君に私を○○してほしい

しげぞうじいさん

オシエラレル

 それから数か月が過ぎていった。
 僕はここの生活に慣れ、少しずつだけど、段々とお母さんに心開いていった。だけど、完全に心を開くまではまだ時間がかかる。自分でわかっていても出来ない。むず痒い……
 今日はお母さんの畑の仕事をしている。芽が出ている野菜に水をあげたり、肥料をあげたりと大忙しだ。僕が来るまでこれを全部お母さん一人でやっていたことを今だに信じられない。
「あともう少ししたら収穫が出来そうだな。さて、それをどうするかが問題だな」
「食べるんじゃないんですか?」
「私たちが食べる分は微々たるものだ。こんなに広い畑の野菜を全部収穫したらこの家が野菜だらけで埋まってしまう。私たちが入れる隙間は無くなってしまうよ。本当に……どうしよう……」
 だったら何故こんなに広い畑を作ったのかと問い詰めたい。
 この数か月の間で、僕はお母さんに対してちょっとだけ意地悪が出来るようになった。まあ、それは本当にちょっとだけだけど。
 畑の仕事がひと段落したので、休憩に入る。暑い中、畑の仕事をしていたので、体から汗が出るのが止まらない。タオルで拭いてもまだ出てくる。
 これが続くと、脱水症状になると教えてもらった。それに、太陽の光を浴び続けると熱中症になるとも。だから、ペットボトルに入った水を飲む。これがまた美味しい。
「あと半分もあるのかぁ……もう一人手伝ってくれる人がいれば助かるんだけどなぁ」
「僕だけじゃ足りませんか?」
「うーん、正直に言うとね。何せこんなに広いからずっとかがんでいなくちゃいけない。腰が痛くて……」
「マッサージしましょうか?」
「おや? いつの間にそんなことを覚えたんだ? 嬉しいけどね」
 家の置いてあった本にマッサージと言うのを覚えた。体を軽く揉むだけでも効果があるとか。
 難しい言葉ばかりでわからないことが多かったけど、お母さんの為ならなんてこともない。今ならある程度わかる。
「そう言えばさ、一つ聞いていい? 物凄く今更なことなんだけど」
「何ですか、今更って……?」
「本当に今更なんだけど、ノアって幾つ?」
 本当に今更だ。
 だが、僕は自分の年齢をお母さんに言った覚えはない。聞かれることも無かったから答えて無かった。
 自分の誕生日を思い出して、歳を数える。
「十二歳ですね。あそこに売られたのが九だったので、三年間あそこにいました」
「……十二歳とは思えないんだけど。私はてっきり十歳ぐらいかと思ってた」
 それは僕を馬鹿にしているのだろうか。悩むところだ。
「でも九歳であそこに売られたのかぁ。大変だっただろう?」
「大変って言うか……そもそも何で生きているのかわからなかったんです。生きているのか、死んでいるのか、わからない毎日が続いて……。正直、死にたかったです」
「死と言うのは非常に怖いものだよ。死は年齢に比例して恐怖が増大する。歳を取れば取るほど死が何よりも恐ろしい。ノアはまだ子供だったから死がわからないんだろうね」
 僕は死がどういうものかわかっていない。あそこにいた時は死んでしまえばこの苦痛から逃れられるとだけ思っていたから。
「だけど、生きるのは本当に、本当に素晴らしいことなんだ。自分の人生を楽しめる。美味しい物を食べたり、綺麗なものを見たり。そして恋をして、幸せになって、自分の子供が出来て。生は何ものにも代えがたい素晴らしい宝物なんだ。ノアもいつかわかる日が来るだろうね」
 今の僕には難しい話だ。まだまだ勉強不足だと言うのがよくわかる。
 でも、生きているのがとても良いことだと言うのだけは理解出来る。今の僕は生きているからお母さんに出会えた。本当に良かったと思う。
「さ、仕事を再開するよ。このまま長話をしていたら日が暮れちゃう。早く終わらせてノアと一緒にシャワーを浴びたいよ」
「一緒には入りません」
「おや、なんで? 一緒に入った方が楽しいじゃないか。それに、ノアの体の成長も楽しめる。一石二鳥だ」
 楽しいのはわかる。だけど、それよりも恥ずかしさの方が勝っているので、一緒に入れない。
「じゃあ、賭けをしよう。もし、私がノアより早く仕事を終わらせることが出来たら一緒にシャワーを浴びる。ノアが勝てば私に何でも一つ、好きなことを命令できる。どうかな? 悪い取引ではないと思うけど」
 何でも一つ……何でも……
 だったら僕は日本と言う国に連れて行ってほしい。どんなに綺麗な国か、知りたい。
「……わかりました。勝負しましょう」
「よし来た。じゃあ、今からこのコインを上に投げる。落ちたらスタートだ」
 お母さんはポケットから一枚のコインを取り出し、指の上に乗せた。
 キン、と言う音を立てて、コインが宙を舞う。それはゆっくりと落ちていき、地面に当たった。スタートだ。
 急いで僕の分の仕事をする。素早く、だけども丁寧に。
 このままいけば僕の方が先に終わる。そう確信していた。
「よし、終わった!」
 だけど、先に終わったのはお母さんの方だった。まだ始めてニ十分ぐらいしか経っていない。一体どんな手を使ったのだろうか。
 負けた僕はお母さんの元に近づく。
「なんでこんなに早く終わったんですか?」
「ん? だって、私の分の仕事はほとんど終わってたし」
 なんてことだ。僕は最初から負けが確定していたのか……
 ショックを受けて落ち込んでしまう。
「ノア。勝負を受ける時はあらかじめ準備をしておくんだ。勝負と言うのはそれで全てが決まると言っても過言じゃない。これで一つ勉強になったね」
 本当に身に染みた勉強だ。これからお母さんに勝負を挑む時はあらかじめ何かを仕掛けておこう。
「では、私はノアと一緒にシャワーを浴びる権利を貰った。早くシャワーを浴びたいところだけど、ノアはまだ仕事が残っているみたいだし、先にそれを片付けようか。私も手伝うよ」
 お母さんは本当に嬉しそうにしながら僕の分の仕事を手伝っていた。僕としては何だか複雑な気分なのだが、お母さんが喜んでいるのならそれでいいと思った。
 仕事が全て終わった僕たちはお母さんの希望通りに一緒に浴室に入ってシャワーを浴びた。お母さんはずっと楽しそうだったけど、僕としては恥ずかしくてあんまり楽しくなかった。
「ノア、ちょっと筋肉ついて来たんじゃない?」
 お母さんが僕の体をぺたぺたと触って来る。くすぐったい。
「子供のうちから筋肉をつけすぎると背が伸びなくなるからねぇ。これ以上筋肉が付いたら大きくなれないよ」
「え……? じゃあ、どうすれば……!」
 大きくなれないのは困る。お母さんの役に立ちたいのに……
「だけど、まあ成長に問題はない程度だ。そもそも前のノアはガリガリだったし、今がちょうどいいかもしれない。お母さんは嬉しいよ……!」
 抱き着かれた。恥ずかしくて頭から湯気が出そう。
 何とか理性が保ったまま、お風呂から上がることが出来た。僕の体の隅から隅までお母さんに見られてすごく恥ずかしかったけど……
 お風呂から上がったお母さんはコップに牛乳を入れて飲んでいる。僕も同じ様に飲む。これは前にお母さんがしていたことを真似しているだけだ。
 お母さんに言わせると、これは日本に行った時に教えてもらったものらしい。どういう意味があるのかはわからないけど、お風呂上がりの牛乳は一段と美味しいと言うのはわかる。最高に美味しい。
 晩御飯までまだ時間がある。今日の分の仕事は終わったので、暇だ。何をしようか悩む。
「ピンポーン」
 聞きなれない音が家に響いたので、驚いて少し跳ねた。
 何の音がしたのかはわからないけど、何かが来ているのだ! お母さんを守らないと……!
「ああ、これはインターフォンって言うんだ。誰かが家を訪ねる時にする音。扉をノックするよりずっとわかりやすいからね。因みにこれも日本から取り入れたものだよ」
 なるほど、安心した。どうやら敵が襲って来たわけではないらしい。敵が一体何なのか、そして本当にいるのかわからないけど、お母さんがそう言うのだから大丈夫なのだろう。
「多分、あいつかな」
 あいつとは一体……
 お母さんは何の寄り道もせずに、真っ直ぐに家の玄関に向かって行った。そして扉を開ける。僕はその隙をついて壁の影に隠れて様子を見る。
「新聞の勧誘は結構です」
「いや、待てや。なんでこんな辺鄙なところに新聞の勧誘に来る奴がいるんだ? ぜひとも教えてもらいたいものだ」
 “しんぶん”と言うのは一体何なんだろう。後で聞いてみよう。
「こっちに顔も出さないで何をしていたんだ?」
「お前には関係ないだろう。私は忙しいんだ。邪魔するのなら帰れ」
「冷たいこと言うなよ。……お? 後ろの影に隠れている子は誰だ?」
 隠れていることがバレてしまった。もう少し上手く隠れられないものかな。
「ああ、私の息子だ。紹介するよ」
 お母さんが手招きをして僕を呼んでいる。行かなくては。
 恐る恐る玄関に向かい、お母さんの足にしがみついてお母さんと話していた人を見る。黒い服を着た人だ。この季節になんて熱そうな恰好をしているんだろう……
「息子のノアだ。はい、ノア。挨拶」
「こ、こんにちは」
「はい、良く出来ました。これならどこへ行っても恥ずかしくないぞ」
 頭を撫でられた。それが嬉しい。
 しかし、さっきから固まって何も話さないこの男の人は何だろう。言いたいことがあるのなら言ったらいいのに、何で言わないのかわからない。
「……お前って、結婚してたっけ?」
「今はしていない。この子は私の息子、それだけだ。それで十分なんだ」
「……訳ありとだけは見て取れるな。ま、俺には関係のない話だ。……さて、自己紹介をしようか、ノア君? 俺はアベル。おじさんでもアベルさんでもいいぞ」
 確かこういう時は名前で呼んでもらった方が喜ぶってお母さんが言っていたな。だったら……
「よろしくな」
 手を伸ばしてきた。これは握手をしようという意味だ。
 その手に反応するかのようにして、僕も同じ様に手を伸ばす。そして握手をした。
「よろしくお願いします、アベルさん」
「お? 意外に教育がなってるな。もしかしたら将来は大物になるかもしれねえな」
「そうだろ? ノアはきっと将来立派な男になるよ。私が言うのだから間違いない」
 話を聞いていると、この二人はどうやら知り合いのようだ。お互い笑顔で話している。楽しそうだ。
「ちょうど良かった、アベル。暇していたんだ。中に入れ」
「俺はお前の料理目当てで来たんだが、まあ目的に近づけたな。入らせてもらうぜ」
 アベルさんは家の中に入って来た。家の間取りを知っているのか、すぐにリビングにやってきて、椅子に座っていた。僕はその隣に座り、お母さんはその前に。
「ノア。こいつはこの辺り一帯の地主だ。地主と言うのは土地の所有者のことだ。私はこいつから土地……つまりこの辺りを借りているんだ。借りると言うより……なぁ?」
「まあ、そういう間柄でもないし、貸してはいるが、それ相応の報酬をもらってはいない……ってな感じだな。わかるか?」
 よくわからない。アベルさんがここの土地をお母さんに貸しているのはわかるけど、貸しているのならばいつかは返さないといけない。この家もいつかは無くなってしまうのかな。
「うーん、こう言えばいいのかな。無料で貸している、と。期限なし、延滞料金なしのサービスに溢れたサービスだ」
 期限なしと言うのは、ずっとこの家で住んでもいいと言うことか。よかった、もしかしてこの家から出て行けなんて言われるかと思って焦った……
「フェイト、この子は息子だと言っていたが、本当は何なんだ? 実の息子じゃあるまいし」
「この子は奴隷市場で買った子だよ。そして、私の息子にした。今は教育をしているところだな。教えるのが面白くてな、ついつい話してしまうんだ」
 お母さんは僕の過去の話をはぐらかそうとしている。それが簡単にわかってしまう。僕にわかると言うことはアベルさんもわかっているのかもしれない。それでも逸らそうとしてくれるのは有難い。もうあんな物みたいな目で見られるのは嫌だもの。
「フェイトにしては珍しいところに行くな。なんでだ?」
「たまたまだ。たまたま買い物帰りに気になって行ってみたらこの子がいた。まだ小さな子供だ。あんな金持ちどもに渡すぐらいなら私の物にする。お前もそう思うだろう?」
「ああ、間違いないな。あんなカスにこんな可愛い子を渡すぐらいならそいつらを殺しているね」
 物騒な話が出ている。僕にはあまり関係の無い話だとわかると、自分で牛乳を入れてチビチビと飲み始めた。
「で、アベル。お前は何しに来たんだ? まさか本当に私の料理が目当てじゃないだろうな?」
「半分はそれだな。もう半分は別件だ。……上から要請が入った」
 その言葉を聞いてお母さんの顔つきが変わった。さっきまでの笑顔とは全然違う。今まで見たことがない顔だ。物凄く険しい。一体この『ようせい』と言うのが何なのか、何でお母さんがそれを聞いてこんな顔をしているのか気になる。
「……そうか。またあいつらからか」
「何の話をしているんですか?」
「ん? こいつが怖ーいおじさんたちにお説教されるっていう話」
「何でお母さんがお説教されないといけないんですか?」
「お母さんは君のことを隠していたからだよ。国と言うのは面倒なものでね。人一人に対して書類を山ほど書かなくちゃいけないんだ。で、君のお母さんはそれを怠ったことで、怖ーいおじさんたちがカンカンに怒ってるのさ」
「……僕のせいですか?」
「そんなことはない。ノアのせいじゃないよ。ただ、私が気に食わなかったからさ」
 お母さんはアイコンタクトらしきものと手で何かを伝えている。僕はまだそれを教えてもらっていないからわからないけど、何かを謝っているような感じがする。変なお母さん。
「と言うかノア君よ。君、お母さんに対してもそんな話し方してるの?」
「はい。中々抜けなくて……」
「ま、焦らずじっくりいきなよ。人生は長いんだ。振り返るのは一瞬だけど、見るのは永遠だからね。子供の時間は短いけど、体感時間は長い。人の倍以上生きられる瞬間だ。その時間を使ってお母さんに優しくしてあげなさい」
「わかりました!」
「良い返事だ。それもフェイトの教育か?」
「もちろんだ。それもあるが、元々いい子なんだ。自慢の息子だよ」
 自慢の意味はわかっている。僕はお母さんにとって自慢の息子なんだ。だったら僕にっともお母さんは自慢のお母さんだ。この世界に一人しかいない、僕のお母さんなんだ。
「ま、用件はわかった。そうだな……晩御飯を作るのに少し時間がかかる。ノアと遊んでってくれ」
「任せろ。こう見えて子供の扱いは上手いんだぞ」
「……ロリコン」
「おい待てや。勝手に人の性癖を決めるんじゃねえ。俺はいたって健全なノーマルだ」
 やっぱりこの二人は面白い。話の流れと言うか、会話のキャッチボールが上手だ。僕もアベルさんを見習ってこうやってお母さんとお話をしよう。
「ではノア君! 何をして遊ぼうか!?」
「そうですね……トランプしかないですね」
「うーん、そりゃこんな田舎だからなぁ。それぐらいしかないのはわかってるけど、二人でトランプかぁ……キツイな。……いや、待てよ。ノア君、神経衰弱を言うのは知っているかな?」
 しんけいすいじゃく……聞いたことのない名前だ。一体どんな遊び何だろう。
「神経衰弱は裏返したトランプの絵柄を当てるゲームだ。簡単だけど、記憶力、頭を使うから中々難しいぞ? それをやる?」
「もちろんです! 楽しそう!」
「良い返事だ。ではやろう。あ、そうそう。罰ゲームもありでね」
 それは聞いていない。後で罰ゲームを決めると言うのは反則だ。
 罰ゲームを決めると言うことは既に僕の負けが決定していると言うことだ。このアベルさんって人……お母さんより酷いかもしれない。
 当然、そんなことを言える訳もなく、僕はトランプを持ってきてアベルさんに渡した。
「随分使い込まれているな。ボロボロだぞ」
「ノーア。そいつ、結構卑怯だから気を付けてやりなさい。多分、カードの傷を全部覚えるはずだから」
 それは凄い。このトランプのカードは五十二枚。そしてジョーカーが一枚だけど、絵柄を揃えるとなるとジョーカーは外される。それでも残った五十二枚を少しの傷だけで覚えるなんて……どうしたら出来るんだろう。
「まあ、フェイトの言う事は半分冗談だ。流石の俺でも五十二枚全部を覚えるなんて不可能だ。楽しく行こうぜ」
 半分って……どこからどこまでが半分なんだろう。それが気になる。
 アベルさんはトランプをテーブルの上に綺麗に並べてくれた。それも丁寧に縦横が揃っている。僕はこんな器用な真似が出来ない。やっぱり大人って凄いなぁ。
「先攻はノア君だ。さ、適当にカードをめくってみな。二枚めくって同じ絵柄ならそれは自分の持ち札。点数だ。揃ったらもう一回めくれる。揃わなかったら交代だ」
 緊張する。適当にめくれと言われても罰ゲームがかかっているんだ。どんな内容かは聞いていないけど負けるわけにいかない。
 近くにあった一枚のカードをめくってみた。スペードのAだ。
「そんじゃ、他の絵柄のAを当てるんだ。五十一分の三。イコール十七分の一だ。十七枚の内の一枚を引けるかな?」
 引けるかな、じゃない。引くんだ。
 残り五十一枚。その中で他のAを狙うのは難しい。
 でも、迷っていても勝負はいつまで経っても終わらない。ここは運に任せるしかない。
 めくったカードの左にあったカードをめくってみた。
「スペードのKか。マークは合っているけど、数字が違う。外れだ」
 最初はこんなものだろう。だけど、これでこの二枚の場所は覚えた。後はアベルさんがめくるだけだ。
「そんじゃ、俺は適当に……」
 アベルさんが一番近くにあったカードをめくる。ハートの2だ。
「ハートの2か。これは……」
 カードの上に手を置きながら悩んでいる。そんなことをしてカードの中身がわかるのだろうか。それは手品か何かかな。
「よし、これだ」
 アベルさんが二枚目をめくった。すると、それは数字の2を持つスペードのカードだった。見事に数字が合ったんだ。
「幸先良いな。それじゃあ、この二枚は俺の得点だ。ドンドン行こうぜ」
 アベルさんの番はまだまだ続く。一枚めくり、それを合わせるかのようにもう一枚めくるとそれは同じ数字だった。
 それがずっと続き、アベルさんの得点は十八枚。九回連続で当てたのだ。
 これはマグレだろうか。……いや、そうに決まっている。いくらアベルさんが記憶力が良くても、めくっていないカードを当てることなんてそうそう出来ない。やっぱりこれは運の勝負だ。
 僕は空いたスペースの隣にあるカードをめくる。そのカードはハートのA。と言うことはさっき見たスペードのAをめくれば僕の得点になる。
 そう思ってワクワクしていたのだが、アベルさんのプレーを見ていたせいで、どこにスペードのAがあるか忘れてしまった。
 どうしよう……どうしよう……
「ん? どうした? まさか忘れたのか? それなら適当にめくれよ。それで数字が合ったら運が良い」
 ……そうだ。別にスペードのAを狙う必要はないんだ。残りのAを取ればいいんだ。
 確率的に考えて、当たる確率はさっきより高くなっている。僕の運に任せよう。
 恐る恐る一枚のカードをめくってみた。が、それはAではなかった。
「残念。俺の番になったな」
 実に嬉しそうにアベルさんはカードをめくっていく。
 一枚、二枚、三枚、四枚。
 外すことなくアベルさんの番は続いていく。
 そして、たった二手で勝負がついてしまった。
「これで俺の勝ち。さ、罰ゲームの時間だ」
「……ずるい。ずるいですよ! 何か卑怯な手を使いましたね!?」
 たった二手で勝負が決まるわけがない。お母さんの言う通り、アベルさんはカードの傷を見て、その絵柄を全て覚えたんだ。そうに違いない!
「いいや、卑怯な手なんか使った覚えはないぞ。と言うか、フェイトが見ている前でそんなこと出来るか。俺がイカサマをする時は大事な時だけだ。な、フェイト?」
 アベルさんがお母さんに聞いていた。お母さんはずっと僕たちの遊びを見ていたんだ。
「まあ、イカサマはしていないな」
「ほらな?」
「でも……でも……! 何かしているはずです!」
 イカサマじゃないのならこれは何と言うんだ。説明してほしい。
「ノーア。神経衰弱は文字通り、神経を使う遊びだ。自分の記憶を頼りにカードをめくる。そう言う遊びなんだ。だけど、アベルに関してはそうじゃない。こいつはただ単に運が良いんだ。いや、良すぎる。異常なまでにね」
 運が異常なまでに良い……? それはイカサマじゃないの……?
「ま、そう言う事。俺はイカサマなんかしなくてもカードの勝負なら大抵勝てる。ジャンケンでも負けたことが無いんだ。これは生まれた時から決まっているもんだ。変えように変えられないんだ」
「だったら僕は最初から負けが確定した遊びをした訳ですか……?」
「結果的に言えばそうなる。が、負けは確定していた訳じゃない」
 ? どういう意味だ? 意味がわからない。
「君はこのトランプでフェイトと散々遊んでいたんだろう? だったらその時に傷を覚えていれば勝てたはずだ。君の準備不足だよ、これは」
 なるほど、そういう意味か。
 お母さんが前に言っていたことだ。勝負はする前から勝敗が決まる、と。これは僕の情報不足、勉強不足で負けた勝負と言う訳か。納得した。
「これでノアはまた一つ賢くなったね。アベル、今度は手加減してやれよ?」
「それは俺の運に言ってくれ。自分では制御できないんでね」
 それから僕はトランプで出来る遊びを色々教えてもらった。スピード、ジンラミー、スコアなど、色々な遊びを。ルールを覚えるのには苦労したけど、楽しかった。時間を忘れて遊んでいた。

「さ、そろそろその辺で終わりにしなさい。晩御飯が出来たよ」
「もうそんな時間か。時間を忘れるほど楽しんだのは久しぶりだな。ありがとうよ、ノア君」
 頭を撫でられた。お母さんとは違って力任せの撫で方だったけど、嫌いじゃない。
 晩御飯が出来たので、僕たちは席に座って、料理が運ばれるのを待つ。
「さてさて、今日のフェイトは一体何を食べさせてくれるんだ?」
「今回は世界三大スープの一つのボルシチだ。手間がかかってしょうがなかったが、味は保証するぞ」
 お母さんが持って来たのは赤い色をしたスープだった。見た目はちょっとあれだけど、美味しそうだ。
「世界三大スープ? 何ですか、それ?」
「この世界には誰が決めたのかはわからないけど、世界三大と言う言葉があるんだ。それこそ数えたらきりがないぐらいに。そしてそれには何故か三つだけじゃなくて、四つ、五つも入っているものがある。まあ、そこら辺は置いておいて、その世界三大の中にスープももちろん入っている。ロシアのボルシチ、中国のフカヒレスープ、フランスのブイヤベース、タイのトムヤンクン。この四つが世界三大スープとして呼ばれているんだ」
「四つなのに三大なんですか?」
「人の好みもあるからね。甲乙つけ難いんだろう。私個人としては日本の味噌汁も気に入っているんだけどね」
 また日本。一体どんな国なんだろう。小さな島国と言っていたけど、世界に認められているのならそれは凄いことだ。小さくても馬鹿には出来ない。蟻のように。
「さ、勉強も終わったことだし食べなさい。冷めるよ」
 手を合わせて感謝の言葉を言う。「いただきます」と。これも日本のマナーらしい。お母さんはすっかり日本の信者だ。
 スプーンを掴んで、ボルシチと呼んでいるスープを掬う。玉ねぎとキャベツが良く煮込まれているようだ。
 それを口の中に入れると……
「美味い!」
 僕の代わりにアベルさんがそう叫んだ。
「美味いな。流石フェイトだ。伊達に一人暮らしが長かったわけじゃないな」
「伊達にとか言うな。これでも母親になろうと頑張って覚えたんだぞ。本場の料理には負けるけどな」
「でもフィッシュアンドチップスの味は?」
「あれはもはや料理じゃない。ただ油で揚げただけのものだ。脂っこくて、そして何と言うか、胃がやられる。ある意味悪魔の料理だ」
 それはそれで気になるけど、お母さんが嫌な顔をしていると言うことはよっぽど嫌な料理だったんだな。どこの国の料理なんだろう。そのふぃっしゅあんどちっぷすと言うのは……
 美味しいボルシチを食べ続けて、おかわりをする。アベルさんは僕以上に食べるので、お母さんが困っていた。それでも、作った料理が褒められているので嬉しそうにおかわりを出してあげるお母さん。本当に優しい。
 美味しい時間はあっという間に過ぎる。美味しいものはあっという間になくなる。ボルシチは一滴も残さずに食べ終えた。
「いや~、美味かった、美味かった」
「おい、アベル。ノアの前だ、行儀よくしろ」
「な、ノア君。こんなおじさんみたいになったらいけないぞ?」
「自分で言うな」
 僕は行儀よく、手を合わせて「ごちそうさま」と言った。お母さんは「よろしい」と言った。
「そんじゃ、俺はこれで帰るかね」
 椅子から立ち上がってアベルさんは真っ直ぐに玄関に向かって行った。それを僕たちは追いかける。
「もう帰るのか? ノアが気に入ったんだ。泊まって行ってもいいぞ」
「そうしたいのはやまやまだけど、仕事がたんまり残っているんでね。帰ったら徹夜でしないといけない。料理、ご馳走さん。また来るぜ」
「今度は手土産を持って来いよ」
 アベルさんが玄関の扉を開ける。気持ちいい風が入って来た。
「じゃあ、ノア君。お母さんを大事にしてやってくれよ。そして、君がお母さんを守るんだ。男の子は女の子を守る義務があるからな。君も男ならお母さんを守るんだぞ?」
「はい!」
 そう答えるとアベルさんは笑って扉を閉めた。良い人だったなぁ。
「台風が去ったみたいだね」
「たいふう?」
「一種の災害みたいなものだよ。強烈な風で周りにある物を全て破壊していく。別の言い方ではサイクロン、ハリケーンとも言うんだ。この田舎では無関係のものだけど、もしノアが外国に行く時があるのなら気を付けた方がいいよ。文字通り、風の化け物だから」
「僕はずっとお母さんと一緒にいます」
「……そうか」
 少し遅れてお母さんはそう答えた。嬉しそうな声ではなかったけど、それでもそう言ってくれた。僕はずっとお母さんと一緒にいる。そう決めたのだから。
 アベルさんと言う台風が去った後、僕はお母さんの手伝いをしてお皿を洗っていた。でも、どうしてもお母さんのように綺麗に洗えない。どうしてだろう……
「あ、ノア。スポンジがもうダメだ。新しいのに変えるよ」
 どうやら僕の技術のせいじゃなかったようだ。スポンジがもうボロボロ。これでは汚れを落とせないのも納得だ。……それでも僕のせいじゃないかな。
 新しいスポンジでも僕はお皿を綺麗にすることが出来なかった。ショックだ。
「ノア。初めは誰でも。最初から上手く出来る奴なんていない。皆初めは下手くそなんだ。私も下手くそだったよ」
「お母さんも下手だったんですか?」
「うん、そうだよ。だから練習したんだ。ノアも練習さえすれば私を超えるようになるよ」
 じゃあ、もっともっと練習しないと。お母さんが任せてくれるようにならないと……!
 今から将来への意気込みが強くなる。それをお母さんは笑って見守ってくれていた。

「君に私を○○してほしい」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「現代ドラマ」の人気作品

コメント

コメントを書く