君に私を○○してほしい

しげぞうじいさん

アヤマル

 小さい頃の夢を見た。まだ母さんをお母さんと呼んでいた時だ。
 その頃の映像、いつもの日常が浮かんでくる。
 子供だった僕は何か気になることがあると、いつも母さんに聞いていた。そして母さんはそれを丁寧に教えてくれた。
 時々違う方に脱線することもあったけど。
 そんな母さんが大好きだ。僕の神様だ。
 優しい母さん。口では言えないけど、僕は貴女のことを本気で愛しています。
 いつも、楽しい時間をありがとう。
 そして、これからもよろしくお願いします。
 夢の中だったので、言いたいことを言った。恥ずかしくて口に出せないことを言った。
 いいよね、夢の中なんだし。誰にも聞かれていないだろうし。
 だけど、夢の中の母さんは僕の方を向いて、笑顔で「こちらこそ」と言った。
 そこで僕の眠りが冷めた。

 目を開ける。
 目に入ったのは家の天井。リビングの天井。そして暗くなった外。
 僕はリビングに横になったまま眠っていたらしい。
 夢を見たような気がするが、何も憶えていない。
 体を起こそうと思い、起き上がろうとすると、僕の体の上に誰かの手があったことに気付いた。
 その手が誰のものか、確かめる為に首を動かす。
 見覚えのある手。それは母さんの手だった。母さんが僕の横で寝ていたのだ。とても無防備な顔で寝ていた。
 ミナさんとは決着がついたのだろうか。どちらが負けたのかはわかるけど。
「……」
 母さんの寝顔を見るのは久しぶりだ。最後に見たのはいつだったか覚えていないけど、本当に久しぶりだ。
 まるで子供のように、無邪気で、可愛いと思える顔だった。
「う……ノア……」
 起こしてしまったのかと一瞬驚いたけど、それはただの寝言だとすぐにわかった。
「ノア……愛してるよ……」
 どんな夢を見ていることか。このまま静かに夢を満喫させてあげよう。
 体を起こすのを止めて、そのまま寝転がる。
 何も出来ないのは退屈だ。眠ろうと思っても、二度寝が出来ない。
 何をして暇を潰そうかと思っていたけど、時間が経てばまた眠気が襲って来た。
 その眠気に抵抗せず、僕は二度寝をした。

 太陽の眩しい光が僕の瞼を刺激したので、反射的に起きる。
 もう、朝か。随分寝ていたようだ。
 ベッドで寝ていないから体が固まっているようで、中々起き上がれない。固まった体と格闘していると、目の前に母さんの顔が現れた。
「おはよう、ノア」
「……おはようございます、母さん」
 挨拶をした。昨日は何もなかったかのように。
「起きて早々悪いんだけどさ、ミナちゃんに謝罪しに行きたいんだ。街まで一緒に行こう?」
 本当に起きて早々だ。そんなことなら一人で行ってきてほしい。別に僕は悪くないのだから。
 でも、二日連続で街に行くことはないので、頑張って起き上がり「はい」と答えた。
「昨日、ミナさんとどうなったんですか?」
「服を引っ張りながら引きずられた」
 それを聞いて頭の中で想像する。
 家に帰ろうとしているミナさんの服を引っ張りながらも引きずられていく母さん。
 想像しただけで笑いが出てきた。非常に面白い絵だ。
「いやさ、冗談抜きで引きずられて行ったんだよ。ドナドナが流れる雰囲気だったね」
「ドナドナって何ですか? 曲ですか?」
「そだよ。ドイツの曲でね、本来はダナダナって言うんだけど、これではただ頷いているだけにしか聴こえないっていう人たちが勝手にドナドナって言い始めたんだ。これは子牛が売られていく風景を歌にしているんだけど、隠語として連行、連れて行かれるシーンでも使われるんだ。……って、そんなことより、早く支度して! 謝罪は早くしないと!」
 街に行ったらドナドナ……ダナダナを一度聴いてみたいところだ。それを聞いてさっきのイメージと組み合わせるとどんなに面白い絵になるのか楽しみだ。
 母さんに言われるがまま、街に行く支度をする。
 玄関の扉を開けると、冷気が一気に体を包み込んできた。さっきまで部屋の中が快適だったのは、母さんがストーブを点けていてくれたお蔭だと、ありがたみを感じる。
「うう……寒い……」
「僕より着こんで、何で寒いんですか?」
「私は寒いのが苦手なんだ。と言うより熱の変化に弱い……暑いのも嫌だし、寒いのも嫌だ。出来ればずっと春がいい……」
「でもそれじゃあ、四季が味わえないじゃないですか」
「そうだよね。四季は素晴らしいけど、その代償がデカい。……ハックション!」
 豪快なクシャミが出てきたようだ。本当に寒いのが苦手らしい。
 もちろん、このまま家に帰れるわけでもないので、一本道をひたすら歩き、街の景色に早変わりする。
「謝罪の菓子折りは何が良いんだろう……」
「――カシオリ? なんですか、それ?」
「謝罪の時や、感謝の時に持って行くお菓子のことだ。だけど、菓子折りはお菓子がメインじゃない。そのパッケージがメインなんだ。これがどれだけ上品なものかで、相手に対する誠意が変わる。さ、早くどこか手ごろで上品な店を探そう。ここでも寒いわ……」
 お菓子がメインじゃなくてパッケージがメインだなんて変な文化だな。
 まあ、確かに最初の印象が大きく変わるのは事実だ。適当にコンビニで買ったお菓子を見れば「なにこいつ?」みたいなことを想われるかもしれない。
 けど、逆に上品過ぎるのも困ったもんだと思う。上品過ぎれば、相手が重く感じるかもしれない。
 謝罪と言うのは難しいな。本当は僕には関係ないのに……
 街の中を歩き、ガラス越しで店の中を見て、適当な店に入った。
 そこで一番高いお菓子を購入し、母さんがお菓子を包むパッケージを上品な奴にしてくれと頼んでいる。お蔭で店員が苦笑いしている。事情を察したのだろう。
 第一目的を達成した僕たちは店を出て、本来の目的であるミナさんの家に向かう。
 幸いにも僕の頭はミナさんの家の場所を覚えていたので、何事もなくスムーズに行けた。
 ……なんで僕ってこんなことを覚えているんだろう……
 菓子折りを持って、母さんが必死で謝罪の言葉を考えている。僕も一応考えた方が良いのだろうか。
 そうして考えていると、ミナさんのアパートの前に到着した。
「ああ、緊張する……許してくれるかな」
「大丈夫だと思いますよ。あの人もそこまで鬼じゃないでしょうし」
「そうだと良いんだけどね。あ、どこの部屋?」
 ……しまった。それは知らない。部屋に入るところを見ていないからわからない。
 わからないと母さんに言うと「あ、そう」だけしか返って来なかった。
何かいい案でもあるのだろうか。
 母さんはアパートの部屋の扉を一つ一つ調べ始めた。これは一体何をしているのか……
「なにしてるんですか、母さん?」
「え? 部屋の表札を見てるんだよ」
「表札?」
「そ、表札。家の住民の名前を表に貼ることで、そこに誰が住んでいるのかわかるようにしてるの。だから、ミナちゃんの名前を探せば見つかるよ」
 そうなのか。だったらうちに表札はいらないな。訪ねてくる人なんてアベルさんぐらいしかいないし。
 数ある部屋を調べて、母さんはミナさんの部屋を見つけたようだ。嬉しそうに手招きしている。
「それじゃあ、覚悟を決めてっと」
 部屋の扉をノックする。
 すると、しばらくして扉が開いた。中から出てきたのはミナさん本人だった。
「おはよう。いい天気だね」
「……聞きたいことは色々あるんですけど、とりあえず中に入ります?」
「それじゃあ、お言葉に甘えて。……ノア」
 謝罪をする人の態度とは思えないぐらいの気持ちで会話していたので、あっけにとられていた僕は反応が遅れた。
 軽く頭を下げて家の中に入る。
 ミナさんの部屋はリビングが一つでそこにもう一つ部屋があるだけの簡単な家だった。恐らくもう一つの部屋で寝ているのだろうとわかる。
 リビングに座らされた僕たちは母さん直伝の『正座』と言う姿勢をとる。
「ミナちゃん。いや、ミナさん。昨日はごめんなさい!」
 母さんは正座の姿勢から綺麗に頭を下げて、綺麗な姿勢をとった。
 これは母さんが好きな日本で最高の謝罪の仕方、『土下座』と呼ばれる謝罪の姿勢だ。
 それにしても見事な形だ。ほんの少しも乱れていない、完璧な土下座。一体何回練習したらそんなに綺麗になるのだろうか。
「ああ、そんなことですか。別に良いですよ。気にしてませんし」
 母さんの態度とは逆に、ミナさんはあっさりしていた。
「それより、急に家に来られた方が驚きなんですけど……もしかしてその為にわざわざ来たんですか?」
「だって、昨日は怒って帰っちゃったし……」
「いえ、あれは怒ってませんよ。本当に怒るのなら家の中の物を全部物色してからしますから」
 真顔でそう言われるとかなり迫力がある、地味に怖い……
「で、これは……?」
「あ、それそれ! 誠意を表す為に菓子折りを持って来たんだよ! ね、ノア?」
「え、ええ。そうですよ」
「……カシオリ? なんですかそれ?」
「謝罪の気持ち。詳しくは母さんに聞いてください。母さん、物凄く反省しているんですよ」
 ミナさんは「あちゃー」と言う顔をしている。自分がしたことがまさかここまで事態を大きくしたことに驚いているのだろう。
 とりあえず、持って来た菓子折りはミナさん差し上げて、母さんは正座の姿勢に戻る。
「せっかく持ってきてもらいましたし、この……カシオリ? を今朝食代わりに食べましょうか?」
「いいね。是非食べよう。……ミナちゃん、まだ朝食食べてないの?」
「今起きたところなので」
「なんと!?」
 母さんが物凄い驚き方をした。オーバーリアクションと言う奴だ。本当に、そこまで驚くかと思うぐらいに、後ろにある棚まで滑って行った。何と器用なことをするんだろう。「ミナちゃん! それはいけない! 規則正しい生活をしないと、あっという間に体にガタが来るよ!」
「え、多分他の人もこんな生活だと思いますけど……」
「ダメダメ! もう、私がちゃんとした朝食を作ってあげるから、そこで座ってなさい。台所借りるね」
 正座の姿勢から立ち上がって、母さんは台所に立った。
 そして勝手に人様の冷蔵庫を開けて、中身を物色し始めた。
 それを僕たちは呆然と見ている。
「……ノア」
 ミナさんが小さな声で僕のことを呼んだ。
「……なんですか?」
「フェイトさんって……悪い子は放っておけない体質?」
「……似たようなもの……でしょうね。何せ、六年間一緒に暮らして真面目過ぎる生活を送ってきましたし、不規則なものを許せないんでしょうね」
「……でも」
 ミナさんの声のトーンが変わった。
「でも、嫌じゃないわ。むしろ、有難い。感謝したいぐらいよ。私のことを心配してくれる人なんて、本当に久しぶりだから」
 奴隷として売られる前の日常を思い出したのか、ミナさんの顔が少しだけ微笑んでいる。
 嫌な記憶、だけど懐かしい。それは僕たち元奴隷にとって切り離せないことだ。切り離せないからこそ、心を開くことが出来ない。でも、それを開けることが出来るのは他人だ。難しいところなのだ。
 鼻歌を歌い始めながら母さんが簡単な朝食を作った。
 メニューは卵を使ったスクランブルエッグ、サラダ、そして小さなパン、だ。実に簡単。まさに朝食と言ったところだ。
「では食べなさい。栄養もバッチリ、味付けも大丈夫……だと思う」
「じゃあ、ありがたく……」
 ミナさんがフォークに手を伸ばす。だけど、それを母さんが阻止した。
「ダメだよ、ミナちゃん。食べる前に言うことがあるでしょう?」
「……なんですか?」
「知らないのかい? 食べる前は“いただきます”でしょう」
 僕の顔をミナさんが見る。驚いている顔だ。
 謝りに来た人が先生の立場に変わっていることに驚いている、と。
 母さんの謎の威圧感に抑えながらミナさんは「いただきます」と小さな声で言った。
「よろしい。それが基本だからね」
 作られた朝食をミナさんがゆっくりと食べる。
 僕たちはそれを見守っていた。食べ終わるまでずっと。何も言わずに。
 すぐに朝食を食べ終えたミナさんはさっきまで僕たちがしていた正座をし始めた。
「フェイトさん……」
 声が震えている。一体何があったんだろう。不味かったのかな。
「ありがとう……ありがとうございます……。私、久しぶりにお母さんのことを思い出しました……前の……元のお母さんを……」
「そのお母さんと私が重なった、そう言う事か。良いんだよ、いくらでも甘えても。大人でも甘えたい時は甘えたいんだから。いつでも『甘えなさい』」
 優しい声で母さんがそう語りかける。
 その光景を見ていた僕は密かにこう思った。
 この場に、僕はいらないんじゃないか、と。
 明らかに母さんとミナさんの二人きりの世界だとわかる。僕がいてもいなくても関係ない、そんな感じの空気を醸し出している。
 隠れて逃げようかな。二人の邪魔をしちゃ悪いし……
「いや、ノア。逃げるんじゃない」
 バレた。音を立てないように気を付けていたのだが、母さんには全てお見通しのようだ。
「いい機会だ。ノアとミナちゃんに色々説教をしてあげよう。最近のノアの生活習慣は悪くなってきているからね。嫌だと言っても逃がさないからそのつもりで」
 僕とミナさんは同時に、同じタイミングで、
「「え?」」
 と言い、二人でお互いの顔を見る。
 僕は諦めたようにして、母さんの説教を聞く姿勢に入った。
 この状態の母さんに勝てるわけがない。六年間の生活でそれが身に染みている。
 そして、母さんの説教が始まった。
 僕たちはそれを黙って聞いているしか出来ない。逆らえないのだから。

「――で、だ。君たち二人は若いんだからあんなことやこんなことをしてもおかしくない。むしろそれが健全だと言える。でも、一線を越えてはいけない。それをすると」
「ちょ、ちょっと待ってください」
 母さんの説教を途中で止める。
 何故なら、途中から説教の道を外れていっているからだ。もはや何を言っているのかわからないぐらい脱線している。ここで止めないといつまでも終わらない。
「母さん、一体何の話をしているんですか?」
「ん? 若い男女がすることだけど。それが何か?」
「僕には全然わからないんですけど、それは置いておいて。ミナさんの顔が真っ赤なことに気付いてください。頭から煙が出てますよ」
 ミナさんを指さし、母さんの目線を移す。
 ミナさんの頭から煙がモクモクと出ている。そして顔が真っ赤だ。
 母さんが話していた意味がわかっていたのだろうか。それが何を意味しているのか、これは聞かない方がいいかもしれない。
「ああ、ミナちゃんはこの手の話には弱いのか。なら止めておこう」
「そうしてください。これ以上彼女を追い込まないでください」
「おや? ノア、今まさに君はミナちゃんのナイトのようだね。鏡見てみる?」
「茶化さないでください」
「いやいや、本当の話。ノア、自分が何をしているのかわかってやってる?」
 自分が何をしているか? それはわかっている。
 今の僕はミナさんの肩に手を置いて……
「……」
 そこを認識したことで、自分が今何をしているのかやっと理解出来た。
 今の僕はショートしたミナさんを守っているような恰好をしている。これが母さんが言うナイトの恰好だとわかった。
「こりゃあ、私はお邪魔虫だったかな。若い二人に任せておこうか?」
 ニヤニヤしてこの状況を楽しんでいる。
 今更だけど、ある意味性格が悪いなこの人。アベルさんより質が悪い。

 頭がショートしたミナさんに何かを言ってみるが、反応がない。
 母さんがこのまま放置しておこうと言ったので、僕たちは用が済んだので、ミナさんの家から出ることにした。
 玄関の扉を開けて一礼する。そして、もう一度中を見ていても彼女は固まっていた。
 残酷に、扉が閉まり、彼女と別れる。
「ノア」
「何ですか?」
「暇だったらいつでもここに来たら? その方がいいと思うよ」
「何でですか?」
「……やっぱりノアには乙女心がわかっていないなぁ。そんなんじゃ、ミナちゃんを落とせないぞ」
 肩を竦めるようなジェスチャーをして母さんが家路に着く。それを僕が追いかけて行った。

 そして、僕は母さんが言っていたように、暇があれば街に行き、ミナさんと会っていた。
「あら、ノア。今日も来てくれたの?」
「ええ、暇でしたから」
「暇だからと言って女の子の家に来るものじゃないわよ? でも、良いわ。上がって。私も今日は暇なの」
「仕事は大丈夫なんですか?」
「ええ、休みなの。と言うか、それを知っていて来てるでしょ?」
 バレた。
 そう、僕はミナさんの仕事が休みの日にここに来ている。
 もう、ミナさんの仕事の状況は頭の中に入っている。完璧だ。
 母さん曰く「それはストーカー予備軍だぞ」と言われたのが若干ショックだったが、こうするしかミナさんと会えない。それは置いておこう。
 こうして僕はミナさんと話す機会が多くなり、その分母さんと話すこと時間が少なくなっていた。
 それでも家に帰るといつも母さんは笑顔で「おかえり」と言ってくれる。
 二人ともっと話しておきたい。けど、二つのことをするのは不可能だ。必ず一つしか選べない。
 どうすれば、二つのことを出来るのか悩むけど、母さんに「それは諦めなさい」と言われる。
「人生は選択肢の連続だ。何を選ぶかで未来が変わる。仮に二つの選択肢があっても、それを二つ選ぶのは絶対に無理だ。例えるのなら、『結婚』。二人の女性と結婚しようと思っても出来ないだろ? それは重婚、多くの国にしたら犯罪だ。だから、ノアは自分が決めた選択肢を選びなさい。それが後悔しないように……」

 冬が終わり、春が来て、夏が過ぎ、秋が訪れ、また冬になる。
 そして、二年の月日が流れた。
 僕は二十歳になった。これで僕は成人として認められるようになり、立派な大人の仲間入りを果たした。
 相変わらず、僕はミナさんに会いに行っている。たまにミナさんも僕に会いに来て、家に来ることがあるけど、そうすると母さんのテンションがおかしくなるから二人で若干引いている。
 この時間がいつまでも、いつまでも続くと思っていた。
 永遠に……楽しく……

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