死刑

西田夏樹

1章 ① 始まり

春風が暖かく微笑む季節・・・であったはずの今日は、まるで神様が睨みつけているかのように寒い。本当に春なのか。いや春だよな。いやほんとうにそうか?と自問自答する。暦の上では春どころか夏さえ迫っているはずなのだが。全く暦というものはよく分からない。

腕時計を見ると昼の1時。雲に隠れた太陽は何一つ仕事をしてくれない。まあ僕も今日は休みなので文句を言える立場ではないのだが、と思う。僕はマフラーどころか上着すら持っていなかった。

とてつもない寒さに気を失いそうになりながら歩いていると、少し前におばあさんと青年が自転車で横に並んで走っている。遅い。歩いている僕が普通に付いていく事が出来る程度には遅い。よく聞こえないのだが、おばあさんは何か愚痴のようなものを口にしている。青年はそれを優しそうな顔で聞いている。のだが、その後ろ(僕から見るとすぐ前)には小学生・・・いや、幼稚園か。それくらいの、まあとにかく小さな少女が早く抜かしたそうに2人の後ろをゆっくりと走っている。顔は見えないのだが、そのゆらゆらと曲線を描いて走る姿から、どうにか抜かす隙を探していることは容易に分かる。・・・何とも大人げない。同じ大人として恥ずかしい。
「・・・大人。」
小さく呟く。・・・そうだな。僕も大人だ。



家にやっと辿り着く。冷蔵庫のように寒い。僕は独り暮らしだ。無論部屋を温めておいてくれる人などいない。・・・彼女もいない。
「家に帰っても同じじゃねーか。」
誰にも届かない独り言を呟く。風がない分、外よりは楽なのだろうがそんな事も気にならないほど寒かった。本当に春なのか?・・・また自問自答を始める。

棚の奥に眠っているインスタントのラーメンを取り出す。これが旨いのだ。独り暮らしを始めて以来ほぼ外食に行っていない僕にとっては毎日のパートナーのような存在だ。

お湯を入れる。またいつも通り3分待つ。この時間がいいのだ。待つことでその時間の使い方を考える楽しみが出来る。3分といえば昔テレビでよく見たストロンガーマンは3分しか戦えなかった。結局彼はタイムリミットのギリギリになると必殺技で敵を倒してしまうのだ。それなら初めから使えばいいのに、と今になると思う。当時はそれでも面白かったのだからいいのだろうが。そういえばストロンガーマンって英語にすると“stronger man”だけど、「~な人」って意味の“er”の後にmanが付いたら矛盾してるな。・・・どうでもいいか。

先程コンビニに買いに行った肉まんを開ける。くだらないことを考えていたせいですぐに3分のキッチンタイマーが鳴る。
「今日の3分はこれまでで一番無駄な3分だったな・・・」
また誰にも届かない独り言を寂しく呟く。昨日も同じことを言った気がする。「この時間がいいのだ」という発言を自分の中で撤回する。実際、声に出していないしそもそも聞く人すらいないので、撤回する必要など全くないのだが・・・。そんな事を考えている僕を嘲笑うかのように、買ったばかりの肉まんも冷たい。まあ出した時に湯気が出なかった時点で軽く予想はしていたのだが、やはり現実というものは実際に触れることでその辛さが伝わってくるものだ、と思う。こんなに冷たい肉まんのために寒い思いをするならその時間に意味はあったのかとまた自問自答をする。我ながら面倒くさい男だ。

テレビを点ける。昼のワイドショーが流れている。正直テレビは好きではない。どのニュースにおいても、「討論」の名の元に自分の意見を公共の電波を用いて主張したいだけの愚かな連中の戯言を聞くだけの事になるからだ。だからといって他にする事も無いので、いつも取り憑かれたように眺めている。そう、不快感を憶えながら。

よく考えるとラーメンと肉まんという組み合わせはよく分からない。相当寒さで頭がおかしくなっていたのだろうか。いや、どちらも中華料理であるから許されるのか。とはいえこの組み合わせはあまり聞いたことがないなとまた自問自答しているうちに、大した量の無い少し遅めの昼食は僕の胃袋にすっぽり収納されていた。

気付くと僕は、30分間テレビを見続けていた。今日は久しぶりに不快感を感じることが無い。ペットの話題だからだ。まあ無論そこから不快感を感じる要素が無いのだが。



そろそろ片付けるか・・・。そう思った時、突如テレビの画面が切り替わり、政府の会見場が映し出される。テレビは和やかなムードから一気に厳粛なムードへと豹変した。

画面にはこの国のトップ・伊保が映っていた。伊保は自由党の議員で、大多数の国民から信頼を寄せられているこの国の顔だ。僕もまたその例外ではない。だが伊保は、いつにも増して厳しい表情をしていた。そして伊保はその優しさに溢れた顔からなんの前触れもなく衝撃の言葉を言い放った。





この国から、全ての刑法を廃止する。





初めは僕にも意味が分からなかった。だが、伊保が話を進めていくうちに、少しずつ意味を理解することが出来た。

全ての刑法等の刑罰の効力を無くす法・刑法無効法が誕生したこと。
その効果は刑法だけでなく、条例のように一部地域等でしか利用されていない、刑事罰の対象とはならなかったルールまでもに及ぶということ。
そしてその法は完全自由な社会を創り出す訳ではなく、以前の刑法に軽重の差を無くし、究極の平和な社会を作り出すということ。





即ち、全ての刑罰が“死刑”になるということ。




全国民がその意味をしっかりと認識した時、画面はまた突如元に戻った。テレビは馬鹿みたいに和やかなペットの映像を映し出す。

だが、おそらくこの日本中で誰1人この犬の可愛らしい映像をぼんやりと眺めている者はいないだろう。いるとすればそれはおそらく逆にかなりの混乱状態に陥っている人であろう。

僕はすぐに携帯電話を取り出し、ネットを漁る。開いたアプリは“whisper”。whisperは「囁き」という意味の英単語で、その名の通り利用者は100字以内の個人的な囁きをネットに投稿することが出来る。

その投稿は誰でも見ることが出来るのでとても便利だ。とんでもないほどの情報が回ってくる。
チャンネルをいくら変えてもあの映像からは切り替わらなかったこと、恐怖で外に出られない人が沢山いるということ、そして何より驚いたのは、



裁判所が機能停止し、刑法違反次第、即死刑が執行されるらしいということ。 
 


いや、そんな訳が無い、と思う。ネットの情報はもちろん全てが真実では無く、噂に過ぎない。テレビのニュースすらろくに信じない僕は流石に信じていなかった。平和主義を貫き通し、戦後大きな争いも起きなかったこの国が突然そんな暴力的な判断を下すわけが無いと。第一、他の党は反対しなかったのか。それともこの人が押し切ったというのか。いや、あの人はそんな事をする人ではない、とまた誰に聞かせるでもない自問自答をする。だが、指のスクロールで流れてきた“囁き”で僕は全てを悟った。





目の前で人が殺されました。万引き犯です。





いやに落ち着いたその“囁き”には写真も添付されていた。人技とは思えないような方法で無残に斬り殺されている。背中からは血が溢れ、微塵の猶予も与えないというメッセージを、殺害者が僕に、いやそれどころかこの国中の者の脳裏に叩きつけているようであった。

そして僕は確信した。これはマジだ。

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