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一話完結型短編集

阿久津 太陽

We were born H

時は、××十八年(西暦二〇三六年)、夏。僕こと、榎木奈津は、十八回目の誕生日を迎え、法律上、大人の仲間入りをした。僕が四歳の時に、成人年齢を引き下げる法律が施行されるまでは、成人年齢は二十歳だったそうだが。それから十四年も経てば、今が当たり前になってしまうらしい。僕達が知らない時代を知る大人たちは、少なくとも、そうであるようだから、まあ、そんなものなのだろう。
僕は、そんなステップを、特にワクワクもドキドキもすることなく踏み越えていったし、僕より先に「大人」になった友人達もそうだった。
結局、僕らにとって、法律上、書類上、「大人」になるということは、あたりまえのことにすぎない。やれ成人式やら宴会やらと、祝いの準備をされたところで、いつもよりきらびやかに着飾って、「今日は、ちょっとだけ、小綺麗にしてもらったんだ」と、級友たちと笑い合うだけだろうし、特に身の引き締まる思いはしないと思う。そもそも、大事な入試を控えているのだから、それどころではないのだ。例の法律が施行されてから十四年も経っていながら、未だ一月に成人式を行う僕の居住区の役人達は、いったい何を考えているのやら。
さて、それでなくても受験勉強に身を入れねばならない夏に、誕生日及び成人を迎えた僕は、自習をするために学校に行った。家にいると、きっと家族に邪魔をされてしまうだろうから、それから逃れるためである。
自習室には、誰もいなかった。珍しいこともあるもので、図書室にも、教室にも誰もいなかった。まあ、そんな日もあるか、と机に向かった。静かなものだ。まるで、学校に、自分だけが、ひとりぼっちでいるかのようだった。
不思議な気持ちのまま、二時間程度だろうか、勉強し続けていた。僕がシャープペンシルの動きを止めたのは、遠くからピアノの音が聞こえたからだ。ピアノ曲という訳ではなさそうだし、少し拙い演奏だと、素人ながらに思った。
だがしかし、なぜそうしたのかは分からないが、僕は音楽室に足を運んだ。その拙い演奏に、何故か惹かれていた。いったい誰が、ほとんど人のいない学校でピアノを弾いているのか、興味が湧いた。僕はこの好奇心を、暑さのせいにして音楽を追いかけた。そして音楽の元にたどり着いた僕は、静かに静かに扉を開けて踏み込んだ。
そこにいたのは、わが校の音楽教師、沢村先生。たしか、非常勤講師として籍を置いていたと思う。音楽部に所属する友人が、いつだったか、「変な教師」と言っていた。
沢村先生は、僕に気がつくと、「わぁっ」と大きな声を出して椅子から落ちた。よく通る声だった。
「ごめん、私、昔っからこうで」
はにかみながら、沢村先生は立ち上がった。年寄りくさく、「よっこいしょ」などと言いながら。
「三年生?」
沢村先生は、服のホコリを払いながら僕に尋ねた。
「はい。自習していたら、ピアノが聞こえたので」
「邪魔しちゃった?」
「いや、そういう訳ではないです」
沢村先生は、安堵したように、ピアノの前の椅子に座った。
沢村先生は、僕が、なぜピアノを練習していたのかと尋ねると、小さくため息を漏らした。
「私、ピアノって専門外なのよね。しかも練習嫌いで、大学時代も、今も、ピアノの練習だけはどうしてもやる気出なくて。でも、せっかく夏休みだから、部活がない時はいっぱいやろうかなって、そう思ったんだけど。調律してるのよ、自宅のピアノ。だからここでやってるの」
そう言った沢村先生の笑顔は、ちょっと困っているように見えた。
暑いから、と沢村先生は音楽準備室の冷蔵庫からアイスキャンディーを取り出して、僕にくれた。
「小さいけど、冷凍庫と製氷機もあって便利よ、これ」
今度の笑顔は、花が咲いたようだった。ブドウ味のアイスキャンディーの封を開けて、僕はそれを口に含んだ。先生は暑いから、とくれたが、校内は完全な冷暖房完備だし、むしろ快適だ。けれど、外は暑いのだと考えたら、アイスキャンディーは美味しかった。
「三年生ということは、君は二〇一八年生まれか」
パイナップル味のアイスキャンディーをかじって、先生は呟いた。僕が、誕生日が今日であることを伝えると、先生は、大袈裟に驚いた。驚いたあとすぐに、先生は感慨深そうに僕を見た。
「そうか、あのころに、君は産声をあげたんだね」
先生の目は、言葉を紡ぐうちに、僕ではなく、別の何かを見ているようだった。
「あのとき、ちょうど、私は高校三年生だったんだよなあ」
「高校三年生」
「うん。あの夏は、とにかくすごかったよ。短すぎる梅雨。夏の甲子園はちょうど100回目。全国で記録的な大雨。続く猛暑日。日本の文化を牽引してきた偉大な人達の死。他にもいろいろあったけど、ちょっぴり特別だったのは、その夏が、『平成最後の夏』だったこと」
いつの間に食べきったのか、先生はアイスキャンディーの棒をゴミ箱に投げ入れた。『平成』は、僕が生まれた年の、元号だ。平成生まれでありながら、僕は、平成という時代を知らない。気づいた時には、今の元号だったのだから。
だが、先生は違う。先生は『平成』を知っている。約三十年四ヶ月続いた『平成』の最後の夏に高校三年生だった沢村先生は、『平成』を十八年生きてきたのだ。
「先生、『平成』はどんな時代だったんですか」
僕の問いかけに、沢村先生は答えなかった。先生曰く、「自分の人生を生きるのに精いっぱいで、はっきり思い出せない」とのことだった。
「私は頭が良くないから。追いつけないほどの速さで変わりゆく、そんな時代だったあのころを覚えていられるキャパシティは、持ち合わせてないんだよ」
先生は、自虐的に語りながらも、笑顔は明るかった。
先生にとって、『平成』とは、かけがえのない『今』だったのかもしれない。その考察を伝えると、先生はいっそう眩しい笑顔で、「それは、なかなか良い考察なんじゃないかな」と言った。
平成三十年、十八回目の夏を生きた沢村先生は、自らを少し特別な世代だと言った。
「二十世紀最後に生まれて、二〇〇〇年代最初に生まれて、平成の最後を知っていた私たちが、少しも特別じゃないとは思えないじゃないこれは、私の自論だけどね、誰かにとって小さなことは、誰かにとって幸せなことだったり、不幸なことだったりするの。君は、どう思う?他人が特別に思うこと、君の目にはどんなふうに映る?」
僕には、わからなかった。誕生を祝うことも、成人を祝うことも、「小さくて、くだらない」としか思ったことが無かったから。けれど、この、沢村先生という人の言葉は、そんな僕の考えを、変えようとしていた。
僕にとって、取るに足らなかった「大人になる」ということが、誰かにとって特別だったかもしれない。
「難しいこと考えないでさ、暑い日は、またアイス食べにおいでよ。四十目前のババアでよければ、若者の愚痴くらい聞いてあげるからさ」
沢村先生はそう言うと、僕の背中をばしばしと叩いた。僕の父のようなことをするのだな、と少し困った。
沢村先生に礼を言って、僕はその場を立ち去った。荷物をまとめ、家に帰ることにした。帰れば、きっと、今日を特別な日だと思っているかもしれない人が、僕を待っているかもしれない。

***

未だ慣れない新型の携帯電話が、着信音に設定した、エリック・サティの旋律を奏でた。ピアノ演奏が苦手な私が、一番好きな、グノシエンヌ三番。
画面には、懐かしい名前。私こと、沢村那月の恩師。
『久しぶりだな、那月。息子から話は聞いてるぞ、元気そうじゃないか』
「ええ、そりゃもう。来年には、フリーランスに戻りますから、準備で忙しくって仕方ないですけれど」
『そうか!…あの、那月が、立派になったもんだなあ。俺の見込み通り、しっかりやれてるみたいで嬉しいよ』
「いや、私もまだまだ未熟ですから。これからですよ。そういえば、息子さん、しっかりしてますね。ちゃんと熱心に勉強して、偉いなあ」
『那月とは違うだろ』
「失礼な!まあ、事実ですけどね」
電話ごしに、先生の盛大な笑い声が聞こえる。息子は、この人にあまり似ていないのかもしれない。
「では、身体には気をつけて。暑い日が続きますから。──榎木先生」
『ああ、那月こそ、バテるなよ』
彼が、榎木奈津君が、今日私のもとに来たのは、ちょっと特別な夏の魔法だったのかもしれない。恩師の息子とは知っていたが、話す機会が生まれるとは。そう考えると、私も魔法にかかっていたのだろう。
私は平成に生まれ、平成を生きた。彼は、平成を知らず育った。それでも、私も彼も、平成生まれ。生年月日は、Hに丸を付けるのだ。

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