君に私を○○してほしい

しげぞうじいさん

キタエラレル

 お母さんに貰った靴を履いてから一週間が経った。その一週間の間、僕はその靴を大切にしながら履き歩いていた。
「ノーア。汚れそうな場所を避けて通らないの。それじゃあ仕事にならないじゃない」
 いつも通りに畑仕事をしているけど、靴を汚したくないので、土から離れた場所で作業している。
「だって、お母さんに貰った靴が汚れてしまうんですよ。せっかく貰った大切な靴を汚したくありません」
「いや、そうかもしれないけど……まあ、いいわ。喜んでくれるのならさ」
 先に折れたのはお母さんだった。僕の初めての勝利。だけど、こんな勝ち方で良いのかな。誰かに聞けるはずもないので、僕の心の中にしまっておこう。
「いや~、それにしても暑いね~。だから夏は嫌いなんだ」
「夏って……?」
「そう言えば四季について教えてなかったね」
 しき、とは一体何なんだろう。また教えてくれるとわかったので、すぐにお母さんの元に駆け寄る。
「ノアは犬かな?」
「言い方によってはお母さんのペットです」
「その言い方は止めようね? 誰にも話しちゃダメだし、忘れること。良いね?」
 唇に指を当てて、僕の口を塞いだ。これは本当に話してはいけない、と言う合図だ。守らなくては。
「四季.文字通り、四つの季節だ。一年は春から始まり、夏に、秋に、冬に、そしてまた春へと変わっていくんだよ。一年は十二か月。十二を四で割ると?」
「三です!」
「よくできました。そう、一つの季節は三か月しかない。だからその三か月の間で、その季節を楽しむんだ。夏は暑いけど、水が美味しい。氷も美味しい。アイスも美味しい。そして日本では夏限定でそうめんと言う食べ物があるんだが、これも美味しいんだ。良いことだらけだけど、その分、暑い。メリットデメリット半分半分だな」
 そうめん、か。お母さんが作ってくれたら、それはそれで美味しさがアップだ。今日の晩御飯としてお願いしてみよう。
「そして、夏には夏しかいない生き物もいる。セミは知っているだろう?」
 首を縦に振って返事をする。
「セミはどの季節にいると思う?」
「……夏、ですか?」
「うん、そう。セミは夏にしか姿を現さない。夏の間、一か月しか寿命が持たないんだ。だけどその分、地中で栄養を蓄える。確か……三年から十年以上も地中で幼虫として過ごすんだったかな……」
 十年以上も土の中で過ごすのか……。それは凄いと思うけど、地中で何をして過ごしているんだろうか。気になる。
「十年以上も地中で過ごすセミは、昆虫の中でもトップクラスの寿命の持ち主だ。だが、本当に活動出来るのはさっき言った通り、一か月程度。もしかしたらそれより短いかもしれない。それでもあいつらは子孫を残す為に、必死に鳴き続けているんだ。今聞こえるのも全員、雌のセミの気を引く為のものなんだよ」
 あの鳴き声はそういう意味があったのか。勉強になる。
「あれ? でも、地中で十年も過ごすんだったら、次に鳴くのは十年後ですよね。なのに、なんで毎年のようにセミは鳴くんですか?」
「世代と言うのがある。一つの世代が終われば、二つ目の世代に移る。二つ目が終われば三つ目。三つ目が終われば四つ目の繰り返しだ。何も一度に全員が地上に出てくるわけじゃない。時期がずれた者が次の時期に鳴くんだ。さて、夏の風物詩とも言えるセミのお話はお終い。仕事に戻るよ」
 もう終わりなのか。もう少し詳しく聞きたかったけど、お母さんが仕事を優先するのならそれに従うまでだ。文句は言わない。
 黙々と作業を続けるが、何故かいつもお母さんの方が先に早く終わる。仕事の量は僕の方が圧倒的に少ないのに、それを超える速さで終わらせるお母さんは流石としか言いようがない。流石だ。
「では手を洗ってきなさい」
 家の中に入って、まず最初に汚れた手を洗う。石けんを使って、指の間までも、丁寧に。
 汚れを石けんの泡と共に水で流してタオルで手を拭いてリビングに戻る。
「ノア、ノア。ちょっと来て」
 椅子に座っているお母さんが手招きをして呼んでいる。テーブルの上には見たこともない物がある。何だろう、あれは……
 椅子に座って、それを挟んでお母さんの方を向く。
「チェスって知ってる?」
「ちぇす? ……聞いたことがあるような、無いような……」
 どこかで聞いた覚えはある。あるのだが、思い出せない。思い出せない記憶ならその程度の記憶だとお母さんが言っていた。だから気にすることはない。お母さんに聞けばいいんだ。
「チェスは二人で行うボードゲームの一種だ。だけど、ただのゲームじゃない。人によってはスポーツ、芸術、科学とも言われ、勝つにはこれら全てを総合する能力が問われるんだ」
「難しそうですね」
「ま、歴史的に見ればね。でも、やると中々面白いよ。なんせ、世界大会まで開かれるぐらいだ。やっておいて損はないと思うよ?」
「でも、これ……どこから持って来たんですか?」
「昨日、アベルが家に来たでしょ? その時にもらったの。トランプだけじゃ飽きるだろうって言ってさ。親切にくれたんだよね~」
 ニヤリと笑っているお母さん。そして、僕はその笑顔の意味を知っている。予想だけど、お母さんはアベルさんに対して何かを言ったんだろう。それと引き換えにこれを貰った、と考えられる。
「まあまあ、とりあえずやってみよう。まずは駒を並べて……」
 規則正しく並べられた駒を、見様見真似で置いてみる。
「あ、そこの駒は違う。ここに置くの」
 お母さんに指摘されて置く場所を変えた。僕にしてみればこの駒は全部、同じものにしか見えないのだけど……
「さあ、並べ終えたね。じゃあ、早速実践だ。チェスは勝負を決める前に、“チェックメイト”と言うんだ。これは王様……キングが完全に逃げ場を失ったことを意味する。プレイヤーはチャックメイトを目指して駒を動かし、キングを追い詰める。簡単でしょ? 専攻は私で、この駒をこう動かす」
 お母さんが動かしたのは前に出ている駒。それを一つだけ動かす。
 僕の番が回って来た。どの駒をどう動かしたらいいのかわからないので、お母さんと同じように、同じ駒を同じように動かす。
「この駒はポーンと言ってね。後退が出来ない、前進しか出来ない駒なんだ。だけど、前に駒があっても取れない。斜め前しか取れない駒だけど、使い方によってはこの駒は勝敗に大きく変わる。動かす場所も大事だよ」
 お母さんが次々とポーンと言った駒を動かし、僕も同じ様に動かす。
「では次はナイトだ。文字通り、騎士の駒。この駒はこうやって動かす」
 ナイトと呼ばれた駒はポーンの駒とは大きく違う動き方をして、置かれた。
 お母さんは、ポーンは前にいる駒は取れない、斜め前にいる駒しか取れないと言っていた。このままポーンを上手に進めてナイトを取ろう。
 黙々と駒を動かす。段々と駒がどんな動きをするのかわかってきた。
「では、このポーンは貰い」
「じゃあ、僕はそのナイトをクイーンで取ります」
「やるね。でもいいのかな? キングを置き去りにして」
 今の駒の位置ではキングはまだ安全圏内にいる。あと数手あっても無事だ。逃げ切れる。その前に重要な駒を取って、ポーンを別の駒に変えないと……
 激しい攻防戦が繰り広げられるが、僕の駒がドンドン取られていく。
 そして、僕の駒はキングとクイーン、ビショップ一つしかなくなってしまった。
「キング、クイーン、ビショップ。カードなら最高のカードなんだけど、チェスでは厳しいね。さて……愛しの息子はここからどう出るのかな?」
 ニヤニヤと余裕の顔をしている。
 そう、僕は敗北する。これは避けられない運命だ。初めてした、と言うだけで負けを認めるのは納得できない。初めてでも勝っていいはずだ。それを僕が証明してみせる。
 クイーンを動かして、お母さんのナイトを取る。
「そう来たか。じゃあ、私も……」
 お母さんは自分のクイーンを動かして僕のキングの横に置いた。
「チェック。出来れば華麗にチェックメイトで終わらしたいところだ。無駄な抵抗は止めたまえ。君は偉大なる母の前にいるんだぞ?」
「逃げ続ければ勝てないけど負けません。引き分け狙いです」
「そう来たか。でも、引き分けは難しいぞ。引き分けはステールメイトと呼ばれる高等な技だ。果たして初心者の君が出来るかな?」
 正直な話、このゲームの引き分け方なんて知らない。だけど、キングが動けない状態にすれば引き分けになるんじゃないかと思っている。
 キングを動かし、引き分けに出来る状況を作る。だけど……
「チェックメイト」
 僕の願いはあっさり打ち砕かれてしまった。
「私の勝ち。でも、初めてにしてはいい腕だ。世界大会でも目指しても良いんじゃないかな?」
「もう一回お願いします!」
「良いとも。何回でもかかって来なさい。私に勝てたら好きな望みを好きなだけ叶えてあげるよ」
 やる気が出てきた。
 大丈夫、駒の動かし方はある程度覚えた。後は戦力を練って、勝つだけだ。
 そうして意気込んで勝負を挑んだが、僕は全敗してしまった。
 勝てない。全く勝てない。
 お母さんはあの手この手で僕からほとんどの駒を奪うと必ずチェックメイトで勝負を決めてくる。
一方的な蹂躙。これはもはやイジメと言ってもいいぐらいの勝負だ。
 それでもいつか勝てる、そう信じて次の勝負を待とう。出来れば明日、すぐにでも勝負を挑みたい。
今日はもう遅いからまた明日だ。明日が楽しみだ。

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