とある腐女子が乙女ゲームの当て馬役に転生してしまった話

九条りりあ

『悪魔の子』と呼ばれた少年の話

♢ ♢ ♢


僕の一番幸せだった頃の記憶は、母ルナ・ウォーカーと過ごした日々。

白銀の長い美しい髪を風になびかせ、深紅の宝石のルビーのような瞳は常に優しさをたたえ、いつも僕に美しい歌を歌ってくれた。優しく語りかけてくれた。僕にとって、母は世界の全てだった。

けれど、そんな幸せな僕の世界が壊れてしまったのは、僕が9歳の頃。母であるルナ・ウォーカーが病で亡くなってしまったとき。

母が亡くなった直後、僕は母が亡くなったことを信じられず、父が街に外れに立てた母の墓の前を見て、膝から崩れ落ちた。墓石に彫られている母の名を見て、どうしようもない悲しみが襲ってきた。そのときに、感情に任せて魔力を暴走させてしまい、我に戻ったときには、周囲のほとんどを更地にかえっていた。

どうやら僕は人よりも多くの魔力を持っていたらしい。自分自身が恐ろしくなった。魔法を使うことが怖くて怖くてたまらなかった。だから、自ら魔法を使うことなんてなかった。
けれども、人々はいつ魔力の暴走するかもしれない僕を腫れ物のように扱い、僕はいつしか「悪魔の子」と呼ばれるようになった。

それからだ。父はあまり屋敷に戻ってこなくなった。周囲の使用人は皆、僕を避ける。

僕の居場所は、どこにもなかった。

僕はただただ孤独に日々を送り、気が付けば母が亡くなってから5年の月日が経っていた。

♢ ♢ ♢

街の中心部から少し外れにある父が所有している大きな教会。あるときふと行ってみようと思い立った。あまり使われていないその教会。誰もいないその空間がたまらく落ち着いた。そのときからほぼ毎日その教会に通うようになり、ある日、その教会は父により閉鎖された。父に疎まれているのだと思った。

「神様、なぜ、あなたは、僕に、こんな忌々しい力を与えたのですか?」

そんなある日のこと、いつものように教会にやってきて、いつものようにステンドグラスに描かれている神様を見上げたときだった。普段は開くことのないここの扉がぎぎーと音を立てて開いて、僕の紅色の瞳に映ったのは

「……――綺麗!!」

亜麻色の髪の1人の少女。

そうして僕は“彼女”と出会った。

♢ ♢ ♢


アリア・マーベルと名乗った彼女は、僕を怖がりもせず、楽しそうに僕の隣でくるくると表情を変え、楽しそうに話していた。あまつさえ、僕のこの呪われた容姿を“綺麗”だと言ってくれた。そして、優しく僕の手を取ってくれた。だから――……

「名前をうかがうのを失念しておりましたわ。教えていただけますでしょうか。」

彼女にそう言われた瞬間、息が止まりそうになった。名前を言えば“悪魔の子”だということを知られるのではないかと。けれども、にっこり微笑むかの彼女に黙ったままなのはよくないと思い、“ルーク”と自分の名前を口にした。その瞬間、教会の鐘が“ゴーン”鳴り響いた。

「ダーク!髪の色と同じですわね」
「え……?」

彼女の言葉に思わず固まった。どうやら鐘の音で聞こえなかったようだ。もう一度、名前を言いなおそうとすれば

「そうですわ!せっかくですから、私のことは、アリアとお呼びください」

そう遮られた。

「え?でも――……」
「せっかくお友達になれたんですもの!」
「友達……」
「それに、敬語も不要です。常に敬語でかしこまってくる方が、ほぼ毎日来ていますからね。同い年の人に、敬語で話されるのは、疲れますし。できれば、私も、敬語を外してもよろしいでしょうか?」
「……――うん、わかった。アリア」

嬉しそうに話す彼女を見て、僕の頬も自然に緩んだ。“友達……”生まれてはじめて言われた言葉だった。

「そういえば、アリアは、帰らなくて大丈夫?そろそろ、外が暗くなる頃だけれど」

ふと彼女越しに見えるステンドグラスから入ってくる光が茜色に染まっていることに気が付いた。楽しい時間ももう終わりだ。

「本当ですわ!!」

そういって、アリアはしまったといった表情を浮かべる。

「あ、でも、帰り道がわからないわ。ブローチを買ってから、ここに来たから……」
「その袋、大通りのところにある細工屋だよね。場所わかるから、案内するよ」
「本当ですの!お言葉に甘えてもいいかしら?」
「うん」

名残惜しいけれど、アリアを待っている人もいるはずだ。せっかくアリアと“友達”になれたのに、惜しいな。この時間が永遠に続けばいいのにと思ったときだった。

「そうですわ!また、ここでお話しましょう?」

ぱちんと両手を叩いて、アリアは僕に提案してきた。

「え?」
「だから、来週のこの時間、またお話ししましょう!この場所で……!!」

思わず目をしばたかせる。この僕に、また会いたいといってくれるのかと。

「……うん!」

嬉しくて嬉しくて涙が出そうになったのは、アリアには秘密だ。

♢ ♢ ♢

アリアとの約束の日。僕はアリアと出会った教会にいた。あの日と同じように澄みきった空から降り注ぐ太陽の光が教会を優しく照らしていた。

「まだかな……」

約束の時間よりだいぶ早くついてしまい、教会を見渡せば、アリアが来た様子はなかった。教会の一番前の席に腰を下ろそうとした瞬間、ぎぎーと音がした。アリアかなと思い、音をした方を見れば

「レイリー……」

父に師事しているレイリーだった。父の弟子で、屋敷に来ているのを何度か見たことがある。射貫くように僕を見るレイリーの視線が恐ろしく、思わず後ずさった。

「……マーク様はあなたの扱いに困っているようだ」

レイリーはそういって黙りこくる僕のほうへゆっくりと歩みを進めてきた。そして、10メートルほど離れて彼は歩みを辞めた。そして、一言言い放った。

「……だから、マーク様のためにあなたには死んでもらう」

レイリーが何事か詠唱し、僕の方に何かを放った。僕は咄嗟に目を閉じ、魔力を開放してしまった。ビキビキと何かが壊れる音とパリンとガラスが割れる音がした。

“あの時”と一緒だ。母の墓で魔力を暴走させてしまったときと同じ。

目を開けたときに、まず目に入ったのは傷一つついていない僕の体。ついで目に入ったのは、さきほどまで自分が見ていたステンドグラス。それが粉々に崩れ、自分の周りのものも粉々に砕けていた。そこで、思い知った。

「あぁ……そうか」

僕はアリアとは違う。ただの“魔力の化け物”だと。

その瞬間、ぎぎーと教会の扉が再び開いた。

♢ ♢ ♢

「ダーク!」

教会の扉から入ってきたのは、必死の形相をしたアリア。

「……来ないで!!!!!」

僕は咄嗟にアリアを拒絶した。僕とアリアは、違うものなんだと改めて知ってしまったから。こんな僕を知られてアリアに、怖がられてしまったらと思うと恐ろしくて仕方がなかった。

「……ダーク……」

心配するようなアリアの声が聞こえた。

「化け物め!!」

レイリーの鋭い罵声が聞こえ、僕は、力が抜けたように地面に座り込んだ。

「マーク様が、お前のせいで、どれほど心を痛められていると思っている?」
「…………」
「なのに、マーク様は、いつまで経ってもお前を罰しない」
「…………」
「だから、思ったのだ。さしもの、マーク様も、実の子に、罰を与えるのは流石に酷なのだと。だから、俺が与えているんだ」
「…………」
「なのに、なぜ、魔法で跳ね返す?そんなに命が惜しいのか?」
「…………」
「自分の存在が罪だというのがまだわからないのか?」

レイリーは、くつくつとおかしそうに笑う。そうだ、その通りだ。僕は化け物で、この世にあってはならないんだ。何も言えずただただ唇を噛みしめた瞬間

「おかしいこといわないで!!!」

アリアの声が聞こえた。

「……アリア」

大きく目を見開く。どうして、と思った。

「部外者は黙っていてくれないか?それに、何を勘違いしているのか、わからないが、これの名前は、ダークじゃない」

レイリーはおかしいとばかりにそういった。

「ダーク……じゃない?」

駄目だ!!これ以上は。

「止めて!」

僕がルーク・ウォーカーだと知られたら、きっとアリアも……。

「キミも聞いたことあるはずだ。これの名は……ルーク・ウォーカー」

“悪魔の子だ”しんとした教会。レイリーの声が教会の中に、響き渡った。

♢ ♢ ♢


「……ルーク・ウォーカー?」

そうアリアが呟いたとき僕は恐ろしくてたまらなかった。アリアはいったいどんな表情を浮かべているのだろうか。恐ろしくて見えない。

「ダーク――……」

そうアリアが言ったときだった。

「何をしている!?」

と鋭い声が教会の中に響き渡った。

「誰だ!?」
「ハース様!!」

アリアとレイリーの声が重なった。後ろを振り返れば、扉のところに、黄金色の輝く金髪に、空色の瞳に白い清潔そうな服をきっちりと着た僕と同じくらいの少年だった。誰だ?と思ったが、アリアの知り合いらしい。

「私の名前は、ハース・ルイス。この騒ぎはなんだ!?」

威厳たっぷりに言い放つ彼。

「騎士団団長の子息でございましたか。失礼しました。こんなところで、お会いできるとは思いませんでした」

レイリーはというと、ハース・ルイスと名乗った彼の方を向き跪いた。

「私の名は、マーク・ウォーカー様に師事しておりますレイリーと申します。此度は、マーク様に代わり、悪魔の子に罰を与えようとしていたのでございます」
「悪魔の子?」
「はい。貴方様もお聞きしたことがありませんか?魔力の化け物、悪魔の子と言われているルーク・ウォーカーの名を」
「………」

黙りこくるハース・ルイス。逆光で細かい表情がわからない。この少年も、きっと僕を蔑むだろう。もしくは、恐怖に顔を歪めるかもしれない。僕はぎゅっと目を閉じた。そのときだった。

「まったく、くだらない!!!」

アリアの声が教会に響き渡ったのは。

「アリ…ア……?」

アリアは、一歩踏み出して、僕に近づいてくる。

「力があることがなんなの?」
「……アリア、来ちゃダメだ」

こんな魔力の化け物、この世にあっちゃならないんだ。けれども、アリアの歩みは止まらない。

「あまりある力は暴走する可能性がある」

レイリーは当たり前のようにそういった。

「暴走なんてしていないでしょ?」
「今は、していなくても、いずれ、誰かを傷つけるかもしれない力だ。今のうちから摘み取っていた方がいいだろう」

レイリーの言うとおりだ。レイリーのいう事実に心の中で同意していると

「そんなのただのあなたの戯言じゃないの!!」

アリアの声が聞こえた。

「現に、あなたは傷ついていないじゃない!!」

気が付けば僕の前に立ちレイリーとの間にアリアは立っていた。

「うるさい!!!」

僕が気が付いたときには遅かった。

「アリア!!!」

アリアの顔の傍を何かがかすめた。

レイリーの手に握ってられているのは短剣だった。

「……えっ?」

アリアの綺麗な亜麻色の髪をレイリーが持っている短剣で切り裂いたのだ。僕のせいで、アリアが傷ついた。

「悪魔の子を庇うということは、お前も同罪だ」

僕のせいで、またアリアが傷つこうとしている。“もう、やめて!”そう言いかけた瞬間

「……罪を裁くのに、私も、お手伝いいたしましょう」

静かな声が教会に響き渡った。声のした方を見れば、ゆっくりとした足取りで、ハース・ルイスがこちらに歩いてきていた。
そして、腰に帯びた剣を右手で抜き、左手を翳すと途端に剣がまばゆく光りだす。

「……ハー…ス…様?」

アリアが困惑したような声を出した。金色に輝く前髪の奥、空色の瞳が怪しく光る。まるで、獲物を狩る獅子だ。

「こいつらは、罪人です」
「えぇ、ここで、罪深いことがありました」
「力添えいただけるとは心強い。ハース様のお力で、こいつらを裁いてください」
「私が、直に、ここにいる罪人を断罪いたしましょう」

そういうや否や、ハース・ルイスは、剣の切っ先を下へ向け、構えた。

「…ハー…ス様……」
「アリア!!僕はもういい、逃げて!!!」

もう、アリアの傷つくところは見たくない。懇願するように頼むが、アリアは黙ったままだ。

「アリアといったか?そこを退けば、お前だけは助けてやるぞ」

そういって、レイリーは鼻で笑った。

「逃げないわ!」

対してアリアは凛としてそう言い切った。

本当に、この人は――……。温かい。

「……――やはり、アリア、あなたはそういう人ですね」

ハース・ルイスは、そういうや否や、こちらへ向けて駆け出した。

「アリア!!!!!」

僕が叫べば、アリアは覚悟したように目を閉じていた。

♢ ♢ ♢

信じられないことが起きた。

「…――あれ?痛くない」

アリアがゆっくりと目を開けた瞬間、レイリーが持っていた短剣の先が“カーン、カーン”と地面に落ちる。

「な、な、な…何をする!!!」

レイリーは、上ずった声を上げ、恐怖に顔を歪めていた。レイリーが握っている短剣の切っ先はすぱっと綺麗に切られていた。

「……―別に、罪人を裁いただけですよ」

そのレイリーの短剣を切ったのは、彼。アリアの方に助けに入ろうと身を乗り出した瞬間、何かによって体の自由が拘束された。見れば黄金色に輝く何かで拘束されていた。やられた、しまったと思った。僕の目の前でアリアが傷つけられる……と思った瞬間、ハース・ルイスは優越感に浸っているレイリーの短剣の切っ先を自身の剣で切ったのだ。そのハース・ルイスはというと、レイリーの目の前でにこやかに笑っている。

「……――ハース様」

アリアも驚きで声がでないようだ。

「な、なぜ―……」

レイリーの顔が恐怖にゆがんだ。

「あなたは、私の目の前で、アリアを傷つけた」

対するハース・ルイスは、笑顔なまま静かに言った。なぜだろう。笑顔なのにすごく怖い。

「……―だから、私はあなたを許すわけにはいかないんですよ」

ハース・ルイスは、切っ先を彼に向けて言い放った。

「ハース様!!」
「アリアは、彼と離れてください。あとは、私がなんとかします」

アリアが彼の名前を呼べば、気のせいだろうか。少し彼の表情が柔らかくなった気がした。

「それだけの強さがありながら、なぜこの化け物を斬らない?この化け物は、その気になれば、街を壊すなんて簡単なことなんだぞ!!」
「確かに、莫大な魔力を有して、過去に国一つ滅ぼした、なんて伝記でも残っていますね」
「だろう!!!」
「ですので、莫大な魔力の持ち主は、早々に芽をつむ。その考え方は、間違っているとは一概には言えませんね」
「だったら!!!」

レイリーは乱暴な口調で食いつくようにいった。それに対して、ハース・ルイスは事もなげに一言。

「で、それがどうしたんです?」
「どうしたって――……」

小首をかしげるハース・ルイスを信じられないものでも見るようにレイリーは見ていた。

「以前の私なら、あなたに賛同していたかもしれません」
「以前なら……だと!?」
「えぇ、ある人のある一言がきっかけで物の見方が変わりました」

そういって、ハース・ルイスは懐かしむような表情を浮かべて

「魔力が高いのは、それもまた彼の才能でしょう?」

一瞬ちらりとアリアを見た。それにどれほどの意味があったのだろうか。

「だから、魔力を持っているだけで、それが罪だと決めつけることはおかしい」
「だが、現に――……」
「現に、なんですか?アリアも言ってましたが、そちらのルーク・ウォーカーは、この場にいる誰かを傷つけていますか?」
「……それは」
「その言葉のあとに一体どんな言葉が続くのでしょうね?」

ハース・ルイスの口調は、酷く優しい。対するレイリーは顔を真っ赤にさせ

「……うるさい!!!」

短剣をハース・ルイスの方に投げ捨てた。

「ハース様!!!」

アリアが彼の名前を叫んだときには、教会に再び“カーン”という音が響き渡った。
見れば柄が綺麗に真っ二つだ。ハース・ルイスの持っている剣が、金色に輝きを増している。

「……―その攻撃は、私には当たらない」

そういって、ハース・ルイスはアリアを守るように立ちふさがった。

「これでも、まだ続けますか?」
「……ひっ!!!く、来るな!!!」

静かに言うハース・ルイスに対して、レイリーは右手をハース・ルイスに突き出した。
そして、何やら詠唱し、魔法を発動させた。

「食らえ!!!」
「ハース様!!!」

瞬間、ハース・ルイスに向けて、鋭い突風が吹き、周りのものを粉砕していき、砂埃が舞う。壊れた椅子がミシミシと音を立てた。

「ははは……、さしもの「英明のナイト」もこれで――……」

勝ち誇ったようにいうレイリー。

「……――ハース……様……――嘘……」

アリアというと、座り込んだ。レイリーはそんなアリアの前で高笑いする。僕もあまりのことで言葉を失い、口元に手を当てると

「……――さしもの「英明のナイト」もこれで……どうなるのでしょう?」
「ハース様!!!」

砂埃の中、何事もなかったかのように立つハース・ルイスの姿が。アリアは、安堵したかのように彼の名を呼んだ。ハース・ルイスはというと、傷一つ、塵一つついていない。

「……――なぜ?」

レイリーはというと、まるで未知の生物でも見ているかのようにハース・ルイスを見ている。

「剣だけかと思いましたか?攻撃魔法も、防御魔法も、人なりに扱えるんですよ」

対して、にこりと笑って、レイリーを見返した。レイリーの顔が引きつる。

「さて、あなたは私に対して攻撃の意思があるようですね。でしたら、私も反撃しなければなりませんね」

ハース・ルイスが握る剣が、怪しげに光り出す。恐怖で顔を歪めながら、レイリーは再びハース・ルイスに手を突き出した。

「……―というのは、建前で」

対するハース・ルイスはというと、にこやかな笑みを浮かべゆっくりと目を閉じた。そして、カッと目を見開いた。その碧眼は、自身の光輝く刀身を受けてか、怪しげに光っている。そして、次の瞬間

「本音は、先ほども言いましたが、ただ、アリアを傷つけたことが許せないだけですよ」

そう言い放ち、ハース・ルイスはレイリーに向かって、一歩駆け出した。


♢ ♢ ♢


「まだ続けるおつもりですか?」

ハース・ルイスが剣を構え駆け込んだ瞬間、レイリーが風の魔法を発動させた。そしてその魔法が、ハース・ルイスを襲った……かに思えたが、ハース・ルイスはそれを軽々と避け、ハース・ルイスは涼しい顔をして、そのままレイリーの元へ。その切っ先はすでにレイリーの首元へ向いていた。

「投降しなさい。もう、貴方は何もできません」
「…………」

にこやかに切っ先を向けるハース・ルイスとは対照的にレイリーは強張った表情を浮かべている。

「……すごい」

僕はこの言葉しか出てこなかった。

「なぜだ……?」

どうにか声を絞り出すよういうレイリー。

「『英明のナイト』とまで言われ、この国を守っていく貴方があの化け物を守るようなことをなさるのですか……?」
「別に、ルーク・ウォーカーを守ったつもりはありませんよ」
「……では、今からでもその切っ先をルーク・ウォーカーに向けるべきです」

先ほどまでの威勢が嘘のように消え、震える声でそういうレイリーに対して

「私は、アリアが守ろうとした者を守っただけですよ」

ハース・ルイスは表情を変えることなくそう言い切った。

「それに先ほども言いましたよね。アリアを傷つけた貴方を私は許せないと」

表情は微笑みを湛えているもののその碧眼の瞳の奥が怪しげに揺らめいている。

この人は、アリアのために本気で怒っている。

「アリアを傷つけた代償では生温いですが、その折れた短剣でこの場を収めるといっているのです」
「……っ……」
「さて、投降してください。私はこれ以上、続けてもいいですが、アリアに醜いものを見せたくないので」

心なしか剣の光が淡く光り輝いて見え、レイリーはごくりと息を飲み

「……――わかりました」

やがてうなだれるようにそう口にした。

「申し訳ありませんが、あなたを拘束させてもらいます」

ハース・ルイスが『Retenue』と唱えるや否やレイリーの両腕はひも状に伸びた黄金色の光で囲まれた。これは、拘束魔法だ。術者が魔法を解くか、気を失わなければ解けない魔法だ。

「……――よかった」

傍にいるアリアは、ほっとしたように息を吐いた。

「これで、心配はありません。あとは、私に任せてください」

ハース・ルイスはアリアに笑いかける。

なぜだろう。何もできなかった自分が腹立たしかった。
僕はアリアが傷つけられてもただ見ているしかできなかった。
ただハース・ルイスがアリアのために戦っている様子を見ることしかできなかった。
アリアに怪我がなくてほっとしたけれど、それと同時に酷く悔しかった。

思わず唇を噛みしめていると

「ダーク!!」

アリアがこちらを振り返った。

「アリア……」
「ダーク、怪我はない?」

そして、近寄って声をかけてくれる。

「アリアこそ……、ごめん」

アリアの綺麗な亜麻色の髪が無造作に切られ、申し訳なくアリアを見れば

「こんなもの、また伸ばせばいいだけよ」

そういって、切られた髪に触れ、何事もなかったかのように髪をかき上げた。その瞬間、アリアが不思議そうに自身の手を見た。そして

「砂――……?」

アリアはなぜか上を見上げた。つられて僕も天井を見上げて異変に気が付いた。

同時に「しまった……!!」というハース・ルイスの声が聞こえた。建物が削れ、バランスが保てなくなったようだ。すぐ近くに建ってあった柱がぐらりと倒れるのが視野の端を掠めた。ゴゴ―と鈍い音とともに

「アリア―――!!」

切羽詰まったハース・ルイスの言葉が聞こえ、僕は咄嗟にアリアを押し倒した。


♢ ♢ ♢


「……―――あれ?」

僕の下にはアリア。恐る恐るというふうに目を開ける。そして、一つ瞬き。

「……――ダーク?」

アリアが驚くのも無理はない。僕の瞳から透明の雫が流れ落ちていたのだから。

アリアを傷つけないように、魔力をドーム状に展開させ、落ちてくる瓦礫を払う。魔力の加減がわからず、とにかくアリアを守るために風の魔法を全力で展開させていた。

「僕に、温かさなんて、知らなかったのに……いらなかったのに……」

僕のせいで切られた亜麻色の髪を見て、胸が締め付けられ、アリアの頬に次々と雫が落ちた。

「アリアのせいだ……」
「…………」

けれど、もうこの想いを留めておくことはできなかった。
アリアは、黙って僕の目じりを撫でる。とめどなく涙があふれだし、アリアの指に雫がついていく。

「……アリアに、本当の僕を知られたくなかった……、みんな僕の魔力を知ると、僕の前からいなくなるから……」

アリアは僕の“初めてできた”友達。僕の隣でくるくると表情を変えて話す彼女は、僕にできた初めてのつながりだった。

「なぜ?魔力を持っていることが悪いの?そんなの、私がいなくなる理由にはならないわ」

何のことはないアリアの一言で、僕がどれほど救われただろうか。

「……でも、アリアは、僕が悪魔の子だって言われた時も、顔色一つ変えずに、くだらないって言ってくれた……」

今までずっと独りぼっちだと思っていた。だから、別に一人でいることが当たり前だった。

「だって、あなたは、あなただもの。初めて会った時に、言ったでしょう?あなたの容姿は、とても綺麗だって。私、女なのに、見惚れてしまったのよ」

そして、これからもずっと独りだと思っていた。それでもいいと思っていた。

「……アリアが、僕にそういう温かい言葉を…優しい言葉をくれたせいで、僕は昔みたいに一人でいても平気じゃなくなってしまったじゃないか」

もう、1人の孤独に耐えられそうもない。

「一人で平気な人なんていないわ。そんなものに慣れちゃダメ」

そんな僕の心の中なんてわからないはずなのに、アリアは微笑んだ。

「……暴走するのが怖くて、アリアが傷つけられても助けられないただの魔力の化け物なのに?」

“魔力の化け物”である自分が、アリアの傍にいてもいいのか。ぽろぽろととめどなく瞳から涙が零れ落ちる。

「そんなことないわ」

アリアはゆっくりと首を振った。

「……なんで、言い切れるの?」

震える声で僕はそういった。すると、アリアは柔らかく微笑んで

「だって、あなたは……、“ルーク”は、こんなにも、優しいもの」

僕の名を呼んだ。そして、目じりを撫でていた手を止めて、僕の頬に手を添えた。

「……それに、ルークが優しくて、素敵だと思ったから、今日、また会いに来たのよ」

優しく笑う彼女に誰かの面影が重なった。そのときに、なぜアリアといると落ち着くのか分かった気がした。似ているのだ――……。

「それに…、魔法は傷つけるだけじゃないでしょ」

その人は真っすぐで、裏がなく、芯の通っている――……。

「現に、ルークは今、その魔法を使って、私を守ってくれているじゃない」

そう言い切る彼女に僕は一言だけ告げた。

「……ありがとう」と。

♢ ♢ ♢


突然――……

コツコツ、と砂埃が舞う教会に静かな足音が響き渡り、思わず身構える。

「誰かしら?」
「アリアは、そのまま」

僕は涙を拭い、アリアを起こし、アリアと音のする方の間に立ちふさがるように立てば、砂埃がまるである一点、音のするほうへ吸い込まれている。

この魔法は――……まさか。

コツコツ、だんだんと近づいてくる音の方を見ていると、それはやがて人影を映し出した。

「綺麗――……」

背後にいるアリアがそう呟いているのが聞こえた。

やはり、自分の思い描いた人だった。

「お父様!!」
「えっ!?お父様!?」

アリアはなぜだか驚いたような声を出し

「ルーク」

目の前に立っている父は僕の名前を呼んでゆっくりと息を吐いた。

「……――この現状はなんだ!?」

思わず身を固くする。最後に、父と会話したのはいつだっただろうか。

「お前がやったのか?」
「…………」
「レイリーがいなくなり、どうしたのかと思えば、こんなところにいたとはな」
「…………」
「これは、魔力の暴走か?」
「…………」
「無謀な魔法の使い方をすることは、自身の命を削ることと同じことなんだぞ」
「…………」
「わかっているのか、ルーク」

静かな物言いに思わず顔が強張った。

そんな僕を見て父は、はぁ……と息を吐いた。次は何を言われるのかと父を見返せば

「ルーク、マーク様はあなたを心配しているのです」

アリアがそんなことを言ってきた。

この僕がお父様に心配されている?

「え……?」

アリアの言葉に僕は困惑した。父は何も言わない。

「でも、お父様は――……!」

信じられず父とアリアを見比べる。

「そうですよね。マーク様」
「…………」

父は何も言わずアリアをみていた。

「マーク様は別にルークのことを疎んでいるわけじゃないわ」
「でも、レイリーが――……」
「それはレイリーが勝手に勘違いしてのことだと思うわ」
「それにお父様はずっと僕を避けて、全然家にも帰らずに――……」
「マーク様はルークを避けていたわけじゃないわ」
「なんで、そんなこと――……」
「だって、ルークを疎んでいるのならば、この場に来る必要がないもの」

アリアはそう言い切った。父は黙ってその様子を見ているだけ。

もし、アリアの言うとおりだったら、今まで僕が思ってきたことはすべて――……。

「もし仮にルークのことを邪魔に思っているのなら、こんな半壊したところまで来やしないわ!」
「…………」
「心配だったから、こんな危険なところまでやってきたのよ」
「…………」
「さっきだって、無茶な魔力の使い方をしていないか心配してたのよ」
「…………」

全部、誤解だったっていうことになる。

信じられず僕は頭を切り替えるように首を一つ振って“じゃあ!”と声を上げた。

「この教会だって僕が通うようになってから、誰も使わせないようにしたのは、僕が魔力の化け物で邪魔だったからじゃないか」

父は何もいわない。表情も変わらず、僕を見ている。

「マーク様、貴方の想いを言ってあげてください!このままでは、あなたはルークに誤解されたままだわ」

アリアは黙り込んだ父に、訴えかける。すると父は、諦めた表情を浮かべ、静かに言った。

「……お前が、ルークが落ち着ける場所ならばと、この教会を閉鎖した」
「……――僕のため?」

……――どうして?

「……お前に強い魔力があることはわかっていた。そして、次第にその魔力の高さを見たものがお前を『悪魔の子』と呼ぶようになった」

……――お父様は僕を邪魔に思っていた

「神に仕える聖職者の息子だから、そのように呼ばれるのだと思った」

……――それがそもそもの間違い?

「ならば、私の傍から離れる方がよいと思った」

……――僕を避けていたわけではなく

「私から離れ、私と関わらずにいれば、自然そんな噂もなくなると思っていた」

……――それは僕を守るため?

「……けれど、噂は増すばかりだった」

……――どうして?

「……息子を守ることができない父親なのに、どの顔をして会えばいい?」

父は、どこか自嘲気味に笑った。まるで、自身が情けなさを笑うように。時折、どこかでギシギシと音がする。そんな中

「まったく、口下手な親子だわ!!」

アリアの声が教会に反響した。

「ア、アリア――……?」
「不器用か!!同人誌のほうが、まだ器用だわ!!」
「え……?ドウジンシ!?」

そして、わけのわからないことを口走る。ドウジンシ?なんだろうか、それはと疑問に思っていれば

「お互いの気持ちを言わなくちゃ進めないでしょ!!!まずは、ルーク!!」

ビシッと名指しで呼ばれる。

「え?僕……?」
「そう、あなたよ!マーク様のお話を聞いてどう思ったの?黙ったままじゃわからないでしょ」
「それは――……」

確かにそうだ。アリアの言うとおりだ。

「……僕はずっとお父様に疎まれていると思っていました」

だから、思ったことを父に言おう。意を決して口を開けば、アリアはそれでいいとばかりに頷いた。それだけで、スッと気持ちが軽くなった。

「お前をどうして疎む必要がある?お前は、私の息子だぞ」

……――父は僕を疎んでなどいなかった

「……だから、僕はお父様にとって邪魔な存在で、愛されていないのだと思っていました」
「子を愛さない親などいるものか」
「……――僕は、愛されていたのですね」

僕は父から愛されていないのだと思っていた。必要のない『悪魔の子』なのだと。けれども、それがそもそもの間違いだったのだ。

思わず力が抜け、僕はぺたんと座り込んだ。アリアはそんな僕の背を優しく撫でてくれた。

「次に、マーク様!」
「……――私もあるのか?」
「当たり前です!」

アリアの言葉に父はたじろぐ。

「マーク様のやることはまどろっこしいです!」
「…………」
「ルークじゃなくても、勘違いするわ」
「…………」
「あと、淡々とした話し方!もっと抑揚をつけてください。余計に冷たそうに感じます」
「おい、余計にとはなんだ?その言いようはないだろう」

最初は、アリアと父のやり取りに目をしばたかせていたが、父にずばずばというアリア、そして珍しくたじろぐ父を見て、思わず口元が緩んだ。

「アリアは、本当にすごい」

そして、アリアに向き直った。

「アリアの言葉はまるで魔法だね」
「え――……?」

長い長い誤解をこんなにもあっさりとくなんて。

「こうやって、お父様の想いを知ることができた」

アリアのおかげで、僕は父からの愛情を知れた。

「それに、『悪魔の子』と言われて、僕は呪われた子なんだと思っていた。だけど、僕は僕なんだって思わせてくれた。全部、アリアのおかげだ」

アリアを見ると優しい気持ちになれる。

ずっとずっとなぜ僕に高い魔力を与えたのだと神様を恨んでいた。

「それに、魔力が高いなんて羨ましいわ。私なんて、魔力ゼロで使えないのだから」

けれど、こんな僕にアリアと出会わせてくれた神様に初めて感謝した。

「ルーク――……?」

アリアの笑顔を守りたい。ただそう思った。

「だったら、“今度”は僕が守るよ――……」

僕の魔力をキミを……アリアを守るために捧げるよ。

♢ ♢ ♢
コンコン――……とノックを鳴らす。中から、“入れ”と父の声がし、扉を開いた。そして、父に頭を下げた。

「お父様、お願いがあります」

僕が父の部屋にやってきたのは、レイリーとひと悶着あった翌日。魔力を使い果たし、気を失い、気が付けば屋敷に居た。それで先ほど目が覚め、衣服を改め、父の部屋に訪れた。

レイリーはというと、建物崩壊の中伸びていたところを父が連れ帰ったらしい。拘束の魔法は切れていたが、レイリーの周りはまるで雷がそこだけ落ちたかのように焦げていたらしい。たぶん、建物の瓦礫がレイリーに落ちないようにしたときに、ハース・ルイスがやったのだろう。本来なら重罪に問われるのだが、アリアからの嘆願で、『私の髪を切ったことに関する罪は不問です』との達しがあり、ハース・ルイスからも『マーブル家と同様です』とのことで、僕も勘違いだったとはいえ父のためを思ってレイリーが動いたということもあって、『僕は父に従います』といったところレイリーは神父を辞めさせられたが、父が掛け合って父の友人の装飾職人の弟子になったらしい。軽くて禁錮、重くて極刑の罪が、このような形になり、レイリーは泣きながら『申し訳ありません』といって、父と僕、そしてアリア、ハース・ルイスに感謝したらしい。

「もう、身体はいいのか」
「はい」
「そうか……」

以前のように張り詰めたふうじゃない。アリアのおかげで、僕はこの人の不器用な愛情を知れた。

「それでお願いとはなんだ?」

父は短く僕に問う。

「魔法を僕に教えてください」
「……――なぜだ?」

父を見返せば、父も同じように僕を見返していた。だから、僕は一度目を閉じ決意するようにゆっくりと目を開けて、一言。

「アリアを守る力が欲しい」

心からの願いを口にした。

♢ ♢ ♢

ルークに魔法の指導を願われたその日の夕方。私はある場所に立っていた。

「ルナ、ようやくキミとの約束を守れたかな」

そういって、私は、かの人に想いを馳せた。白銀の髪、深紅の瞳。この世でもっとも愛した愛しい人を思い浮かべ、あのときの彼女の言葉を思い出す。


♢ ♢ ♢

病室に入るとルナに付きっきりだったルークは彼女の足元で安心したように寝ていた。そのルークの髪をルナは優しく撫でていた。病室に入ってきた私に気が付いたのか、彼女は柔らかく微笑む。私は、ルナのベットの傍に置いてある椅子に腰かけた。

『……私は幸せね。こんなにも私を大切にしてくれる息子がいるんだもの』
『……――あぁ』
『それに、大好きな貴方にこんなにも愛されている。あなたのおかげで、ルークの母親にもなれた』
『……――ルナ』
『もし、来世があるのなら、また貴方と恋をして……結婚をして、ルークの母親になりたいな』
『来世とかいうな。早く病気を治して、また屋敷でルークと3人で暮らすんだろう』
『ふふふ……、そうね』

口元を隠して彼女は笑う。そういったものの彼女は聡い。自分が長くないことを感じ取っていたのだろう。だから、彼女はこういったのだろう。

『だからね、マーク。もしもよ。もし、万が一私に何かあったときは――……』

“貴方がルークを守ってあげて”それが彼女と交わした最期の約束だった。その翌日、彼女は眠るように天へと旅立った。

「……――ルナ、私たちの息子は、守られるだけじゃなくて、今度は誰かを守ろうとしているよ」

そういって私は、ルナが眠っている場所に、彼女が大好きだった鈴蘭の花をそっと置いた。

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