僕たちは愛の兵器

けお

焦り Ⅱ

 「先生、この患者、どうしますか。」


 「どうするって言われても、親族の方にお越しいただかないと、話が進まんからな。この子の身元も分からんようじゃ、我々にも手の施しようがない。」
 

 「そうですね…。 」


 一時の沈黙が手術室を暗く包んだ後に、俺はその重い口を開いた。
 「単刀直入に言えば、この子はもう助からんだろう。」


 「えっ…!? そ、そうなのですか?」

 彼の顔はそれまでの大人しい表情から一変、驚きと不安の交じった、何とも言語化しにくい顔色をしていた。

 「植物状態だよ。お前も知っているだろう。心臓が動いているのに身体も動かせなければ意識もない、そんな状態さ。」

 「じゃ、じゃあ、僕達には何が出来ると言うのですか、先生…。」

 こいつは呆れるほどに純粋だ。いや、純粋なのが悪い訳ではない。どちらかと言えば、純粋なことを妙に感じてしまう俺のほうが悪いというか、イカれているのだろう。

 優しさは時に人を駄目にする。そんなことは幾度となく経験してきた。純粋であればある程、その優しさは増幅する。こいつに何もかもペラペラ喋るのは疲れるし、それにこいつの優しさを含んだ言葉など耳にしたくないのだ。
 「ああ、あとは俺が何とかするよ。お前はもう休んでいいよ。」
 お茶を濁した俺は、こいつの背中を押して半ば強制的に手術室から追い出した。
 ウィーンという手術室のドアの閉まる音を聞き、俺はクルンと振り返ると、その子供の元へ歩み寄った。


 俺が植物状態の人間の担当になったのは初めてだった。だから正直とても焦っていた。この子をどうやって助けようか、何をしてあげればいいのか、その子に問いかけるも、その子の口から言葉という音が溢れてくることはない。

 この時、こんな変わったことを考えなければ、俺は死ななくて済んだのかもしれない。

 「……いや、そんなことして許されるわけが。」

 勿論俺にも医者としてのプライドがある。理性がある。人間の心がある。だからこそ、植物状態のこの子を隔離棟に放置するという無意識に起こった考えを否定したかった。
 だが、俺は、俺たち医者は未だにこの子の身元を知らないし、親族やその関係者を知っているはずもない。ここに放置したって、気づく人など誰もいないだろう。

 ……今更自分の考えたことに恐怖心を抱き、崩れるようにその場にしゃがみ込む。
 いつからこんな残忍な人間になってしまったのだろう。医者なのに人の命を放棄しようなど、そんなことでは患者はおろか、家族すらも守れない。
 心か、責任か。
 自分が自分に押しつぶされてしまう感覚に襲われる中、突如俺の耳にある声が響いた。
 ―その暗黒で俺の心の灯火すらもかき消そうとする黒い声が。

 「何をそこまで葛藤しているんだ。そんな少女の一人や二人、見捨てても君には支障をきたさないじゃあないか。悩むことなど何もない。」

 「大事なのは、自分だろ?」

 その声が途切れる前に、俺の足は手術室の、まるで未来に光が差し込んでいるような輝かしい外の世界へと向かっていた。
 
 

 「ああ、あいつもまんまと騙されやがって。まあ、せいぜい楽しませてくれよ? 人間。」

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