死刑

西田夏樹

2章 ① カード

走る。走る。走る。必死の思いで走る。自分のためではない。あの人を守るために走る。その為にこれまで生きてきた。



この日のために生きてきた。





都会から少し離れた、小さめのマンションに辿り着く。俺は必死に階段を上る。エレベーターのような密室空間はこのような状況においてはベストではない。多分。
少々疲れながらも、目指していた4階に辿り着く。軽く走り、その左端にある部屋の前で立ち止まる。

「ピンポーン」
インターホンを押す。奥の方から物音が聞こえる。時間が無い。早く出て欲しい。軽く俺は焦っていた。普段からも癖になっている貧乏ゆすりが更に酷くなる。

ドアが開く。細長い腕が伸びてくる。中からは20代後半の、恐らく誰が見ても美女と評されるであろう女が出てくる。喉の奥に溜まっている唾を飲み込む。

「ああ、松岡さん。どうしたんですか?こんな時に・・・。」
「こんな時だからだ。一旦家の中に入れてくれ。」

初めて訪れたにも関わらず、急に女性の家に入ろうとするのはもちろん常識では考えられない。だがこのような状況下では、誰もの判断基準はいつも通りでは無くなっている。



突然、政府が“刑法無効法”なる法を発表した。それは、この国の刑法及び条例を違反すると即死刑にされるという訳の分からない法で、その発布により全国民はおそらく誰もが怯えていると思われる。



そんな中、俺が女=恵子の家に来たのは他でもない。先ほど手に入れたこのカードを渡すためだ。

名前もよく分からないそのカードは、クレジットカードより少し大きいくらいのサイズ。そして赤の背景に黄色の斜めのライン、その上に黒字で「shift」と書いてある。とにかくコイツの説明をしなければならない。まず俺は、自分の分を3枚だけ残して、彼女に残りのカードを全て手渡した。彼女はとても困惑した様子だ。だが、そんな事気にしている場合ではない。

説明を始めようとしたその時、
「ピンポーン」
インターホンの音が鳴った。

「ちょっと待ってて下さいね。」
恵子は玄関の方に向かう。早くしなければならないのに・・・。俺はとても焦っている。というかそういえば、女性の部屋に一人というのは初めてだ。緊張する。俺の貧乏ゆすりは色々な意味でまた酷くなる。

暫くして帰ってきた恵子は、おそらく友達と思われる女性と共に部屋に入ってきた。
「ちょっと同じ会社の人が来てるんだけど・・・」
「ううん。全然大丈夫。」
恵子と共に来た女=真里香は、一人暮らしの中このような恐ろしい法が発布され、流石に一人は怖くて逃げてきたそうだ。体が震えているのが分かる。だが、まるで俺のことが見えていないかのように話す二人に、俺は苛立ちを隠せず、貧乏ゆすりはまた酷くなる。





恵子は真里香と会話しながら探っていた。この人は何故私の家に来たのだろう。 その理由がなんとなくでも察せるまではなるべく会話は避けたかった。その分、真里香がこのタイミングで来てくれたのはありがたかった。彼とは会社ですらほぼ会話すらしたことが無い。だからやはり、考えても考えても分からない。彼は何か話したそうに貧乏ゆすりを続けている。それがむしろ怖い。というか直感的に話したくない。
さっき突然渡されたこのカードの正体もまたよく分からない。真里香が来た時に咄嗟にポケットに隠してしまったが、一体このカードはなんなんだろう。

すると松岡は置いていた携帯を持ち、突然立ち上がった。
「トイレ、借りていいか?」
女性の家に突然押しかけた上にすぐトイレとは・・・。
いや、別にいいんだけど。別にいいんだけど何か少し引っかかる部分もあるよね、うん。



「ねえねえ、あの人とはどういう関係なの?」
さっきまでの恐怖心はどこに行ったのか、真里香は薄笑いを浮かべながら興味津々に私に問いかけてくる。
「別に。ただの会社の同僚なんだけど・・・。なんでこんな日に突然来たんだろ。」
「えぇー?ホントに何も無いんですかぁー?」
少しウザい。いや、かなりウザい。別に真里香のことは嫌いではない。
「・・・何も無いよ。」
「えぇー?ホントかなぁー?え、じゃあ下の名前は何ていうの?」
「確か・・・賢二、じゃなかったかな。」

それからもよく分からない真里香のテンションは続き、私はまた適当に返した。右足が先っぽの方から少しずつ揺れてくる。あの人の貧乏ゆすりの癖がうつったのだろうか。



遅い。いくら何でも遅すぎる。もう松岡がトイレに向かってから30分も経っている。いくらなんでも長い。あと、真里香の話にも少しうんざりしていた。なんでこんなバカらしい話が尽きないのだろう。というかよくこんな話に30分も付き合った。凄いぞ自分。



「ちょっとここで待ってて。」
真里香に部屋で待つように言って、私は部屋から出るためのドアに向かう。
「え??なになに?トイレには賢二が入ってるんじゃないの?え?もしかして今から??え?そういう??キャーーーー!」
意味が分からない。というか何でもう既に下の名前で呼び捨てなんだ。
「そんなわけないでしょー・・・。」

ドアを開けると、すぐ左にトイレがある。私の家のトイレはドアノブを引かないと、鍵がかかっているかを判別する術がない。しかも中に男が入っているとなるとやはり少しの抵抗は感じる。とりあえずノックしてみることにした。

トントントン
「松岡さーん?」
・・・返事は無い。

「松岡さん?松岡さーん?」
・・・やはり返事は無い。

「開けますよー?」

一抹の不安を感じながら、恐る恐るドアノブを握る。引くと、やはり中には誰もいなかった。人が消えたと言うのに、私は少しホッとしていた。いやいや、やっぱり安心感を覚えている場合ではない。あの人はどこに行ってしまったのか。

ふと玄関の方を見る。見ると、松岡の靴は無くなり、ドアの鍵も空いていた。



「えっ・・・」
彼は何故か家を飛び出していた。

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