放蕩させてくれ、異世界様!

シフォン

0-2 王族ゆえに

 ……っ、落ち着け、いいかクールになるんだ、KOOLに……もといCOOLに。

 どこかで見たようなテンプレを頭に浮かべながら、俺は目の前に広がる惨状に対し、極力なんとも思っていないように見せかけていた。
 ようは『ただ大きな音がしたから来ただけの野次馬』を装っているのだ。
 無論ただの野次馬を装うのは少々身分が高貴すぎて難しいところもあるが、ひとまず大人が来た時にもこうしていれば、色々と問題にしないで済む。

 無論、怒っていたり悲しかったりしない訳ではない。
 もしも今生きている人生が前世の俺、田島雄二のものだったならば、食べようとしたモノを目の前で台無しにされた怒りをストレートにぶつけていたかもしれない。
 しかし今生の俺、ワイゼル=グラスディアはそれをするには偉すぎるのだ。
 王族という生き物は、その口先三寸だけで人の命すら左右する。
 ここ1ヶ月ほどの間、家庭教師に口を酸っぱくして言われてきたことの1つだ。

 もしも俺が怒りのままに2人を糾弾すれば、2人は俺のご機嫌取りのために酷い目に遭わされるだろう。
 もしも俺が悲しみのあまり泣いたりすれば、周囲はこの2人が何かとんでもないことをしたと勘違いして───実際、とんでもないことをしてくれたとは思うが───全力で距離を取ることだろう。
 そうなってしまえば、2人の人生は終わりだ。
 よくも悪くも貴族社会は人と人のつながりが大事で、どこかでその信用を一気に失ったり、お近づきになりたくないと思わせる要素を持っているだけで、生きていくのが難しくなる。
 悪名がそのまま生きていく上での枷になる、というわけだ。

 だから、俺はここで決して怒りもしなければ泣きもしない。
 ただ大きな音がしたから来ただけの善良な野次馬を演じることに徹しよう。
 そうすれば、2人は少なくとも『王族の機嫌を損ねた』という最悪のレッテルだけは貼られない。
 言ってしまえばたったそれだけの違いではあるものの、貴族が存在し、王が支配するこの国ではそれが意外とバカにならないのだ。
 スイーツを手に取る寸前で台無しにされたことは、はっきり言って今後5年間くらいは対応を若干冷たくする程度にイラついている。しかしそれだけで2人の人生を台無しにしてやろうと思えるかと言うと……そうではないのだ。

 一時の感情に流されて行動して後悔するのは、絶対にしたくない。
 前世でもイライラしてやけ食いしたら腹壊して1週間くらい辛かったし、衝動買いしたマッサージチェアは座り心地が微妙だったから1回しか使っていなかった。
 その他思い出せる限りでも、一時の感情に流されてやってしまったことはゆうに数十件を超える。
 その中には酒の席での笑い話に出来るものもあれば、墓の中に持って行った上でその墓を発見不可能な場所に置いておきたいと思ってしまうような、とんでもないものまで。それはもう色々だ。
 しかし、その全てで例外なく俺はこう思っていた。

 『なんでこんなバカなことしてんだ、俺……』と。

 怒りや悲しみなんてものは所詮一瞬だけ湧き上がってしばらくすれば下火になる程度のものに過ぎない。そんなもので一生ものの後悔をするくらいなら、その一瞬だけ我慢した方がずっとマシだ。
 それは誰もが分かっていて、しかしやれないことの方が多い問題だ。
 人間は理性で考えて感情で動く。それゆえに一瞬で沸き上がった感情は容易く人を動かし、そして理性が後悔する。
 俺は前世の間に、その後悔を幾度となく積み重ねてきた。
 きっと、これから先もいくつか後悔するようなことはしてしまうだろう。
 だが、せっかくそれまでの後悔をなかったことにして……と、まではいかないものの、誰もその後悔を知らない世界で今を生きているのだ。そうしない選択肢もあるのに、新たな後悔をわざわざここで生み出す必要は……どこにもない。

 だから、この場において俺はただの野次馬を演じよう。
 2人が落下させたスイーツたちからは目を逸らし、人が集まっているから何となく来ただけ、という立場になりきるのだ。
 そうすることこそが2人にとってもっともマシな結果を呼び込んでくれる……と、信じたい。
 俺はこの世界のシステムについて詳しく知らない子供に過ぎないから、そこを断言はできないのが少々痛いが。
 今回の一件が、2人にとって酒の席で笑い話に出来る方の失敗談になってくれることを祈ろう。

 俺は祈ったこともない神に祈りを捧げた。
 そして、地面に落ちてしまったスイーツへの未練を断ち切り、俺は再び最初にローストビーフを取った皿が乗っている方のテーブルに向かう。
 スイーツは食べることが出来なかったが、別にどうしても甘いものが食べたかったわけではない。
 このパーティーのために用意された料理はそれ以外にもある。それこそピザやパスタ、煮込みと言った前世で見かけたようなものから、さらには前世では見たことのない料理まであるのだ。
 それに、先程は迷う時間が長すぎたために失敗したから、今度はそれを元に同じ轍を踏まないように対策をする。

 そのための方法は簡単だ。悩んでいる最中に没にした『食べたいと思ったものを片っ端から全部少量ずつ取る』案を採用して、確実に食べる。
 これならば先ほどのようなことが起こっても、きっと1口かそこらくらいは食べられるに違いない。
 俺は、我ながらこれは名案だと自画自賛しつつ(先ほどはその名案をボツにしたわけだが)、意気揚々とテーブルに載せられた料理を皿に盛り付け始める。
 皿は前世のビュッフェやなんかでよく見たような区切りのあるものじゃないが、それなりに大きめの皿なのでよほど欲張りすぎなければ載せきることが可能だろう。
 マッシュポテト、ピザ、パスタ、魚のムニエル、ウサギの肉が入ったパエリア。
 どれもこれも素晴らしい味をしていることは想像に難くない。

 頭の中が目の前にある料理の美味さを想像して幸せで満たされていくのを感じながら、俺は最初に1人でローストビーフを食べていたのと同じ机に皿を置いた。
 そして一瞬だけ周囲を見回してなんの不安要素もないことを確認すると、まずはピザに手を伸ばし、口に運んだ。

 ……美味い。
 前世の大学時代、どこかの御曹司だという友人にイタリアに連れて行ってもらったことがあるが、もしかしたらそこで食べた本場のピザよりも美味いかもしれない。
 口に入れた瞬間に広がる麦の香りとトマトソースの酸味が絶妙に噛み合っていて、そこにチーズの味が入ることでよりその素晴らしさを引き出している、とでも言うべきか。
 これほど料理の素晴らしさを語るための語彙力が欲しいと思ったのは、前世を含めても初めてだろう。
 ここで最初に食べたローストビーフも前世で食べた物以上の美味さだったが、このピザほどではなかったと思う。
 この味は偶然か、はたまた努力と才能の賜物か。
 いずれにせよこれは素晴らしい。皿に用意したやつを食べ終えたらもうちょっと追加で用意しよう。
 そう決めた、直後。

「……ウィズ様、グラヴァース公爵様から、直接贈りたいものがあるとのことです」

 不意に、執事風の男性が現れ、そんなことを小声で伝えてきた。
 どうやらグラヴァース公爵───家庭教師いわく、俺の遠縁の親戚───が、俺に贈り物を送りたがっているようだ。
 一難去ってまた一難……トラブルというものは続いてしまうのが世の常らしい。

 贈り物というものは、非常に面倒くさい。だがスルーなんてことをするわけにもいかない。
 相手が立場の低い……それこそ子爵だったらスルーしても大した問題にはならない(むしろ簡単に会いすぎるとナメられるらしい)し、侯爵くらいまでならこっちの都合で長く待たせてもなんの問題もないのだが、いくらなんでも公爵が相手の場合は、国政に関係する理由かなにかでないとダメだろう。
 なんせ、俺は王族とは言っても5歳児。対して向こうはお国にたくさん貢献してきた公爵、つまりは貴族の最高位を持つ人物なのだ。そんな相手を無下にしては国内に争いの種を生みかねない。
 その上、贈り物は権力者同士の間では友好の印、同盟の証、政治的なカード、あるいは忠誠心の表れなど、様々な意味を持つ。
 だからしっかりと相手の意図を汲み、それに合った反応をしなければいけないのだが……それが非常に難しい。
 同じ贈り物であっても、送った人物によってはまったく違う意味合いを持つことがあるし、場合によってはちょっとした政治問題にもなりえる。
 一応、家庭教師にはこういった場合に備えて、この国の一般的な感性における『贈り物の種類別用途』を教えてもらったりもしたが……はっきり言ってこればっかりは立場の低い子爵や侯爵からの贈り物でじっくり経験を積んでいくしかないので、あまりあてにはならない。
 そしてその経験も、まだ俺にはない。つまり完全な初挑戦である。
 しかも初挑戦の相手が、公爵だ。理不尽にもほどがあるだろう。
 逃げることも許されず、失敗すれば大変なことになるし、成功しても得をするわけではない。
 こういう類のものはラノベの主人公辺りにでも回してほしいものだが、どうにもままならないようだ。

 ……あぁ、なんて日だ。
 俺はそう毒づきたい衝動に駆られながら、しかし表面上はにこやかに、執事風の男性によってグラヴァース公爵の元へ移動するのであった。

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