ステータスゼロ世界の、転生少年の生への執着―世界のトリガーを引く者は―

なぁ~やん♡

『―努力の開始―』

 異世界に来てから三日目。零の魔導書の内容についての考察、研究、記憶に時間を全て使い果たしたレイラストは、本日書いてあるものを実行に移す決意をした。

 まず零の魔導書には魔術について書いてある部分と、物理的な情報について書いてある部分がある。その二つの中で、レイラストは先に魔術について習得しようと思った。
 何故なら、魔術の中には自分のステータスを高める効果のあるものがあったからだ。必死になって剣を振り続けるよりは近道だろう。
 近道をするのは好きではないが、寝る間も惜しむ時間をかけてしかし成果などでないのももちろん好きではない。不正ではない近道なら、喜んでする。

 しかし彼が魔導書を持ったまま地面に座り込んでいる理由は、その魔術の使い方にある。初級魔術のいくつかを習得しようと思うのだが、使い方がおぞましすぎて努力を決めた彼でも思わず恐怖を覚えてしまうほどだった。

「治癒魔術だな……初級『治癒ヒール』ね……にしてもこえぇよ、イレギュラーだとこんなやり方しねぇと駄目なのか」

 魔導書の五十ページ目辺りに治癒関係の魔術があるので、そこを開く。初級魔術の中で一番使いにくい魔術だが、やり方の残酷さ故に使用しなくてはならない。

 人が最初に覚える代表的な四大属性の魔術、火、水、木、風。人はそのうちのどれかの初級魔術を極め、次にその属性自体を極め、それから他の属性に手を伸ばす。
 そんな魔術の習得方法が一般的なため、属性の存在しない魔術のひとつである治癒魔術はあまり研究家にも手を付けられず、使いやすい使用方法すら解明されていない。

 さてその残酷なやり方に話を移すが、まず魔力の基本について語る必要があるだろう。
 魔力とは、血液の中に流れる血液でない、肉眼では見ることのできない成分のことを言う。人は、無意識にそれを指先、手のひら、または媒体を通じて放出できる。
 しかし、レイラストにはそれが出来ない。異世界人でも世界から補正がかかるその部分だが、補正のない彼は皮膚から外へ魔力を解放することができないのだ。

 目に見えないとはいわば、気体のような物だ。皮膚の小さな空間を通し、無詠唱でも詠唱でも手のひら近くに出現する小さな魔法陣に集まり、魔術は魔術として形を成す。
 出現する小さな魔法陣に頼っていると言えば終わりだが、確かに人は自力で放出する魔力の量はほんのわずかでしかない。
 たったそれだけの魔力放出を、レイラストは補正を受けるどころか妨害される。

 そのために世界が提示した解決方法は、魔力放出が自力でできるようになるまで、指先をナイフで切断してその指に治癒魔術をかける事だった。
 だが初級魔術『治癒ヒール』では血を止める事、痛みを和らげることしかできない。指先をまた生えさせることなどはできないのだ。
 しかし指先が切れている間は、自由に魔術が使用できるという事。
 だがレイラストにとっての最大の物理的デメリットは、魔力放出時に並ならぬ痛みが伴う事だった。

 ―――しかしそれはさておいて。

「―――で、何でナイフが普通に家にあるんだよッ!」

 魔導書の隣に置いたナイフを見て、レイラストは思わず叫ぶ。
 料理用の包丁ナイフではない。指を切るための――明らかに異世界で作られた攻撃用のナイフであり、それはあろうことかキッチンに吊り下げてあった。
 レイラストの魔術習得のために用意されたのは一目瞭然。しかしこうまでも用意万全だと、外道だと思えて来る。
 そもそもイレギュラーだからと言って排除しようとすることから外道だとは思うが……。

 その乱雑な考えもまた、冷酷非情残酷無比な使用方法の現実から逃れようとしているためである。
 ナイフを手に取る。指は目の前だ。当てれば、すぐにすり抜けて血が溢れてくるだろう。平和な日本に住んで居れば、感じる必要のない痛みが襲うだろう。
 魔物などのファンタジー要素にやられるのならまだしも、異世界に来て初の怪我要素が自分で自分を切るなどというリスカ未満行動。

「『汝は世界に守られ世界のために生きる定めを持つ者なり、今こそその証である力を解放し、己を治癒して見せよ――『治癒ヒール』』……ってか?」

 覚えた呪文を一度確認のために詠唱する。勿論、魔力を放出することができないので魔法陣は生成されない。何より、血液から魔力を抽出する段階は初心者が一番手こずる階段だ。おいそれと補正もないレイラストに出来るわけがない。

 血液から魔力を感じる段階ならば初心者でも一か月あれば十分。しかし次の段階が魔力という塊を指先などの魔力放出地点に移動させるのだ、さすがに手こずる者が多い。
 そのため集中の『し』の字もしていない上に補正もないレイラストでは魔術の発動どころか魔力を集める段階すらできていないのは一目瞭然。

「―――」

 深く、深く、深呼吸。
 今から自分で自分を傷つけるのは、勿論怖い。逃げたい気分も、勿論あるに決まっている。苦しいとも思った。
 何故自分ばかりこんな目に遭うのか、とも、もちろん。
 でも、レイラストは自身の命を賭けて誓った。誰かを守る。もう誰も失わせない。そのためには、イレギュラーとしてどれ程の苦しみを受けるのか。

 アリアから精一杯説明されたはずだ。苦しい人生になる。もう諦めろ。此処で生きてくれ。此処だったら少しだけだが守れる。魂が消えるまでここで生きろ。
 そんな優しい言葉を拒否したのは、他でもないレイラスト自身。誰かを守りたいと誓ったのも、他でもない彼自身なのだ。

 ナイフをゆっくりと持ち上げる。覚悟の重みが、しっかりと乗っている。
 次の瞬間には――、

「っづぁあぁああっ……っぐぅ……ああ……っ……!」

 指先は、元居た場所から滑らかに切り離された。その感触は、痛みがなければ気持ちいいとさえ思えただろうか。
 あまりにも切っ先がするりと入り、するりと入ったがゆえに――、 

 切断された指先が、転がっている。
 苦しみに悶える声が、一人しかいない部屋の中に虚無に響く。
 倒れこみ、溢れる血だまりの中で必死にもがく。

 そんな中で、レイラストはふと思った。
 両親は事故で死んだ。彼らは、即死ではなかったらしい。救急車が病院に着いて、担架からいざ降ろされようとしたときに心肺停止を起こしたらしい。
 ならば、車に打ち据えられた後の痛みはどれほどの物だっただろうか。
 きっと、今の自分の比でもないだろう。体全体が切り裂かれるような、潰されるような、そんな壮絶な痛みだったのだろう。

 彼らにも、誓いがあった。
 彼らにとって一番大切だったのは、レイラストと彼の妹。それを守ってくれ――、両親はそう途切れ途切れに言葉を吐いて、命を落としたのだ。

 レイラストにも、誓いがある。今度こそ誰かを守って、自分に敵対する世界に喧嘩を売ってやる、と。
 同じ、いやそれ以上の重みがある思い。その想いの重さに気付いたレイラストは切断していない方の右手を強く握りしめた。ここで、終わってなるものか。
 こんなところで苦しんで居たら、誰かを守るなんて到底できないじゃないか。

 ゆっくりでいい。口を開ける。完璧に頭に記憶した言葉を、並べる。

「汝は……守ら……世界のため……生き…………、今こ………ある力を解放……、己を治癒して……ヒー……」

 痛みで意識が吹き飛びそうな体で、最大限集中した。
 いくらイレギュラーでもこれ程の痛みは受けたことがない。痛みで全てがマヒするような、命をあきらめたくなるような、そんな痛み。

 ―――やはり運命はそんなに簡単に味方してはくれない。

 技は、発動しない。欠けた魔法陣はすぐに消え去ってしまう。途切れ途切れの詠唱では、途切れ途切れの集中では、所詮そんなものか。

 ―――でも。

「汝は世界に、守られ、世界の……めに生きる定め……者なり、今こそ……その証である力……、己を…………治癒ヒール……」

 やはり発動しない。魔法陣は輝きすらしない。だが、言葉は詠唱を紡ぐたびにはっきりしていく。想いが、言葉を増やすたび幾星霜積もっていく。

「汝は世界に守られ、世界のため……生きる定めを持つ者、なり、今こそその証である………力を解放し、己を治癒して、見せよ…………治癒ヒール

 発動は、しない。やはり魔法陣は、輝かない。でも魔力が集まっていくのを感じる。溜まっていく血に光る物があるのを見つける。

「汝は、世界に守られ、世界のために、生きる定めを、持つ者、なり、今こそ、その証である、力を、解放し、己を、治癒して、見せよ――治癒ヒール

 暖かい光が、部屋全体を包んだ。ゆっくりとした詠唱、これ以上ない集中。痛みも忘れるような、はき千切れんばかりの思い。
 魔法陣が、輝いた。

 治癒魔術初級『治癒ヒール』の光がレイラストの指を包み、血を止め、やや痛みが和らいだ。しかしまだ起き上がれるほどの回復はしていない。

 レイラストは床に這ったまま荒い息を繰り返しながらも、その表情は晴れやかであった。初めての魔術を、イレギュラーである自分が成功させたのだ。
 それも、初心者の成功率が限りなく低い魔術を、この一瞬で。

 勿論、初心者がこの方法を――指を切って魔力を放出する方法を使えば、すぐに魔術を使えるようになるだろう。
 誰も使わないだけだ。誰も思いつかないだけだ。こんな残忍な方法を。

 この使用方法ならば初心者レベルでも一度の詠唱でクリアできる魔術を、何回も詠唱してクリアする。
 結果だけ並べればそれは劣等だと断言できるし、レイラストは紛れもなく魔術師として劣等この上ない凡庸な、禁忌な者だ。
 でも、成功した。想いが応えた。想いが奇跡を起こした。

 レイラストの口角が上がる。達成感がふつふつとこみ上げてくる。

「この調子、で、治癒魔術マスター、だな……」

 この指が切れた状態で、初級治癒魔術を全てマスターし、中級魔術『全治癒ヒーリング』を成功させてこの指を直す。
 これがレイラストの現在の目標だ。
 世界によると、そこまでマスターすれば体が魔力の放出を覚えるのだという。そのため、レイラストにとってここへ到達するのが生きるための第一歩。

「……っし、やるかぁ……」

 残酷な訓練は、まだ終わらない。今日も明日も、彼はこれを繰り返すだろう。


<レイラスト様のステータスへスキル『治癒ヒール』がステータスに追加されました>

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