アナタトアイタイ

野草こたつ

◇髪を結う大きな手◆

「いっ……つ」
 シェラはベッドからおりると左腕と右足の痛みに小さな悲鳴をこぼした。
 たいしたことはないと思っていたが、どうやら思っていた以上に重傷のようだ。
(甘い考えでしたね、あとで医務室に行きましょう……)
 そう思って、不器用に着替えを始めた頃だった。
「シェラ? 居るかい?」
 ノックの音が響いて、ローレントの声がする。けれど彼は、今度は扉を開けることなくじっと待っているようだった。
 シェラは安堵の息を吐き、かぶりを振った。
(さすがに学習しましたか)
 そう思いながら、シェラは制服に袖を通す。
「少し待ってください、今、着替えているので」
 扉の前で気配が大袈裟に動いたような気がする。やはり男性としては気にするのだろうかとシェラはぼんやり考えていた。
 孤児で、まともな教養など無かった彼女は、色々とぬけているところがある。
 それは誰かに言われなくても、自覚していることだった。
 ローレントもやはり異性なのだと再確認し、以降気をつけようと考えていたとき……。
「っ……」
 黒い髪を束ねようにも激痛に片腕がうまく動かず、しようがないので背に流したままにして、部屋の扉を開けた。
 いつものようにできないのは不安であるし不満でもあるが、今はしようがない。
「お待たせしました、どうしたのです?」
「――シェラ、髪が……あぁ、そうか……腕が」
 一瞬驚いたような顔をしたローレントはすぐに、シェラの左腕を見て痛ましそうに表情を歪めた。
 そして、シェラの黒い髪に手を伸ばす。さらさらとしたその感触を確かめたあと、彼が言う。
「シェラ、そのままだと目立つし、邪魔になるだろう。私が結んであげるよ」
 予想外の提案に、驚いたシェラが双眸を見開く。
「え? 良いのですか? というより、失礼ながら……できるのでしょうね?」
 ありがたいことだが、少しばかり不安だ。ローレントはけっして不器用なほうではない。
 しかし男性である彼が髪を結ったりするのが得意だとも思えない。
 シェラが不安に思って問いかけると、ローレントは予想していたというように苦笑をこぼした。
 その顔は、なんだかとても優しくてくすぐったさを感じる。
「できるから安心していい。妹が居るんだ、昔はよく結んであげたものだよ。そこに座って?」
 言われるままに椅子に座ると、うしろに立ったローレントが近くのテーブルにあった櫛で器用に髪を梳いていく。
 大きな手が髪を撫でる感触に、奇妙なくすぐったさを感じた。
(な、なんだか妙に恥ずかしいですね)
 他人に髪をいじられることなどないために、気恥ずかしさを感じながらもシェラはじっとしていた。
 ローレントは彼女の長い黒髪を梳いて、綺麗に束ねて結んでいく。
 耳まで赤くなっているシェラに小さく笑って、ローレントが言う。
「腕が治るまでは、私がやってあげるよ」
「え? いえ……結構ですよ」
 恥ずかしい、という言葉はのみこんだのだが、彼は言葉を続けた。
「髪を背に流したままでは、女性だと勘づく者が他にも出てくるかもしれないよ?」
 いくらなんでも、それはないはずだ。
 そう思って、シェラは否定の言葉を口にする。
「そんな馬鹿な、ありえませんよ。だって騎士団には本来、男性しか居ないのですから」
 そう言ったシェラに、ローレントは少し考えたあとに言う。
 どこか含みのある間だったように感じて、嫌な予感を覚える。
「そうかな? どうやらお偉方に関係のある人間たちが紛れ込んでいるようだ……という噂は、最近になってよく聞くけれど」
「え……っ」
 予想外の言葉に、シェラの肩が大きく揺れる。
 それでもローレントの手元は狂わず、綺麗に黒髪を結い終えた。
 いったいどういうことだろう、もしかして、内通者とやらに気づかれたのだろうか?
 だとしたら、その人物がその噂を流したとしても何もおかしくはない。
「本当ですか? それ」
 シェラが振り返って言うと、ローレントは静かに頷く。
 少なくとも、シェラは聞いたことがなかった。
「その一人がきみではないか? というのも、憶測として飛び交っているから、シェラは聞いたことが無いかもしれないね」
 なるほどそういうことかと深く納得してしまった。
 確かに、腕前には自信があるとはいえ、シェラの戦い方は男性たちのそれとは異なっている。力任せにすれば勝つことはできないので、試験のときも隙を狙う動きだっただろう。
 それは、腕力に自信がないと言っているようなものだ。
 ともすれば、シェラの体躯から言っても、実は女なのではないか? と思われたとしてもおかしくはない。
「――最悪ですよ」
 昨日から数度目のその言葉。
 仮に知られたとしても、リヒトがうまく取り繕うだろう。
 けれど、動きにくいのは事実だし、シェラ自身、女だと知られたくなどない。
 騎士団は、彼女にとって仲間であって……だから、ローレントに女性として扱われるのも本当は嫌なのだ。
 そのうえ、他の仲間たちにも知られるなんて冗談ではない。
 憂鬱そうな顔をしているシェラに、ローレントが苦笑して言う。
「だから、髪は結んだほうが良いと思うよ。背に流していると、まるで愛らしい少女のようだから」
「……そうですか。それなら、明日からもお願いします」
 はあっと大きなため息を吐き、シェラは不満そうな顔でローレントから視線をはずして正面を向く。
 こうなっては、できるだけはやくに内通者とやらを見つけなければならないではないか。
 女が騎士団に在籍しているなどという状況にだけはなってほしくないものだ。
 シェラはローレントに視線を戻して、微笑んで言う。
「髪、結んでくださってありがとうございます。明日からもよろしくお願いします」
 すると、くすぐったそうに笑ってローレントが答えた。
「どういたしまして、こんなことで良いならいくらでも手伝うよ」
 手鏡を渡されて、見てみると自分で結ぶよりも上手にできあがっていた。
 なるほど確かに慣れているのだろうと納得した。
 痛くもなかったし、少しだけ心地よくもあった。
(けど、やっぱり恥ずかしいです……)
 シェラは心の内でそう思いながら、赤くなった頬を誤魔化すように勢いよく席を立った。

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