君に私を○○してほしい

しげぞうじいさん

オワル

「私は、人間のまま死にたい。このまま醜い怪物になって人を襲うなんて、私には耐えられない。だから、ノア……私を殺してほしい」
「そ……それは……」
 出来ない。僕には出来ない。重すぎる。
 人を殺したこともないのに、大切な人をこの手で殺すことなんて出来ない。出来っこない!
 だけど、母さんの手はしっかりと僕の手を掴んでいた。
 少しずつ力が弱くなっているのがわかる。もう時間がないんだ。時間がないから僕に頼んでいる。他の誰でもない、僕に。
「このまま私を殺さずにいれば、きっと私は君たち三人を殺してしまう。そして喰らってしまうだろう。私はそんなことをしたくない。だから……お願いだ」
 母さんの、本当の、お願い……
 今までのお願いとは比べものにならないぐらい、重いお願いだ。
「ノア、俺からも頼む。フェイトを……楽にしてやってくれ」
 アベルさんからも頼まれる。
「僕は……僕は……」
 答えが出せない。動けずに固まってしまい、何も出来なくなる。
 やはり、僕は母さんのナイトではない。ただの傍観者だ。
「私は二百年もの間、一人で生きてきた。だけど、八年前にノアと出会って、私は変わったんだ。人間として、母親として生きよう。この子の為に生きようと決めたんだ。だから私は人間のままで死にたいんだ。……キツイだろう、重すぎるだろう。だけど、私を救ってくれ……」
 母さんの体が段々と人間の姿から変わっていく。おぞましい怪物の姿に……
 このまま何もせずに、母さんを怪物として生かすか、それとも人間のまま生を終えるか。
 母さんが望むのはどちらだ。……そんなもの、考えなくてもわかっている。本人がそう望んでいるんだ。
 僕は手に力を込めて、母さんの心臓に手を伸ばす。
「ただ、釘を抜くだけでいい。それで、私は解放される」
 母さんの体、皮膚を通り抜け、体の中の体温を感じる。母さんの肉が僕の手を優しく包み込んでいる。まるで、赤子を包む胎内のように。
 温かい、少しだけ柔らかい皮膚に包まれた僕の手は母さんの心臓に刺さっている釘に手をかける。
 しかし……
「……泣くな、息子よ」
 涙が止まらない。あふれ出てくる。
 子が母を殺す。こんな結末、一体誰が考えたんだろう。憎くて憎くて仕方がない。
 だが、時間はない。覚悟を決めなければ。
 釘を掴み、ゆっくりと抜く。慎重に、最後まで母さんの優しさに包まれたいと思い。
「くっ……」
 釘を抜かれる痛みで母さんが苦痛の声をあげている。
 そのまま釘を引っ張り、母さんの心臓から釘を抜いた。
 穴が空いた心臓から大量の血が流れ出てくる。
 でも、母さんは嬉しそうな顔をしていた。
「ありがとう、ノア……。やっぱり君は私のナイトだったね。誇れ、高らかに胸を張れ、愛する息子よ。君は私を人にしてくれた。願いを叶えたんだ」
 その言葉を、その声を聞いてさらに涙が押し寄せてくる。これ以上ないぐらいに泣いているのだ。
 もっとお話をしたかった、もっと手料理を食べて、食べさせてあげたかった。
 一緒に寝たかった、一緒にお風呂に入りたかった。
 その願いが、期待が、未来が、僕の手で粉砕された。
「ごめんね、ミナちゃん。ダメな母親で……」
「いいえ……いいえ……!」
 ミナさんから嗚咽が聞こえる。僕と同じように泣いているのだ。
「アベル……あとは頼んでいいか……?」
「……任せろ。だから、安心して逝け」
「ノア……」
 僕の名前を呼ぶ。それに僕は「はい」しか言えない。
「私は君に会えて良かった。あの時、あの場所で、君に会えたのは本当に偶然だ。だけど、その偶然は奇跡になった。君は怪物だった私に人としての命を与えてくれた」
 その声は僕の体、精神、脳、魂に刻み込まれる。一単語、一文、一つも聞き逃さす、聴き取る。
「この八年間、私は楽しかった、嬉しかった、喜ばしかった。君の成長を見れて。……私は、本当に、本当に幸せだったよ」
 母さんが笑う。
 僕たちは泣く。
 対照的に写るその光景は、まるで物語の世界のようだ。

 だが、その悲しみも、別れも長く続かない。
 急に地面が揺れ出した。すさまじい揺れだ。かなり大きい。
「地震!?」
「なんでこんな時に……!」
「慌てるな、三人とも……」
 母さんが僕たちを落ち着かせようと、死にかけの体で小さな声を絞り出した。
「言っただろう、ここは私の世界だと。文字通りの意味だ。ここは私の為だけの世界、私が死ねば、同時にこの世界も消える。ここはもうじき、消滅するんだ。怪物の私と共に……」
「そ……!?」
 あの言葉はその通りの意味だったのか。でも、今はそんなことはどうでもいい。早く母さんを連れて逃げないと……!!
 でも、この揺れの中で母さんを持ち運んで街まで逃げる、この世界から逃げるなんてことは出来ない。出来そうにない。
 家の壁にヒビが入る、床に亀裂が走る、天井が割れる。
 本当に、ここは『消滅』するんだ。
「さあ、行け……さようならだ」
 母さんが僕たちを行かせようと、生かせようとする。自分を逝かせようとしている。
「――ッ! ……行くぞ!」
 アベルさんが僕たちの腕を引っ張り、玄関まで引きずって行く。
 別れの言葉も言えず、別れの儀式も出来ない。
 こんな残酷な話があってたまるか!
「さようなら、我が友、我が子たちよ。君たちに会えて、本当に良かった。さようなら……さようなら。私は、幸せだったよ」
 それが母さんの最後の言葉だった。
 無理矢理家の外に引きずり出された僕たちは、この世界の現状を把握する。
 空が割れている、地面が裂けている、空間が無くなっている。
 本当に消えてしまう、そう思った。
 だけど、母さんの言葉通りに僕たちは一本道を走るしかなかった。ただ一人、大切な人を残して……



 世界が壊れる。
 地が裂け、空が割れ、空間が歪み、私は消える。
 もう動きそうもない体、もうすぐ命の炎が消える体で、私は笑う。
 楽しかった出来事、嬉しかった日々。
 それを走馬灯のように思い出す。懐かしんで。
 世界が完全に壊れるまで、あと十数秒といったところか。ノアたちは無事にここから出られただろうか。それだけが心配だ。
 でも……
「楽しかった……本当に、本当に楽しかったぁ……」
 口に出せる、意識が残っている内に、あの子たちにまだ言いたかった言葉を言う。
 聞こえる訳もないのに、何故かそうしたいと思った。
「孫の顔が見られないのは残念だけど……これで良かった……これで良かったんだ」
 家が崩れ、天井の一部が床に落ちる。
「一体どんな風に成長するんだろう……楽しみだなぁ……」
 最後の力を振り絞って、顔を上にあげる。
「アナタ……今、そちらに逝きます……土産話、楽しみにしててください……」
 私の最愛の人に向けて、その言葉を残し。
 私は、私の世界は……消えた。



 気が付けば、僕たちは街の中にいた。
 いつものように、街を歩く人たち。
 いつものように、店は営業している。
 あの出来事が全て夢のように思えるほどに、いつも通りだった。
 でも、僕ははっきりと憶えている。あの言葉を、あの声を、あの優しさを。
 そのことを思い出すだけで、また涙があふれてくる。
 母さんは死んだ。死んでしまった。二度と逢えなくなったのだ。
 僕は人目もはばからずに大声で叫んだ。
 母さんのことを、母さんの名前を。
 大切な、大好きだったあの人の記憶を。
 全てを出し切るかのように、声が枯れるまで、声が出なくなるまで叫び続けた。

 あれからどれだけの月日が流れたのだろうか。
 今の僕は青年、お兄さんからおじさんに変わってしまった。それ程の時が流れたのだ。
 アベルさんとはもう長い間会っていない。どこに行ったのかも分からずに、僕に母さんの残してくれたお金を渡して、消えた。
 僕を今まで母さんが育ててくれた、あの出来事、あの記憶を忘れたことは一度もない。
 僕の全てはあの人が育ててくれたんだ。
 そのことを、あのことを、言えなかったあの言葉を僕は聞こえないあの人に向けて言う。
「……ありがとうございました」
「なに呟いているの?」
 部屋に僕の最愛の人が入って来た。
「いや、別に。ただ、ある人に伝えたい思いを言っただけ」
「変な人ね」
 変な人か。確かに僕は変わり者、変人だ。それは否定しない。
「ご飯、出来たから。早く来てね。あの子も待ってるわ」
「うん、今行くよ」
 今の僕には命に代えても守りたいものがある。
 あの時の母さんの気持ちは今ならわかる。
 本当に、心の底から素晴らしい人だった、と。
「ああ、そうそう」
 部屋を出て行こうとしている人を止める。
「君に僕を愛してほしい」
 今更なことを言う。
「何馬鹿なことを言ってるの? そんなの、とっくに愛してるわよ」
 当たり前の返事を聞いた。
 満足した僕は椅子から立ち上がって、書きかけの本を閉じる。

“母さん。僕はあなたを幸せに出来ましたか?”

 そう心の中で言った。

“もちろんだ。我が愛しの息子よ”

 空耳だろうか、あの人の声が聞こえた気がした。
 一人で微笑み、部屋を出て行く。

 僕はあの人の、あの言葉を忘れない。

“君に私を愛してほしい”
                     

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