「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい

kiki

094 狂気が私の心を侵すならより淀んだ狂気で満たせばいいと無駄にあがく無知で無垢な少女たち

 




「あああぁぁぁぁぁあああッ!」

 フラムはウェルシーの顔をしたキマイラに接近すると、全体重をかけた一撃を振り下ろす。
 相手はプラーナと魔力の満ちたそれを左手一本でガード。

「フラムちゃーん」

 親しい相手を呼ぶような声を出し、動揺を誘いつつフラムの腹部に右手を伸ばす。

「っぐぅ!」

 シュゴォッ!
 キマイラの手のひらから斜め上に放たれる螺旋の弾丸。
 フラムは魂喰いから手を離し、体を捻って回避する。
 流れ弾は天井に正円の穴を開けた。
 続けてフリーになった左腕で、相手はフラムに掴みかかってくる。

「リヴァーサルッ!」

 重力反転によりふわりと浮かぶ体。
 フラムは天井に着地・・し、すぐさま跳躍。
 同時に反転解除し魂喰いを抜刀。
 敵の頭上から、重い斬撃を叩き込む。
 片手では受け止めきれなかったのか、キマイラは両手をクロスさせてそれを防いだ。

「フラムちゃん、痛いよぉ」

 ウェルシーの声でそう言って、そいつは虚空に膝蹴りを放つ。
 螺旋の弾丸が射出される。

「が、あっ!」
「ご主人様ぁっ!」

 ミルキットの悲痛な叫びが響いた。
 フラムは体をよじって回避を試みるも、弾丸は彼女の脇腹をえぐったのだ。
 体制を崩し落ちていく体。
 そこに、キマイラは自由になった両手で嵐のようなラッシュを仕掛ける。
 まずは落下してくるフラムに対し、獣の腕による左フック。

「ごぼっ!」

 拳が胸部にめり込み、さらに鋭い爪が胴体を貫通し、背中からつきでる。
 肺が損傷し、フラムの口内は血の匂いで満ち、呼吸すら困難な状況に陥った。
 すぐにキマイラは爪を引き抜き、右腕で腹部を殴打、さらに内臓を破壊。
 続けて左手でフラムの顔を鷲掴みにし体を固定。
 そして再び右腕で腹部を強打。

「ひっ、がっ」

 強打。

「がふっ……!」

 強打。

「がぼっ、ぶ……うぇ……っ」

 強打――

「は……ご……っ」

 ズチュッ、ズチュッ、とリズミカルな抽送運動が繰り返される。
 何度も何度も何度も、キマイラはフラムの腹を拳で殴りつけ、爪で突き刺す。
 肉も臓器も骨もズタボロになり、重みに耐えきれなくなった下半身がずるりと落ちた。

「フラムちゃん、大丈夫? フラムちゃーん?」

 陽気に問いかけるウェルシーの顔と、凄惨な光景のギャップが、ひどく狂気的だった。

「あ……あ……っ」

 繰り広げられる一方的な暴虐を前に、言葉を失うミルキット。
 それでもフラムはまだ死んでいない。
 死んだ方がマシだったかもしれないが、死ねない。
 キマイラだってそれはわかっている。
 殺したいわけではないのだ、ただ動きを封じられればいい。

「フラムちゃん、またあとでね」

 そう言って、キマイラはフラムの上半身を投げ捨てた。
 血まみれの体はベチャッと壁に叩きつけられ、ずるりと床に落ちる。
 傷口が、再生しようと蠢いている。
 切り離された下半身が、生きているようにずるりずるりと上半身に近づいてきた。
 虚ろな目でその光景を見ていたフラムは、『まるでキマイラの肉片みたい』と自虐する。

「ミルキットちゃんっ」
「ひっ……」

 キマイラは、ミルキットにターゲットを定めたようだ。
 フラムを連れていけばいいだけなのに、あえて殺す必要など――いや、人を滅ぼすことがオリジンの目的だとすると、無駄ではないのか。

「う……うぁ……うわあぁぁぁぁぁぁッ!」

 ミルキットは近くにあった壺を持ち上げると、キマイラに投げつける。
 相手は防御すらしなかった。
 顔にぶつかった壺は砕け、傷一つ残すことなく破片となって床に落ちる。
 次は壁にかかった絵画を、さらに次は棚の上に乗せられたランプを――あるものを、手当たり次第に投げつけるミルキット。
 だが、フラムの大剣ですら通用しなかったのだ、その程度でダメージなどあるわけがない。

「痛いよー、ミルキットちゃん。どうしてそんなことするの?」
「こ、来ないでください……っ!」

 未だフラムの下半身は遠く――しかしぼやけた視界の中で、ミルキットが危機に陥っていることだけはわかる。
 彼女の指が、ぴくりと動いた。

「はああぁぁ……ひゅうぅぅ……」

 大きく深呼吸。
 全身に激痛が走る。
 空気がどこかから漏れて、酸素がうまく取り込めない。
 しかし、ゼロじゃない。
 今度は全ての指が動くようになった。

「は……ああぁ……ふ、う……ううぅ……」

 吸って、吐いて。
 痛みに心が折れそうになる。
 だからフラムは繰り返す。
『それでも』、『それでも』、『それでも』――心を砕いてでもやるべきことがあるはずだ、と。

「仲良くしようよー、今までだってそうだったじゃん。ねえ、フラムちゃん」

 キマイラが、ちらりとフラムの方を振り向く。
 するとその顔に、赤い液体がかかった。
 目に入っても痛がる素振りすら見せず、キマイラは固まる。
 驚いているのではない。
 そのような感情は、この化物には存在しないのだから。
 動けない・・・・のだ。
 飛来した赤い液体は、ただのフラムの血ではない。

「あん……ぐい……す……」

 虐殺規則ジェノサイドアーツ・血蛇咬《アングイス》。
 彼女は震えた手で、魂喰いを握っている。
 瀕死の肉体で振るった一刀に、大した威力はない。
 今の体で気剣斬プラーナシェーカーを放っても、効果は期待できなかっただろう。
 だから虐殺規則ジェノサイドアーツの、動きを止める力に頼った。
 そしてどうやら、そのフラムの読みは当たったようだ。

「グ……ギェ……グギャアエエァァァァァッ!」

 キマイラからウェルシーの首がぼとりと落ち、本来の姿――鳥の首が現れる。

「ざまー……み、ろ……」

 もうあの声を聞かないで済むかと思うと、それだけで心が軽くなった。
 相手が足を止めている間に、下半身の接合が完了する。
 まだ体内の再生までは完璧ではないが、どうにか動けそうだ。

「う……く……っ」

 顔をしかめながら立ち上がるフラム。
 接合部から、どろりとした血液が溢れ出るが、『じきに治る』と言い聞かせて気持ち悪い感覚や痛みから目を背ける。

「グギャアァァッ!」

 キマイラは奇声をあげると、ミルキットに向けて拳を振り上げた。

「性懲りも、なくッ!」

 戦う相手は、こちらにいるというのに。
 是が非でもミルキットを殺そうとするキマイラに、憤るフラム。
 彼女はその腕を狙って、血とプラーナの矢――血穿槍ブラッドピアスを射出する。

「ギャッ!?」

 振り上げた腕を貫かれ、キマイラの動きが鈍る。
 血ならいくらでもある。
 フラムは続けて十字に剣を振り、血剣斬ブラッドシェーカーを放った。
 さすがに無視できなくなったキマイラは、跳躍してそれを回避。
 そして天井を蹴って一気にフラムに飛びかかる。
 血の呪縛により右手がうまく動かないはずだ。
 案の定、敵は左腕を突き出し殴ってきた。
 フラムは黒い刃の腹で受け止め――接触の瞬間、絡新婦アラーネアを発動。

「ぐううぅぅぅ……っ!」

 強烈な殴打の威力にフラムは大きく後退したが、キマイラの左腕には蜘蛛が巣を張るように血の糸が張り付いていた。
 そして血液は体内に侵入し、その部位を機能不全に陥らせる。
 フラムは一気に勝負を決めようと両足に力を込める――が、そのときキマイラの肉体に異変が起きる。
 骨が折れ、肉が割ける音とともに、両腕が回転・・を始めたのである。
 その速度は徐々に増していき、やがて削岩機のような高速回転に至る。
 それを見たフラムは、チルドレンの一員であるルークと戦ったときのことを思い出していた。
 つまり――あれは、触れるだけでも危険な代物だ。

「グギャァッ!」

 勝負を決めるどころか、逆にキマイラの方から仕掛けてくる。
 肩を狙って突き出される右拳。
 フラムは体を傾け避ける。
 伸びた腕の先から、ゴォッ! と螺旋が放たれ、壁面を破壊した。
 次はデタラメに左手で薙ぎ払う。
 螺旋の力は鞭のようにしなり、キマイラの視界に映る景色を両断する。
 彼女は素早くしゃがみ、足元を狙って魂喰いを振るった。
 ダンッ! と床板を砕きつつキマイラは飛び退き、斬撃は空を切る。
 それを見たフラムは、低い姿勢のまま前進。
 着地の瞬間を狙って大剣で切り上げる。
 膝を上げてガードするも、フラムの血液はまだ尽きていない。
 絡新婦アラーネアがキマイラの右足に絡みついた。

「ギ……ッ」

 キマイラは苦しげな声をあげると、左足で床を蹴り、再び後退。
 両足で着地しようとするも、フラムの血が絡みついた右足には力が入らないのか、体がふらついた。

「許さない」

 フラムは憎悪と共に魂喰いを振り下ろす。
 反・気剣斬プラーナシェーカー・リヴァーサル――見えない刃がキマイラを襲う。
 回転する腕で受け止めるが、螺旋と反転とがぶつかり合い、バヂィッ! と激しく閃光を放った。

「絶対に、許さないから」

 フラムは前進し、再び剣を振る。
 不可視の刃を、キマイラはもう一方の手で受け止めた。
 しかし、もう両腕は使えない。
 片足も封じられているとなると、踏ん張るので精一杯だ。

「オリジン……!」

 フラムはさらに前進する。
 そしてキマイラの胸部に、刃の先端を当てた。
 視界の端に、ウェルシーの頭部が見えた。
 悲しさが胸からこみ上げてきて、瞳に涙が浮かぶ。
 彼女が何をしたというのか。
 ただ必死に、教会にあらがって、真っ直ぐに生きてきただけだというのに。
 まだ二十四歳だ、やりたいこともたくさんあっただろう。
 兄とも仲直りできて、これから王都で記者として活躍するはずだったのだ。
 それを――それを、この神気取りの化物は、踏みにじった。
 ただ、己の欲望のためだけに。

「お前だけは、絶対にぃッ!」

 プラーナ、充填完了。
 魔力も飽和するまでありったけを詰め込んだ。
 両腕に力を込める。

「はああぁぁぁぁぁぁああああッ!」

 螺旋の力に守られたその肉体を、刺し貫く――ゼロ距離からの気穿槍《プラーナスティング》。
 それは化物の肉体を穿ち、その中央で醜く渦巻くコアを射抜く。
 キマイラがびくんと震えた。
 体から力が抜け、両腕の回転が止まる。
 そして断末魔の叫びすら上げずに、瞳が光を失い倒れた。
 フラムはその場に立ち尽くし、キマイラの死体を見下ろす。
 達成感など無い。
 ただただ虚しかった。

「……ウェルシーさん」

 彼女の首に歩み寄ると、フラムはそれを抱き上げ、寝室の前で座り込む彼女の体の横に置いた。
 遺体のすぐ横には、血で汚れた斧が落ちている。
 おそらく、錯乱して使用人たちを殺したのは、ウェルシー本人だったのだろう。
 あれがキマイラの仕業だというのなら、斧を使う必要がない。
 そして、正気を取り戻した彼女は、同じ凶器を使って自殺した。
 首の傷跡を見る限り、キマイラがその首を接続・・したのはその後だ。

「ウェルシーさん……今まで、ありがとうございました」

 ミルキットはしゃがみ込み、遺体の冷たい手を握りながら言った。
 手には爪で引っかかれたような傷痕が残っている。
 フラムは見なかったことにして、彼女とともに涙を流し、悲劇を嘆いた。
 わかっているのに。
 これだけで、終わりではない。

『――は、ウェルシー・マンキャシー』
『享――――歳』
『死因は、自分で首を切って―――――が出たことによる出血性ショ――死です』

 フラムには、オリジンに脳を侵されていたときの記憶がおぼろげながら残っている。
 あれがもし、予言めいた――あるいは殺人予告・・・・なのだとしたら、この寝室の中では――
 見る必要があるのかはわからない。
 しかし、心のどこかで期待しているのだ。
 ひょっとすると、彼女・・は寝室に逃げ込んで、生き延びているかもしれない、と。
 だが、扉の前に立ち、ドアノブをひねった瞬間、甘い考えだったと痛感する。
 鍵が開いていたからだ。
 後ろに立つミルキットが、不安そうにフラムの服を握る。
 手のひらが血で汚れてしまいそうだが、それよりも触れ合っていることの方が大事らしい。
 彼女から少しの勇気を貰って、フラムは寝室へ踏み込んだ。

「……あぁ」

 そして、失望が声となり吐き出される。
 ベッドの上で、リーチの妻であるフォイエ・マンキャシーは横たわっていた。

『名――、フォイエ・マ――――』
『享年三――』
『死因は――に首を絞められ――――よる窒息―です』

 脳内でオリジンの音声が自動的に再生される。
 ノイズ混じりのその音は、しかし今の状況を的確に言い当てていた。
 首を絞められた。
 ウェルシーの手のひらに残っていた爪の痕。
 そして、寝室の外での自殺。
 誰がフォイエを殺したのか、フラムは自然と理解してしまった。

「フォイエさん……笑ってます、ね」
「うん……幸せ、って感じじゃないけど……」

 鎖骨あたりに手を当てながら、彼女は狂ったように笑っている。
 義理の妹に殺されたのだ、正気よりはマシだったのかもしれない。

「……こんなの」

 フラムの体から力が抜け、膝をつく。

「こんなのって、ないよ……」

 みんな必死に生きていたのに。
 幸せに笑っていたのに。
 パーティの最後の方は、ウェルシーやフォイエも一緒になって、楽しそうに騒いでいた。
 わだかまりなんて、とっくに消えていて、あとは元通りに、いつもどおり平和に過ごせるはずだったのに。

「どうして……どうして、どうして……っ!」

 座り込んだフラムは、何度もベッドの縁を叩く。
 当たったって仕方ない、けれど、どこかに吐き出さなければ、あまりにも残酷な理不尽を前に、頭がどうにかなってしまいそうだった。
 ミルキットはそんな主に寄り添い、体を抱き寄せる。

「あ……あぁ……ありがとね、ミルキット」
「いえ……こんなことしかできずに、申し訳ありません」

 彼女の声だって震えている。
 心が張り裂けそうなのはフラムだけではない。
 しかし今は――今だけは、この胸のぬくもりに甘えてしまいたかった。
 頬に体温を感じながら、ぼんやりと窓から外の景色を眺める。
 夜の黒を追い詰めるように、橙のグラデーションが下から照らす。
 遠くから響く何かが壊れる音と、小さな悲鳴たちが聞こえる。
 窓の向こうで真っ逆さまに落ちていくリーチ。
 一瞬、彼とフラムの目があった。

「……ぁ」

 吐息のように、声のように、半端に喉を震わせる。
 その直後、ゴシャッ、と外から何かが砕け潰れる音がした。

「え……?」

 次は、声になる。
 けれど頭の理解が追いついていない。
 落ちていった。
 何が? どうして?
 ひたすらにその二つの言葉だけが頭の中を巡っている。

『名―――――チ・マ―――シ――』

 嫌がらせのように、記憶がオリジンの悪夢を呼び起こす。

『死因――飛び降り―――ぶつけ―脳――――――出たこ――す』

 そういえば。
 言っていた。
 順番で言えば。
 ウェルシーの次に。
 あの人も。
 リーチ・マンキャシーも――飛び降りて、脳の中身を出しながら、死ぬのだと。

「あっ、ああ、ああぁっ、あ、あぁぁあ……」

 開きっぱなしの口が、声にならない声を鳴らした。
 フラムを抱き寄せるミルキットも、窓の外を見たまま固まっている。

「あー、ああぁ、あっ、あ……ああぁあぁ……あああ……!」

 フラムは両手で頭を抱え、絞り出すような声を出す。
 嗚咽とでも言うべきなのだろうか。
 とても一つの単語では表せない。
 乱れた感情の入り混じった、どす黒い失望の血塊を吐き出すように、彼女は喉を震わせる。

「ああぁぁぁぁあああああ――」

 限界まで見開かれた瞳から涙が溢れる。
 両手が髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
 怒りも悲しみも超越して、頭の中が、ただただ真っ白になった。

「ああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああッ!」

 それは――狂乱・・と呼ぶにふさわしい、叫び。

「ああぁぁぁぁっ! うああぁぁぁぁっ! あぁっ! あぁっ! あああぁぁぁぁぁああっ!」

 ミルキットの腕を振りほどいたフラムは、額を床に擦り付ける。

「ああぁぁっ! あっ! あがっ! がっ! ががあぁぁぁっ!」

 そしてそのまま、強く頭を打ち付けた。
 砕けてもいい、いっそ砕けてしまえ、そのまま何もかもを考えられなくなるように。
 本気でそう思いながら、血が流れても止めようとはしない。

「あぎっ! ぎいィッ! うぁっ、あっ、ああぁぁぁぁっ!」
「やめてくださいっ! ご主人様、そんなことをしたって!」
「止めるなあぁぁぁぁぁっ! わたしぃっ、わだじはぁあぁあああああああっ!」

 キャパシティなんて、とっくにオーバーしてた。
 これまでで、十分に。
 それでも無理をしてきたんだ。
 ただ隣に立ってくれる誰かのために、守りたいと思うその人のために。
 けど、これは、無理だ。
 ウェルシーの時点で、まるで彼女を自ら手にかけたような戦いで、吐きそうだったのに。
 しかもウェルシーがフォイエを殺していただなんて。
 リーチが自ら命を断つだなんて。
 こんなものに耐えられるほど、普通の――英雄の皮を被っただけの人間は、強くない。

「嫌だっ、嫌だっ、もうやだあぁぁぁああっ! なんなのこれ!? どうしてっ、どうしてこんなことになるのよぉおおおっ! 私はっ、うぇ、私……はあぁっ、ただ、ただ……何も起きなければいい、だけだったのにぃ……!」

 力も、過ぎた幸せも必要ない。
 ただ、何も起きない日々が続けばそれでよかった。

「そんなこどっ、それぐらい……なんで、神様はあぁっ! 神様ってなに!? オリジンってなんなの!? もう無理だよっ、私にどうしろって言うんだあぁぁぁあっ! げほっ、ご……ああっ、が、うううぅぅぅ!」

 喉がガラガラで、何か言うたびに針で刺されたように痛む。
 でも声を出さないと、感情を吐き出さないと、破裂してしまいそうだ。
 言葉はまとまらない。
 けれど方向・・ははっきりしている。
 どうして、どうして、どうして――自分がこんな目に合わなければならないのか。
 きっとウェルシーやフォイエ、リーチだって同じ想いだろう。
 遡れば、ティアもソーマもエドもジョニーもダフィズもフウィスもミュートもルークもネクトも、他のみんなだって――同じように思っていたはずだ。
 どうして、こんなことに。
 どうして、こんな死が――こんな理不尽が、許されるのか。

「ご主人様、少し休みましょう……今のままでは、先に心がダメになってしまいます」
「なんでぇ……なんで……っ?」
「オリジンが全部悪いんですよね。誰もせいでもなくて、あの神様が……」
「違うのぉっ!」

 抱き寄せて慰めようとするミルキットの手を、フラムは振りほどいた。
 そして彼女は、悲しそうな表情をするミルキットに詰め寄る。

「なんでミルキットはっ、そんなに……私のこと、気遣おうとしてるの? おかしいよ。リーチさんと、フォイエさんと、ウェルシーさんが死んだんだよ? 顔を知ってる人もたくさん死んでるんだよ!? 自分の気持ちに向き合うので、精一杯じゃないの!?」

 少なくともフラムはそうだった。
 誰かのことを考える余裕なんて無いぐらい、頭の中がめちゃくちゃになって叫ぶことしかできなかった。
 なのに、確かにミルキットも怯えているし、悲しんではいるようだが――知っている人がこれだけ死んだ割には、落ち着いている。

「おかしいよそんなの。絶対に……おかしいっ……」

 ミルキットに当たっても仕方ないことぐらいわかっている。
 それでも今は、言わずにはいられなかった。
 なにかに感情をぶつけないと、耐えれられなかった。
 そんなフラムを――ミルキットは、懲りずに抱きしめる。
 そして、暗い声で言った。

「そうですね、私はおかしいんだと思います」

 フラムははっと息を呑んだ。
 違う、そんなことを言わせたかったんじゃない。
 けれどミルキットの言葉は止まらなかった。

「私が普通じゃないことは、ご主人様も知っているはずです」

 物心ついたときから奴隷として扱われ、そしてフラムに出会うまでそういう扱いを受けてきた。
 顔が爛れても、暴力を振るわれても、見世物として殺されかけても、文句一つ言わないミルキットは、間違いなく普通の人間・・・・・ではない。

「ずっと、壊れたまま生きてきたんです。それは、たぶん根っこに染み付いたもので、たとえご主人様がどれだけ愛情を注いでくれても、もうどうにもなりません」
「そ、そんな、ことは……」
「いいえ、そうなんです。だって、ご主人様もそう感じていたじゃないですか」

 違和感は、フラムの気のせいなどではなかった。
 彼女のように強がることなく、ミルキットはミルキットのままで、今まで見てきた地獄絵図に耐えてきたのだから。

「私は空っぽでした。ただ他人に言われるがままに使われて、死んで、おしまい。それだけの命だったんです……ご主人様に、出会うまでは」

 フラムも知っての通り――最初に出会ったばかりのミルキットは、掴みどころのない少女だった。
 ご主人様と呼ぶ相手に盲目的に従い、命を失うことにすら恐怖を感じない。
 確かにそれは、空っぽ・・・と呼ぶべき状態だったのだろう。

「ですから、今の私が持っている全ては、ご主人様に与えられたものです。体も、心も、感情も、言葉も、知識も、そして……この命も、何もかもがご主人様の所有物だと思っています」

 そう言われても、フラムは言葉が出なかった。
 いや、今までだって似たようなことを言われた気はするが、重みが違う。
 相思相愛で告白しようと思っていたことが馬鹿らしくなるぐらい――ずっとずっと、ミルキットの抱いている想いの方が、強い。
 他人に向ける感情が希薄になるほど。
 時に薄情で、時に病的に見えるのは、それだけフラムを愛しているからだ。
 文字通り、狂おしく。
 ミルキットの本心の吐露を聞いて、フラムは――

「……いいな」

 羨ましい・・・・、とそう思った。

「私も、それぐらいミルキットのこと好きになれたら、もう苦しまずに済むのかな……」

 おそらく屋敷から出たら、これまで以上の悲劇が二人を襲うだろう。
 そうなったとき、フラムは間違いなく耐えられない。
 どこかで心が壊れて、戦えなくなってしまう。
 だったらいっそ、違う形で壊してしまった方が楽なのではないか――錯乱した思考で、彼女はそう考える。

「ねえ、ミルキット。私……どうやったら、そうなれる? 私も、それぐらいミルキットのこと好きになれるかな?」

 力のない声で問いかけるフラムに、ミルキットはすぐには返事をしなかった。
 きゅっと唇を閉じて考え込み、ためらう。
 虚ろな瞳に、死んだ表情。
 今のフラムは、間違いなく正常な状態ではない。
 そんな彼女の弱さにつけこむ・・・・ような真似を、していいのだろうか。
 ああ、しかし主が自分を求めている、ミルキットにとってこれほどに嬉しいことは他にない。
 応えることこそ、彼女の存在意義。
 ならば――と、口を開く。

「包帯を、ほどいていただいてもいいですか?」
「……うん、わかった」

 フラムは少し顔を離すと、ミルキットの後頭部に腕を回し、包帯に触れた。
 慣れた手付きで結び目をほどき、彼女の顔を覆う布を取り除いていく。
 ミルキットは主の手が肌に当たると、少しくすぐったそうに「ぁ……」と声を出して身をよじる。
 そして彼女の素顔があらわになると、二人は見つめ合った。

「やっぱりかわいい」

 こんなときでもお決まりの言葉を忘れない主を、ミルキットは無性に愛おしく思う。

「ここから、どうしたらいい?」

 ごくりと、生唾を飲み込むミルキット。
 その手のひらが、フラムの頬に伸びる。
 今日は立場が逆だ。
 いつは彼女の方からミルキットの頬に触れてくれるのだが――こうして触ると、主の体はとても温かい。
 だがうっとりしている場合ではない。
 ミルキットは身を乗り出し、顔を近づけた。
 ちょうど彼女が、フラムを押し倒すような形になる。

「本当にいいんですか?」

 改めてミルキットは問いかけた。
 それは彼女の望んだことだ。
 もしフラムが、自分が彼女を求めるのと同じぐらい、自分のことを求めてくれたのなら――これほど幸せなことはない。
 だからこそミルキットは迷っている。
 自分の都合で、自分のわがままで、主のあり方を変えてしまってもいいのか、と。
 そんな彼女に、フラムは微笑みかけ、言った。

「いいよ。私を壊して、ミルキット」

 本当は綺麗な景色が見える場所とか、ロマンチックな雰囲気でとか考えていたが、そんなことはどうでもよかった。
 普通を捨てて、狂気を受け入れる。
 他のものなんて、何も見えなくなるように。
 そして――ミルキットは、フラムに唇を寄せる。

「ん……」

 そして二人は、死の満ちる奈落の底で、初めての口づけを交わした。
 触れた瞬間、フラムの喉から色っぽい声が漏れる。
 それを聞いただけで、ミルキットの胸が張り裂けそうなほど高鳴る。

「は、ふ……」

 フラムの顔が揺れると、唇に感じるしっとりとした柔らかな体温がこすれて、ミルキットも甘い声をあげる。
 ただただ、愛おしい。
 唇を触れ合わせるだけの行為だ。
 今まで幾度となく手をつなぎ、抱き合って来たが――そのどれとも違う。
 そして確信する。
 やはりこの関係は、友人でもなく、相棒でもなければ、家族でもない。

『ああ、私たち――最初からずっと、恋をしてたんだ』

 ほぼ同時に、二人は同じことを考える。
 気づくまでに時間がかかってしまったが、いざ気づくと、なんで今まで恋人以外の関係でいられたんだろうと思うほど、恋でしかない。
 好きで、好きで、好きで、たぶん人生で一度あればいい方の、強烈な恋で。
 こんなに強く想っても、ミルキットの想いには届かないなんて――と、フラムは彼女のすごさを改めて実感した。
 だから、少しでも近づけるように。
 もっと、壊れるほど好きになれるように。
 触れ合う唇から送り込まれるミルキットの愛情を、心を開いて受け入れた。

「は……ん、ふ……」

 もうどちらの声かもわからない。
 いつの間にか二人の体は密着し、フラムの手はミルキットを抱き寄せるように背中に回されていた。
 ちゃんと、壊れることができたのだろうか。
 フラムには、まだ実感が湧いていない。
 ひょっとすると、ただのおまじないのようなものだったのかもしれない。
 だが少なくとも、こうしてキスを交わしている間だけは――悪夢現実から目を背けていられた。



 ◇◇◇



 フラムとミルキットは手をつなぎ、指を絡めあって屋敷を出る。
 するとフラムは出てすぐに立ち止まり、左側を見た。
 血で濡れた石畳に倒れる、男の姿がある。
 落下死したリーチの亡骸だ。
 頭から血を流し――その潰れ具合からいって、おそらく即死だろう。
 その表情が悲しみに溢れているところを見るに、リーチは最期まで正気で、ウェルシーフォイエの死を悲観して自ら命を断ったものと思われる。
 遺体に歩み寄ったフラムは、一旦手を離し、丁寧に頭を下げた。

「リーチさん、今まで色々とお世話になりました」

 だが彼女が、ウェルシーやフォイエのときのように取り乱すことはなかった。
 ミルキットも同様に頭を下げると、また二人は手をつなぎなおして、敷地の外を目指す。
 塀の向こうに見える街並みは、赤々と燃えている。

「いこっか」
「はいっ」

 二人は見つめ合い、笑みを浮かべる。
 その表情に影はない。
 なぜからそこにフラム好きな人がいて、そこにミルキット好きな人がいるから。
 何も恐れるものなどないのだ。
 いざ、惨劇渦巻く絶望の奥底へと。
 強く結ばれた互いの愛情だけを頼りに、少女たちは前へ踏み出した。





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