黒薔薇の吸血鬼は憂鬱な魔女に願いを掛ける

幸運の顎髭

魔女、初っ端から一番を取る。でも、そんなことより知り合いの弟が心配である。②



 青い刺繍が鮮やかな白灰色の外套コートをはためかせて、静かに降り立った私の足元の近くへ、スッと影が伸びてきた。
 かと思えば、その影から執事服を纏った老齢の割りには均整の取れた体付きの男が現れ出てきた。
 如何にもな出で立ちからしてもお察しの通り、我が魔城の家令である。凡そ二年前から、彼の傍らに必ずと言って良いほどに常時付き従う男の姿が見えないことに首を傾げていたら、何故か目元を緩ませた家令が答えてくれた。

「お帰りなさいませ、主人あるじ殿。ヴィロッグの方は遣いに出ております」

 ううん?あっ、そういえば、此処から然程遠くない距離にあるミロムム岬に叔父が来ているから出迎えを寄越せとか手紙が来ていたような。
 魔族は魔力や個々の能力の高さに応じて寿命が長くなる傾向にある。そして、魔女は総じて見た目が子供時代で止まる者が多く、精神年齢的なものも体に引っ張られるのか身も蓋もない言い方をすれば幼いままなことがある。
 叔父は特にその特徴が顕著に出ている事から、見た目では誤魔化せない我が儘具合には誰もが手を焼いていた。
 我が儘坊ちゃまを迎えに行く役目を誰も請け負おうとしないで、押し付け合う使用人たちの様子は想像に難くない。きっと、それを見兼ねた家令直々に指名されたヴィロッグは断れなかったのだろう。仕事における上下関係的に。

 種族中最弱である人間の身体を器としていながら強大な力を持つ代償に、未成熟な部分を持ち合わせるのが魔女人であって人に非ぬ者という不文律は今に至るまで続いていた。
 その例に漏れず、見た目の成長度合いが止まりつつあるのは私もだ。
 だが、能力の高さ故に叔父のようになりそうなのに不思議と精神年齢と莫大な魔力、能力の高さとの釣り合い――魔女である場合は、であって、私としては叔父のようにはなりたくないので精神的な面の早熟は良かったとさえ思っている――が取れていなかった。
 しかしそのお陰で、叔父と初対面の時に、威張る彼を軽くいなし適当にあしらってしまえた事は、私にとっての悲劇であり私の家系にとっての幸運だった。
 斯くして、その時から叔父のお守りは私の義務となってしまった。
 まあ、別に子供扱いをしていることをバレないようにしつつ自尊心を満たしてあげれば良いだけだから楽な仕事だよ?
 ただ自分一人の時間がなくなって数日の間拘束されるのもストレスなのに、更に対面する時間が早まるのが嫌なので、お迎えだけは他の奴らに押し付けようとした結果が彼を巻き込んでしまったとは。すまん。骨は拾うよ。

「ふーん。そう。出迎えご苦労」
「勿体無きお言葉にございます」

 堅っ苦しく礼の姿勢を取る家令に付き合えるかと軽く手を振って、さっさと魔城に向かうすがら楽にしてくれと言ってみる。
 勿論、彼の答えは、ステキな笑顔で、「お心遣い痛み入ります。しかし、この老体には主人殿に仕えることこそが至上の喜びですので、あまり意地悪を言わないでくださいませ」って返ってくるなんて決まってるんだけどね!!
 知ってたよ!だってこのやり取り百回目くらいだもの!!家令が出来すぎてやってらんないわ!!


 はぁ、隙が無さすぎてつまらない家令なんて今はどうでもいいか。そうだよね。他に考える事があったんだったっけ。
 ふーっ、と息を吐いて頭の中を切り替えた。あの三姉妹もそうだけど、その前にちゃんと重力操作クッションは発動したかな?
 地面に足をつけてから辺りを見た限りでは、潰れたトマトを確認できなかったから大丈夫だとは思うけど。あの弟子なだけに心配だった。

 脱いだ外套を手渡して襟を整える間際に家令に訊いてみる。
 朝っぱらからショック死で弟子が一人亡くなった不祥事の対処に追われるとか、本当に嫌だから。大丈夫、死んでても地獄まででも追い掛けて生き返らせるから。

弟子お馬鹿さんは?」
「自室で伸びて待機しております」

 あぁ、やっぱりね。
 ビビりな不肖の弟子には持ちこたえられなかったと見た。
 地面との衝突寸前の設定にしておいたんだが、その時にでも気を失ったのだろう。これくらいを耐えられないと魔界で生き残れないのにね、可哀想に。
 ただし、着地の時には毎回必ず豪速球を出すスピード狂な所が不思議だ。
 地面にぶつかりそうになるぐらいで気絶する臆病者な癖して怖くないのかな?

 って、うわ、このブラウスの金の釦が取れ掛かってるじゃないか。
 ほぼ身内に近い相手とは言え、外部の者にこの後会うことになるってのに……、全く。着替えないといけないか。
 急ぎ足で向かった執務室の繋ぎのウォークインクローゼットに入ると、直ぐ様、下着姿になった。
 脱ぎ捨てた服を手にとって片付けようと動くのは、この部屋付きの担当の侍女だ。二言三言交わしてから彼女を見送った家令に、縫裁の部門の者への指示を頼んだ。
 正装だとしても、丈は短いながらズボンを穿けるドレスはアレぐらいかな。どうせ太股は柄物のスパッツで隠れるし。騎士の服装は平時から着て良いものじゃないから諦めた。うん、スカートは苦手だ。

「白をメインにしたゴシック調のドレスで。用意は、ビクスにお願いして」
「畏まりました」

 バラベ・ク・シエラという男は、私が産まれてから直ぐに魔城の所有権を継承してから三日後に専門の縫裁師にしてくれと頼み込んできたらしい。ビクスは愛称だ。
 一見して、なよなよしい女のなりをしているヤツにしか見えない。
 しかし、その裁縫の腕も他の追随を許さない実力があり、戦闘能力についても魔城勤務の実働隊隊長の次に来るそうだとか。
 でも、実際に闘うところを見たことがない私には、ビクスに尽く断られても、諦め悪く「是非とも自分の隊に来て欲しい」と勧誘しにやって来る隊長の姿が女性を口説くチャラい男にしか見えなかった。隊長、奥さん居るんだけどね。

「獣人族が訪ねて来なかった?」
「主人殿に用事がお有りだとの事でしたので、客間でお待ちいただいております」

 室内とは言え十代の女性が下着姿のままで居るのは宜しくないと、紳士な家令が差し出してきた上掛けのガウチに腕を通した。
 今は魔界の何処でだって忙しい時期だってのに、よく暢気な面を晒して私の元へ来れるもんだ。本当に、あの三姉妹には手を焼かせられる。
 軽すぎるんだよ。主に、フットワークと頭の中身が。だから、私みたいな年下に嘗められるんだよ。

 能面になっている自覚はあったものの、こういうときには私が何を考えているかを、生まれた頃から仕えている執事には察されてしまったようで声もなく笑われた。
 面白くないと彼を睨めば、人好きのする笑みを浮かべて諭された。あはっ、舌打ちしたいよね。

「主人殿。客人の御用聞きをなされる前から物事を決めつけるのは早計かと」
「そーだねーぇ」

 年寄り爺の有り難いお言葉を青二才の私が否定できる訳もなく、せめてもの抵抗に、つーん、とそっぽを向いた。
 その先で、このウォークインクローゼット付きの侍女が頭を下げて入室の許可を取ろうとしているのを見つけた。
 やっと、いけ好かない執事との時間が終わると知って、コロリと表情を変えた。我ながら単純な私に、呆れた目を寄越すでもなく、さっさと侍女から荷物を受け取った爺の手を借りて大人しく着替えることにした。


 あ、もしかして、ただ単に遊びに来たんじゃなくて族長の御使いだったりするか?

 遅れ馳せながら客人の用事の当てを思い付くも、即座にそれを否定した。
 仮にも一族の使者として、相応しい立場でありながら、碌な礼儀を身に付けていない娘たちに魔城の家主への伝達を頼むような獣人族の長ではないと、彼女たちのことを頼まれたときに対峙した当時の彼からして有り得ないと判断したのだ。
 まさか、一族の長の実子の世話を魔女に頼むということ事態が非常識だったにしろ、間違えてはいけない常識を持ち合わせた人柄であるのは、魔女ならではの持ちうる“直感”で確信していた。
 自ら恥を掻きに行くほど愚かでも間抜けでも無さそうな長は、今回は関係なさそうだが。


 はて、そうなると三姉妹による個人的な私情故の相談か頼み事か。

 ……途端に追い返したくなるところを、後一歩の葛藤で、どうにか踏み留まった私は、早く御用聞きをして早く事を終わらせるのが一番だと結論付けた。



 執事の先導を受けて早足で客間の一つに向かったすがら、立ち寄った弟子の自室にて気付け薬を使ってやった。
 休暇の許可も出していないのに休ませてやる手なんて無いんだよ、とキリキリと説教を垂れたら、情けなくも泣きっ面を晒した弟子に眉が寄った。
 仕方なく、たまたま持ち合わせていた飴ちゃんを開いていた口に投げ込む形で与えた。全く、手の掛かる野郎だ。
 思わず舌打ちを洩らした私を見て、何故か、ポッと赤面した弟子に寒気がして、文字通りケツを蹴り出して弟子の今日の担当場所に向かわせた。
 野郎なんぞに上目遣いで見られても気色悪いだけなんだよ。ド阿呆め。
 次があったら、今度は唐辛子味の飴ちゃんを渡してやるからな。他のサボり魔の駆除の為にも、大量に手配しておこう。腕が鳴るなあ。ふふっ。覚悟しておけよ。



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