「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい

kiki

107 迷い子を導く風

 




 突如として現れた、歯のない少女。
 彼女はセーラの手を引くと、どこかへと連れて行く。
 付いていかない方がいいような気がする。
 だが、この町には最初から味方などいなかったのだ。
 いたのは、あの果実に侵された、とっくにおかしくなった魔族だけ。
 だったら、人を咲かせる・・・・狂気の宴に参加していないだけ、少女に付いていった方がマシかもしれない。
 セーラは抗わず、そのまま彼女の手に導かれ、別の場所へと移動する。

 二人で駆ける大通りには誰もいない。
 ほぼ全員が、“よそ者”を咲かせるために、あの場所に集まっていたようだ。
 人の気配すら無いメインストリートは、まるであらゆる生命が途絶えたようで不気味だ。
 人肌が恋しくなる。
 確かに目の前でセーラの手を引く少女も生きた魔族ではある。
 だが、いくら孤独な日々に心が荒んだ彼女と言えど、その体温に安心感を抱くことはできなかった。

「ふふっ……ふふふふっ……」

 少女は笑っている。
 こんな状況で、何がおかしいのかセーラには理解できない。

「こんなにひゆうにほおをはひっはの、ひはひぶり!」
「……普段は、自由に外を走れないんすか?」
「らっへ、みんなわらひはひのこほ、きらいらから」

 独特の発音のせいで聞きづらいが、そのみすぼらしい服装とあざだらけの体で、彼女がこの町で虐げられていることはわかる。
 果物の栽培のおかげで裕福で、オリジンの影響さえなければ優しい人たちばかりのようにセーラには思えたが、まだ何か隠していることがあるようだ。
 それに、少女が神樹を指して、『私の妹』と言ったことも気になっていた。
 なにはともあれ、まずは落ち着ける場所にたどり着かなければ。
 近づく神樹。
 まさかあそこまで連れて行かれるのでは――と思ったが、少女はその幹が見え始めたあたりで足を止める。
 町全体が闇に包まれており、セーラがどんなに目をこらしても、ここからではその全貌ははっきりとは見えない。
 少女はそこで神樹に手を振ると、左に曲がって路地に入った。
 こんな裏道にも整備や清掃が行き届いており、放浪者の姿もない。
 王都西区とは違い、綺麗なものだ。
 だがそこからある程度進むと、いきなり地面が石から土に代わり、雑草も生え放題の荒れた土地に変わる。

「あれ、わらひのいえ」

 少女は草むらの先を指さした。
 他の住宅と比較すると明らかに異質な、朽ちて今にも崩れそうな建物がそこにはあった。
 何をしたら、セーラとさほど年齢も変わらないこの幼い少女が、こんな場所に追いやられてしまうというのか。
 ひとまず中に入って、セーラは藁を敷き詰めただけの床に腰掛ける。
 少女は向かいに座り、また歯のない口で笑い、自分の顔を指差しながら言った。

「わらひ、くーひぇな!」
「クー、ヒエナ?」

 セーラがそう繰り返すと、少女はぶんぶんと首を振る。
 そしてもう一度、ゆっくりと告げた。

「くー、ひ……ひ、ぇ……しぇ、な」
「クーシェナ、っすか?」

 こくこくと今度は縦に首を振った。
 どうやら、彼女は“さ行”がうまく発音できないらしい。

「おらはセーラっす。色々あってセレイドから逃げて、ここまで来たっす」
「人間、みらのはひめへ!」
「そうっすか、おらもネイガスに出会うまでは魔族はほとんど見たこと無かったっすからね、誰も似たようなもんかもしれないっす」
「ねいがふ……ねいがふひゃま?」
「たぶんそのネイガスで合ってるっす」
「人間が、ねいがふひゃま、ほ……」

 クーシェナは驚いているようだが、それよりもセーラには彼女の喋り方の方が気になった。
 歯が無いので発音がうまくいかないのは仕方ないとしても、慣れていない・・・・・・ように感じられるのだ。
 まるで、歯を失ったのがつい最近であるかのような――
 セーラは身を乗り出し、クーシェナの顔を覗き込む。
 すると彼女は首を傾げ、赤い瞳でセーラを見つめた。

「体だけかと思ってたっすけど、顔にもひどいあざがあるっすね」
「なぐられは。れも、いふものころ」
「……歯はどうして無くなったんすか?」
「はいひょから、ひゅくなかっら。れも、このあいひゃのれ、なくなっひゃっは。あはは」

 笑うクーシェナの姿は、セーラの胸をえぐる。
 おそらく、彼女に対する暴力は日常的に行われてきた。
 それは全ての歯を失うほど激しいものだったのだろう。
 そして信じがたいことではあるが――おそらくその加害者は、この町の人々だ。
 虐げられた魔族。
 クーシェナが妹と呼ぶ神樹。
 狂った町の人々。
 まだほとんど話は聞けていないが、セーラには全体の輪郭がすでに見えつつあった。
 だがまずはそれより先に、彼女の体を治療しなければならない。

「クーシェナ、じっとしてるっすよ。ヒール!」

 手のひらから放たれた光が、顔のあざを癒やしていく。
 肌から染み込むような暖かな感触に、彼女は目を大きく開いてセーラを凝視する。

「回復魔法?」
「そうっすよ、これでも年齢の割には優秀な方っすから、ばっちり治ってるはずっす」
「病気も、なおへる?」
「ものによるっすけどね、それがどうかしたっすか?」
「……なんれも、ない」

 クーシェナは明らかに落ち込んでいる。
 なにもないわけがない、しかし今は踏み込めそうにない。
 セーラは淡々と、次は体についたあざや傷の治癒を行う。
 足の指が折れていたり、肩に化膿しかけの裂傷があったりと、見えない部分はさらにひどい有様である。
 常にかなりの苦痛を感じていたはずだ。
 実際、セーラの処置が終わるとクーシェナの表情はかなり和らいでいた。
 最初に見たときと比べると、相当印象が異なる。
 だが、歯は元に戻らなかった。
 折れたばかりならまだしも、すでに抜けてから数ヶ月は経過していると思われるためだ。

「ありが、おう」
「これくらいなんてことないっす」

 むしろ今まで誰も治さなかったことの方が異常なのだ。
 これだけの規模の町なら、回復魔法を生業として生きている者が何人かはいるはず。
 いくら体が丈夫な魔族と言えど、病にかからないわけではないのだから。
 だが、彼らは誰ひとりとしてクーシェナを救おうとはしなかった。
 同調圧力――にしても度が過ぎている。
 何か、彼女への施しをタブー視するだけの理由があるのだろう。

「クーシェナは、さっきの……その、果実を食べさせられた魔族が、あんな姿になった理由を、知ってるんすか?」

 首を縦に振るクーシェナ。
 セーラは続けて質問を投げかける。

「神樹のことを妹と言ってたっすよね。それは、何かの比喩っすか? それとも、文字通りに“妹さんが神樹と一体化してる”んすか?」
「セーラ、ひゅごい。よくわかっらへ。ほうらよ、いもうろは……ミナリィアは、あひょこれいきへるの」
「……オリジンコアを使ったんすね」
「おりひんこあ?」

 きょとん、と首をかしげるクーシェナ。
 誤魔化しているわけでもなく、本気で知らないようだ。

「知らないんすか?」
「よくわからない。れも、くろいの、かみひゃまから、もらっら」

 つまりその危険性を知らせずに、コアを渡している何者かがいるということだ。
 とは言え、滅多にクーシェナのような境遇の魔族とは出会えないだろう。
 渡した当人がオリジンの、あるいはディーザの狂信者だとすれば――純粋な善意で、コアを託した可能性も考えられる。

「おかげれ、ミナ、いきへる。もう、られも、ひゃからえない!」
「逆らえない……それが、動機なんすね」
「うん。らっへ、あいふらは、ひぬべきらから」

 クーシェナに、一切の迷いは無い。
 葛藤などとうに通り過ぎている。
 彼女から見た町の住人は、もはや自分と同じ生物ではなく、汚物なのだ。

「れも、へーらはひがう。まひのにんげんりゃ、ない」
「町の住民以外は、狙ってないんすか? でもおかしいっす、さっきはよそから来た人たちが襲われてたっすよ?」
「ほれは……」

 セーラの問いかけに、クーシェナは口ごもる。
 その原因はわかりきっていた。
 ミナリィアは、オリジンを信仰していた魔族ではない。
 ただ単に、個人的な望みのためにコアを利用しただけだ。
 ならばやがて、オリジンに意思を侵食されてしまうのは自明の理。

「すでに、妹さんの意識はオリジンに乗っ取られかけてる可能性が高いっす」
「のっほ、る? ひがう、ほんなわけ……」
「おらは何度も見てきたから知ってるっす。どんな事情があっても、あれに頼ることだけは――え?」

 セーラの声は途切れ、視線はクーシェナの背後に向けられた。
 暗がりの中で、細長い何かが揺れている。
 それは木の根・・・だった。
 地面から床板を貫通して侵入したそいつは、明らかに意思を持って動いている。
 クーシェナも後ろを振り向くと、「あ、ミナリィア!」と頬をほころばせた。
 そして根に手を伸ばす。
 すると向こうも姉の頬に触れ、優しく撫でた。
 その直後、さらに複数本の根が現れ、絡み合い、人の形を作っていく。
 そして、完全に人型になったミナリィアは、姉と抱き合った後に、セーラの方に向いて丁寧に頭を下げた。

「クー姉を治療してくれてありがとう」
「喋った……」
「当然だよ、だって私は幸せなミナリィアだから」

 セーラは寒気がした。
 まるで今までの会話を聞いていたかのような受け答え。
 ひょっとすると、町で起きている出来事を、彼女は全て監視しているのだろうか。

「幸せなミナリィアは、今とても幸せなの。だから邪魔しないでほしいな」
「おらも、あの人たちと同じように咲かせる・・・・つもりっすか?」
「ううん、クー姉を治療してくれたお礼に、見逃してあげる。だから町から出ていって」

 それはセーラにとって意外な提案だった。
 オリジンに完全に侵されているなら、こんなことは言わないはずだ。
 少なくとも、まだ多少なりとも“ミナリィア”としての意思は残っているということか。
 だが、これから町の人々を皆殺しにすると聞いて、黙って出ていくセーラではない。

「その前に、理由を聞かせて欲しいっす」
「どうしてこんなことをするのか、って?」
「はっひ、はなひひゃ」
「町の人たちにひどいことをされたのはわかったっすけど、そうなった原因を、まだ聞けてないっすから」
「……いいけど、面白い話じゃないよ」
「百も承知っす」

 それはセーラの自己満足だ。
 けれどミナリィアは付き合ってくれた。
 目を細め、姉と自分が経験してきた凄惨な日々を思い出す。

「この町には、一人の暴君がいました――」

 まるでお伽話を子供に語るように、その語り口は他人事めいていて、しかし時折苦しげに歪む表情が他でもない彼女たちが当事者なのだと教えてくれる。

 その暴君は、二人の父だった。
 フークトゥスは古くから果樹栽培で栄えた裕福な町だったが、彼はその豊かさを独り占めしようとしたのだ。
 金も、土地も、食料も、女も――ありとあらゆる手を使い、魔族の善意を利用して、他人から奪い続けた男は、やがて町の頂点に君臨した。
 最初は奪われる形で嫁入りした二人の母も、少しずつ父に染められていき、住民たちを見下すようになっていった。

 男は贅沢の限りを尽くし、それに反比例するように住民たちは貧しくなっていく。
 金を奪われただけでなく、贅沢や娯楽も禁止され、少しでも支配者を罵倒しようものなら罰を与えられる。
 かつて小さな楽園と呼ばれたフークトゥスは、小さな地獄と化していた。

 そんな有様に、魔王は気づけなかった。
 ちょうど先代魔王の死去と時期が被った上に、元より魔族領南部に位置するフークトゥスは、セレイドに居を構える魔王の目が届きにくい場所だ。
 さらに、町を支配する男は、権力者を前にするとどこまでも腰を低くし、ゴマをするような言動を見せることができた。
 言ってしまえば、彼は小物・・だったのだ。
 町を一つ支配するだけで満足する野心に、いざというときはプライドを捨てることをいとわない狡猾さ。
 己の実力を理解し、分をわきまえていた彼の所業は、結局、最後まで外に漏れることは無かったのである。

 さて、そんな男の実子であったクーシェナとミナリィアが幸せだったかと言われると、そうではない。
 町で友達を作れる環境では無かったし、両親もどこか二人のことを邪魔者として捉えていた節があった。
 その証拠に、二人が勇気を出して父に『遊んで』とねだると、彼は容赦なく彼女たちを蹴飛ばした。
 母は冷たい視線を向けるだけだったが、自分たちが必要とされていないことは、子供でも理解することができた。

 そんな地獄のような毎日は十年ほど続き、ある日突然、終わりを迎えることになる。
 父の病死、そして母の自殺。
 死体の発見者は、クーシェナだった。
 今でもそれが本当に病死だったのか、それとも毒殺だったのかはわからない。
 母もそうだ。
 他殺である可能性はあったが、住民にとって死の真相などどうでもよかった。
 暴君が死んだ。
 それ以上に、重要な事実はないのだから。

 町の人々は三日三晩お祭り騒ぎ。
 その喜びようと言ったら、今でも一年に一度、彼の死んだ日になると、“収穫祭”と称してお祭りが行われるほどである。
 屋敷の倉庫に眠っていた酒や食料を好きなだけ飲み食いして、踊り、歌い、そして二人の家は破壊され燃やされていく。
 メインイベントはもちろん、神樹に吊り下げられた暴君たちの見物。
 ヒートアップしてくると死体に物が投げつけられ、さらには直接殴りつける者、刃物や農具で死体を損壊するものも現れ、最終的には肉片しか残っていなかったのだという。
 だが、死体を破壊しても、住民たちの昂りは収まらない。

 次に、その矛先は今より幼かった姉妹へ向けられた。
 髪を引っ張られながら、両親の死体がぶら下げられた神樹広場に到着すると、私刑リンチが始まる。
 蹴る殴るなんてまだまだ序の口だ。
 肌を焼かれ、髪を切られ、首を締められ、両親の屍肉を口に入れられ――ようやく地獄から解放された二人に待っていたのは、さらなる地獄だったのである。

 そしてそれは、つい先日まで続いていた。
 姉は、定期的に首輪を付けられ、全裸で町中を引き回される。
 罵倒はもちろん、暴力も自由なので、そのたびにクーシェナの体にはあざが増えていった。
 妹は、鎖に繋がれ、小屋から出ることを許されなかった。
 どんなに病にかかろうとも、一切の接触を禁じられる。
 二人には毎日最低限の食事だけが与えられ、それを手で食うことは禁止されていた。
 もちろん町から外に出ることは許されていないし、逃げようとすれば死なない程度に痛めつけられる。

 町の住民にとって、クーシェナとミナリィアは『勝利の象徴』であり、同じ魔族ではなかったのだ。

「けれど数日前、クー姉の前に神様が現れた」
「あかいひもをひゃばれはみひゃいな、ねひれは、かみひゃま」

 セーラが考えるまでもない。
 それはオリジンコアを使用した魔族に違いなかった。
 そして、その“神様”はひっそりと町に滞在し、二人にコアを授け、成功するのを見届けた。

「病で命を落とす寸前だった私は、どうせ死ぬなら、色んな思い出が詰まっている神樹の根本で死にたいと願った」
「れも、ひょこれ、ミナはうまれかわっら」
「そう、私はオリジン様の力のおかげで、神樹と同化した。そして数日もしないうちに町を全て支配したの」

 負の連鎖だ。
 復讐が復讐を呼び、誰もいなくなるまで、どこまでも続く。
 そういう意味では、今の状況は復讐の終着点なのかもしれない。

「この町から魔族が消えれば、私はそれ以上を望まない。あとはクー姉と二人で、静かに生きていく。だからもう一度言うけど――邪魔をしないで」

 致命的に、どうしようもなく、二人の選択は間違っている。
 かと言って、それ以外にどうするべきだったのか、セーラには思いつかない。
 それでも“どうにかしたい”と思ってしまうのが彼女の青さだ。

「それに、どうせあなたの力じゃ、私をどうにもできないよね?」

 だが、ミナリィアの言葉もまた事実。
 どれだけ崇高な理想をかかげようが、力がなければ――それを叶えることはできない。
 彼女に歯向かったところで、自分もよそから来た魔族のように咲かされる・・・・・のがオチだ。
 諦めるしか、ない。
 どれだけ悔しかろうが、自分を曲げる結果になろうが、諦めるしか――

「町に戻るのは危ないから、小屋の裏手をまっすぐ進んで出ていくといいよ。荷物も持ってきてあげる。食糧も必要だろうから普通の果物・・・・・も持ってくるね」

 セーラは特に返事をしなかったが、ミナリィアは表情から結論を察したようだ。
 再びただの根に戻り、地中に潜り込む。
 そして、セーラを介抱してくれたジツェイルの家から、彼女の持っていた袋やメイスと、いくつかの果物を詰めた袋を、今度は玄関から運んできた。
 うねる根っこにぶら下がるそれを受け取ると、小屋を出ていく。
 後ろ髪を引かれながらもドアを開き、最後にクーシェナの方を振り返ると、

「ありがほう、げんきれね」

 と彼女は笑顔で手を振った。
 その背後には、ミナリィアが無表情で立っている。
 今さら、残るとも言えなかったし、残ったところで何ができるのかも思いつかない。
 セーラは軽く手を振ると、無言で小屋を出た。
 そのまま言われた通り裏手に回り、草むらをかき分けてフークトゥスの外を目指す。
 足取りは重いが、不思議と止まろうとは思わなかった。
 止まったところで、自分の無力さを思い知るだけだから。



 ◇◇◇



 そこからセーラは、ひたすら南に歩いた。
 少しでもフークトゥスから離れ、あの町のことを忘れられるように、と。
 しかし三時間ほど歩いたところで体力の限界を迎え、山の斜面に程よいほら穴を見つけると、そこで一眠りすることにした。
 まとわりつく虫がうざったく、なかなか眠れない。
 必死で何も考えないようにしながら目を瞑り、意識を手放す頃には、すでに外は明るくなりはじめていた。
 目を覚まして、外に出ると――空が茜色になりつつある。
 どうやら、十時間以上も眠っていたらしい。
 ボロボロでフークトゥスに到着し、そこからまともに休むことなくここまで歩いてきた。
 相当疲労が溜まっていたのだろう。
 今から歩いて次の寝床を探せば、あっという間に日が沈んでしまう。
 仕方ないので、ほら穴でもう一泊するしかない。
 外で葉っぱを集め、岩の上に敷き詰め、即席のベッドを作った。
 そこに腰掛け、ミナリィアからもらったまともな・・・・果実をかじりながら、暗くなっていく外の景色を眺める。
 今日は光魔法で結界を張り、虫が近寄れないようにしておく。
 かなり快適になったが、別の問題が生じた。
 さきほど起きたばかりで、なかなか眠れないのだ。
 一人で起きていると、嫌なことばかり考えてしまう。
 ネイガスにもう二度と会えなかったらどうしよう、とか。
 ネイガスがとっくに死んでたらどうしよう、とか。
 まだ生きてるけど、こうしている間に殺されてたらどうしよう、とか――

「……ネイガスのことばっかっすね」

 あんな別れ方をしたのだ、仕方のないことだろう。
 逆に楽しいことを考えても、ネイガスばかり頭に浮かぶ。
 思っている以上に、セーラの中で彼女は大きな存在になっていた。

「ネイガス、もう一度だけでもいいから、会いたいっす……」

 心の底から、願う。
 せめて死ぬ前にもう一度だけ。
 そんなことを考えているうちに、いつの間にかセーラは意識を手放していた。

 翌朝、今日は比較的早い時間に目をさますことができた。
 ほら穴の中でまた果実を平らげ、外へ。

 また南へ歩く。
 目指すは王国だ。
 王国なら、まだ無事な町が残っているかもしれない。
 そんな希望を胸に、意気揚々と出発するセーラだったが――一時間ほど歩いたところで、足を止め、振り向く。
 もう見えないが、その方向に真っ直ぐ進めば、フークトゥスがあるはずだ。

 悔やんだ所で無意味なことはわかっている。
 決してセーラが弱かったわけじゃない。
 あんな状況を、どうにかできる人間の方が稀なのだ。
 自分は正しい選択をした。
 間違っていない。
 仕方のないことだった――そう何度言い聞かせても、気持ちは晴れない。
 あの後、フークトゥスでは一体何人の魔族が命を落とすのだろうか。
 考えるだけでも、めまいがするようだ。
 気を紛らわそうと、ミナリィアからもらった果物をまたかじる。
 甘酸っぱくて、とてもおいしい。

「ふ……ぐ、ぅ……!」

 けれど食べると、どうしても町の行く末を考えてしまって――自然と、涙がこぼれてしまう。

「うううぅぅぅ……ッ!」

 自分の無力さは理解している。
 魔王城で三魔将や、英雄と呼ばれた人たちと一緒に過ごして、嫌というほどに。
 みんなはセーラを『才能がある』とか『年齢のわりにすごい』と褒めてくれるが、そんな言葉に意味は無いのだ。
 今、強くなければ。
 今、救えなければ。
 ネイガスと離れ離れになってしまったことだってそうだ。
 彼女は暗に自分のことを足手まといだと思っていて――いやそれは事実なのだが、セーラは、本当は――同じ高さで、肩を並べて一緒に歩いていきたかったのに。
 ネイガスが、王都に戻ってたセーラと『別れたくない』と言ってくれたとき、すごく嬉しかった。
 彼女が自分を頼ってくれたような気がして、対等な関係になれたような気がして。
 精神的な支えにはなれても、戦いでは役に立たない。
 せいぜいちょっとした傷を治すぐらいで、本当に救われたい人を、救うことはできない。

「おらは、何も……」
「今日まで生き残っただけ、わたくしは立派だと思いますよ」
「だ、誰っすか!?」

 背後から聞こえてきた声に、セーラは素早く振り返る。
 仮面を被ったマリアは、「無事でなによりです」とそんな彼女に挨拶をした。

「え? ねーさま……!?」

 彼女の後ろには、飛竜型の首を増やしたような、見たこともない形状のキマイラが待機している。
 今のセーラにとって、キマイラとの遭遇はそのまま死を意味する。
 一瞬で彼女の表情と体が強張った。

「どうしてこんな場所にいるんすか、おらを殺しにきたんすか!?」

 涙を拭いながら、メイスを構え戦闘態勢を取るセーラ。

「安心してください、わたくしはこのキマイラのテストに来ただけですから。それに――」
「どうせそのうち死ぬから、手を下す必要もない、っすか?」

 マリアのセリフを先に言い、キッと彼女を睨みつけるセーラ。

「さすがにわかりますか。ええその通りです、オリジン様が完全なる復活を果たせば、この世界からあらゆる生命は消えます」
「消えてどうなるって言うんすか。みんな必死で生きてるんすよ? ねーさまにそんな権利はないはずっす!」
「権利など必要ありません、わたくしがそうしたいと願っているだけの話です」
「身勝手すぎるっす!」

 セーラの言葉を「ふっ」と一笑に付すマリア。

「人間など誰だって身勝手です。ならば、わたくしが身勝手を通してはならない理由など無いはずですよね」
「それじゃダメなんすよねーさま! それじゃあ身勝手の連鎖は、どこで止まるんすか?」
「知ったことではありません。結局は我慢した人間が割を食うのです、だったらわがままに生きた方がいいのだと、わたくしは教会のみなさんから教えていただきましたから」

 権力者ほど理不尽で、わがままだ。
 だが罰せる者がおらず、どこまでも増長する。
 他者の優しさも食い荒らし、まるで自分の力で全てを成し遂げたように振る舞い出す。

「たくさん人を傷つけて……醜い生き方っすよ」
「ですが楽ですし、現にこうして、世界を滅ぼすというあまりに途方もない願いも、叶おうとしている。わたくしがセーラのようにいい子・・・のままなら、今ごろさらに教会の連中にいいように使われていたでしょう。セーラもそうではないですか。王都から追放され、帰る場所もなくし、一人きり。誰よりも正しく、優しく生きてきたというのに」
「それは……でも、まだ中央区教会のみんなは、おらの帰りを待ってるはずっす。それにネイガスだって、きっと生きてるっす。帰る場所は、まだ残ってるんすよ!」
「そうですか。ああ……そうでした。なるほど、セーラには彼女たちがいるのですね」

 マリアは寂しげにつぶやく。
 気づいたのだ。
 それこそが、ほぼ同じ境遇にいながら、異なる道に進んだセーラと自分の差なのだと。
 ならばなおさら理不尽だ。
 運命を操る神がいるのなら、彼はマリアに何を望むというのか。

「人生とは、つくづく運によって変わるものなのですね」
「どういうことっすか?」
「育った環境のせいにはしたくありません。ですがわたくしの周囲には、信用できる仲間や、よりかかれる大人がいませんでした。なにせ、彼らは全員、最初からわたくしを裏切っていたのですから」

 失うものが少ないから、人を滅ぼすこともいとわない。
 たとえライナスという存在があったとしても、それはマリアの行動を変えるまでには至らなかった。

「おらや、ライナスさんがいるじゃないっすか!」
「ええ、いたかもしれませんね。ですが、わたくしとセーラは、家族と呼べるほど親しい間柄でしたか?」
「おらはそう思ってたっす!」
「中央区の教会……たとえばティナよりも、大切な存在だと?」
「そ、それは……」

 今ぐらい、嘘でも『そうだ』と即答すればいいのに。
 それができないのが、セーラの魅力なのだが。
 つまり、マリアはセーラにとって仲のいいお姉さんであって、家族と呼べるほどの存在ではないのだ。
 逆もまた然り。
 引き止めるには、力が足りない。

「それにですね、セーラ。ライナスさんはもういないんです。わたくしが殺しましたから」
「そんな……ライナスさんを、殺した……?」

 さすがにそれだけはやらないと思っていたのか、セーラは呼吸すら忘れて呆然としている。

「遅かれ早かれ、どうせみな死ぬのです。もちろん、セーラも例外ではありません」
「……結局、ねーさまは何が言いたくて、おらに声をかけたんすか?」
「よりよい死を」
「なんすか、それ」
「どうせ死ぬのなら、未練の無い良い死を迎えられますように。そう願っただけのことです。あなたは今、後悔を一つ増やそうとしていませんか?」
「フークトゥスに戻れって言うんすか!? あんな場所に行って、おらに何ができるって言うんすか!」

 確かにセーラは往生際が悪い方だ。
 しかし、それにも限度がある。

「何もできずとも、このまま去れば、あなたは死ぬまで後悔を引きずり続ける。セーラはそういう子です」
「みじめに生きるより、やることをやって死ねって言いたいんすね」
「わかってくれましたか」

 わかっちゃいない。
 だが、キマイラを従えたマリアに言われたら、それはもはや命令のようなものだ。
 首を横に振れば、殺される可能性だってある。
 ライナスを殺したというマリアは、それほどまでにセーラにとって信用できない相手になってしまっていた。

「あんな場所に戻って、おらにどうしろって言うんすか……おらは、一人じゃ……」

 それでも見て見ぬふりをするよりいいはずだ。
 そんな独りよがりの意見を押し付けるように、マリアは無言でセーラを見送る。
 彼女の背中が見えなくなると、マリアは天を仰ぎ、大きく息を吐き出した。
 同時に、仮面と顔の隙間から血が流れる。
 また汚れた赤いローブを見て、彼女は心の底から自分自身を軽蔑した。

「不思議なものです。身勝手に生きると決めたはずなのに……自分の望みを叶えようとすると、なぜか自己矛盾を起こしてしまう」

 もう手遅れなのに、割り切れない。
 無駄だとわかっても、迷い続ける。

「……セーラ、あなたは寂しがり屋ですから、きっと孤独に死ぬことこそ、最大の不幸なのでしょう」

 それは紛れもなく本心だ。
 大事な人には生きていて欲しい。
 それ以外の人はみんな死んで欲しい。
 そんなわがまま。
 叶わないから、全てを滅ぼすしか無い。
 でもそれは――結局、身勝手を通しきれず、半端に妥協しているのではないだろうか。
 ……いや、今のマリアが考えても、無意味なのだろう。
 これまで数え切れないほどの時間をその問答に捧げてきた。
 しかし結局、答えが出ないまま、ここまで来てしまったのだ。
 どうせ世界は滅ぶ。
 ならばあとは、考えることはやめて、本能のままに動くしかない。

「どうかあなたに、悔いなき死がありますように」

 すでに見えなくなったセーラにその言葉を捧げ、マリアは踵を返した。



 ◇◇◇



 歩くこと数時間、セーラは再びフークトゥスに戻ってきてしまった。
 町の人に気づかれないよう、柵を乗り越え、こっそりと侵入する。
 時間は昼だ、もっとも住民たちが活発に行動している時間のはず。
 しかし――不思議なことに、町は夜のように静まり返っていた。
 そして漂う、血の香り。
 経験上・・・、セーラには何が起きているのか、この時点で察することができた。
 クーシェナとミナリィアの復讐対象が町の住民たちだというのなら、果実を食べさせ、操るだけで終わるはずがないのだ。
 最終的には、無理やり果実を摂取させられた彼らのように――

 角に身を隠し、安全を確認しながらセーラは前へ進む。
 大通りに近づくにつれて、匂いに血以外も混ざり始め、腐ったような異臭が強くなった。
 そして大通りに到着すると、思った通り、ひどい光景がそこには広がっていた。
 開いたてかる紅と黄色がかった白の花弁に、揺らめく臓物。
 そういう類の生物を見ることに慣れていることに気づき、セーラは軽く自己嫌悪した。
 取り乱して、声を上げるよりはマシだが。

「ねーさま、こんな場所に来て、おらに何をしろって言うんすか……」

 マリアが何を望んでいるのか、セーラにはさっぱりわからない。
 咲いた町の住民は、背中から骨のようなが突き出ており、それが地面に刺さっているため自由に身動きが取れないようだ。
 それでも彼らは幸せそうに、笑みを浮かべながら風に揺れている。

「これが、二人の望む町の姿だったんすか?」

 何もかも、わからない。
 こんなものを望む者の気持ちなど、どれだけ考えても計り知ることはできない。
 だが、クーシェナがどうしているのかだけは気になる。
 遠回りをして安全なルートを探り、セーラは例の小屋へ向かった。
 幸い、路地の方には例の花は咲いていないようだ。
 だが建物の中からは匂いがする。
 自宅であの状態になった者も少なくないようだ。
 もはやこの町にまともな人間は、セーラとクーシェナぐらいしかいないだろう。
 つまり、足音は異物だ。
 セーラはゆっくりと、音をたてないよう、慎重に小屋を目指す。
 そして無事にたどり着くと、鍵すらついていない扉を軽く押し、隙間から中を伺う。
 魔族の姿は――無い。
 だが、入り口付近の床がぬるりと濡れている。
 いや――入り口だけでなく、奥の方へ……というより、奥の方から点々と、出口の方へ向かって血が滴っているのだ。

「これは、クーシェナの血っすか? どうして……」

 残る魔族がクーシェナだけだと言うのなら、彼女が傷つく理由は無いはずである。
 言い知れぬ不安にかられたセーラは、意を決して、神樹のある中央広場に向かうことにした。



 ◇◇◇



 セーラは建物の影に背中を当て、広場の方を覗き見る。
 広場を覆い尽くすほど巨大化した神樹の幹。
 その根本には、確かに魔族の少女が木と一体化したように埋まっていた。
 おそらく、彼女がコアを使ったというミナリィアなのだろう。
 その証拠に、むき出しになった腹部には、黒い水晶の存在が確認できる。
 そして、そんな妹に、姉であるクーシェナが歩み寄る。
 全身からは血が流れ、顔面蒼白、今にも失血で倒れてしまいそうな姿だ。
 彼女は幹のミナリィアに手を伸ばし――触れる寸前、地面から現れたに吹き飛ばされる。

「っう……ぐ……」

 胸部を強く殴打し、内臓にも傷が入ったのか、クーシェナは咳き込むと、同時に血も吐き出した。
 危険な状態だ。
 今すぐに助けに生きたかったが――周囲には花が咲き誇り、身を乗り出せばその時点で殺されてしまいそうな状況だった。
 本当に動き出すのかはわからないが、オリジンの影響を受けた人間たちが、何もしないとは思えないのだ。
 その点、クーシェナは花たちに襲われていないことに関しては、一応特別扱いされているのかもしれない。
 だがそれも、ミナリィアの意識がオリジンに完全に侵食された時点で、終わる。

「ミナ」

 傷を負わされた時点で、クーシェナはそれを理解していたはずだ。
 それでも、ひたすらに妹に手を伸ばす。
 どんな姿になったとしても、クーシェナがともに生きてきた家族を見捨てることは、無い。
 その執念が実ったのか、手のひらがようやく頬に届く。
 彼女は微笑みかける。
 釣られたように、ミナリィアも笑う。
 心が通じ合ったような気がした。

「よかっ……」

 ドスッ。
 でもそれは、気のせいだった。
 ねじれた木の根が、背中から腹を貫通する。

「あ……」
「クーシェナ……っ」

 セーラは見てられなくなり、目を背ける。
 その間にも、クーシェナの体には根っこから何か・・が注がれていった。

「ミナ……ミナ……わらひ、おねえひゃ……う、あ……み……な……」

 言葉は徐々に途切れ途切れになり、しまいには物言わぬ肉塊となる。
 その数秒後、クーシェナの胴体に四本の切れ目が入った。
 そして中央から体が開き、八つの花弁が咲き誇る。
 彼女の顔は、まるで花のように笑っていた。

「こんなの、どうしようもないっす……」

 心は折れ、体の方も今にも崩れ落ちそうだ。
 歯を食いしばって耐えるが、そうまでして我慢する意味が果たしてあるのか。
 詰んでいる。
 もう、何もかもが終わってしまっている。
 そんなセーラに追い打ちをかけるように――民家の微かに開いた扉の隙間から、ねじれた果実が転がり落ちた。
 道の上を転がるそれを、彼女の視線が追う。
 向かいの壁に当たって、停止。
 しばしの沈黙。
 そして――ブチュッ、という音がして、昆虫の足のように、六本の人間の指が生えた。

「出てきた時点でそんな気がしてたっすよぉ……!」

 なにせ、彼女は慣れて・・・いるのだ。
 オリジンの行動パターンも、なんとなくわかってしまう。
 もちろん指の生えた果実は彼女を追いはじめたし、扉から出てくるのも一個だけではない。
 十個百個と無数に現れ、その全てに指が生え、物量でセーラを追い立てる。
 逃げ場を塞がれた彼女はもう、広場に駆け込むしかなかった。
 するとたちの目が一斉にセーラの方を向き、背中から生えた茎を伸ばして追跡を開始する。
 神樹の幹に取り込まれたミナリィアは、涙を浮かべながら逃げ惑う彼女を見て、悪意に満ちた笑みを浮かべた。
 ひと目でわかる。
 それはミナリィアの意思などではない。
 この悪趣味さは、間違いなくオリジンのものだ、と。

「どうしろって言うんすか! こんな場所で、おらに何かができるわけがないんすよぉ!」

 泣き言を言いながら、全力疾走。
 だが果実はともかく、背後から迫る花たちは振り切れそうにない。
 ある程度近づくと――腸を伸ばし、体を絡め取ろうとする。
 一度や二度なら避けられる。
 だがそれで失速すると、今度は前方の家や空から落ちてくる果実に捕まってしまうのだ。
 大通りを疾走しながら町の出口を目指すが、セーラを追う花は増える一方。

「さあセーラちゃん、君もお食べ」

 咲いたジツェイルがセーラを呼ぶ。

「さあセーラちゃん、一緒になろうよ」

 咲いたクーシェナが、やけに滑舌良くセーラを誘う。
 首を振って、とにかく聞かないようにした。
 人間の体を利用して心を揺さぶってくるのは、オリジンの常套句だ。
 騙されてはならない、そこにもはや本人の意思などないのである。

「頭が……はぁ、おかしくなりそうっす……」

 腐ったような匂いも、ずっと嗅いでいると鼻が慣れてきたのか、平気になってきた。
 いや、むしろいい匂いのように感じる。
 これは慣れなんかじゃない、狂わされているのだ。
 鼻だけじゃない、思考も同じように。
 囁く声を聞くたびに、『咲くのも悪くないんじゃない?』と誰かが言ってくる。
 誰かはわからない、あるいは自分なのかもしれない。
 どれだけ拒んでも、何度も何度も囁いて、力尽くで価値観を変えようとしているのだ。
 こうやって、町の人たちも操られ、果実を口に運んでしまったのだろう。

「おらは……違うっす、嫌っす、そんなことにはならないっす! 一人なんて……ネイガスと、会うまでは……まだぁっ!」

 消耗した体力と合わせて、意識がくらくらとして、体もふらふらとする。
 まるで自分のものではないようだ。
 徐々に詰められる距離。
 生ぬるい体温を感じるほどすぐそこまで、花たちは接近している。
 セーラは振り向きざま、一か八かで魔法を放つ。

「フラッシュバーストっ!」

 放った光球が破裂すると、視界が真っ白に埋め尽くされる。
 セーラは目をつぶったものの、それでもチカチカするほどの光量。
 無論、モロに見てしまえばしばし視界は奪われる。
 それは魔族であろうと例外ではなく――

「止まった……」

 果実はともかく、花たちは苦しげに揺れながら、動きを止めた。
 やはりその花は、魔族のままだ。
 死んだわけではなく、完全に化物になったわけでもなく――ただ体を開かれ、意識を操られているだけで、生きている。
 だからと言って何かが変わるわけでもなく、むしろ『傷つけてはならない』とセーラに対する制約が増えただけであった。
 彼女は再度走って逃げ出すが、足止めされた花の後ろから、第二の群れが乗り越えて押し寄せる。

「ネイガス……おらは、もうひとりじゃ……ネイガスうぅ……っ」

 町の出口はまだ見えず、そもそも外に出たからと言って追跡が止まる保証もなく、それに神樹はまだも使っていない。
 手加減されている。
 しかも必死で逃げるセーラの前方からも、さらに別の果実と花の群れが近づいてくるではないか。
 路地に逃げ込めばまだ生き残れるかもしれないが、今の彼女にそこまでの気力は残っていない。
 諦めて立ち止まろうかと思った、そのとき――

「もうっ、何なのよこいつらはぁっ! 無駄に数が多いし……ああもうっ、気持ち悪いわねぇっ!」

 前方の群れから、セーラのずっと聞きたかった声が響いたような気がした。
 幻聴かもしれない。
 けれど聞こえただけで活力が湧いてくる。

「っていうかなんで果物に指が生えてるのよっ! 私はっ、ただセーラちゃんを探しに来ただけなのっ! わかったら道を開けなさいッ!」

 ああ、姿まで見えてきた。
 ネイガスは全身傷だらけで、セーラに負けず劣らずボロボロだ。
 バカ正直に、大通りを突破してきたのだろう。
 そこまでしてセーラに会いたかったのだろうか。
 ああ、きっと会いたかったのだろう。
 なぜならネイガスは、セーラのことが好きすぎるから。
 だがセーラだって似たようなものだ。
 幻だって構わない、ネイガスと会えるのなら――そんなことを考えて、叫ぼうとしているのだから。

「ネイガスううぅぅぅぅぅぅぅっ!」
「セーラちゃん、やっと見つけたわっ! 一気に飛ぶからしっかり抱きついてっ!」

 言われずとも、思いっきり胸に飛び込んでやるつもりだった。
 ネイガスは地面を蹴り、風を纏い、一気に加速する。
 そしてセーラの体を抱きしめ――天高く、急上昇。
 浮遊感と体を包むぬくもりのせいで、まるで夢を見ているような心地だった。

「あったかい、っす……」
「そりゃそうよ、幽霊じゃないんだから」
「ずっと、こうしたかったっす……!」
「これからはし放題よ」
「もう、一人は嫌っすぅっ!」
「安心なさい、嫌でも一生離してやんないわ!」

 どれだけ彼女が年老いたとしても、一時たりとも離れてやるものか。
 抱きしめる体温を感じながら、ネイガスも改めて決意を固める。
 とはいえ、その決意もここから逃げられなければ無駄になってしまうのだが。

 フラムたちと一緒に、近くの集落に到着したネイガスは、そこでセーラらしき少女がフークトゥスに向かったという話を聞いた。
 一旦物資の補給をしてからそこに向かおうという話になったのだが――ネイガスは、待ちきれなかったのだ。
 フークトゥスの神樹がいきなり巨大化した、という噂を聞いて胸騒ぎがしたから、という理由もある。

 つまり、ネイガスは今一人なのだ。
 セーラよりは戦えるとはいえ、あの神樹に立ち向かえるほどの力はない。
 というか、すでに町に突っ込んだときに負った傷でボロボロになっており、飛翔速度だって低下している。
 幸運なことに、あの果実や花は空高く飛ばれると追跡はできないようだが――地面から巨大な根が現れ、ネイガスたちを狙おうとしていた。

「リカバー!」

 何も言わずとも、セーラは勝手にネイガスの治療を始めていた。
 多量の魔力を消費し、みるみるうちに傷が癒え、痛みが引いていく。

「ありがと、愛してる」
「どういたしまして、愛してるっす!」

 そのやり取りだけで、体だけでなく心も癒やされる。
 今なら――どんな相手からでも、逃げられるような気がする。
 ネイガスが北側に移動を始めると、早速根っこが鞭のようにしなり、彼女に叩きつけられた。
 それを軽く回避。
 地面に衝突したそれは、地面を激しくえぐった。

「当たったら即死ね」
「当たらなければ問題ないっす」
「その通りっ!」

 今度の根は二本。
 その間を抜けると、根から無数の枝根が伸びて足に絡みつく。
 さらに、まるで網のように絡みつきながら、ネイガスの進行方向を塞いだ。
 だが彼女は止まらない。
 あえて網に突っ込み、ギリギリでその隙間を通り抜ける。

「脇が甘いわねぇッ!」

 網を抜けると、今度は頭上から四本の根が降ってきた。
 それら全てが枝根を伸ばし、絡み合い、リベンジと言わんばかりにきめ細かい網を作り出す。

「意外と負けず嫌いなのね。でも――もう遅いわ」

 出口は近い。
 ここからなら、ネイガスが全力で加速すれば、捕らえられる前に逃げ切れる。

「セーラちゃん!」
「了解っす、全力でぎゅっとするっす!」

 力いっぱいネイガスに抱きつくセーラ。
 そしてネイガスは風だけでなく闇をも纏い、それら全てを推進力に利用し突き進んだ。
 頭上から迫る網。
 天蓋のように巨大なそれが、徐々に二人に影を落としていく。
 だが、ネイガスの言葉通りもう遅い。
 縁の下を通り過ぎ、フークトゥスからの脱出に成功――途端に神樹は追跡の手を止めた。
 いや、ひょっとすると、町の外までは出られないのかもしれない。

 念の為、町が見えなくなるほど遠くまで離れると、ネイガスは高度を下ろして着地する。
 そして改めて、二人は真っ直ぐに見つめ合った。
 セーラの瞳には涙が浮かぶ。
 ネイガスももらい泣きで、珍しく瞳が潤んでいた。

「ネイガス……」
「セーラちゃん」

 視線を絡めるうちに、二人の顔は自然と近づいていく。
 ネイガスは少し腰をかがめて目を閉じた。
 セーラは背伸びをして、ネイガスの顔がほどよい高さになると――ぺちん、と彼女の額にデコピンを当てた。

「あいたっ! な、なんで……? 今、完全にキスする雰囲気だったわよね!?」
「おらを一人にした罰っす。これに懲りたら、もう二度と、どんな理由があっても、離れちゃダメっすからね!」

 いきなり怒られ、呆気にとられるネイガス。
 そんな隙だらけな彼女の両頬を手で挟んだセーラは、今度こそ顔を引き寄せて、少し乱暴に唇を押し付けた。
 最初はされるがままなネイガスだったが、すぐに背中に腕を回して抱き寄せる。
 そして二人は長くて深めなキスを交わし、息継ぎをするように「ぷはっ」と離す。
 だがまだし足りないのか、鼻と鼻が当たるほどの至近距離で見つめ合った。
 やがて引き寄せられるように唇が近づき、ついばむように、触れるだけのキスを繰り返す。
 何度も何度も、離れ離れになった時間を埋めるように。

 二人の再会を祝した口づけは、遅れてやってきたフラムたちと合流するまで続いた。





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