アナタトアイタイ
◇ヴァンピール?◆
ある日暮れのこと。
その少年は唐突に現れた。何もないところから突然に。
たとえるなら幽霊のように。
「戦う力を持たない脆弱な人間を仕留めるのは造作もないこと、それなのになぜ下等な者たちを送りこんで無駄な戦いをくりかえすのか。もちろん、あなたたちを痛めつけて遊んでいるというのもあるのかもしれないけど」
「……あの」
シェラは突然自室に現れた謎の少年に困惑していた。
色白で、真っ白な髪に銀色の瞳を持つ少年、黒い制服に身を包んでいるが、おそらくジェシカと同じ魔族なのだろう。
少年は戸惑っているシェラにようやく気づいたのか、のんびりとした口調で名乗った。
「あぁ……失礼しました、ぼくはイスト。人狼です。どうぞ、よろしく」
彼が、先程ジェシカが言っていた鼻の利く人物かと納得した。
確かに狼であるならそうだろう。
しかしシェラはそれどころではないと、彼を見つめて言う。
「……ええ、よろしく。ところで、ノックくらいはしてくれませんか? というより、扉から入ってきてくれませんか?」
ローレントたちと違い、彼はシェラの素性も知っているだろうから、極度に警戒する必要はないのだが。それでも一応、突然入ってこられるのは恐いし困る。
イストは少ししゅんとして、小さな声で言う。
「……失念していました」
「さようでございますか」
奇妙なやり取りをしたあと、イストは壁に寄りかかって首を傾げた。
シェラはベッドに座って、彼のほうをじっと見つめている。
「ぼくは疑問に思うのです、騎士団の情報を流出させている者が居るとするならば……まず、下等な者たちであってもあなたやローレントを狙っていくはず。特に、今あなたは負傷しているし、絶好のチャンスのはず。けれど、そういうわけでもない。なぜ? 敵も偽の情報を掴まされているのでは?」
どうしてそんなことをする必要が?
シェラは不思議に思って首を傾げる。
そんなことをすれば、自分自身も危険にさらされるはずだ。
「……え? それこそ、そんな危険をおかす理由がないではありませんか」
イストは身体ごと傾けるほど深く首を傾げて、口もとに手を当てる。
「そうかな? さっきも言ったけれどぼくは人狼の類。ここに潜伏しているのも同じ人狼の類、それも、気配を完璧に消し去るだけの力を持った……そのことで、思いあたることがあったりする」
「どんなことでしょう?」
興味のある話だ、シェラが身を乗り出すと、彼は姿勢を戻して首を横に振る。
「噂の域をでない話ではあるけど……ぼくら人狼をまとめる、あなたがたのところで言う貴族のような存在があるんだけど、あのかたの家族が人質にとられているとか、いないとか……非常に家族想いなことでも知られているから、それがただの噂話でないのなら、可能性は高いかと。不本意ながら従っているのだとしたら、ご家族を救いだす機会を窺っているのかも?」
言葉の内容には、希望と絶望があった。
「それって……すごくまずいってことですよね?」
絶望的なことは、イストはその人物を人狼のまとめ役だと言った。
つまりものすごく……強いのだろう。
シェラは思案する。
(これは……捕縛は無理かもしれません……ええと、つまりですよ、ご家族を人質にとられているのなら、それをどうにかできればいいわけですよね?)
希望的なことはそれだ。考えこんでいたせいか、イストがすぐ側までやって来ていることに気付かなかったシェラは、鼻先が触れあうほど近くにある彼の顔に驚いて悲鳴をあげそうになった。
「な、なんですっ⁉」
「……あなたは、なんだか甘くて良い匂いがする」
軽く抱きしめられて、首筋に顔をうずめられ、声にならない悲鳴を心の内であげる。
大声なんて出そうものなら、一人で大騒ぎしている頭のおかしい人物になってしまう。
ただでさえローレントの話を聞く限り、シェラは周囲に多少なりとも疑われているのに。
そんな彼女の心中を知らずに、イストはすんすんとシェラの匂いを嗅ぐ。
「……良い匂い」
「ちょ、ちょっと、待っ……! 離して! 離してくださっ……やっ」
濡れた音が響き、耳を食まれてシェラは今度こそ青ざめた。
ぬるりとした感触に、背筋を悪寒が這いあがる。
「イスト! 悪ふざけはやめてくださいったら……っ」
「……同族の匂いだ」
一瞬の思考停止。
イストの言葉に、冷や水をあびせられたように冷静さが戻ってくる。
同族? 誰の? 何の?
「ヴァンピールの血筋、それもすごく上位の者の血。甘くて良い匂いがする」
ヴァンピールというのは吸血種のことだ。
それくらいはシェラも知っている。遭遇したことはないのだが。
「どういう、意味でしょう?」
たずねる声が震えてしまった。
シェラには一応両親が居たが、彼らが本当の両親であるかは知らない。
物心ついた時には親を名乗っていたから、親なのだと思っていた。
「? もしかして、知らない……の? シェラは、ひとじゃなくて、魔族。吸血をしたことがないみたいだから、まだ本当の意味では目覚めていないだけの」
静かなイストの言葉に、シェラは思考が追いつかない中でもなんとか言葉を紡ぐ。
魔族? 自分が?
そんなはずはない、自分は人間だ、そのはずだ……。
「あ……あはは……随分と、笑えない冗談ですね」
引きつった表情でもなんとか笑みを作る、冗談、いや、聞き間違いであってほしかった。
けれどイストはシェラの様子を気にするでもなく、双眸を閉ざして甘く耳元で囁く。
「やっぱり、あの噂は本当だったのかな……今の王妃様には、連れ子が居たとか、居ないとか……あのかたもヴァンピールだから、もしかして……だってあなたは……そっくりだから、あのかたに……」
王妃というのは魔族のだろうか? その連れ子? いや、ありえない。
それならシェラはなぜひとの世に居たのか、けれど、ヴァンピールの血筋だというのが悪い冗談ではないとしたら……。
シェラの思考が完全に停止した時、ひどく冷たい第三者の声がかかった。
「何をしているのか、簡潔に説明してくれないか。理由によっては、悪いがきみにはここで死んでもらう」
響いたのはローレントの声で、剣に手をかけようとしていた。
それをイストは興味もなさそうにただ静かに見やるだけだ。
その少年は唐突に現れた。何もないところから突然に。
たとえるなら幽霊のように。
「戦う力を持たない脆弱な人間を仕留めるのは造作もないこと、それなのになぜ下等な者たちを送りこんで無駄な戦いをくりかえすのか。もちろん、あなたたちを痛めつけて遊んでいるというのもあるのかもしれないけど」
「……あの」
シェラは突然自室に現れた謎の少年に困惑していた。
色白で、真っ白な髪に銀色の瞳を持つ少年、黒い制服に身を包んでいるが、おそらくジェシカと同じ魔族なのだろう。
少年は戸惑っているシェラにようやく気づいたのか、のんびりとした口調で名乗った。
「あぁ……失礼しました、ぼくはイスト。人狼です。どうぞ、よろしく」
彼が、先程ジェシカが言っていた鼻の利く人物かと納得した。
確かに狼であるならそうだろう。
しかしシェラはそれどころではないと、彼を見つめて言う。
「……ええ、よろしく。ところで、ノックくらいはしてくれませんか? というより、扉から入ってきてくれませんか?」
ローレントたちと違い、彼はシェラの素性も知っているだろうから、極度に警戒する必要はないのだが。それでも一応、突然入ってこられるのは恐いし困る。
イストは少ししゅんとして、小さな声で言う。
「……失念していました」
「さようでございますか」
奇妙なやり取りをしたあと、イストは壁に寄りかかって首を傾げた。
シェラはベッドに座って、彼のほうをじっと見つめている。
「ぼくは疑問に思うのです、騎士団の情報を流出させている者が居るとするならば……まず、下等な者たちであってもあなたやローレントを狙っていくはず。特に、今あなたは負傷しているし、絶好のチャンスのはず。けれど、そういうわけでもない。なぜ? 敵も偽の情報を掴まされているのでは?」
どうしてそんなことをする必要が?
シェラは不思議に思って首を傾げる。
そんなことをすれば、自分自身も危険にさらされるはずだ。
「……え? それこそ、そんな危険をおかす理由がないではありませんか」
イストは身体ごと傾けるほど深く首を傾げて、口もとに手を当てる。
「そうかな? さっきも言ったけれどぼくは人狼の類。ここに潜伏しているのも同じ人狼の類、それも、気配を完璧に消し去るだけの力を持った……そのことで、思いあたることがあったりする」
「どんなことでしょう?」
興味のある話だ、シェラが身を乗り出すと、彼は姿勢を戻して首を横に振る。
「噂の域をでない話ではあるけど……ぼくら人狼をまとめる、あなたがたのところで言う貴族のような存在があるんだけど、あのかたの家族が人質にとられているとか、いないとか……非常に家族想いなことでも知られているから、それがただの噂話でないのなら、可能性は高いかと。不本意ながら従っているのだとしたら、ご家族を救いだす機会を窺っているのかも?」
言葉の内容には、希望と絶望があった。
「それって……すごくまずいってことですよね?」
絶望的なことは、イストはその人物を人狼のまとめ役だと言った。
つまりものすごく……強いのだろう。
シェラは思案する。
(これは……捕縛は無理かもしれません……ええと、つまりですよ、ご家族を人質にとられているのなら、それをどうにかできればいいわけですよね?)
希望的なことはそれだ。考えこんでいたせいか、イストがすぐ側までやって来ていることに気付かなかったシェラは、鼻先が触れあうほど近くにある彼の顔に驚いて悲鳴をあげそうになった。
「な、なんですっ⁉」
「……あなたは、なんだか甘くて良い匂いがする」
軽く抱きしめられて、首筋に顔をうずめられ、声にならない悲鳴を心の内であげる。
大声なんて出そうものなら、一人で大騒ぎしている頭のおかしい人物になってしまう。
ただでさえローレントの話を聞く限り、シェラは周囲に多少なりとも疑われているのに。
そんな彼女の心中を知らずに、イストはすんすんとシェラの匂いを嗅ぐ。
「……良い匂い」
「ちょ、ちょっと、待っ……! 離して! 離してくださっ……やっ」
濡れた音が響き、耳を食まれてシェラは今度こそ青ざめた。
ぬるりとした感触に、背筋を悪寒が這いあがる。
「イスト! 悪ふざけはやめてくださいったら……っ」
「……同族の匂いだ」
一瞬の思考停止。
イストの言葉に、冷や水をあびせられたように冷静さが戻ってくる。
同族? 誰の? 何の?
「ヴァンピールの血筋、それもすごく上位の者の血。甘くて良い匂いがする」
ヴァンピールというのは吸血種のことだ。
それくらいはシェラも知っている。遭遇したことはないのだが。
「どういう、意味でしょう?」
たずねる声が震えてしまった。
シェラには一応両親が居たが、彼らが本当の両親であるかは知らない。
物心ついた時には親を名乗っていたから、親なのだと思っていた。
「? もしかして、知らない……の? シェラは、ひとじゃなくて、魔族。吸血をしたことがないみたいだから、まだ本当の意味では目覚めていないだけの」
静かなイストの言葉に、シェラは思考が追いつかない中でもなんとか言葉を紡ぐ。
魔族? 自分が?
そんなはずはない、自分は人間だ、そのはずだ……。
「あ……あはは……随分と、笑えない冗談ですね」
引きつった表情でもなんとか笑みを作る、冗談、いや、聞き間違いであってほしかった。
けれどイストはシェラの様子を気にするでもなく、双眸を閉ざして甘く耳元で囁く。
「やっぱり、あの噂は本当だったのかな……今の王妃様には、連れ子が居たとか、居ないとか……あのかたもヴァンピールだから、もしかして……だってあなたは……そっくりだから、あのかたに……」
王妃というのは魔族のだろうか? その連れ子? いや、ありえない。
それならシェラはなぜひとの世に居たのか、けれど、ヴァンピールの血筋だというのが悪い冗談ではないとしたら……。
シェラの思考が完全に停止した時、ひどく冷たい第三者の声がかかった。
「何をしているのか、簡潔に説明してくれないか。理由によっては、悪いがきみにはここで死んでもらう」
響いたのはローレントの声で、剣に手をかけようとしていた。
それをイストは興味もなさそうにただ静かに見やるだけだ。
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