君に私を○○してほしい

しげぞうじいさん

ショウブ スル

 翌日。仕事をしようと畑に向かおうとしたらアベルさんがやって来た。
「よ。チェスは教えてもらったか?」
「はい。でも……中々勝てないんです」
「ハッハッハ! そりゃそうさ! あいつは昨年の世界大会優勝者だぞ。勝てる訳がない!」
 その言葉を聞いて、後ろにいるお母さんを睨みつける。
 勝てない勝負をわざと挑ませて楽しんでいた、これは酷いことだ。
 睨みつけたのが聞いたのか、お母さんは柱の影に隠れてしまった。
「フェイト、言ってなかったのか?」
「その方が面白いと思ってね。でも、ノアも中々の腕だ。まさか私の駒を利用するとはね。本当に将来が楽しみだ」
「へー、お前の駒を、ね。そりゃ楽しみだ。それまで俺たちが生きていればいいけどな」
「本当にね。そうだと良いわ」
「え!? 二人とも死んじゃうんですか!?」
 慌てて二人を見る。
「おいおい、そんな当たり前のことで驚くなよ。俺たちだって人間だぞ? 寿命もたった八十年程度しかない。そして、この世界には事故もある。いつ、どこで、だれに、かなんてわからないんだ。もしかしたら空から隕石が降ってきて俺たちが死んじゃう可能性だってあるんだぞ?」
「それでも! 二人には生きていて欲しいです!」
 大声で叫んだ。二人に生きていて欲しいと。
 ただの奴隷扱い当然だった僕を引き取って優しく育ててくれたお母さん。
 そして、お母さんの友達で、僕に優しくしてくれたアベルさん。
 二人とも、大切な存在だ。死ぬなんて許さない。絶対に許さない。
「……そうね。私たちはノアの成長が楽しみなんだから、生きなくてはいけないね。……よし! ノア、アベルにチェスを教えてもらいなさい。多少できるから良い練習相手になるわよ。私は畑仕事が終わったら相手になってあげるから」
「え、でも、僕の分の……」
「私が全部やってあげましょう! ノアの腕が上がるんだから安いもんよ」
 お母さんは風のように僕たちの間を通って、家を出た。
 残った僕たちはリビングに戻り、テーブルの上にチェス盤を置いて、駒を並べた。
「お母さんと戦ってどうだった?」
「かなり余裕そうな顔でやってました。優勝者なら納得です」
「前々から思ってたけど、ノア君。ノア君って結構頭良いよな? まだ十代前半とは思えないほどの言葉遣いとか、ルールを覚える速さとか。そう言う教育されたの?」
「奴隷の時に……鎖を持った人に脳を鍛える訓練を受けました。僕は役立たずだから、せめて頭だけでも、って……」
「……悪い」
 無言のまま、チェスを始める。
 駒の動く音だけが家の中に響き渡る。
「……なあ、ノア君」
 アベルさんがビショップを置く。
「何ですか?」
 僕はナイトを置く。
「今の生活は楽しいか?」
 アベルさんはポーンを動かす。
「楽しいです。すごく、すっごく楽しいです。お母さんももちろん、アベルさんも面白いですから。もう二度と死にたいなんて思わないです」
 僕はクイーンを置いた。それはチェックを表している。
「そうか。……そうか。あいつも、人を救うことが出来たんだな。それも、こんな小さな子供に光を与えて……。あいつも幸せだろう」
 アベルさんはチェックがわかったので、それを防ぐためにビショップでキングを守る。
 次は僕の番。だけど、駒を動かせない。
 キングはビショップで守られた。だけど、このビショップを取ればキングで取られる。でも、ビショップを取らないと、逆にこっちの駒が取られる。悩むところだ。
 必死に考えて、別の方向から攻めることにした。
「お、そう来たか。なら、俺も」
 アベルさんも戦い方を変えたようだ。わざとビショップの先にある駒を取らずに、別のビショップで攻めてきた。
 これは罠だ。お母さんと勝負して、大体のことはわかっている。だからこれは罠だ。
 でも、ここはあえて罠にかかろう。
 ビショップが通るマスをわざと開けてナイトを取らせるように誘導する。僕はナイトを犠牲にしてキングでビショップを取るつもりだ。
「こうすると、俺のビショップが取られるな。悪くない手だが、もうちょいキングを守ってやれよ」
 ……しまった、これには隙があった。
 僕はキングでビショップを取ることを優先していたせいで、キングを守ると言うことをしていなかった。
 アベルさんのクイーンが僕のキングの斜め前に置かれる。これで僕のキングは身動きが取れなくなった。
 ……チェックメイト。僕の負けだ。
「ノア君。君は口だけで、心の中でフェイトを守ろうとしている。が、実際に誰かを守ることが出来る奴はほんの一握りの奴しかいない。皆、その瞬間になれば恐怖で自分以外のことなんかわからなくなるからだ。……チェスは人の心理状態を表しているとも言える。今の君はお母さんを守ることが出来るかな?」
 たかがボードゲームでそこまでわかるなんて……本当にこの人は何者なんだろうか。
 だけど、そうだ。僕はいつも口先だけだ。心の中でしか叫べない。
 あの夢が、もし、本当に、現実で起こっていたことだとしたら、僕はお母さんを守れていない。アベルさんの言う通り、口先だけだ。
 そのことを教えられて、僕は無口になる。
「本当に大切な人は、自分の命に代えても救いたい、助けたいと思う。でも、それを実行できるのは訓練でもしない限り、不可能だ。断言する。今の君にフェイトを守ることは出来ない」
 厳しい言葉が僕に押し寄せる。
“守れない”
 その言葉が何よりも重い。
 そう……結局僕は誰も守れないんだ。お母さんも……本当のお母さんも、お父さんも、誰も……何も……
「だけど、今の君はまだ若い。子供が命がけで親を守るなんて状況はまず起こらないだろう。ゆっくりと、時間をかけて、俺の言葉を受け止めて、自分で考えなさい」
「……ご指導、ありがとうございます……」
 頭を下げる。額がテーブルに着くぐらいに、深く、深く……
「よろしい。じゃあ、もう一戦しよう。フェイトが汗だくで帰ってきた時がねらい目だ。いくらあいつでも動いた後はまともに頭も働かないからな。帰って来るまでみっちりしごいてやる!」
 頭を上げる。そして大きな声で「はい!」と言った。
 そして僕はお母さんが帰って来るまで、アベルさんとチェスの勝負を続けた。

「ただいま~」
 お母さんが帰って来た。椅子から立ち上がって玄関にいるお母さんを迎えに行く。
「おかえりなさい」
「ノーア。良い子にしてた? あいつから変なこと、言われなかった?」
「勉強になることを教えてもらいました」
「そう。それはとてもいいことだよ。知識だけはいくらあっても困らないからね。さーて……じゃあ、私を倒せる実力が付いたかどうかテストをしようじゃないか!」
 一緒にリビングに行き、椅子に座って煙草を吸っているアベルさんの元に行く。
「アベル。煙草はノアの体に悪いから外で吸え」
「ああ、悪い。つい癖でしてしまった。今すぐ消すわ」
 携帯している灰皿で煙草の火を消した。
 煙草が体に悪いことは教えてもらったので知っている。ことわざで言えば、百害あって一利なし、と言う奴だ。害しかない煙を吸って、何が楽しいのかさっぱりわからない。
「今度家の中で吸ったら、その口を縫い付けてやる」
「お前が言うと冗談に聞こえないのが怖いな。で、帰ってきて早々、チェスの勝負か?」
「そうだ。戦績はどうだ?」
「十戦中、九勝一敗。一回だけ負けてしまったよ」
 お母さんが驚いた顔をした。そんなに驚くことのものなのだろうか。たった一回しか勝てなかったのに。
「凄いじゃないか、ノア! たった二日でもうそこまで行けたのか!」
 お母さんが僕の体に抱き着いてきた。いつもなら嬉しいところだけど、今はアベルさんがいるからとても恥ずかしい。
 恥ずかしいから抵抗出来ないままでいると、お母さんは僕の脇の下を掴んで、僕の体を持ち上げた。
「ノアは賢いね! お母さんにとっては自慢の息子だよ!」
 とても嬉しそうな顔をしてそう言ってくれるので、僕も嬉しくなる。
“自慢の息子”
 それが何とも誇らしい。
「すっかり母親だな、お前は」
「母親だからな。ノアの為なら命も惜しくない。じゃ、ノア。やろうか」
 席に座って、チェスの勝負をする。
 アベルさんは椅子を移動させてチェス盤の横、向かい合っている僕とお母さんの間に座った。審判なんていらないけど、もしお母さんがイカサマをしたらすぐに気づいてくれるだろう。そんなことは万に一つもないけど。
「先攻はノアで良いよ」
 僕は最初にポーンを動かす。一マスではなく、二マス進めた。
 お母さんはポーンを一マスだけ動かす。
 コッ、コッ、コッ、コッ、コッ、コッ、コッ、コッ、コッ
 静かな家の中で駒を進める音だけが聞こえる。
 僕は集中していて周りに何があって、何が聞こえるのかはわからない。近くにいるアベルさんの姿さえも、僕の視界には入っていない。僕の視界にはチェス盤だけ。
 ポーンを取られ、ポーンを取り、ナイトを取られ、ビショップを取り、ルークを取られ、ポーンを取る。
 今のところ、僕の方が若干不利だ。強い駒が取られていく。
「ちょーっとは強くなったけど、守りが甘いね。隙だらけだ」
 余裕そうな声。
流石は世界大会優勝者の実力。まだまだ本気を出していない証拠だ。
 負けずにクイーンを動かし、取られないマスに進めて駒を取り続けていく。
「チェスにとってクイーンは最強の駒だ。だけど、最強は最弱に弱いって言うのを知っているかな?」
「? 最強は誰よりも強いんじゃないんですか?」
「そうだよ。最強は最も強いから最強。そして、最弱は最も弱いから最弱。この二つがぶつかれば結果は火を見るよりも明らかだ。でも、条件さえそろえば、『最弱は最強を打ち破る』」
 僕の範囲内にお母さんのポーンがやって来た。これはポーンが他の駒に変われると言うこと。
 そのポーンは僕から奪ったナイトに変わった。
「歩兵は辛い日々を耐え騎士に変わり、騎士は試練を乗り越えて王を倒す。最弱をなめたらいけないよ」
 何とかしてクイーンで他の強い駒を取って行くが、もう遅かった。
 お母さんが持っていたポーンはナイトに変わり、そのナイトはキング……僕の王を捉えた。
「チェックメイト。終わりだ」
 また負けてしまった。
 強すぎる……
「アベルから何を学んだのかは知らないけど、最弱だからと言って切り捨ててはいけない。何故なら、“最弱こそが最も強い”だからね。いい機会だし、これからは世界の歴史の勉強に入って行こう」
 最弱ことが最も強い……今の僕では理解出来ない。最も弱いからこそ、最弱なのではないのか……? 最も弱いから真っ先に切り捨てるべきなのではないか……?
 この式の答えにたどり着く日はいつ来るのだろうか。もしその日が来れば、僕はお母さんを超えられる。勝てるのだ。
「アベル、ノアに何を教えた?」
「守ることの大切さ」
「……上出来だ。今晩は私の料理を食べさせてやろう」
 アベルさんが小さくガッツポーズをした。元からこれを目当てに来ていたんじゃないかと思っていたのだけど、目的は違っていたようだ。それでも、ある意味、目的は達成した……と言うべきか。
 勝敗が決したチェス盤を見つめる。
 ほとんどの駒は元の位置から大きく離れ、相手の駒を取る為に動いた。そして、それは打ち倒された。これが世界の歴史とどういう関係を持つのか……
 気分が良くなっているお母さんは料理の下ごしらえを始めている。アベルさんは暇になったのだろうか、小さな薄い箱を取り出して何か操作をしている。僕はそれを見つめる。
「ん?」
 僕の視線に気づいたアベルさんが手で合図をして僕を近くに呼ぶ。
「フェイト。ノア君に携帯を教えたか?」
「いいや。ここには電波が来ないから意味がないと思っていてな。ちょうどいい。携帯を教えてやれ」
 この箱が携帯……携帯と言う意味は身に着けたり、手に持つことだ。それ以外にどんな意味を持つのだろうか。
「ノア君。これは携帯電話と言ってな。電波さえ届けば、遠く離れた相手とも会話が出来る便利な物だよ。でも、ここには電波はおろか、電話線さえない。ずっとここに居たら不要な物だと思うけど、ノア君は世界を見てみたい?」
「……出来れば。でも、お母さんと離れるのは嫌です」
「……そうか。だけど、知っておいて損はない。もしかしたら気が変わることもあるかもしれない、反抗期に入るかもしれない、家出をするかもしれない。そうなった場合に備えて、勉強しよう」
 アベルさんから携帯電話を受け取って、その形を確かめる。画面に表示されている数字は今の時間だ。これが携帯……
「携帯電話と言っても、これはスマートフォンと言うものだ。昔の携帯電話は電話とメールだけしか出来なかったものだけど、これはゲームも出来る。ネットにも繋がる。これ一つで、全ての辞書の内容を詰めることも出来る、世界中の出来事を知れる。まさに万能と呼べる代物だ」
「どうやって動かせば……?」
「画面に触って」
 言われた通りに人差し指で画面に軽く触る。すると、いきなり画面が変わった。
 何かが表示される。見たこともない絵だ。
「今開いたのはゲーム。アイコンと言う機能の図を触るとそれが開くんだ。暇つぶし程度にはちょうどいいだろう。説明を読んでやってごらん」
 説明と書かれた文字を触って、説明文が出てきた。それを読む。
 読み終わって、PLAIと書かれた文字に触るとゲームが開始した。
 それに夢中に、真剣になっていると、お母さんから晩御飯が出来たと言う声が聞こえてきた。
 そんなにも夢中になっていたのか……ゲームと言うのは怖いものだ。
 アベルさんとお母さんと一緒に、お母さんが作った料理を食べる。
 とても賑やかになった。とても楽しい食事の時間だった。
 もし可能なら、もし出来るのなら。
 僕はアベルさんとも一緒に暮らしてみたい。お母さんと僕と、三人で。
 だけど、それは叶わない願いだと言うことはわかっている。アベルさんにもアベルさんの生活がある、仕事がある。それを邪魔してはいけない。
 その願いを心の中に押し込めて、封印する。間違っても言わないように、固く。
「アベル。畑の野菜がもう少しで収穫できそうなんだ。買い取ってくれ」
「構わねえよ。腐らせるより、買い取ってそれを高値で売りつけた方が野菜たちの為にも良い。俺の懐事情的にもな。収穫で来たら言ってくれ。うるさいジジイ共もしばらくは黙るだろうしな」
 ジジイ……? アベルさんにはおじいちゃんがいるのかな。歳を考えればおじいちゃんはいないはずだけど。
 それに共とも言った。複数おじいさんがいると言うことだ。アベルさんはどういうところで働いているんだろう。
 しばらくお母さんとアベルさんの会話を聞いていた。僕には理解出来ない話だったけど、二人とも楽しそうだった。それが僕にとっても楽しい。
「ノア」
 お母さんが僕の名前を呼んだ。手を伸ばし、僕の口元に付いていた何かをつかみ取り、それを自分の口に持って行った。
「ノアはまだまだ子供だね。食べかすが口に付いているなんて……その歳になっても」
「どうせ僕は子供ですよ」
「おや、怒らせてしまったみたいだ。これでは怖くて怖くてしょうがない。安心する為に、一緒に寝てあげよう」
「俺も寝ていいか?」
「お前は来るな。帰れ。もしベッドに入ってきたら殺す」
 一瞬にしてお母さんの顔つきが変わったのでアベルさんが小さな悲鳴を上げた。
 と言うか、僕は別にお母さんと一緒に寝たくないんだけど。子供と言ってももう一人で寝られる歳なんだから。

「君に私を○○してほしい」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「現代ドラマ」の人気作品

コメント

コメントを書く