シャーレン -sharen-

ノベルバユーザー79369

No.002 田野タツヤ



殺してほしい人がいる。
そう依頼人はあたしにいった。


「田野タツヤという男を知っているか? 桐崎アヤカくん」


海水浴客が溢れかえる真昼間のビーチ。
水着姿の観光客たちを遠目で眺めながら、黒縁眼鏡をかけた初老の男、エイハヴがあたしに質問した。


「知りません」


「だろうな。知らなくて当然だ」


淡々とエイハヴはいった。
あたしと目を合わせず、ビーチの観光客らを眺めている。


「あの、どういうことですか?」


「察しが悪いなアヤカくん。正体を知られてはいけない職業といえば、この世に数えるくらいしかない。そのうちのひとつといえば、何かはわかるはずだ」


「なんですか?」


「つまり同業者だ」


はっきりとした口調でエイハヴはあたしにつげた。
え、同業者……。
ということは。
つまり『殺し屋』ってこと?
あたしはエイハヴに確認すると、エイハヴは「そうだ」と答えた。


「二日前まで、奴は東日本の優秀な工作員だった。元海上自衛隊の士官で、独立国日本を支持する反中華思想のテロリストどもを皆殺しにしてきた」


コードネームは【オズワルド】。
国に忠義を尽くし、国に全てを捧げてきた愛国心の塊のような男だった。
そうエイハヴは語った。


「風速三十メートルという強風の中で標的を確実に狙撃できるスナイパーはそうそういない。しかもスポッター(補助役)もなしの任務となれば、オズワルド以外で可能な暗殺者を私は知らない」


「さ、三十メートルですか?」


思わず聞き返してしまった。
ウソでしょ。
風速三十メートルって……。
ハリケーンの中で、狙撃したってことになる。
その場でまともに立つことができないどころか、植えてある樹木が根こそぎぶっ飛んでしまう強風圏内で。
しかもスポッター(補助役)なしで標的を殺したなんて。
もし、それが本当だったら。
そいつは人間じゃない。
ミュータントか宇宙人だ。

「しかし、オズワルドは我々を裏切った」


エイハブ曰く。
とある情報筋から、二日前にオズワルドが反政府分子のテロリストたちに、政府の機密情報を横流ししていることが判明したそうだ。


「なぜ裏切りを?」


「さぁな。理由はわからん。国に忠義を尽くすよりも金を選んだだけかもしれんし、殺し屋という仕事に嫌気をさしたからかもしれん」


いずれにしろ。
奴が政府を裏切ったことに変わりない。
だから、殺せ。
水着姿の女性観光客たちが後ろを小走りで横切る中、エイハヴはつぶやいた。


「すみません。質問いいですか?」


「なんだ?」


「どうしてあたしなんですか?」


「君じゃいかんかね」


「あたし、暗殺専門の工作員を殺したことなんてないですよ」


「だからだ」


「は?」


「無名なのがいい。標的は我々が育て上げたプロの暗殺者だ。なまじ、名の知れた殺し屋だと警戒される恐れがある」


奴はプロだ。
我々が奴の命を狙っていることは既に知っているはずだ。
と、エイハブは説明する。


「君はどこの組織にも所属していないフリーの殺し屋だ。石橋を叩いて進める慎重派でもあると聞いた。無名であるがゆえにギャラも安く済むしな」


「オズワルドはどこにいます?」


「知らんよ。それを調べるのも君の仕事だ」


うーわ、出たよ。
自分でやれってか。


「あたしが失敗する可能性が高いですよ」


っていうか。
やりたくない。
標的がどれだけのレベルの実力者なのかわからないけど、要人を専門とするプロの暗殺者っていうのは隙がない。
あたしもそこそこ暗殺の経験値はあるけど、少なくとも相手はあたしよりも格上なのは間違いない。
多分、ソッコー返り討ちに遭って殺されてしまう可能性がある。
危険だ。
あたしじゃ手に負えない。


「君は失敗しないさ」


仏頂面のまま、エイハブはあたしに振り向いた。


「わたしは君のことをよく知っている。君がどういう人間なのかも。わたしが保障しよう」


エイハヴの視線があたしの胸元に動いた。
あたしは自分の胸元に視線を落とす。
赤い『レーザーポイント』の光が、あたしの胸元に当てられている。
ため息が自然とこぼれた。


「あの、こういうの気分悪いんでやめてくれますか?」


「すまんな。職業柄用心深くなるタチなんでね。部下には大丈夫だと伝えているが、どうもな」


「……そうですか」


「君が引き受けるかどうかは君の自由意志に任せるよ。ちなみに断るのも結構だ。他に当たろう」


よくいうわ、このたぬきオヤジ。
銃向けられたこの状況で、ノーといえるわけないじゃない。


「時間はどれぐらいもらえます?」


「二日だ。それ以上は待たない」


二日……。
素人の暗殺でも一週間は時間もらうのに、プロの殺し屋を二日で殺せっていうのか。
とんだ無茶ぶりだな、おい。


「できないなら素直にいってくれ」


「できます」


「そうか。それを聞いて安心した」


ポケットに手を突っ込み、エイハブは唇を歪ませた。


「ギャラは奴の死体と交換だ。せいぜい返り討ちに合わないよう用心するんだな」


エイハブはそれだけいうと、あたしの前から立ち去った。
彼が立ち去ってしばらくしてから、あたしの胸元に当てられたレーザーポイントも消えた。
あたしはその場で先輩に電話した。


「どうだった?」


「オズワルドを殺せといわれました」


電話越しから、「おい、マジか」と先輩のぼやきが聞こえた。


「あのイチガヤ事件の伝説かよ」


「イチガヤ事件?」


「一〇年前ほどに起きた事件だ。風速三十メートルの中、反中華思想のテロリストどもの眉間に穴を開けたのがオズワルドだっていう噂だ」


知っている。
エイハヴも同じ話をしていた。


「有名人なんですね。そのオズワルドって」


「裏社会では伝説化してる人だからな。だが、噂が噂を呼んで真相は闇の中だ。それ以上は俺も知らない。死んだって噂もあったが、生きていたとはな。しかし、殺す目的はなんだ?」


「情報を横流ししたから始末してほしいそうです」


電話越しから先輩の吐息が聞こえた。


「英雄の末路とはそういうものか。それで、引き受けるのか? お前」


ふっ。
思わず鼻で笑ってしまった。
断れるなら、とっくに断ってるよ。


「レーザーポイントがあたしの胸にずっとついたままだと、無理ですね」


「断ればズドンってか」


ええ、そうです。
あたしは先輩にいった。


「先輩。あたし、こういう仕事したことないんで、進め方わからないんですけど、どうすればいいですか?」


「いつもの仕事と手順は同じだ。標的を探して始末する。ただ、今回の標的が同業者ってことなら、いつものやり方じゃ標的は見つからんな」


「どうするんですか?」


あたしは先輩に訊いた。


「俺が世話になっている【探し屋】を紹介してやるよ。料金は通常の探し屋よりも倍以上かかるかもしれんが、そいつならオズワルドを見つけることができるかもしれん」


探し屋。
殺しを専門とする殺し屋と同じく、人探しを専門とする裏社会の『探偵』のことだ。
ハイクラスの【探し屋】は、たとえ国外の山奥に逃亡した諜報員でも探し出すことができるらしい。
いつもなら経費削減で一人で標的を探しているけど、今回の場合だと【探し屋】の力を借りる必要がある。
それに。
先輩が世話になってる【探し屋】なら、信頼できる。


「【探し屋】にお前を紹介しておく。場所はおってメールで連絡する」


電話が切れた。
それから二時間後。
都心のA駅から四キロほど離れた雑居ビル『タンフォア』の三階にて、『探し屋』が待っている。
そこに向かえ。
と、先輩からメールで指示がきた。
あたしは指示通り、雑居ビル『タンフォア』に向かった。


「桐崎アヤカ?」


雑居ビル『タンフォア』の三階に着くと、玄関がひとつだけあった。
インターホンを押すと、女の子の声が返ってきた。


「そうです」


「とりあえず入って」


扉を開けて部屋に入った。
生活感のないマンションの一室。
その奥に、あたしと同じ年くらいの少女が立っていた。


「探し屋さんですか?」


「ハナコでいいよ。名梨ハナコがあたしの名前。偽名だけど、気に入ってるの」


パンクロック風な格好をしているハナコは、「ちょっとこっちきて」といいながらあたしを手招いた。
部屋の隅の床に、ノートパソコンが置かれている。
あたしはハナコと並んで、うつ伏せの姿勢でノートパソコンの画面を覗いた。


「アヤカちゃん、いくつ?」


「一六です」


「じゃ、タメ口でいいよね?」


さっきからすでにタメ口だけど。
ま、いっか。


「シノダさんから聞いたんだけど、オズワルドを殺すって、マジ?」


シノダさん?
ああ、先輩のことか。


「マジだけど、どうして?」


あたしもタメ口で返す。
ハナコがいくつなのかは知らないけど、多分同年代なような気がするから。


「だって、イチガヤ事件の英雄じゃない。できるの? 風速三十メートルの中で狙撃したんだよね、その人って」


「らしいね」


「できるの?」


わからない。
やったことがないし、失敗するかもしれない。
だけど。


「やるしかないよね。引き受けた以上は」


「あれ? ビビってないの? 殺されちゃうかもだよ?」


「その時はその時だよ。人の死を扱う仕事だし、そうなった時は仕方がない」


「うひゃー、さすが殺し屋。あたしにはできないわ、そういう生き方」


ハナコはそういうと、ノートパソコンのキーボードを軽快な指使いでタイピングする。
と。
ノートパソコンの画面にオズワルドの情報が次々と表示された。


「オズワルドの本名は田野タツヤ。本籍は東日本のチンセン(青森)で、家族はいないみたい。海上自衛隊を除隊後、政府直属の殺し屋になるため、表向きは『死亡』したってことになってるね」


画面に次々とオズワルドが行った『暗殺の実績データ』が表示された。
その中に、風速三十メートルでの暗殺任務を成功させたデータも入っていた。


「これ、どこからデータ引っこ抜いたの?」


「政府のサーバーからだよ。ちなみにどうやってファイアーウォールを突破したかって質問には答えないから」


鼻歌まじりにハナコはキーボードを指で弾き続けている。


「伝説の殺し屋っていっても、政府直属の時点でオワコンだよ。あいつらマジうけるよ? いまだに個人データ一括管理してるんだから」


くくくとハナコは嘲笑しながらキーボードを弾き続ける。
たしかに、いえてる。
こんないとも簡単にデータが集まるのだから、伝説も形無しだ。


「それで、居場所はわかる?」


「んー、わかるよ。ここ」


Webブラウザが画面に表示され、衛星からの地図画面が表示される。
地図画面の真ん中に赤い旗が立った。
標的の居場所はここだとハナコはあたしに説明した。


「アヤカ。ちょっと、できたらの頼み聞いてくれる?」


まじまじとあたしの顔をハナコが見つめる。
え、なに?
できたらの頼みって。


「殺す前に、オズワルドに聞いてほしいの。本当に風速三十メートルの中で狙撃したのかって」


「実際にそうなんじゃないの?」


「本人から聞いてみたいじゃん。マジなのかそうじゃないのかは」


……なんか変わった奴だな。
ハナコって。


「住所はさっきアヤカのスマホに送っといたから、なんかあったら連絡して。それじゃ死なないでねー」


あたしは立ち上がり、雑居ビル『タンフォア』を後にした。
オズワルド。
風速三十メートルの強風の中で、狙撃任務を成功させた伝説の暗殺者。
あたしも狙撃銃を使っての暗殺任務は経験したことがあるけど、さすがに強風のもとにさらされたり、標的との距離を測ってくれるスポッター(補助役)のいない状態で狙撃をしたことがない。
おそらく、狙撃の技術は世界屈指。
もし狙撃対決となったら、確実にあたしはオズワルドに撃ち殺される。
しかも。
今回は時間がないから、『毒』や『爆弾』といった道具の仕込みができない。
殺すなら寝込みだ。
オズワルドが就寝した深夜に。
至近距離から『拳銃』で撃ち殺す。
成功するとすれば、その方法以外考えられない。


「それでうまくいくのかよ」


深夜。
オズワルドのアジトとされる建物近くで、あたしは先輩に電話した。


「失敗するかもですね」


「おいおい、笑えないぞ。相手は伝説の殺し屋なんだぞ?」


「わかってます」


あたしは電話を切り、一階の窓から建物内に侵入した。
薄暗い廊下。
建物内に、対侵入者用のトラップが仕込まれた様子はない。
あたしは廊下を渡り、階段を上った。
二階に着き、廊下の突き当たりの部屋に入った。


がち。


撃鉄が起きる音が聞こえた。
部屋の奥には、ビニールのカーテンが囲まれた一角がある。
カーテンに、人の影がうつっている。
あたしは銃口を下に向け、カーテンに囲まれた一角に歩を進めた。


「誰だ……」


カーテンを開けると、男がいた。
ベッドに寝たままの姿勢で、銃を構えている。


「知り合いじゃないな」


白髪で禿げ上がった頭。
血色の悪い乾いた肌。
肋骨が浮かび上がるほど、病的にやせ細った体つき。
本名、田野タツヤ。
コードネーム【オズワルド】。
今年で九五歳の伝説の暗殺者が、怯えた眼差しであたしを見つめている。


「訪問時間は終わったぞ、帰りやがれガキが」


老人が横たわるベッドの近くの壁に、小さなホワイトボードが掛けられている。
ホワイトボードに『訪問時間:14:00〜17:00』と書かれている。


「ナースコールは押さないんですね」


「あのガキどもはいざとなったら頼りにならない。呼んだところで逃げ出すに決まってるさ」


「だから銃を隠し持ってるんですか」


「ああ、そうだ」


オズワルドが引き金を絞った。
弾は発射されず、かちんっと、乾いた金属音だけが虚しく響いた。


「ただし、モデルガンだがな」


「あたしが来た理由はわかりますよね?」


力なくベッドに銃を下ろし、オズワルドはうなじを垂らした。


「ああ、エイハヴの部下だよな。お前」


「いいえ。フリーです。あたしは」


ふっ。
オズワルドは鼻で笑った。


「そうか。だろうな」


「殺す前に聞きたいことがあります」


あたしは銃口をオズワルドに向けた。
オズワルドはうなじを垂らしたまま、「なんだ?」とつぶやいた。


「なぜ機密情報を横流ししたのですか?」


「金だよ」


オズワルドはいった。


「政府直属の殺し屋といっても、年金なんてもらえない。もっと賢い方法があったんだろうが、あいにく、俺は殺ししかやり方を知らなくてな」


「そうですか」


予想通りの答えに、あたしは正直ガッカリした。


「もう一つあります」


「まだあるのか」


「イチガヤ事件のことです」


「ああ、あれか」


オズワルドが顔を上げた。
歯が数本しかない口を開け、にんまりと笑った。


「五〇年前の事件だ。よく覚えてねぇよ」


ビニールのカーテンに、脳漿が飛び散った。
あたしは拳銃につけた消音サプレッサーを外し、死体の手に拳銃を握らせてから部屋を出た。


「終わりました」


病院を出たあたしは、エイハヴに電話をかけた。


「ギャラは現金で。明日中にいつものビーチでお願いします」


ふんっと、エイハヴが鼻で笑う声が聞こえた。


「いった通りだな。君は失敗しなかった」


「そうですね」


「素直に事実を受け取りたまえ。『五〇年前の伝説の暗殺者』を殺したんだ。余命がいくばくもない老人だったが、それでも伝説は伝説だ。誇りにするべきだ」


「はぁ」


「ところで少し相談がある。もし君がよければうちの所属にならないか? 我々としては君のような優秀で若いメンバーを欲しているところなのだが」


「お断りします。では、明日」


あたしは電話を切った後、オズワルドが死んだ病院を振り返る。
風が吹いた。
道端にあるコンビニのビニール袋が空に舞い上がる様子を眺め、その場を去った。


あたしの名前は桐崎アヤカ。
伝説の殺し屋を殺して、誇りどころか嫌な気持ちになっている高校二年生だ。


終わり

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