ。俺、メアリちゃんと一緒に買い出ししたいな~」
「分かったわ。日の出と共に行動開始ね」

前半の連絡のみに返事を返し、あとは知らんぷりを決め込む。相手にするだけ時間の無駄だわ。
エディは、つれないな~と口を尖らせつつも、これ以上深くは突っ込んでこなかった。

◆◆◆

港に集まったカモメたちの鳴き声で、わたしは目を覚ました。
大きなあくびを一つこぼして、小さな円窓を覗き込むと、美しい朝焼けが視界いっぱいに広がる。太陽の色に染まった雲が、紫がかった空をのびのびと泳いでいた。
うん、少し雲は出てきたけれど、太陽は変わらず輝いているわね。
これなら、何の問題も無く調達が出来そうだわ。

もう皆は集まっているかしらと甲板に向かう途中で、図体の大きな身体で船内を窮屈そうに移動しているロミューに出会った。
きょろきょろと視線を彷徨さまよわせて、何かを探しているみたいだけど、何しているんだろう?

「あぁ、メアリ。おはよう。ちょうどよかった、お前さんに頼みたいことがあってな」

彼は赤い髪をがしがしといて、赤い目を困ったように細めている。
甲板長として、わたしに頼みたいこと? ……面倒なことじゃなきゃいいけど。

「なんのこと?」
「……まぁ、まずは甲板に来い。皆が待ってる」

かつかつと階段をのぼりながら、わたしは一体何を頼まれるのか、軽く黙考していた。
私の力のことかしら? いいえ、それはあり得ないわね。ラムズしか知らないはずだもの。
力仕事という訳でもなさそう。だって、力自慢のルテミスがいるってのに、なんでわたしに頼まなきゃいけないの? 
やっぱり、女という事実を活用できること? 
嫌ね、何度も言ってるけど、わたしは娼婦としてシャーク海賊団に来たわけじゃないのよ。

ロミューが木の扉をバンと荒く押し開けると、甲板に揃っていた船員たちの視線が一斉にこちらを向いた。
なんだか、寝坊したとなじられてるみたいね。
言っとくけど、わたしは普通に間に合ったわよ。

「メアリ」

悪びれもせず堂々と船尾の方に歩いていくと、ラムズが短くわたしを呼び止めた。
もしかして、ラムズからの頼み事なの? そっと隣のロミューを見上げると、浅く首肯しゅこうされた。やっぱりそうみたい。

「灯台の奥を見てみろ」

ぶっきらぼうにそう告げたラムズが、望遠鏡を投げ渡してきた(危ないわね、もしわたしが受け取れなかったら壊れてたわよ。本当、宝石のことにしか興味が無いのね)。

「灯台の奥……?」

言われた通り、岬の先頭にそびえ立つ灯台を、望遠鏡のレンズに収める。
そこから左右に動かすと、明らかな異質を放つ豪邸があった。
昨日は灯台のせいでだいぶ明るかったけど、あまりにも近くにあるせいで、認識出来なかったみたい(これぞまさに灯台下暗しってやつね。って、何を言わせるのよ)。
燦々さんさんと煌めく陽光を受けて真っ白く輝く外装に、センスのない絢爛豪奢けんらんごうしゃな装飾が施されており、明らかな成金屋敷と言ったところ。
特に、バルコニーなんか傑作。壁一面に悪趣味な金色で模様が描かれている。
泥酔したパラッツォ・ドゥカーレでも来たのかしら。それにしては、作風が地味すぎって感じだけど。
玄関のアーチには不揃いの宝石が散りばめられていて、そこでようやく、何故この何の変哲もない成金屋敷がラムズの興味を惹いたのかを理解した。

「で、あれがどうかしたの?」

宝石狂いのラムズのことだ、何がしたいかなんて聞かなくても自明だけど、一応聞いておく。
まあ、やっぱり分かり切った答えが返ってくる。

「決まっているだろう。あれを奪う」
「そういうこった。んで、さっきから観察してるんだが、警備も何もいやしねえ。こりゃ好機だってことで、家主を暗殺して、中のお宝を根こそぎ奪おうって寸法よ」

短すぎるラムズの答えを補足するように、ロミューが身振り手振りで説明してくれた。
ここまでくれば、ここからの展開はお分かりよね。
わたしにその任務を任せようってことよ。なんでわたしかって? 知らないわよ、そんなの。ラムズに聞いたら?(たぶん、答えてくれないだろうけどね)

「そんな危険な任務を、わたし一人でやらなきゃいけないの? せめて一人くらい、味方が欲しいわ」

唸るように進言すると、待ってましたとばかりに後ろから飄々ひょうひょうとした声が聞こえてきた。

「はいはーい、メアリちゃん、俺はどう?」

げ、とあからさまに顔をしかめても、颯爽と得意げに表れたこの男には通じないらしい。
別に嫌いって訳じゃないし、大切な仲間と思っているけど、いかんせんエディといると調子が狂わされるのよね。
でも、戦力としては申し分ない。
何せルテミスだし、痛覚が鈍感なため、長く戦っていられる。
それにロミューと違って細身の好青年だから、初対面で強いという印象を感じさせない。相手を油断させての不意打ちにもってこいね。

「分かったわ、一緒に行きましょ」

溜息交じりにそう頷くと、エディはぱあっと喜色をあらわにした。
この男と知り合いらしい船員たちが、ひゅーひゅーとはやし立ててくるけど、無視を決め込む。

「メアリ、よろしく頼む」

ロミューがニッと白い歯を見せて笑いかけてきたから、わたしも微笑み返して甲板を後にする。
ラムズ? ラムズなら、隈の酷い目で一瞥いちべつしたのみで、何の言葉もかけてくれなかったわ。

◆◆◆

大きな純白の観音かんのん扉を身体全体で押し開けると、外観から想像通りの内装が広がっていた。
一面大理石のエントランス、天井を陣取っている豪奢ごうしゃなシャンデリア、随所に飾られている高そうな骨董品、壁が見えないくらい所狭しと並べられている絵画の数々。
この時ほど、ラムズの宝石部屋(ああ、これは皮肉よ)に足を踏み入れたことを感謝したことはないわ。あの目の痛さに比べれば、大したことないもの。

そう強がってはみたけど、かなりの宝の山ね。
この家にあるもの全部売り払ったら、たぶん一生遊んで暮らせるわ。
全部本物だったら、の話だけど。

「かなーり静かだね。メアリちゃん、気を付けて」
「そうね。罠の可能性があるかも」

豪華な内装を見て、ぴゅう、と調子のいい口笛を吹いたエディは、一転して真剣な顔で警鐘けいしょうを鳴らした。
エディも言ってるけど、あまりにも静かすぎるのよ。
それに、骨董品やら絵画やらが無造作に置かれ過ぎているの。

誰もが怪しいって思うんじゃないかしら。
警備の者も配置せず、見渡す限り罠が仕掛けられている形跡もない。
こんなの、どうぞ盗って下さいって言っているようなものだわ。
こんな豪邸が、分かりやすい岬の灯台近くにあるのなら、わたしたち以外にも侵入を試みた海賊だっているはず。
なのに無事でいられるなんて、どう考えても変なのよ。

「こうなったら、堂々と正面突破するしかないね」

わたしが黙考していた間、周囲を警戒していたらしいエディが、腰のカトラスの柄を、手の甲でカンカンと叩きながら言った。
最初から戦う気満々なのね、分かってはいたけど。
入口の観音扉の、階段を上ってちょうど直線状にある扉に目を付ける。
ふかふかの絨毯が真っ直ぐ敷かれていて、まるでわたしたちを誘っているかのよう。
エディも準備万端みたいだし、わたしも覚悟は決まったし、行ってみようかしら。
足跡がくっきり残るくらい上質な絨毯を踏み付けながら、一歩、また一歩と目的の大扉に向かう。

「メアリちゃん、下がってて」

扉の前に立った時、先ほどのように身体全体で押し開けようとしたら、エディに手で制された。
彼は扉の横の壁にぴたりと背中をくっつけ、手を伸ばして片手で扉をゆっくりと開けた(わたしの時は、身体で押さなきゃ開かないくらい重かったのに。ルテミスってやっぱり凄いのね)。
それから抜き足差し足で、警戒をあらわにしながら部屋に侵入する。
わたしとエディ、二人が部屋に入ると、バタン!と物凄い音を立てて大扉が閉じられた。

「――っ!?」

呆然と扉の方を見るわたしを尻目に、弾かれたように疾駆しっくし、強引に扉を開けようと奮闘するエディ。
でも、ルテミスの怪力をもってしても、その扉が開かれることは、ついぞ無かった。

その時だった。
唸るような獣の声が、部屋の奥から聞こえてきたのは。

見上げる程に大きな巨体は、一見するとライオンのようにも見えるけど、姿の凶悪さは似て非なるものだった。
眼球は紅く染まり、ゾウのような牙が、これ見よがしに強烈な印象をわたしに抱かせた。
歩くたび、ずしん、ずしん、と地鳴りが起こるせいで、立っているだけで精一杯。
そして、最も印象が苛烈かれつだったのは――全身にまとう、紫電しでんきらめき。
ぶるん、とたてがみを振るうたび、蓄電されていたらしい雷が、大理石の床に大穴を開けた。

「メアリちゃん! 離れて!」
「分かってるわ!」

あいつが歩みを止めた隙を狙って、巨体を正面に捉えながらじりじりと後ずさる。
獲物が離れていくのが気に食わないのか、魔物はあたしを狙いに定めたようだ。
頭を下げ、低い唸り声をあげながら、魔物は跳躍の姿勢を取る。

カトラスを抜いて構えていたら、視界の端から現れたエディが、巨体の右前足を思い切り斬りつけた。
驚異的な跳躍力で得た勢いのままに、ルテミスの怪力で押しられたのだから、さすがにこたえるかと思ったら、信じられないことに怪物はぴんぴんしていた。
どころか、歯牙しがにもかけていない様子で、エディを蹴り飛ばした! 

体重を感じさせない、綺麗な放物線だった。
まるでボロ雑巾のように蹴り飛ばされて、壁に掛けられている額縁に激突した。
亀裂きれつが出来るくらいの衝撃、その威力は尋常じゃない!

「はいやっ!」

怪物の意識はエディの方に向いたのか、血を吐きながらなおも立ち上がる彼を注視している。
今度はわたしの番ね。
しなやかな動きで音を感じさせずに近寄り、急所である腹を狙う。
足を斬ったって意味なんてないことは、さっきエディが身を以って証明してくれたから(ルテミスの力ですら無理なのに、わたしがダメージを与えられるわけないじゃない)。
死角から忍び寄り、毛むくじゃらの足がすぐそこに見えるくらいに近付いた時、異変が起きた。

たてがみに蓄えられていた電気が、わたし目がけてほとばしったのだ。
脳髄のうずいに刃物を突き立てられたかのような鋭利な痛みと衝撃がはしって、ぐわんと視界が揺れる。
全身が痙攣けいれんするほど強力な電撃を食らったせいで、唯一の武器であるカトラスを取り落としてしまう(正確には、予備はあるのだけれど、扉近くに置いてきちゃったのよ)。
脳が焼き切れるかのような電撃に耐えきったかと思いきや、次は血管が煮えたぎるくらいの熱さに襲われた。

「っくそ!」

ぐらぐらと揺れる視界の中で、赤いものがちらちらと動いている。
意識が朦朧もうろうとしていたわたしには、それがなんなのか、全く見当が付かなかった。
でも、腹に鈍い痛みがはしったのは分かったの。
そしてその数瞬後、鼓膜が破れるくらいの雷鳴が、爆音でとどろいた。
そのあまりの音の大きさに、薄れていた意識が一気に覚醒する。

ガンガンと痛む頭を抑えながら、何が起こったのかと必死に辺りを見渡して、ようやく現状が理解出来た。
先ほど感じた鈍い腹の痛みは、エディが怪物から引きはがそうとわたしを蹴っ飛ばしたから。
ごつん、と壁にぶつかったわたしは、怪物が放った渾身こんしんの雷撃を回避できたというわけ。
落雷の何倍もののエネルギーが直撃なんかしたら、電撃に弱いわたしはひとたまりもないしね。

エディに感謝ね――と、彼の姿を探そうとして、初めて、巨体の下に横たわる黒焦げの物体に気が付く。
特徴的な赤い髪が、辛うじてちらちらと見えた。

「エディ!!」

一縷いちるの望みをかけて、わたしは彼の名前を叫んだ。
けど、彼はぴくりとも動かない。
その間も、怪物はどしん、どしん、と地鳴りを響かせながらこちらに近付いてくる。
邪魔だ、とばかりに、エディを踏み潰しながら。

「っ、この!!」

手を突き出して、水をび出す。
うねるような奔流ほんりゅうが怪物を襲ったけど、やっぱり壊滅的に相性が悪かった。
たてがみの一房から放たれた電撃が、迫り来る水の猛攻を見事に相殺する。
最後の抵抗が、呆気なく早く終わったことに対して、わたしはもう乾いた笑いしか出なかった。

この絶望的な状況で、戦えるのはわたし一人。
でも、わたしの魔法では、とても太刀打ちできないの。笑えるでしょう? 
カトラスもない(だってさっき手放しちゃったもの)丸腰の女に、そして満身創痍そういなわたしに、何が出来るのかしら。
怪物の大きな紅い瞳に、わたしの姿が映り込むくらい、双方の距離は縮まった。
玉砕ぎょくすい覚悟で闇属性の魔法でも繰りだそうかしら、と腹を決めた、その瞬間。

紫電ではない雷撃が、まばゆいくらいの頼もしさを伴ってほとばった。
暗夜で見た、灯台の光のよう。
ぼんやりとした頭で見渡すと、わたしと怪物との間に立ち塞がったラムズが、わたしを真っ直ぐ見据えていた。
常の死んだ魚のような目ではなく、熱がたぎっているような眼だった。

「生きろ」

ラムズは、短くそう言った。
わたしの目を見て、真剣な声音で。

その後も何かを言いかけたようだけど、ふと、と何かに気が付いたようにくるりと背を向ける。
ラムズの雷魔法を食らって重傷を負っても、まだ立ち上がろうとする怪物に、トドメを刺すためかな。
ふらついた足でラムズに襲い掛かろうとしていた怪物は、刹那の間に繰り出された雷が直撃し、ついに息絶えたらしい。
巨体が力を失って倒れる、その衝撃でぶわんと吹いた突風を受けて、ラムズのジュストコールが大きくひるがえった。

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