君に私を○○してほしい

しげぞうじいさん

オコル

「それはそうと、この家にはテレビもない。ネットもない。私たちが普段何をしているのか、知っているかな?」
「ええっと……カードゲーム……とかですか?」
「そうだね。たまにカードゲーム、たまにチェスをするよ。私と一戦するかい? 勝ったら何でも言う事を聞いてあげるよ」
「受けて立ちましょう」
 ミナさんは、間一秒以内にそう答えた。即答だった。
 そんなに何でも言う事を聞いてあげると言う提案が魅力的なのだろうか。何をお願いするつもりか知らないけど、母さんの実力を知らない彼女がどこまで戦えるのか、見物だ。
 僕がチェス盤を用意し、二人分の準備を整える。
 母さんの洗い物が終わり、席に着いて勝負は始まった。
「じゃあ、専攻は譲るよ」
「いえいえ。そちらからどうぞ」
 ミナさんは随分強気なようだ。何か秘策があるに違いない。
「そう? じゃあ、お言葉に甘えて私から……」
 母さんの初手。それに続いてミナさんも駒を動かした。
 二人とも駒を動かしながら相手に有利な場面を作り上げていく。でも、まだまだ母さんは余裕そうだ。
「ふーん。ミナちゃん、中々の腕だね」
 母さんがビショップの駒を動かしながらそう呟いた。
 まだ勝負は互いに何も取っていない。ただ、駒と駒の隙間に駒を入れているだけだ。勝負はまだ始まっていないはずなのに。
「ノア、何で私がこう言ったか、わかる?」
 わからないと答えるしかない。
「勝負は始まる前から決着がつく、と似たようなことを前に話したことがあるだろ? これもそうさ。私は始める前から既に不利な状況に入っていたんだよ」
 言っている意味がわからない。
 確かに母さんは似たようなことを前にも言ったことがある。でもそれは、勝負の話で、イカサマも出来ない公正なチェスでそのようなことが出来るとは到底思えない。ミナさんは一体どんな手を使ったのだろうか。
「普通なら絶対に気付く手だ。例え相手がどんな実力だろうと必ず気づく手。それを私は見抜けなかった。完全に油断していた証拠だ」
「それは……イカサマですか?」
 ありえない。絶対にありえない。
 チェスは少ない駒で、狭いマスの中で戦うボードゲームだ。似たようなボードゲームでは可能かもしれないけど、チェスでやるのは絶対に不可能だ。
「私は“イカサマだ”と言った覚えはないよ。私はただ“中々の腕だ”と言っただけ。何でもイカサマだと思うのは良くない」
 そう言った。そう言ったけど、僕だけじゃなく他の人がそれを聞いていたら間違いなくイカサマだと思うはずだ。
 一体ミナさんはどんな手を使ったのか。それを知るのはこの勝負が終わってからだろう。
 コッ、コッ、コッ、コッ、コッ、コッ
 駒を動かし、盤に当たる音しか聞こえない。二人とも集中している。
 母さんがここまで集中するのは非常に珍しいことだ。と言うか、見たことがない。
 ミナさんはそれほどの腕の持ち主なのだろう。関心してしまう。
 そして、手数がもう三十を超え、やっと駒が取られ始めた。
「……フェイトさん。悪いですけどこの勝負、貰いました」
 ミナさんがそう呟くと、ナイトで母さんの陣の中に入って来た。
 その手はチェック。キング狙いの手だ。
 だけど、これで勝負が決まるわけではない。母さんはまだ逃げ道を残しているはずだ。そしてそこからの逆転劇も。
「息子が見ている前で負けるわけにはいかないんでね。悪いけど本気で挑む。そして、私が今考えられる最速の手で決める」
 母さんがキングを動かすと、ミナさんの顔色が変わった。
 そこから流れるような母さんの動きと、それに戸惑うミナさんの鈍い動きが時間の感覚を鈍らせる。
 母さんの駒はミナさんの駒を取ることをせずに、ただひたすら前進していく。
 それをミナさんが何とか阻止しようとして、あらゆる場所を封鎖していくけど、もうこの勝負は母さんの勝ちだとわかった。
 母さんの最後の一手は小さな音を出し、二人の勝敗を決めた。
 どこにも逃げ場を失ったミナさんのキング。あらゆる場所に逃げようとも二手、三手で必ず取られてしまう。チェックメイトを決める前にミナさんの敗北が決まった。
「……参りました」
 ミナさんが負けを認めた。
 この勝負、母さんの勝ちだ。
「いや~、私も大人げなかったかな。つい本気を出してしまったよ」
「母さん、さっき言ったことはどういう意味ですか?」
「ん? 何のこと?」
「とぼけないでください。母さんが勝負の時に言った“勝負は始める前から決着がつく”の意味ですよ」
「ああ、あれか。あれは実にシンプルな手だ。シンプル過ぎて、基本誰も使わない。何故なら絶対にバレるからね。公式戦では不可能な手だ」
 もったいぶらずに早く教えてほしい。
「ただ、キングとクイーンの位置を変えていただけだ」
「……は?」
 意外な答えで拍子抜けをしてしまった。
 キングとクイーンの位置を変える? それは出来ないはずだ。
 何故なら駒を配置したのは僕だ。勝負を始める前まで二人とも駒に触っていない。だからそれは不可能だ。
「何故そんなことが出来たのか、不可能ではないか。そう考えているだろう?」
 当たりだ。
「確かに私たち二人はゲームを始める前は駒に触っていない。だとしたら、駒を触っている人間しか出来ないことだ。それはノア、君だ」
 僕が……ミナさんを有利にした?
「ノア、君は駒を並べている間、ミナちゃんとお話していただろう?」
「え、ええ。少しだけしていました。ですが……」
「これは意外だと思うけど、ノア。君は本当に駒を本当の位置に置いていたか?」
 それは当たり前だ。チェスは何回もやっている。駒の配置は完全に頭に入っている。だから僕がミスをする訳はない。
「話に意識を逸らせ、駒を置くのをミスったんだよ君は。ただそれだけの話。シンプル過ぎる手だ。だから公式では絶対に出来ない。何故なら、『そんなことを出来る人間がいない』からだ」
 言っている意味の半分以上が理解出来ない。
 僕がミスった? 話を逸らした? 公式では絶対に出来ない?
 難題過ぎて、問題を投げ出したくなるような問題だ。
「楽しいお喋りをしていて、慣れている駒を置いた。だけどノア。君は無意識にキングをクイーンの場所に置いてしまった。だからキングとクイーンの位置が変わってしまい、私は最初それに気づけずに、不利な状況になってしまった。この説明は本人からしてもらおうかな」
 ミナさんを指さして説明をしろと遠回しに言っている。
 僕たちが話している間、何を考えていたのかはわからないけど、ミナさんは“バレたか”と言う顔をして笑っていた。
「お見事です、フェイトさん。そこまで見抜いていたなんて……一生勝てそうにありませんね」
「ミナさん、どういう事ですか?」
「これは催眠術、マインドコントロールと呼ばれる手。人の精神を自由自在に操れる方法として世界に広まっているけど、実際に人を催眠状態に出来るのは準備がかかるのはわかるよね? だから私は準備がいらない、簡単なお喋りだけで、ノアの意識を少しだけ弄ったの。ごめんね、ノア」
 ミナさんが頭を下げて僕に謝って来た。
 催眠術と言うのは聞いたことがある。でも、それは長い時間をかけてやっと出来る途方もない苦労の果てに出来ることだ。
 それをこの人はたった二十秒足らずで僕の意識を操ったのか……?
 そう考えると何だか怖くなってきた。
「普通の人間はそんなことは出来ない。やり方を知らないからだ。じゃあ、何でミナちゃんはそう言うことが出来るのか。それは虐待されていた時に“された”から。でしょ?」
「そうです。私は引き取った両親……あの人たちに色々な実験をされました。人体実験と言った方が正しいのでしょうか……」
 いくら常識のない僕でも、それはやってはいけないことだと言うのはわかる。
 それは人間にしてはいけない。絶対にしてはいけないことなのだ。
 人間を家畜として扱う。それはまるで……
「奴隷……」
 僕の口からその言葉が出てきた。
「そう、奴隷。私は元奴隷なんです。でも、奴隷は国が認めていない、禁じていることです。私の国ももちろん、それは法律に反します。それでも、影ではそれを平気でしている人たちは沢山……」
「じゃあ、あなたが言った事故の話は……」
「あれは嘘。知られたくなかったから。私が奴隷だとわかったら君の態度が変わっちゃうかと思って、怖くて……ごめんなさい。ごめんなさい……」
 あの楽しかった空気がまた変わってしまった。
 ミナさんの目から大粒の涙が落ちる。
 それは悲しみの涙、後悔の涙。僕に嘘をつき、自分の正体を知られたくなかった彼女の心の叫び。
誰に対して謝っているのか、それはわからない。
 だって、そんなことで僕の態度が変わるわけがない。僕と同じ仲間、本当の仲間なんだから。
「ミナちゃん。謝らなくてもいい。泣かなくてもいい。そんなことで私はもちろん、ノアも君に対して態度を変えることは絶対にない。だって、ノアも奴隷だったんだからね」
「……え?」
「ノアは六年前に私が市場で買った子供だ。君の気持ちもわかる。言いたいこともわかる。だから泣くな。涙は悲しい時に流すものだが、本当は嬉しい時に流すものなんだよ」
 ミナさんが僕の顔を見る。それに、僕は頷いた。
「謝るのは私の方だ、涙を流すのは私の方だ。君を辛い目に遭わせてしまったことを、救うことが出来なかったことを、今ここで謝ろう。申し訳なかった」
 母さんが頭を下げて額をテーブルに当てた。
 どうしていいのかわからないミナさんがうろたえている。そして、これをどうするのかは僕の本能、直感でわかった。
 椅子に座っているミナさんの視線に合わせて床にしゃがみ、そして体を寄せて抱きしめた。
 これをすると人間は安心するらしい。母さんに習ったことだけど、それは言わない方がいいかな。
「あ……あ……」
「大丈夫ですよ。誰も、あなたを傷つけません。僕が、あなたを守りますから」
「ああ……あああ……」
 ミナさんの手が僕の背中に回った。そして抱きしめられる。
 その時間はずっと、ずっと。ミナさんが泣き止むまで続いた。

「……ありがとう、ノア」
 泣き止んだミナさんが僕の体から離れる。
 目は赤く充血しているけど、その顔には悲しみが感じられなかった。全ての悲しみを放出したのか、とても満足そうな顔だった。
「どういたしまして」
 お礼を言われた時に言い返す言葉を言った。
「……よし! バッチシ!」
 突然、母さんの大声が聞こえたので驚いて体が少しだけ跳ねてしまった。
 母さんの方を見ると、何故かその手にはビデオカメラ。
 ――まさか。
「うん、良い映像が撮れた。いや~、記念になるね。『ノアが男になった瞬間』と言うタイトルを付けよう!」
 さっきのところをビデオカメラで撮影されていた。その事実があまりにも大きすぎて僕の体から力を抜けさせる。
 いつの間に用意して、いつの間に撮ったのかわからない。準備が良すぎる。
「フェイトさん……いつの間に用意したんですか……?」
「ん? 最初っから。伊達に長生きしていないからね。こういう時に備えていつもテーブルの下に用意していたんだよ」
 最初から母さんの計算の内だったと言うのが、また更なる重みとなって僕の体にのしかかって来る。
「これはアベルにも見せてあげなくちゃ。息子の晴れ姿なんて、嬉しいなぁ!」
 アベルさんにも見せるつもりなのか……
 心の中で何かが切れて、僕の体に力が入る。そのままゆっくりと起き上がり、立ち上がって、母さんを睨みつける。
「ノ、ノア……? お顔が怖いけど……」
「母さん……それを渡してもらいましょうか……」
 ゆっくりと手を伸ばしてビデオカメラを没収しようと試みる。
「嫌だよ! 息子の感動的なシーンが収まったものを渡す訳にはいかない!」
「じゃあ……無理矢理奪います!」
 母さんに向かって飛びかかる。
「きゃああああああ!? ノアが怒ったああああ!」
 逃げる母さん。それを追いかける僕。
 僕はこの日、初めて母さんに怒ったかもしれない。
 そのままバッタン、バッタン、ダダダダダダ、と凄い音を立てて走り回る。
 捕まえようと思っても、母さんは意外にすばしっこくて中々捕まらない。これにも驚きだ。
「ま、待つんだノア!」
 逃げ場を失った母さんがビデオカメラを隠して僕を説得しようとしている。
 だが、それは無意味な行動だ。僕は止まらない。それを奪ってデータを消去するまで。
「これ以上近づくとどうなるのか、わかっているのか!?」
「へえ、どうなるって言うんですか?」
「ノアの子供の時の裸の写真をミナちゃんに見せる」
「かあああああさあああああん!」
 更に怒りがこもった。
 何故この人は火に油を注ぐことを平気でするのだろうか、理解出来ない。
 その日は体力が尽きるまで母さんを追い回したが、捕まえることは出来なかった。

「初めてノアが怒った……」
 あんなに追いかけまわしたのに、息が乱れていない母さんは椅子の上に座ったまま足を抱いて落ち込んでいる。
 その傍で僕は床に倒れて呼吸を整える。酸素不足だ、しんどい……
「いや、それはフェイトさんが悪いですよ。十割悪いです」
「だって、息子の記念すべき感動的シーンを逃す訳にはいかないじゃない!」
「なんだかフェイトさん、幼児退行していませんか……?」
 それは僕も思っている。時々母さんが子供のように思えて仕方がない。
「ミナちゃん! 今日は泊まって行って! このままだとノアに追い出されちゃう!」
「え、えーっと……」
「お願い! 一生のお願い!」
 一生のお願いをこんなところで使って良いのかとツッコミたかったが、今は空気を吸い込んで息を整えることしか出来ない僕にそれは無理だ。
 まるで子供が駄々をこねるように、ミナさんにしがみついた母さんをどうしようかとミナさんが悩んでいる。
「ミナちゃんだけが頼りなの! 救いなの! 本当にお願い!」
「じゃあ、さっきのデータ、消してくれますか?」
「ごめん、それは無理」
「お邪魔しました」
 呆れたミナさんが帰ろうと玄関に向かって歩いて行った。
 それを母さんが必死に止めようとして、ミナさんの服を引っ張っている。本当に、子供のような大人だ。尚更質が悪い。
 それを止めることも説得することも出来ない僕は、ただひたすら酸素を肺に取り込んでいる。
 思ったより体力を消耗したようで、体が動かない。これが火事場の馬鹿力と言う奴か。反動が大きい。
 玄関先で何やら騒いでいるけど、今は自分に専念しよう。人に構っていられない。
 疲れたので、軽く目を閉じた。このまま眠っても良いかと思った。
 それにしても騒がしいな……いつまでやっているんだろうか。
 そう思った時には、僕の体から全ての力が抜けていた。そしてそのまま眠ってしまった。

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