「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい

kiki

057 別離






「ん……んん……」

フラムの瞼が震え、ゆっくりと瞳が開く。

「ご主人様っ!」

すると包帯の少女が身を乗り出し、視界に現れる。
視界はぼやけているが、例えどんな状態であっても、フラムが彼女を認識しないことはない。

「ミルキット……ここは……?」
「ギルドの医務室です、キリルさんと一緒にライナスさんが運んでくれたんですよ」
「ライナスさん……ああ、そっか、私……」

次第に意識と記憶がはっきりとしてくる。
ミュートにとどめを刺して、そのまま限界を迎えて、倒れてしまったらしい。

「他の人は……エターナさんとか、ガディオさんは、無事?」
「はいっ、今は他の方々と一緒に話し合いをされています」

フラムは「そっか」と安堵すると、ほっと息を吐き出した。
ミュートが死んでも、共振した人間たちが動いていたらどうしようかと心配していたが、杞憂だったようだ。

「あぁ……本当に……本当に、目を覚ましてよかったです……」

ミルキットは主のお腹に抱きつくと、顔を埋めた。
その体温を肌で感じ、フラムが生きていることを実感する。

「このまま、二度と起きなかったら……どうしようかと……心配で、心配でぇっ……!」
「私、そんな重傷だったっけ?」

戦いは熾烈だったが、死ぬほどの傷は負っていなかったはずなのだが。
まあ、それほど心配になってしまうぐらい、目覚めるのを待ちわびてくれていたのだろう。
フラムは彼女の頭に手を置くと、柔らかな髪の感触を楽しむように撫でた。
部屋の中は、ランプで照らされているが、暗く感じる。
どうやら外はとっくに夜になっているようで、かなり長時間眠っていたようだ。
手に残っている感触からして、おそらくミルキットはその間ずっと、ここで手を握って、目を覚ますのを待っていてくれたんだろう。

「ありがとね、ミルキット」
「お礼を言われるようなことは、何も……私は、本当に、何も……」
「それでも、ありがと」

フラムはミルキットに対して、どこまでも優しい。
それを感じるたびに、ミルキットの胸はきゅっと締め付けられ、体が熱くなるのだ。
言葉だけでもそうなるのに、さらに抱きしめられて、彼女の甘い匂いを嗅いだりすると、もう感情が止められなくなる。
頭の中がフラムでいっぱいになって、多幸感に包まれて、とにかく一緒にいたい、離れたくない――そんな想いが膨れ上がっていく。

「そういえば、キリルちゃんは?」

熱を帯びたミルキットの思考回路が、ふっと冷静さを取り戻す。
そうだ、甘えている場合ではなかった。
伝えなくてはならないことが、いくつもあるのだから。

「向かいのカーテンの中で寝ています、傷は癒えているのでそのうち目を覚ますそうです」

彼女は顔を上げると、フラムにそう告げる。
確かに前にはカーテンで覆われたベッドがあるが、横たわる人間がどういう状態なのかはわからない。
だが血の匂いはしないし、ミルキットが“寝ている”と表現したということは、命に別状は無いのだろう。
王城から失踪してからしばらく食事も食べずに、野宿を続け、しかもブレイブまで発動させて――疲れているのは明らかだ。
最初にブレイブを使ったときは一日中眠り続けていたし、まだしばらくは目を覚まさないと思われる。

「そっか、良かった……」

それでも、無事だっただけで十分だ。
ミュートの死はキリルにとっては苦い経験だったかもしれないが、フラムはほっと一安心である。
目を覚ましたら言葉を交わして、わだかまりを溶かして――大丈夫、きっとすぐに元通りになるはずだ。
しかし、まだ戦いは終わっていない。
ネクトとルーク、そしてマザーが残っている。
体は重いが、いつまでも一人だけ寝ているわけにはいかないのだ。
ベッドから降りようとするフラム。
彼女の体に、ミルキットは手を添えて支える。
そして二人は寄り添い医務室を出ると、見慣れたギルドのエントランスに顔を出した。
ガディオ、エターナ、インク、イーラ、そしてスロウ――足音に反応して、彼らの視線が一斉にフラムの方を向いた。

「やっと目を覚ましたのね、そのままぽっくり逝くかと思って心配したわよ」

真っ先に声をかけたのはイーラである。
社交辞令というわけではなく、表情からも普通に心配してくれているようで――

「心配してくれるんだ、意外」

フラムは思わずそんなことを口走ってしまった。

「あぁ? 人が珍しく気遣ってやってんのに何よその反応は!」

そしてすぐにいつものようにキレるイーラ。
こちらの方が彼女らしくて安心感がある……と言ったらまた怒らせてしまうのだろう。

「ごめんごめん、あまりに見慣れない表情だったからつい。ありがとねイーラ」
「ふんっ」

彼女は腕を組んでそっぽを向く。
次に話しかけてきたのはエターナとガディオだった。

「おはようフラム」
「思ったよりも早い目覚めだったな」
「そうですかね、随分と寝ちゃった気がしますけど」
「あれだけ大技を連発していたんだ、疲労も相当だったはずだ」
「ガディオみたいな体力バカと比較しちゃいけない」

ナチュラルに毒を吐くエターナ。
ガディオは顎に手を当てて「バカ……?」と微妙に気にしている様子だった。
だがやはり、自分以上に大暴れしていたガディオがピンピンしているところを見ると、フラムはふがいなさを感じずにはいられない。
オリジンと戦うにはまだ力が足りない、改めて痛感する。
次にフラムは、エターナの隣に座る少女に視線を向けた。
そして気まずそうにその名前を呼ぶ。

「インク……」

また一人、家族を殺してしまった。
罪の意識があるわけではない、あれは必要な措置だった。
しかし――彼女にどんな顔をしていいのかがわからない。

「大丈夫だよフラム、わかってるから」
「……うん」

いや、フラムが心配せずとも、彼女はとっくに割り切っている。
しかし十歳の少女に押し付けるには、あまりにそれは重い。

「ミュート、幸せそうに死んだんだってね」
「本人がそう言ってた」
「今はギルドに保管してあるけど、死体もちゃんと弔ってくれるって」
「そう……約束したから」
「十分だよ。幸せに生きてくのが一番だけど、それができないなら、幸せに死ぬしか無い。苦しまずに死なせてくれてありがとね、フラム」

インクは笑みすら浮かべてそう言った。
無理をしているようには見えない、本心からそう思っているようだ。
ならば素直に、言葉通りに受け取るのが誠意というものだろう。
フラムはそれ以上、インクに対して申し訳ないと思うのをやめた。

「あれ、そういえばライナスさんは……」

ギルドを見回しても、一緒に戦っていたはずの彼の姿が見えない――と思いきや、紹介所の隅の方で俯いている姿を発見した。
明らかに落ち込んでいる様子だが、何かあったのだろうか。

「マリアが書き置きを残していなくなった」

疑問に答えたのはエターナだった。
そう、彼女はフラムたちやミュートの亡骸を運び、治療や処置を済ませたあとに姿を消してしまったのだ。
ライナスにすら何も言わずに、一枚の手紙だけを残して。
そこには、自分を信じてくれた彼へのお礼と謝罪、そして――フラムの言葉を聞いて、自分もまた取り返しのつかない場所にいることを思い出した、と記してあった。
顔を上げたライナスは、フラムの方を見て言う。

「なんとなく、こうなるんじゃないかとは思ってたんだ」

昨日から、ずっと予感はあった。
心が通じ合っているようで、まだ一番深い場所まで踏み込ませてくれない、そんなもどかしさも。

「昨日だって大事なことは何も話してくれなかった。強引には聞こうとしなかった俺も悪いのかもしれないが、結局はそれがマリアちゃんの本心だったんだよ」

ライナスは全てを受け入れる覚悟は出来ていた。
しかし、マリアに全てをさらけ出す覚悟はなかった。
まだそこまで、彼のことを信じられなかった。

「さっきも意味深なこと言ってたけど、マリアがどうしていなくなったのか、わたしには見当もつかない」
「ライナスさん、エターナさんたちにはあのこと話してないんですか?」
「……まだ、何も。フラムちゃんが話すなら別に俺は構わない」
「わかりました……なら私から」

本来なら自分が言うべきことなのだと、ライナスだって理解している。
しかし胸が詰まって、思うように言葉にできない。
もし無理に説明しようとしたって、きっと余計なノイズを加えて話をややこしくしてしまうだろう。
そう思ったのだ。

「実はマリアさん、オリジンコアを体内に取り込んでしまってたみたいなんです」
「マリアが……」
「それで、顔が例の渦の状態になっていて、それを仮面で隠していました」

フラムは仮面の向こうをはっきりと見たわけではないが、察しはつく。
もう何度も何度も、あのおぞましい姿と対面してきたのだから。
それを聞いたガディオは、驚くというよりは、何か納得したように「ふむ」と相づちを打った。

「考えてみれば当たり前のことかもしれないな。彼女は聖女と呼ばれるほど、教会とは繋がりの強い人間だったんだ」
「それでミュートと戦ってたってことは、サトゥーキの仲間? それとも教皇派?」
「詳しいことは俺にもわかんねえよ。ただ……マリアちゃんは、キリルちゃんやジーンにもコアを渡して、仲間に引き込もうとしてたらしい。だがキリルちゃんはあの姿になったマリアちゃんを見て恐怖し、コアを使う前に逃げられてしまった」
「それでキリルちゃん、王都を逃げ回ってたんだ……」

その話を聞いていたミルキットが、何かを思いついたらしく口を開く。

「つまり、マリアさんという方にとって、その、化物の姿になるのは予想外だった、ということですか?」
「そういうことになるんだろうな」
「他人に渡すほどコアの制御に自信があった、だからこそ自分にも使った。でも……マリア自身も裏切られて、化物にされた?」
「聖女という立場からして、マリアは教皇派である可能性が高い。しかしコアの研究をしているキマイラはサトゥーキ派だ。彼女は、例のエキドナという女にでも騙されたのかもしれないな」

裏切り者が逆に裏切られる。
因果応報とも言える状況で、同情の余地はない。
しかしライナスは不安げな表情で両手を合わせ、握り、マリアの無事を祈った。

「悪いのはマリアちゃんだ。だから、空気を読めてないってのもわかってる。でも……俺は、どうにかして、彼女を助けてやりたいと思ってる」

それを聞いた人間は、みな口を閉ざした。
肯定も否定もできない。
コアの恐ろしさはよく知っている、あれを使った人間はほぼ助からない。
しかし一方で、ライナスの気持ちもよくわかる。
彼がマリアに惚れ込んでいたことは、パーティにいた全員が知っていたことだ。
沈黙を破ったのは、ガディオだった。

「これから俺たちが戦うのはチルドレンだ、マリアと敵対するわけではない。彼女がオリジンに関連する人間である以上、いずれはそうなる可能性はあるが――時間はまだある、それまでに考えておくといい」
「……ありがとう」

ライナスは絞り出したような声で、礼を告げた。
そして唇を噛み、何かを考え込むように再びうなだれる。
マリアの件については、ライナスに任せるしかない。
フラムたちの前にだって、対処すべき問題は山積みになっているのだから。
室内に満ちた暗い空気を解消するため、彼女は話題を変えようと「ところで――」と声を出す。
するとそのとき、ドアが開いた。
現れたのはウェルシーだった。

「ふぅー、こんばんは。みんな大慌てで王都から逃げ出してて、ここまで来るのも一苦労だったよー」
「ウェルシーさん!」
「おや、フラムちゃん目を覚ましたんだー?」

どうやら彼女は、フラムが意識を失っていたことを知っているようだ。
起きる前に一度ギルドを訪れていたらしい。

「いつまでも寝てるわけにはいきませんから。ところで、逃げ出すってどういうことですか?」
「そのまんま、避難してんの。あんな出来事があった直後だからねー。軍や騎士もお手伝いして、そりゃもう大騒ぎ。でもご安心を、スロウ君の正体はきっちり掴んできたからさ」
「俺の父親がわかったってこと!?」

スロウは立ち上がり反応した。
なかなか話に入れず、蚊帳の外にされていたせいか、水を得た魚のように活き活きとしている。

「この状況の中でよく調べられたな」
「調べたっていうか、逆算してうちの会社の資料を引っ張り出して来た感じですよ」
「逆算って、どういうことです?」
「サトゥーキが何をしようとしてるのか、その答えさえわかれば調べるのはそう難しくなかったよー」

にやりと笑うウェルシー。
彼女は手にした資料を、テーブルの上に広げた。
フラムたちはその周囲に集まり、目を通す。

「結論から言うと、スロウ君の父親はヴァシアス・カロウルだった」
「え、それって……」

それはミルキットですら驚いてしまうほどの大物の名前。
当事者であるスロウは、手を震わせながら大声をあげた。

「せ、せ、先代王っ!?」

しかし一方で、ガディオとライナスはさほど驚いていないようだ。
王都で活動していた二人は、その“逸話”を聞いたことがあるのだろう。

「あの人、息子に王位を渡したあとに隠居してたんだけど、遊び人だったって有名でね。お忍びで酒場に行って女の子にちょっかい出してたらしくて」
「俺も聞いたことあるなぁ、手を出された女の子は一人や二人じゃ済まないって」

ライナスの言葉に、フラムは頬を引きつらせた。

「王族なのに、そんなのでいいんですか……?」
「子供ができないように気をつけてたとは思うんだけど……まあ、事故は起きちゃうよねー」
「俺、事故で生まれたの?」
「そりゃもう大事故だよ」

容赦ないウェルシーに、「事故って……」と繰り返し、スロウはがっくりと肩を落とす。

「他社から引き抜いたベテラン記者に聞いてみたら、当時の資料もばーっちり残ってたし」
「資料があるのに、隠されてた?」
「圧力がかかって記事にはできなかったみたいなんですよ」

王都に存在する新聞社で、教会や王国の圧力に抵抗できるのはウェルシーの新聞社ぐらいのものだ。
それに、もしスロウが先代王の血をひくことが明らかになったとしても、しょせんは愛人の子。
本妻の息子である現王がいるかぎり、扱いはさほど変わらなかったはずである。

「じゃあ、俺は……王族、ってことなのか?」
「まあ庶子な上に、認知もしてないらしいから、証明は難しいけどね。でも君のお母さん、お金ぐらいは貰ったんじゃなーい?」
「お金……まさか、あのおじさんが……」
「おじさんって?」
「小さい頃から俺にプレゼントを送ってくれるおじさんがいたんだ。顔は見たことないんだが、一度だけ姿を見たことがあって。コート着て帽子を深く被ってた。すげえかっこよかった……」
「十中八九、それが王族の関係者だろうねー」

口止め料か、あるいはそれで責任を取ったつもりなのか。
先代王はすでに死んでいるため、確認のしようはない。

「……だとしても、どうして王族の血を引くだけの人間を、チルドレンは狙ったのでしょう」

小さめの声でミルキットはそう零した。
その疑問に、ガディオが答える。

「サトゥーキには、何らかの方法で現王を失脚させる算段があるのだろう。そして王となったスロウを傀儡とし、実権を握る」
「割と無茶。王には息子もいる。父が死ねば、権利は庶子ではなくそっちに行くはず」
「血脈を否定する手段も用意しているのだろう」
「それでも無茶だと思います、いきなりスロウが王なんかになったって、民衆が納得しませんよ」

フラムのストレートな言葉が、スロウの胸に突き刺さった。
確かに無理だし王の才能があるとも思えないが、もうちょっと手心を――と彼は落ち込む。

「そのための俺たちだ」
「そのため? どういうことですか?」
「王都を襲う悲劇、絶望の中に颯爽と現れ、チルドレンを倒した英雄が新たな王と共に国を守る。すると民衆の支持は一気に集まる。ちょろい」

吐き捨てるようにエターナは言った。
確かに英雄の存在は、民衆の心を動かすだろう。
しかしそれには、一つの大きな問題点がある。

「待ってくださいエターナさん、私はサトゥーキなんかに協力するつもりはありません!」

少し感情的に声を荒らげるフラム。
そんな彼女に、エターナは変わらず落ち着いた様子で話す。

「だから、そうせざるを得ない状況に追い込むはず」
「それって……」
「人質ってこった」

今度はライナスが不機嫌そうに言った。
汚い手ばっかり使いやがって、とサトゥーキを心から軽蔑して。

「フラムが目を覚ます前に話し合っていたんだが、ミルキットとインク、ケレイナ、ハロムの四人を王都から脱出させようと思っている」
「え……ミルキット、を……?」

ミルキットが人質に取られれば、フラムは従わざるをえない。
それに戦いが続く危険な王都に置いておくよりは、外にいてもらった方が安心はできる。
だが――寂しいものは寂しい。
フラムは不安げにミルキットの目を見つめた。
すると彼女は穏やかに微笑み、主の手を握った。
言葉を交わさずともわかる。
ミルキットだって寂しいと思っている、けれど同時に“仕方のないことだ”とそれを受け入れているのだ。
行かないで欲しい――フラムはそう言いたくなる気持ちをぐっと抑える。

「急な話だが、今夜のうちに逃がすつもりだ」
「……サトゥーキに、勘付かれたりませんか?」
「今日の騒ぎで、すでにたくさんの人間が王都から避難してる。そのどさくさに紛れさせるという寸法」
「ちなみに脱出の手配は兄さんに頼んであるから大丈夫だよ」

ウェルシーは得意気に言った。

「確かにリーチさんなら……大丈夫、ですね」

すでに状況は整っている。
どのみち、フラムが何を言おうと止めることはできそうにない。



◇◇◇



ほどなくして、馬車が到着した。
見送りのために外に出ると、手配したリーチが馬車から降りてくる。

「急な頼みで申し訳ない」

そう言ってガディオは彼に頭を下げた。

「いえいえ、大したことではありませんから頭を上げてください。戦いの方では全く役に立てませんから、こういった形で助力できてむしろ嬉しいぐらいです」

笑いながらそう言うリーチだったが、フラムはその表情に違和感を覚える。

「あの、リーチさん」
「はい、どうしましたかフラムさん」
「……顔色悪くないですか?」

暗くてよく見えないが、体調はあまり良くなさそうだ。

「そうかも、しれません。私もあまり、死体には慣れていませんので」
「ああ、そっか……そうですよね」

数え切れないほどの人が死んだ。
瓦礫の下にまだ埋まったままの死体だってある。
そんな状況で、元気な方がおかしいぐらいなのだ。
フラムはため息をつくと、馬車に乗り込む準備を進めるミルキットの方を見た。
彼女の持つ手荷物を御者が受け取り、荷車に積み込む。
それが終わると、ふいに彼女はフラムの方を見た。
二人の視線が絡み合う。
するとミルキットは主のそばに駆け寄り、両手のひらで、その手を包み込んだ。
ほんの数日程度のはずなのに、この温もりが遠くに行ってしまうと思うと、名残惜しくて中々手が離せない。
一方で、インクとエターナも肩を寄せ合って並び、暗い表情でぽつりぽつりと言葉を交わしていた。

「大丈夫、なのかな」

心配事は数え切れないほどある。
エターナ抜きで王都を出ることも。
ここからの戦いを彼女が無事に生き残れるのかも。
そして……ネクトとルークが残るこの街から、自分だけが出て行くことも。

「心配ない。わたしは死なないし、チルドレンたちも必ず……眠らせる」

珍しく真剣な表情をしたエターナは、インクの頭を撫でた。

「うん、信じてるから」
「了解、信じられた。それにしても……」

しかし彼女のシリアスは長続きしない。
口元ににやりと笑みを浮かべると、

「インクが寂しがってくれてわたしは嬉しい、愛されてる」

と、茶化すように言った。
インクは手探りでエターナの頬に手を当てると、思いっきりつまむ。

「いひゃい」
「デリカシーの無いエターナが悪い」
「真面目はどうにも性に合わない。悲しんで別れるより」
「……ん、確かに笑って別れた方がいいけど。私としては、ちょっとはエターナにも寂しがって欲しかったな」

そんな素直な言葉に、エターナは少し驚いた様子である。
強がれないほど、インクは落ち込んでいる。
ずっと一人で隠居してきたエターナにとっては、ここまで誰かに懐かれるというのは初めての経験で――悪い気は全くしない。
彼女は「私もフラムとミルキットのこと言えない」と誰にも聞こえないよう呟くと、再びインクに笑いかけた。

「わかった、じゃあ私も寂しい」
「じゃあって……ああもう、そういうところがっ!」
「これは本気、すぐに再会できるように必死で頑張る」

その声に篭った想いが、インクの心にまで届く。
さっきまで憤っていたはずなのに、急にしおらしくなり、言葉に詰まる。
不意打ちは卑怯だ、何を言えばいいのかわからなくなる。

「わたしはこういうとき嘘をつかない。少なくとも、インク相手には」
「……うん」

インクはそう言って、頷くことしかできなかった。
そしてエターナの手に導かれて、馬車に乗り込む。
そのときちょうど、ガディオはすでに中にいたケレイナとハロムと会話をしていた。

「ガディオ……」
「心配するな、まだ死ぬ気はない」

その言い方に、ケレイナはさらなる不安を覚える。
本当に死ぬ気がないのなら、“まだ”などという言葉は使わないはずなのだ。

「パパっ」

ハロムも、初めての旅がやはり不安なようだ。
そんな彼女の気持ちを理解してなのか、ガディオはその呼び方を拒絶しなかった。
優しく微笑み、まるで本当の父親のように、大きな手で頭を撫でる。
するとハロムは気持ちよさそうに目を細め、安堵した。

「なあ、ちょっとこっちに来てくれないかい?」
「どうしたんだ」

ガディオは言われた通り、ケレイナに近づく。
すると彼女はその胸ぐらを掴み、顔を引き寄せた。
二人の唇が軽く触れる。

「な――」
「死なないとか言ってるけど……見てたら不安になってきたよ。あたしの唇を奪ったんだ、簡単に逝ったら許さないから」
「強引に奪っておいてよく言う」
「つべこべ言わないっ!」

ケレイナの顔は真っ赤になっている。
そして二人は笑って離れる。
そんなやり取りを見たハロムは、顔を赤くして「おー」と何やら感心した様子だ。
こうして二組が別れを済ませ、出発の時間が迫り――ずっと手を繋いでいたフラムは、ミルキットの体を抱き寄せた。

「むう、ご主人様……何日か経てばまた会えるんですから」
「ミルキットがそうやって割り切ってるのが、なんかやだ」
「だって、足手まといになるのは嫌ですから」

フラムは何度だって言ってきた。
ミルキットを足手まといだと思ったことなど無い、と。
守りたい人がいるからこそ、ここまで戦ってこれたのだ。
しかし――今回は今までとは違う。
王都にはすでに安全地帯などない、フラムのわがままでミルキットを危険に晒すわけにはいかないのだ。

「みなさん準備が終わったみたいです」
「やだ、まだミルキット分が足りてない」
「私だって……ご主人様分、全然、足りてないです。でも、そうも言ってられません」

わかっている、フラムにだって。
二人は体を離すと、名残惜しそうに距離を取り、やがて繋いでいた手も解けた。
体に残る暖かさが、余計に寂しさを膨張させる。
フラムに背中を向け、馬車に向かうミルキット。
彼女は荷車に足をかけ――

「……ご主人様っ!」

その場で振り返ると、フラムに駆け寄って抱きつき、頬に唇を押し付けた。

「あ……っ」

突然の出来事に、うまく頭が働かない。
顔を真っ赤にしたミルキットは、走ってフラムから離れると、今度こそ馬車に乗り込む。

「し、閉めてくださいっ!」

御者が言われたとおりに、荷車の扉を閉める。
ミルキットはなぜ自分がそんなことをしたいと思ったのか、よくわからなかった。
その行為の意味はしっている、しかしなぜフラムに対して――と。
少し間を置いて、何が起きたのかを理解したフラムの顔は、みるみる赤らんでいった。
今までもさんざん抱き合ったり、一緒に寝たりはしてきたが、それとは少し意味合いが違うような気がして。
そして四人の乗った馬車が走り出す。
遠く離れて見えなくなるまで、フラムたちはその場に立ち、小さくなるその姿を眺めていた。



◇◇◇



ギルドに戻ったフラムは、大きく深呼吸をした。
熱で浮かれた脳が少しだけ冷静さを取り戻す。
そして遅れて入ってきたガディオに、ずっと気になっていたことを尋ねた。

「スロウは逃さなくてよかったんですか?」

そもそも彼がいなければ、サトゥーキの企みは瓦解する。
ミルキットたちと一緒に逃がすのは危険だが、別の馬車ならば、とフラムは考えたのだ。

「さすがにそれはサトゥーキが許さんだろう。スロウがルークに狙われていることも把握しているはずだからな」
「たぶんどこかで見張ってる。スロウが本当に死にそうになったら、出てくると思う」

だったらあえてスロウを放置して――と考えかけて、そこで止めた。
確信が持てない状態で、彼を死ぬ直前まで追い込むのはあまりに可愛そうだ。

「ってことは俺、このまま王になっちゃうわけ?」
「少し嬉しそうにしてるんじゃないわよ」

口元が微妙に笑っているスロウを、イーラが叩く。
彼は不満げに「今の絶対に不敬罪だって……」と愚痴った。

「策に乗るのは癪だが、罪のない人々が死ぬのは望むところではない。俺たちはこのまま、チルドレンの相手をするしかないだろう」
「いけすかねえな」
「言っても仕方ない。キリルもまだ目を覚まさないし、ひとまず明日の作戦を立てる」
「明日、ですか」

ミュートとの戦いで、チルドレンの恐ろしさは身にしみて理解している。
さらにフラムはもちろん、エターナ、ガディオ、ライナスの三人も相当消耗していた。
今日すぐに交戦することになったとしても、勝ち目があるかは微妙なところだ。

「無茶をして犠牲者が出たんじゃ意味がない」
「確かに……そうですね」

それに、ネクトやルークも、今日は動かないような気がする。
フラムにはそんな確信めいた予感があった。

「ところでエターナさん、フラムちゃんが目を覚ます前に手紙のことを話したと思いますけど、あれどうなったんですか?」

おもむろにウェルシーがそんなことを言い出した。
手紙と言えば、例のカウントダウンのことだ。

「手紙について何かわかったんですか」

フラムが尋ねると、エターナは首を横に振った。

「わかったというか、ただの推理。書かれていた文章の、蒔かれた種は三つという部分。あれがどうにも気になる」
「それは螺旋の子どもたちスパイラルチルドレンのことですよね」

ネクトとルーク、そしてミュートでちょうど三人だ。
しかしエターナには別に思い当たる節があるようである。

「わたしも最初はそう思った、でも蒔かれたものは別にもあったはず」
「まさか、あの赤ちゃんが?」
「そう、第三世代を名乗っておいて一体だけというのも妙。ひょっとすると、あれが三体いるのかもしれない」
「うえぇ、あんなのが沢山いるのか……」

実際に目撃したスロウは、露骨に嫌そうな顔をした。
フラムも同じように、顔をしかめる。
チルドレンに比べ知能の低さという欠点はあるものの、十分に脅威だった。
そして交戦から一日以上が経過した今、おそらくさらに成長していると思われる。

「明日が最後の一日なんだよな?」
「手紙の差出人を信じるのなら、そういうことになるだろう」
「つまりたった二十四時間で、その化物を二体仕留めて、さらにネクトとルークって奴も倒して……んでマザーを見つけなきゃならないってことか」
「手分けするしかない」
「にしてもハードだな」

ライナスは半笑いで言った。
ギルドに沈黙が満ちる。
あまりに過密なタイムスケジュールだ、言ってしまえばほぼ不可能である。
それでも、やらなければ。

「これで無報酬だってんだからやるせないよなぁ」
「報酬ならあるだろう」
「人々の笑顔とか言い出さないだろうな」
「王の側近になれる」
「皮肉がブラックすぎるだろ……」

頭を抱えるライナス。
少し離れた場所にいるスロウは、調子に乗った様子で「苦しゅうない」と呟き、イーラにまたどつかれていた。



◇◇◇



その日、フラムたちはギルドに泊まることにした。
とはいえ人数分のベッドは無いので、男性陣は椅子で寝ている。
また仮眠用の布団が一つだけあったので、イーラはそれを床に敷いて横になったようだ。
医務室にある三つのベッドは、フラムとエターナ、そしてキリルが使っている。
よほど疲れていたのか、エターナはすでに熟睡しており、寝息を立てていた。
キリルもまだ目を覚ましていない。
起きているのは、すでにフラムだけである。

最近はずっとミルキットと一緒に寝ていたから、一人でベッドを使うのは久々だ。
自由に寝返りを打てる状況だが、それを幸せだとは思わない。
人肌に慣れてしまって、とにかく体も心も寒いのだ。
胸が苦しくて、まともに眠れないぐらいに。
今頃――ミルキットは、近郊の村で休んでいるのだろうか。
窓から見える夜空を、同じように見上げているのだろうか。

「おやすみ、ミルキット」

空に向かってそう言うと、自分の女々しさに、フラムは思わず笑ってしまう。
奴隷として売られてから今日まで、ずっと“ミルキットを守るために”と自分に言い聞かせて戦ってきた。
彼女がいなければフラムはただの女の子で、ここまで生き残ることもできなかっただろう。
実際、その根っこの弱さは、キリルと大して変わらない。
誰と出会い、誰とともに歩くのか。
その違いだけで、明暗ははっきりと分かれる。

ミルキット不在の今、フラムは自分の心がくじけやしないかと、不安で仕方なかった。
厳しい戦いはまだ続くだろう。
それを支えてくれる彼女の存在は、彼女が想っている以上に大きいものなのだ。
だからフラムは、“戦う理由”を設定する。
とにかく早くこの戦いを終えれば、その分だけ早くミルキットに再会できる。
そう自分に言い聞かせて、心の支えにすると決めた。

「……私、ミルキットのこと好きすぎない?」

今さらではあるが、再確認する。
依存して、寄りかかって――けれどそうでもしなければ、やってられない。

「あーあ、なんかオリジンが滅びる魔法とか都合よくその辺に転がってないかなぁ……」

そしたら明日からでも、気楽に暮らせるようになるのに。

「はぁ……」

考えていて虚しくなってきたので、倦怠感に身を任せ、瞳を閉じる。
未だ心は落ち着かず、不安定に揺れていたが、今度は眠れないほどではないようだ。
しばらくするとフラムは意識を手放し、まどろみに沈んでいった。



◇◇◇



翌朝――誰よりも早く目を覚ましたライナスは、まだ外が暗いうちに王都に繰り出した。
そこに一般市民の姿はほとんど無く、出会うのは各所に配備された軍と教会騎士ばかりである。
彼は普段とは違う、張り詰めた空気に包まれた街並みを、彼女・・を探して歩く。
偶然通りがかった兵士は、目が合うと、背筋をピンと伸ばして敬礼してきた。
無視は悪いので軽く会釈したが、あまりいい気分ではない。

「うわあぁぁぁああっ!」

そんなライナスの背後から、男性の叫び声が響く。
振り向くと、先ほど敬礼をしていた兵が、壁に埋まっていた・・・・・・
最初こそ、手足を動かし抜け出そうとしていた彼だったが、数秒後、口から血を吐き出すとぐったりと動かなくなる。
被害は一人だけにとどまらない。
見えない場所で、次々と断末魔が響いた。
それが戦う意志を持った兵士だというのなら、もはやネクトも手加減をする必要などないのだ。
無差別に、思うがままに、地面や壁、他の人間と“接続”し、殺害する。
昨日できなかった分を補うため、とにかく大量に。

「あわよくばマリアちゃんを探せたらとか思ってたが、そう甘かねえな」

声に規則性が無いわけではない。
どんなにランダムを装っていても、人が使用している限りは、“クセ”が出てしまうものなのだ。
しばし立ち止まり、耳を澄ませ、パターンを見極める。
そしてライナスは地面を蹴り――

「今日もろくでもない一日になりそうだ」

弓を手に、ネクトの追跡を開始した。





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