「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい

kiki

112 刃が闇を裂いた先に

 




 神喰らいの柄は魂喰いの物を流用しているのか、驚くほどフラムの手に馴染んだ。
 彼女は前方から襲い来る六人のヴェルナーを見据え、目を細める。
 恐れはもう無い。
 人は剣を握るだけでこうも強気になれるのか――と神喰らいのあまりの頼もしさに感心しながら、フラムはヴェルナーに飛びかかる。
 まずは左端の二体をすれ違いざま、一気に切り払う。
 フォンッ!
 接近してくるフラムを見てヴェルナーは左右に散ったが、向上したステータスにより素早さはほぼ同等である。

「がぁぁっ!」

 一体は逃したが、もう一体は胴を真っ二つに両断した。
 地面に落ちる上半身と下半身。
 ヴェルナーは最初こそ苦しげな断末魔を響かせていたものの、切断面が腐敗し、変色が全身に広がっていくと、口から泡を吹いて痙攣するだけの肉塊になる。
 すぐさま次の標的を探していると、背後から微かに空気が渦巻く音が聞こえた。
 迫る螺旋の弾丸。
 重力反転。
 フラムの体はふわりと浮かぶ。
 弾丸を回避すると反転解除、空中を蹴って、背後を取ったヴェルナーに迫る。

 いや――空中を蹴る、というのは正しい表現ではないかもしれない。
 フラムはプラーナによって剣を作り出すすべを身に着けた。
 それはすなわち、プラーナを実体化し、その場に固定できるようになったということだ。
 つまり彼女は、プラーナによって空中に足場を生成し、それを蹴って移動しているのである。

「何なんだよその動きはァっ!」

 人間離れしたフラムの挙動に、困惑するヴェルナー。
 だが、彼とて人間を辞めた者。
 まだ人としての形を維持しているフラムに負けたとあっては、人生を全否定されたも同然。
 許容できない。
 だが無情にも、フラムの神喰らいは真正面から彼の胸に叩きつけられ――そのまま胴を粉砕する。
 切断ではない、衝突の衝撃で骨肉が爆ぜたように吹き飛んだのだ。
 残り四人のヴェルナーは連携し、フラムの四方を囲み、螺旋の弾丸を放とうと拳を構える。
 彼は完全に対フラムに集中していた。
 ゆえに――背後から迫る彼女たちの存在に気づかない。

「わたくしのことを忘れられては困りますわ」

 オティーリエは血の網――絡新婦アラーネアで一人目を拘束し、

「凡人に現実を知らせなければ、世界一の天才として」

 二人目はジーンの手のひらから発される凍りつく炎で動きを封じられ、

「私は上司として責任を取らせてもらう。どれだけお前が拒もうともな!」

 さらにエキドナを打倒したアンリエットが、屋根の上から鮮血竜レヴィアタンを放ち、三人目のヴェルナーを追い詰める。

「お姉様ぁっ!」

 傷だらけだが五体満足のアンリエットを見て、オティーリエは歓喜する。

「アンリエット、あのエキドナ相手に生き残ったってのか!?」
「いくら蘇生し、お前の力を注いだとはいえ、あれは明らかに弱体化していた」

 ならばガディオと同等の実力を持つ彼女が敗北するわけがない。
 無論、エキドナと戦ったときの彼は命を賭けており、アンリエットを凌駕する力を発揮していたが――それでも敗北してしまうほど、蘇生したエキドナは劣化していたのである。

「くっ……どいつもこいつも、おいらの夢を邪魔しやがってェ!」
「夢なんて、オリジンに頼った時点でもう終わってたの」
「クソッ、クソッ! 知った風な口を叩くなよおォ!」

 残るヴェルナーは一人。
 もはや数の有利すら失った彼は、背後から追ってくるフラムを前に逃げることしかできなかった。
 速度では同等のはず。
 しかし、プラーナでの身体能力向上、重力反転を応用した加速により、距離が縮まっていく。

「死体ども、おいらを守れェッ!」

 ヴェルナーが指示を出すと、ルークとネクトが動いた。
 何度も見てきた民家の転移、そして高速回転――もはやフラムを打ち倒そうという意思は無いのか、それらは彼女を直接狙わず、道を塞ぐ形で眼前に突き刺さる。

「ふぅ、これで時間稼ぎを!」

 フラムの姿が見えなくなったところで、一息つくヴェルナー。
 ザシュッ!
 しかしそんな彼の腹部に、黒い刃が突き刺さる。

「……あ?」

 なぜ、ここにフラムが持っているはずの神喰らいが――とヴェルナーは放心状態になっている。
 確かに彼女はまだ突き刺さった民家の向こうにいて、追いついてはいない。
 しかし、ヴェルナーが首を回して背後を見ると、その向こうから半透明の、黒い腕が伸びているではないか。
 そう、その柄を握るのは、フラムの手ではない。
 鎧から伸びた、リートゥスの手だったのである。

「こんなの……でた、らめ……」

 フラムが再び剣を収納すると、刃で塞がれていた傷口から大量の血液が流れ出す。
 だが、それも一瞬のこと。
 呪いにより肉体は茶黒く腐敗し、今度は血ではなく、体そのものが溶けはじめた。
 さらに脳内には王都で散っていた人々の恨みが濁流のように流れ込み、彼の人格を破壊していった。
 死後数週間経ったかのように腐敗しきった肉体が、瓦礫の上に倒れ込む。
 ルークとネクトはいつの間にか姿を消していた。
 近づく死者の気配も無く、南門前には静寂が満ちる。

「終わったのか?」

 ジーンの言葉に、フラムはかぶりを振った。

「まだだと思う。コアを持った本体がどっかに隠れてるはずだから」
「私は本体とやりあっていたはずだが」

 アンリエットの言葉に、フラムは頷く。

「私も途中までは本体とやりあってました。でも、いつの間にか入れ替わってたんです」
「入れ替わる、か。確かに同じ顔が、ああもわらわらいたんじゃ誰が本物か区別がつかないな。フラム、コアの気配とやらで場所はわからないのか」
「そこまで器用じゃないから。力の影響範囲が王都全体に及んでることを考えると、王都のどこかに潜んでる、としか言いようがないかな。でも、今はここより北にいる気がする。それもあんまり近くは無いと思う。っていうか、天才を名乗るんなら自分も考えたら?」
「知り合いならともかく、ヴェルナーとはまともに話したことも無いからな。情報がなければ思考は成立しない」

 なぜか偉そうに言うジーン。
 フラムは目を細めて睨みつけたが、意味は無さそうだ。
 そこで、アンリエットと腕を絡めていたオティーリエが口を開く。

「ヴェルナーは、頭が回る男ですわ」
「僕にはとても学があるように見えなかったが」
戦闘において・・・・・・と言うべきですわね。勘や嗅覚と言った方が近いかしら」
「要するに、何が言いたいんだ?」

 不遜に聞き返すジーンに、アンリエットが答える。

「今のフラムには敵わないと悟り、距離を取ったのかもしれない」
「でも、私から逃げたようには感じられませんでした」
「ああ、奴はプライドを捨てたと言っていたが、そこまでして力を求める人間が敗北を許容できるとも思えない。別の手段を使ってフラムを追い詰めようと――」

 アンリエットの言葉をそこまで聞いて、フラムとジーンはほぼ同時に王城の方を見た。

「どうしたんだ、二人とも」

 彼は死んでいないはずなのに、王城の方から聞こえる音が止まっている。
 ルークやネクト、ミュートの死体も姿を消し、攻撃もしてこない。
 明らかに不自然だ。
 例えば、今まで城に押し寄せていた死者たちが一斉に動きを止めたとしたら、戦っていたネイガスとツァイオンや、城の中でセーラの治療を受ける人々はどう思うだろう。
 激しい戦闘が繰り広げられていた南門付近の音も聞こえなくなり、『ひょっとしたら戦闘は終わったのでは?』と考えないだろうか。
 そうでなくとも、激しい戦闘の疲れで緊張を解くはずだ。
 それは――狙い目・・・だ。

「オティーリエ、アンリエットさん、急いで王城に戻りましょう!」

 そう言い放つと、返事も聞かずに飛び出すフラム。
 彼女の一歩は数十メートル。
 一秒遅れただけで見える背中は小さくなる。
 ジーンもほぼ同時に一歩目を踏み出したが、それでもすでにフラムの姿は小さくなりはじめていた。
 そして中央区の大通りを半分ほど過ぎたところで、彼女は足を止める。
 前方から、通りを埋め尽くすほどの軍勢・・が、こちらに近づいてくるのだ。
 その数、約三百人。
 説明するまでもなく、全てがヴェルナーであった。
 遅れて到着したオティーリエ、アンリエットの二人は、その光景を見て驚愕した。

「なんですの、あの数は……」
「まさか、あれが全てヴェルナーだと言うのかっ!?」

 ジーンは眉間に皺をよせ、心底軽蔑する表情でそれを眺めている。
 孤高の天才を自称する彼にとっては、理解しがたいのだろう。
 もっとも、フラムもオティーリエもアンリエットも、誰一人として今のヴェルナーの心情を理解できる者はいなかったが。

「どうだいフラムッ、この数ならいくらお前でもおいらに勝つことは出来まい!」
「露骨な足止め……やっぱり狙いは城に避難してる人たちかな」

 確かにこれだけの数を相手にするとなると厄介だ。
 まともに戦えば、フラムたちがたどり着く前に城にいる人々は殺されてしまうだろう。

「どうするんだフラム、チマチマ一体ずつ潰していても埒が明かないぞ」
「ジーン。私の神喰らいを、できるだけ大きな氷と岩の刃で包んでもらってもいい?」
「なぜこの僕が貴様の言葉に従わねばならん」
「オリジンと戦う人員が減ってもいいなら、別にそれでもいいけど」

 殺気立つフラムに、ジーンは「チッ」と彼女に聞こえるほどの舌打ちをした。

「フラム、できるだけ大きく、と言ったな。僕の魔力が膨大すぎて潰されても――」
「どうでもいいから早くしてッ!」

 フラムが怒鳴る。
 すると今度こそ彼は、不満そうではあるが、リクエスト通り魔法を発動させた。
 亜空間より神喰らいをあえて素手で引き抜き、空に向けて掲げるフラム。
 刀身には赤い炎のような模様が不気味に揺らめき、剣自体も怨霊めいたどす黒いオーラを纏っている。
 そこに、まずは岩の刃がコーティングされていく。
 まるでそこから生えてきたかのように、岩は天高く伸びていく。
 全長四十メートルほどで止まると、次は氷の付与が開始した。
 先程と同じような要領で、岩の刃が透明の氷に包まれていく。

「ぐ……」

 あまりの重さにフラムの足は石畳を砕き、地面にめり込んでいた。
 強く歯を噛み締め、腕を震わせ、目を大きく見開く。

「僕ができるのはここまでだ、あとは好きにしろ」

 ジーンの魔法が止まると、フラムはさらに、剣にプラーナを注ぎ込む。
 理屈は気想剣プラーナブレイドと同じである。
 プラーナだけで実体を持った剣を作り出せるのならば、実際の剣をプラーナの刃で覆うことができるはず。
 名付けるのなら、気想刃プラーナエッジ
 八十メートルの高さまでそびえ立つフラムの剣は、さらに天を貫くほど高く伸びる。
 プラーナは無色透明。
 その先端は本来見えないはずだが、そのあまりの巨大さからか、見上げると陽の光が微かに歪んでいた。

「滅茶苦茶だ……こんなもの剣じゃない、塔だ! 塔がおいらの方に落ちてくる!」

 それも、王都に存在するどんな建物より高い――百メートル級・・・・・・の塔である。

「づ、ぁ……あぁぁぁああ……ああぁぁぁあああああああああッ!」

 フラムの両腕に力が入ると、巨大化した神喰らいが微かに傾く。
 ゴゴゴゴゴゴ――その微量な動きだけで、低く重い空を裂く音が、その場にいる全員が鼓膜を震わせた。
 限界を越えた肉体の酷使に、両腕の血管が破裂し、フラムの腕が血に濡れる。
 しかし傷口は一瞬で再生するため、剣を振るのに支障は一切無い。
 痛みも、脳より分泌される多量のアドレナリンによってかき消された。

「プラーナぁ……」

 彼女は喉から、絞り出すように声を出す。
 血走った目は、ヴェルナーたちを睨みつけていた。
 天を裂くようにそそり立つ刃と、フラムの迫力に、彼らは気圧され後ずさる。
 剣が巨大化してもなお、纏う呪いは健在だ。
 いや、むしろその表面積が広くなった分だけ、呪詛の量は増殖しているように見える。
 さらに傾斜を加速させようとフラムが腕に力を込めると、ブチブチと筋が切れる音が聞こえた。
 問題はない、すぐに治る。

「カースドぉ……!」

 いや、むしろ――傷が生じたところで支障をきたすことが無いというのなら、それを利用してしまうのも手だ。
 そう考え、フラムは腕を爆ぜさせた・・・・・
 炸裂した腕部は血を撒き散らしただけで、すぐに再生する。
 その衝撃と、吹き出す血液が、神喰らいの傾斜をさらに加速させた。
 フラムはさらに連続で、断続的に両腕部を反転させ、手元を赤く染め続ける。
 舞い散る血飛沫は、まるで意思を持ったかのように刃に絡みつき、虐殺規則ジェノサイドアーツによりその一撃の威力を高めていく。

「グラン……ッ!」

 ジーンによる魔法、神喰らいの呪い、フラムのプラーナ、虐殺規則ジェノサイドアーツ、そして反転の魔力。
 持ちうる全てを注ぎ込んだその刃は、傾くほどに加速して、ヴェルナーの軍勢を影で覆ってゆく。
 ようやく体の自由を取り戻した一部のヴェルナーが逃亡を開始したが、もう遅い。
 うまく剣の真下から逃げられたとしても、その災害・・に巻き込まれてしまえば、命は無いのだから。
 そして、フラムは吠える。

「ディィザスタアァァァァァァァアアッ!」

 ついに刃は地上に接触し、ヴェルナーたちを圧潰しながら、自身も砕けてゆく。
 呪剣轟気災プラーナカースドグランディザスター――生じた破片は暴風に巻き上げられ、辛うじて圧死を免れた者たちを切り刻む。
 嵐は赤く染まった人体をも取り込み、濁った色へと変わっていった。
 無数の断末魔が中から聞こえてきたが、聴覚を埋め尽くす雑音にかき消されて聞こえなくなる。
 鋭い破片に体を引き裂かれ、ミンチにされていく痛みは相当のものだろう
 しかし、ここで死ねていた方がまだ幸せだったのかもしれない。
 次に待つのは、小さな傷口から体内に入り込む“呪い”なのだから。
 傷は茶黒く変色し、泡立ち、激痛を与える。
 さらに脳まで到達した呪詛は、ありったけの怨みを撒き散らして意識を破壊していく。

「くっ、なんという威力だ……さすが僕が手を貸しただけはある」
「オティーリエ、私に捕まっていろ」
「はい、お姉様っ。呪いは……こちらまでは飛んできていないようですわね」

 手で吹きすさぶ風から顔を守るオティーリエ。
 そんな彼女の隣には、いつの間にかふわりと浮かぶリートゥスの姿があった。

「さすがにフラムさんも、そこまで考え無しではありませんから」

 平然と会話に参加する彼女を、怪訝な表情で見つめるオティーリエ。
 視線に気付いたリートゥスは、丁寧に頭を下げた。

「ふうぅ……」

 フラムは徐々に収まっていく嵐を見ながら、大きく息を吐く。
 周囲の建物は滅茶苦茶に壊れていたが、どうせ元から廃墟だった。
 これだけ完全に破壊すれば、ヴェルナーたちは肉片になって飛び散っているはずである。
 もし脱出に成功していたとしても、残りはせいぜい両手で数えられる程度。
 もはや足止めすらできないだろう。

 さすがにこれだけ無茶をすると、プラーナの消耗で体には倦怠感があるし、再生するとは言え腕にも違和感がある。
 フラムはできるだけ早く決着をつけて、死んだように眠ってしまいたかった。

「行こう」

 振り向いてそれだけ言うと、前進を再開する。
 リートゥスは慌てて鎧に戻り、ジーン、オティーリエ、アンリエットの三人も全速力でその背中を追った。



 ◇◇◇



 城の中では、セーラを始めとした教会に所属していた修道女たちによる治療が行われていた。
 もっとも、最初に動けたのはセーラだけで、残りのティナを含む三人は彼女のおかげで動けるようになったのだが。
 感動の再会は後回しにして、手分けをしながら重傷者から順に回復魔法をかけていく。
 うち数人は、すでに命を落としている。
 目を覚ました誰かが死体を見て暴れだすと抑え込むのに貴重な労力を消費してしまう。
 それを防ぐため、すでに部屋から外に運び出してあった。
 いくら死体を見るのに慣れてきたとはいえ、それに触って移動させるとなると話は別だ。
 正直、ティナも精神的にかなり追い詰められていたし、子供であるセーラはさぞ辛い思いをしているだろうと考えていたのだが――

「もう大丈夫っすからね……リカバー! ほーら、もう痛くないっすよね? 良かったっす。ん……? あ、わかったっす、すぐそっちにも行くっすよ!」

 むしろ、他の誰よりも機敏に、笑顔も絶やさず動いている。
 魔法の腕も他の修道女たちを上回っており、セーラが魔法を唱えると、開いた傷でもみるみるうちにふさがっていった。
 元より“聖女候補”として王都に連れてこられた少女だ、魔法の才能はあったのだろう。
 それでもここまで急速に成長できたのは、間違いなくネイガスのおかげである。

「少し見ないうちにずいぶんと頼もしくなってくれちゃって」

 治療を行いながら、そう呟くティナ。
 もっとも、セーラが『ネイガスがおらたちを守ってくれてるんすから、おらも頑張らないと! じゃないと、あとで胸を張って甘えられないっす!』と若干色ボケしていることなど、彼女は知るよしもないのだが。
 魔族を憎んでいたセーラが、その魔族と結ばれたと知ったら、修道女たちはひっくり返るほど驚くことだろう。

「ティナさん、こっちの治療は終わりました!」
「じゃあ次は軽傷の人たちをお願い」
「わかりましたっ」

 みなの協力のおかげで、犠牲者は最低限に留めることができそうである。
 残る重傷者は、ティナの前に横たわる、三十代ほどの女性のみ。
 腹部にろうそくの燭台が突き刺さっており、大量に出血している。
 みなが正気を失っている間に、何かの拍子でこうなってしまったのか。
 確かにろうそくを立てるために先端が尖っているため、凶器には成りうる。
 しかし――彼女が重傷者の中で後回しにされたのは、その状態の奇妙さからだ。
 はっきり言って、生きていることが不思議なぐらいなのだ。
 出血量は死亡者に比べても多く、体温もかなり低い。
 成人女性であればとっくに死んでいるはずだった。
 だというのに、表情こそ苦しげなものの、呼吸間隔は一定を保っている。
 総じて、胡散臭い・・・・
 そうティナは感じていた。
 だが、他の修道女たちを混乱させるわけにもいかず、彼女はそれを自分の胸の中だけで留めておいた。
 どうせ、治療してみればわかることだ。

「苦しかったでしょう、いま助けてあげるわ。少し我慢してなさい」

 そう言って、ティナは傷口に手を伸ばす。
 触れない程度の距離で手のひらをかざすと、目を閉じて集中する。
 その、瞼で視界が塞がる直前――彼女は傷口の奥に、光を反射する何か・・を見た気がした。
 少なくとも臓器ではない。
 黒光りした、無機物的な何か。
 念の為、もう一度目を開いて、傷口に顔を近づける。

「これ、なにかしら」

 言いながら、ティナが覗き込もうとしたそのとき、ズゥゥゥンッ、と激しい揺れと共に、大きな音が響き渡った。
 天井からパラパラと小石が落下してくる。

「な、なに!?」

 驚き、周囲を見回すティナ。
 そんな彼女の前で横たわる女は、気づかれないよう首に手を伸ばし――

「ティナ、危ないっす!」
「きゃあっ!?」

 駆け寄ってきたセーラが、ティナの体を突き飛ばした。
 そして二人の体を、激しく渦巻く空気が掠めていく。

「な、なんなの一体……っ!?」

 戸惑うティナをよそに、重傷だったはずの女性は立ち上がり、二人を見下ろす。
 顔はまだ女のままだが、腕からは鋭い三本爪が伸び、音を立て回転しながら空気を撹拌していた。
 セーラと彼女が睨み合っていると、やがて顔も、そして体もヴェルナーへと変化していく。

 現在のヴェルナーに、決まった形はない。
 マザーを取り込んだ時点で、人の殻を完全に捨て去ったのだ。
 だから肉塊にもなれるし、王城を包むようなドーム状にもなれる。
 人の形をしているように見えるのは、あくまで彼が、そういう形を取っているからに過ぎない。
 つまり彼は、コアを持った赤いスライム状の存在となり、こっそりとこの部屋に侵入した。
 そしてすでに息絶えていた女性の体に侵入し、命を奪う機会を狙っていたのである。

「みんなにひどいことをしたのは、お前っすか?」

 そう問われると、ヴェルナーは「チッチッチッ」とキザっぽく、三度舌を鳴らした。

した・・じゃない、する・・んだよ。フラムがおいらを侮辱したツケは、ここにいる全員に払ってもらう」
「要するに……おねーさんに負けたから、八つ当たりしに来たんすね」
「あぁ?」

 セーラに図星つかれ、思わずチンピラのような声を出すヴェルナー。
 だが彼女は恐れて言葉を止めることはなかった。

「恥ずかしい奴っす。第一、おねーさんを裏切ってオリジンに引き渡した時点でダサいのに、今度は死体に隠れてみたり、弱い者いじめしてみたり、そんなんだから勝てないんすよ」
「てめェ……黙って聞いてりゃ好き勝手に言ってくれてさァ!」

 彼は爪ではない方の手で、セーラの胸ぐらを掴んだ。
 ティナは「セーラっ!」と彼女の名を叫び駆け寄ろうとするが、ヴェルナーの螺旋の弾丸が頬を掠め、足を止める。

「ガキのくせに調子乗ってんじゃねェよ!」
「調子になんて乗ってないっすよ、おらはただ事実を言っただけっす。自分がどれだけかっこ悪いかわかってるから、本当のことを言われて怒ってるんじゃないっすか?」
「本当のこと、だと……?」
「そこで言いよどむのが証拠っす」
「てめぇみたいなガキまで、アンリエットやフラムと似たようなこと言ってんじゃねえぇぇぇぇええええッ!」

 言葉は重なれば重なるほど、精度・・を増していく。
 より確実に、効果的に、胸に突き刺さるのだ。
 それがどんなにかっこ悪くて、ダサくても、今の彼にはもう、暴力で相手の意見を封殺することしかできない。
 たとえ相手が一回り以上下の子供であっても、そうする以外に、選択肢が残っていないのだ。
 振り上げられる拳。
 ドリルのように回転する爪は、このままいけばセーラの顔を抉り、無残に骨まで砕きながら粉々にするだろう。

「や、やめなさいっ!」
「やめるかよォッ!」

 ティナの静止が受け入れられるはずもない。
 具現化した殺意がセーラに接近する。
 ヴェルナーは余裕のない笑みを顔に貼り付け、ティナは目に涙を浮かべながら手を伸ばし、その他オーディエンスは固唾をのんで始終を見守る。
 一方で当事者のセーラは、落ち着いた表情を浮かべていた。
 いや――額や背中は汗でじっとりと濡れているし、口の中は対照的に乾いている。
 決して余裕があるわけではない。
 しかし虎視眈々と、機を待っているのだ。
 回復魔法を連発したため、残る魔力は半分程度。
 つまりあれ・・なら、一発だけ放つことができる。
 気付かれないように右手をヴェルナーの脇腹に近づけ、魔力を集中させる。

「死ねえぇぇぇぇぇええッ!」

 近づく爪。
 彼がセーラの死を確信し、『相手は反抗しない』という油断が最高潮に達するギリギリのタイミング。
 そこで彼女は、右腕に溜め込んだ魔力を一気に放出した。

「ジャッジメント・イリーガルフォーミュラ!」
「何ッ!?」

 ゼロ距離で射出された光の剣が、無防備な脇腹に炸裂する。
 オリジンの力で保護されたヴェルナーの肉体が消失することは無いが、それでも吹き飛ぶ程度の衝撃はあった。
 その拍子にセーラは解放され、床に投げ出される。

「クッソ、ただのガキかと思えばァ!」

 体勢を持ち直したヴェルナーは、今度こそ躊躇なしに、拳を振り上げ螺旋の弾丸を顔面に放とうと構えた。
 だが、セーラはすでに十分に時間を稼いでいる。
 現れた救援は、愛しのセーラを狙おうとする男を見て怒りをたぎらせた。

「今度こそ死ねェ!」
「やらせるわけが無いでしょうがっ! クリムゾンバレット!」

 バヂィッ!
 ネイガスの放つ、闇の力を孕んだ極小に凝縮された竜巻が、螺旋の弾丸とぶつかり合う。
 その魔法に相殺するほどの威力は無かったが、軌道をそらすだけで目的は十分に果たされた。
 風に乗ってひとっ飛びでセーラに寄り添ったネイガスは、その小さな体を抱き上げ、二発目の螺旋の弾丸から救い出す。
 そして、ヴェルナーから距離を取った。

「逃がすわけないだろォ!」
「逃げてんじゃねえ、熱いバトンタッチってやつだ!」

 遅れて部屋に到着したツァイオンは、足元を爆発させて一直線にヴェルナーへと突っ込んでいく。

「馬鹿が、オリジンの力も持たない魔族が、おいらに敵うわけないだろ!」

 しかも彼は、外での戦闘でかなり消耗している。
 ヴェルナーは、今の彼なら一撃で仕留める自身があった。
 しかしその程度でひるむツァイオンではない。
 迷いなく、ぶれることなく、真正面から敵に突っ込む。

「バァァァァニングッ、ナックル!」

 こっ恥ずかしいほどひねりのない魔法により、ツァイオンの拳が燃え上がる。
 炎の大きさは大したことは無い。
 だがそこに宿る魔力は、彼の肉体に残っていた全て――すなわち超越呪文イクシードイリーガルと呼ばれる、彼だけが持つ技術によるものであった。
 消耗が大きいため、以前に使ったときほどの威力はないものの、ヴェルナーの爪とぶつかり合っても押し負けることはない。

「ぐ……何だ、こりゃ……嘘だ、こんなの! ステータスでは全て、おいらの方が上回ってるはずなのに!」
「てめえの拳にゃ、魂が宿っちゃいねえんだよぉおおおおおお!」

 もはや魔力も尽き果てたツァイオンの肉体。
 だが彼の感情に呼応するように、拳を包む炎はさらに熱量を増大させ、ヴェルナーの爪すらも溶かす。
 爪がなければ、受け止めることはできない。
 ツァイオンの拳がヴェルナーの頬に突き刺さり、爆ぜた炎が彼を吹き飛ばした。
 浮き上がった体は、その勢いで壁に衝突し、さらに大穴を空けながら外に飛び出す。

「ぐうぅぅぅ……ッ!」

 どうにか体勢を持ち直し、ザザザッ、地面を滑りながら着地するヴェルナー。
 ダメージはそれなりに大きく、よろめき、片手で体を支えた。

「まだだ……魂だの感情だのわけわかんないもんで強くなろうとするクソみたいな奴らをぶちのめすんだ。まだ、おいらは、戦え――」

 戦える。
 そう言いかけて、彼の言葉は途切れた。
 そしてゆっくりと、錆びついたブリキ人形のように、振り返る。

 ザッ、ザッ、ザッ、と近づく足音があった。
 ザリ、ザリ、ザリ、と何かを引きずる音もした。

 ヴェルナーは同化体との感覚は共有していなかった。
 いわばあのヴェルナーの群れは、上書きコピーのようなものだ。
 それぞれが独立した人格と命を持っている。
 だから、彼は想像すらしていなかったのだ。
 まさか先程の揺れが、フラムによるものであろうとは。
 そして、三百人もの自分が、一撃で全滅していようとは。
 全く、これっぽっちも――考えていなかったのである。

 突破してくる可能性を考えなかったわけじゃない。
 殺しきれないならそれでもいい、最後は弱った彼女に自分の手でトドメを刺そう、そう呑気に考えていた。
 しかし実際にフラムを前にすると、それがどれだけ甘い考えだったか痛感させられる。

 無理だ。
 彼女には、絶対に勝てない。
 理屈ではなく、感情が――すでに、敗北を認めている。

「私、思うんだ。ヴェルナー、あんたは救いようのないどうしようもない奴だ、って!」
「ル……ルーク、ネクト、今だやれぇっ!」

 頭上から回転する民家が落下し、さらにフラムの真後ろに転移したネクトが彼女の背中に手を伸ばす。

「……ごめん」

 フラムはそう一言謝罪すると、神喰らいを振るった。
 振り向きざまの、無駄の無い、スマートな斬撃。
 ネクトの体は真っ二つに分断され、離れた場所にいたルークも、気剣斬プラーナシェーカーで両断される。
 そして彼女はすぐさま前進。
 すぐ後ろで民家が地面に突き刺さる。

「ひっ……」

 反射的に情けない声をあげたヴェルナーは、それを恥じ、強く唇を噛んだ。
 だが――やはり、勝利のヴィジョンが見えてこない。

「くそがあぁぁぁぁぁあああッ!」

 彼は叫びに悔しさを滲ませ、フラムに背中を見せて全力の逃走を始めた。
 どんなに無様でも、望んだ強さが手に入らなくても、生きていたい。
 それはある意味で、何よりも人間らしい行動だった。

「逃さない……リートゥスさん、お願い」
「わかりました」

 フラムは抑揚のない声でそう言った。
 すると鎧から黒い腕が伸び、ヴェルナーの前に回り込むと、四肢を拘束する。

「やめろ、離せえぇぇぇっ!」

 リートゥスの腕から流れ込む反転の魔力によって、彼の体は言うことをきかない。
 どれだけ抗おうと、浮き上がったヴェルナーの体はフラムの方へと引き寄せられ、そして彼女自身も彼に歩み寄る。
 二人の距離が神喰らいの射程内まで近づくと、その動きは止まった。

「た、頼む……やめてくれ。おいらは、まだ、死にたくない……!」

 そのような言葉は無意味だ。
 なぜなら彼は、同じように生き延びることを望んだ人間を、すでに殺しているのだから。
 フラムは剣を腰の高さに構えると、その先端をヴェルナーに向ける。

「いやだ……いやだぁぁぁぁぁっ!」

 子供のように駄々をこねる彼の腹に、まずは・・・一刺し。
 ぶじゅっ、と水っぽい音を立てながら、黒い刃が体の中に沈み、貫通した。

「ぎゃあぁぁっ!」

 フラムは無言で剣を引き抜き、糸を引く赤い体液が途切れる前に、今度は刃を立てて腹に突き刺す。

「いぎゅうっ!」

 十字の傷が胴に刻まれ、濁々と大量の血液が流れ出た。
 少し遅れて、口からも同じものが吐き出される。
 さらに患部は黒く変色を始めている。
 地獄のような痛みがヴェルナーを苦しめるのも時間の問題だろう。
 だから・・・、フラムにはまだ殺すつもりは無かった。
 その歪んだ憎悪があまり褒められたものではないと理解しつつも、晴らさずにはいられない。

 ミルキットが死んだかもしれない、その原因を作ったのはこいつだ。
 フラムがマリアに連れ去られたのも、ヘルマンを殺したのも。
 城に避難していた罪のない人々だって何人かが命を落とした。
 そして、死者を冒涜した。
 墓で眠っていた螺旋の子供たちスパイラルチルドレンを無理やり呼び起こし、さらには大量の死体を道具のように扱ったのだ。
 許せるものではない。

 ただ死ぬだけでは足りない、フラムはそう思った。
 どうせ死ぬのなら、苦しんで、苦しんで、苦しんで、苦しんだ果てでないと。
 正義心ではなく――フラムのごく個人的な憎悪が、彼女をそうさせる。

「は……あ……があぁっ!」

 右太ももに軽く突き刺す。

「ああぁぁああああっ!」

 そのまま刃をずらし、肉を切り開く。
 さらに左側も同様に、ちょうど魚の内臓を取り除く要領で。
 傷が塞がらないのは、楽しい。
 今までオリジンの化物は傷が捻れてふさがってしまっていたから、今は呪いと反転のおかげでそのまま、開いたまま腐らせることができている。
 次は足の甲。
 右、左と順番に突き刺して、ついでにリートゥスに膝をぐるりと回してもらって、ふくらはぎも開いておく。

「いいですよ、その調子です」

 リートゥスはとても上機嫌だった。
 この拷問めいた行為に、楽しみながら付き合ってくれるとは――フラムは久しぶりに、彼女が怨霊であったことを思い出す。
 そして『だったら』と、さらにエスカレートさせた。
 腹をかっさばき、コア以外の全てを削り出す。
 それでも死なない、なぜならコアがあるから。

「や、やめ……ああぁぁっ、どうひっ、ろうひへえぇぇぇっ! しにゃ、しにひっ!」

 リートゥスが手で眼球をくり抜いた。

「いぎああぁぁぁっ、みえっ、えひええっ!」

 フラムは両腕を指先から少しずつ切り刻んだ。

「こ、ころひっ……へっ! もう、ひいっ、ひいがらあぁぁぁっ!」

 失禁して汚いので、腰から下を切り落とす。

「あぁぁぁっ、あがあぁぁっ、がぎゅあああぁぁぁっ!」

 するとリートゥスがおもちゃのように両腕の関節をぐるんぐるんと回し、弱くなったところでぶちりと引きちぎった。
 面白くて「へへへ」と笑う。
 笑いすぎて、涙が出てきた。
 涙の勢いで、両腕を切り落とす。

 腐敗がひどくなってきたせいか、ヴェルナーの声は次第に弱々しくなってきた。
 それでもコアさえ無事なら生きているというのだから、ざまあみろである。

 そんなものに頼るから。
 そんなものを、使うから。
 こんなものが――あるから、みんなが。

 やればやるほど、憎しみは薄れたものの、代わりに虚しさが顔をだすようになった。
 無駄だったわけじゃない。
 膜が一枚剥がれたように、その下に隠れていた虚無感に気づけたのだから、収穫はあったのだろう。
 しかし、これ以上はヴェルナーの体で遊んだところで意味などない。

 結局のところ、フラムが欲しいのは、ミルキットだ。
 どんなに信じても、信じろと言われても、この両手に彼女を抱きしめるまでは、荒んだ心が元に戻ることはない。

「フラムさん、もういいんですか?」

 剣を握ったまま顔を伏せるフラムに、リートゥスが尋ねた。

「はい、もう終わらせましょう」

 剣をヴェルナーの胸に突き刺す。
 先端がコアに当たる。
 反転の魔力を注ぎ込む。
 コアが割れ、腐敗したヴェルナーの肉体の、小刻みな痙攣が止まる。
 完全なる死だ。

「ヘルマンさん……仇は、取りましたよ」

 彼の家族の分はまだだが、とりあえずヘルマン自身の分だけは、これで。
 だが、本来それは、家族も含めて失われる必要のなかった命だ。
 復讐を遂げたところで、マイナスがゼロに近づくだけで、プラスになることは決して無い。
 締め付けるような胸の痛みに、フラムは服をきゅっと掴んだ。
 さらに、俯いてその場に立ち尽くす。
 手のひらから力が抜け、神喰らいの柄が滑り落ちると、それは地面とぶつかる前に粒子になって消えた。
 鎧や他の装備も解除され、袖の短い上着にショートパンツを履いた、“一人の少女“としてのフラムに戻る。

 その胸中には、様々な想いが渦巻いていた。
 セーラを始めとして、ネイガスやツァイオンも彼女に駆け寄って、勝利を祝いたかったが、そんな雰囲気でもない。
 だがそんな中、空気を読まずに一人の女が城に空いた穴を通って外に出ると、フラムに近づく。
 そして目の前で足を止めると、頭の高さに手を上げる。

「ほら、手を出しなさい」

 彼女はニィッと笑いながら言った。
 声をかけられ、顔をあげたフラムは、目の前に立つ人物を見て驚愕する。

「イーラ……?」
「出せつってんでしょ」
「え、あ、うん」

 言われるがままにフラムも手を上げると、彼女は手のひら同士をぶつけ合わせ、パチンと音を鳴らした。

「イエーイ!」
「……へ?」

 意味不明なイーラのテンションの高さに、きょとんとするフラム。
 すると彼女は、眉間に皺を寄せて睨みつけてきた。
 そのいかにも性格が悪そうな表情に、フラムはなぜか懐かしさを感じる。

「何よそのリアクションは。あんた勝ったんでしょ、ならもうちょっと喜んだらどうなの?」
「そんな単純な話じゃないんだけど……」
「いいのよ、今ぐらいはシンプルで。ごちゃごちゃ考えるのは後にしなさい、老けるわよ? というかあんた、前よりすでに少し老けて見えるわね」
「イーラには敵わないよ」
「言ってくれるじゃなぁい……?」

 一触即発――のように見えて、空気は和やかそのものである。

「っていうかイーラ、生きてたの?」
「今さらそれ言う!? 私から言わせりゃ、あんただってよく生きてたわねって話よ。マリアって女にさらわれて、オリジンのとこに連れてかれたんでしょう?」
「まあ、どうにかね。お互いに悪運が強いってことかな」
「あんたと一緒にされたくないけど、そうなんでしょうね。ふふっ」
「あははっ」

 イーラの笑いに、釣られてフラムも笑う。
 笑っていると、小難しい思考が頭から消えていく。

「はーあ……私、今回の一件で笑うことの大切さを知った気がするわ」
「何かイーラっぽくないこと言ってる」
「当たり前じゃない、こんな状況じゃらしくなくもなるわよ。あんただってそうじゃない、今こそ笑ってるけど、その前までは無理して暗く振る舞ってるように見えたわ」
「それは……」

 口ごもるフラム。
 頭に浮かぶのは、ミルキットの姿だ。
 だがそのことをイーラに言ったところで、どうなるわけでもない。

「ふっ、言っちゃった方が楽になるわよ」

 そんなフラムの考えを読むように、彼女は優しく、諭すように言った。
 その言葉に背中を押され、フラムは少し考えてから、ぼそりと告げる。

「ミルキットが、いなくなっちゃったから。私が避難してた遺跡に潰されて、それで……生きてるかどうかも、わかんなくなっちゃって……!」

 後半からは声が震えてしまっていた。
 思い出すだけでも涙がこみ上げてくる。
 どんなに前向きに、“生きているはず”と信じても、不安がゼロになることはないのだ。
 深刻な表情をするフラムに、イーラはあっけらかんと言い放つ。

「あら、あの子なら生きてるわよ」
「……え?」

 フラムは目を見開き、信じられない物でも見るようにイーラの顔を凝視した。

「だ、だって、あのとき遺跡が潰れて……ミルキットや、ケレイナさんとか、ハロムちゃんも下敷きになって……」
「私はその場にいなかったから具体的なことは知らないわ。でも、あんたと一緒にいたあのエターナって人が助けたって話は聞いたわよ」
「エターナさんが!?」

 オリジンの封印が解けて以降、一度も姿を見るどころか、話すら聞かなかったエターナ。
 どこかで生きているだろうとは思っていたが、まさかあそこでミルキットを助けていたとは。
 想像すらしていなかったと同時に、いざ聞くと『エターナさんならやってくれるかもしれない』と思える。

「そのあとでヒューグに追い立てられて、はぐれちゃったらしいんだけど、たぶんどこかに隠れてるんじゃないかしら」
「じゃあ、本当に……」
「疑ってるわけ? ここで嘘をつくほど、今の私は腐っちゃいないわよ」

 昔――つまりデインとつるんでいた頃は腐っていたことを認めつつ、今は違うと否定するイーラ。
 フラムも、今の彼女なら信頼できる、と苦笑いしながら「ごめん」と告げた。
 そして、改めてミルキットが生きているという事実を噛み締め――ようやく乾いた瞳から、また涙が一滴こぼれ落ちる。

「そっか、生きてるんだ。ミルキット、生きててくれたんだ……!」
「うわ、泣いちゃったし」
「だって、だって、ミルキットが生きてたんだよ!? ミルキットが、生きてて、嬉しくないわけが……ないよぉっ!」
「あんた、ほんとあの子のこと好きね」
「当たり前だよぉ……だってミルキットだもん。わたしにとって、ミルキットは……ミルキットはぁ……っ」

 フラムの瞳から、際限なく涙があふれる。
 雫が、顎からぽたりと落ちた。
 彼女は鼻をすすりながら、手の甲で濡れた頬を拭う。

「うぅ……ぐずっ、大好きな、人で……世界で一番っ、一番大好きでぇっ、だから……ミルキットさえいれば、よくてっ、世界が無事でも、ミルキットがいなきゃ意味がなくてぇ……!」
「そう、ならよかったじゃない」
「うん……よかったよぉ……よがった……うぁ、ああぁ……ミルキット、ミルキットぉ……うっ、ふうぅ……ふぅ……う、あぁ……!」

 フラムの体はがくんと崩れ、膝をつく。
 拭っても拭っても涙が止まらないので、彼女はもう諦めて、両手で頬を覆うことにした。

「っく、づ……ふ、う……うわあぁぁぁぁああああっ!」

 口を大きく開いて、溢れ出す感情を隠すこともしない。
 歓喜の涙が指と指の間を通り抜け、手の甲を伝う。

 フラムは、まるで憑き物が落ちていくような感覚がしていた。
 あの遺跡から連れ去られて以降、失っていた自分を取り戻した、とでも言うべきだろうか。

 ミルキットは、もはや彼女にとって半身だ。
 存在しなければ、自身を維持することすらできない。
 だから必ず、見つけ出す。
 救い出す。
 生きているのなら、この世界のどこかにいるのなら、絶対に、絶対にすぐに抱きしめて――もう二度と離さないと誓い、契りを交わすのだ。
 フラムはそう心に決めるのだった。





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