Smile again ~また逢えるなら、その笑顔をもう一度~

たいちょー

15.

文化祭当日

――みんな、盛り上がってるなぁ。
土曜日、晴天の昼前。実に、文化祭日和と言ってもいいだろう。今年も例年通り、本校の生徒以外の者たちも、たくさん集まっているようだ。
「にしってもぉ……、暑いぃ……。陽子ぉ、うちわ貸してぇ?」
受付の隣に座る香苗が、右手で顔を仰ぎながらこちらに左手を差し出した。
「えぇ?私、さっき綾香に渡しちゃったきりだよ?」
「なんじゃと?え、ちょっと?綾香?中にいるかなぁ?」
香苗が立ち上がって、教室のドアをゆっくりと開く。
今日は、かなり気温が高い。昼下がりまで、もう少し暑くなる見込みだ。確か、最高気温は二十九度。ここまでくると、もうすぐ夏が来るのだなと、体で実感できるほどだ。
「ダメだぁ、見当たらないよぉ……。うわーん綾香ぁ、うちわぁ、うちわをくれぇ!」
中を確認し終えると、香苗はドサッと席に座るなり、嘆きながら両手で顔を仰ぎ始める。その声を聞いた、廊下で待つ人、歩く人、それぞれ数人がこちらを向いた。周囲の目が痛い。
その目線の一つと合った。ダメだ、見られるこちらのほうが恥ずかしいじゃないか。
「ちょっと?他の人見てるよ?」
西村は小声で、隣の香苗に呼び掛ける。
「うぅ……暑い……暑い……」
「はぁ…」
本当に、この子が実家のお店の看板娘なのだろうか?この子のこの様子を見ていると、どうしても心から疑問に思う。
将来、香苗と付き合った人々はきっと、この残念っぷりに消沈するだろう。ご愁傷さまだ。
「ありがとうございました」
「あ、ほら、香苗」
「はぁい……」
西村と香苗が座る席の、反対側のドアがガラッと開くと、今まで中で映像を見ていた、お客さん数十人が、ぞろぞろと廊下へと出てきた。それと同時に、廊下で待っていた人々を今度は二人がかりで誘導し始める。
数分程で、次の接客を済ませると、ドアを閉めて、「ふぅっ」っと一息を吐いた。
あまり自分は、このような接客はに慣れていない。だが、隣に座る香苗が先日になって「お願い!一緒にやって?」としつこく頼み込んできてしまったのだから、それはもう断るも断り切れなかった。
――まぁ、どうせ他を回る予定も無かったし。いいか。
廊下の壁にかかった時計に目を向けた。もうすぐ正午に時計の針が回る。あと二十分程で、最終調整の時間だ。そろそろ、音楽室へと向かわなくてはならない。
「香苗。私、そろそろ時間だから行かなきゃ。後の当番、よろしくね」
「んぇ?あれ、もうそんな時間?そっかぁ、頑張ってね。応援してるよー」
「ありがと。それじゃあ、また後でね」
手を振る香苗に見送られながら西村は立ち上がると、足早に目的地へと向かい始めた。
向かったのは、音楽室がある本棟三階……ではなく、第三棟。その一階にある、地学準備室だ。
「あ、いたいた。健二!」
盛大に盛り上がっている本棟とは打って変わり、第三棟での催し物は何もない。その為、普段通りの校内の空気が、いつも通りに循環していた。
「……お前か」
一人、黙々と本を読んでいたらしい。西村が声を掛けるなり、面倒くさそうにこちらを向いた。
「またサボってるの?朝はちゃんと教室にいるなーって思ってたら、開会式の時にはもういないんだもん」
「別にいいだろ。あんなの、行くだけ無駄だ」
「無駄って……。まぁいいけどさ」
そのまま西村は室内に入るなり、健二の目の前の席に座った。
彼は何かを言いたそうではあったが、特に口に出す事無く、面倒くさそうに大欠伸だ。
「それで、何の用だ?」
「いや、もうすぐ本番だからさ。応援の言葉でもくれたら、嬉しいなぁって」
「何だ、それは。そんなの言ってどうするんだ」
「どうするって……、別にどうもしないけど」
この人はどうしてこう、素直に言葉を受け取らずに、意味を求めてしまうのか。そういうところが、非常に残念な一面だと思う。
「それより、健二の作った映像、かなり好評みたいだよ?見た人みんな、楽しかったって言ってたし」
「……そうか」
「頑張って作ってたもんねぇ。まぁ、私はほとんどただ見てるだけだったけど……」
自分から同じ係になったのはいい。だが、実際にやったのは、仮完成した映像を見て、素人の自分がどこをどうこうと指摘をしただけだった。作業は全て、彼一人である。
「まぁ、確かにそんなに役には立たなかったな」
「むぅ…何も言えない……」
「だが……」
「え?」
短く言葉を切ると、彼は持っている本をパタンと閉じた。その瞬間、彼と視線が合う。ドキリと、胸が高鳴った。
「あそこの制作ミスの指摘は、助かった。自分では気付かなかったからな」
「え……?あ、あれってそんなによかったかな?」
一つ、一階から二階のゴミ箱へペットボトルを投げて入れるシーンを見た時。何故か数秒間、画面の左端に二ミリほどの黒帯が出来ていたのだ。理由は西村にはよく分からなかったが、どうやら彼に指摘をしたところ、大きな制作ミスだったようだ。
「……まぁ、多少はな」
「…そっか。役に立てたなら、よかったよ」
彼は「ふんっ」と息を吐くと、腕組をして、そっぽを向いた。
――あ、まただ。
最近、彼の行動の癖が段々と分かってきた気がする。何か、言葉に詰まった時、いつも彼はこうやって腕組みをする。何だか、最近はそんな彼の様子が可愛らしくも見えてきた。
「じゃあ、私からも一つ、言わせてもらおうかな」
「……何だ?」
「この間、バンドの中で色々あった時。健二、私を励ましてくれたでしょ?それもあって、無事にみんな、仲直り出来たよ。……私は健二から、勇気を貰ったんだ。こんな私でも、必要としてくれる人がいるんだって、改めて分かったの。だから……ありがとう」
彼を向いて、そっと告げた。彼は一瞬だけこちらに目線を合わせると、すぐさま逸らしてしまう。だが、それで充分だった。――きっと、気持ちは伝わっているはずだから。
「……礼はいい。それよりお前、何か大事なことを忘れてはいないか?」
「ふぇ?大事なこと……?」
「……早く返してもらえたら、助かるんだが」
「返す?」
スッと、健二が白々しい右手をこちらに差し出した。その右手を見ても、一体彼が何を言っているのか、全く分からない。自分は彼から、何かを借りただろうか。思い出せる限りの、全ての記憶を遡った。
「………あぁーーっ!忘れてたぁーー!」
彼の一言で、長い間忘れていた事をようやく思い出した。思わず大きな声が口から飛び出る。
「うるさい」
彼は両手を耳にわざとらしく当てて、一蹴した。
「そうだったね!前から借りてた本、まだ半分くらいしか読んでないや!ごめんね、バンドの練習ばっかりで、すっかり忘れちゃってた!」
「はぁ……そんな事だろうとは思っていたが…」
「ホント、ごめん!文化祭が終わったら、急いで読んで返すから!」
「いや、そんなに急がなくていい。一学期が終わるまでに返してくれ」
「え?……いいの?」
「あぁ。どうせ、あの本は何度か読んでいる。それに、今は違うシリーズを読んでいるから、あまり問題は無い。返せる時でいい」
「そっか…。分かった、じゃあなるべく早めに返すね」
「そうしてくれ」
彼はそう言うと、咄嗟にスッと椅子から立ち上がった。何事かと彼をずっと見ていると、彼は教室の一番隅に置いてある棚下。何の変哲もない真っ黒の布で隠されたその奥から、一本のお茶の缶を取り出した。
「…え、健二?まさかとは思うけど……その下、冷蔵庫置いてある?」
「紛れもなく冷蔵庫だが」
彼が真っ黒の布を一枚めくると、そこにはいかにも影と同化を成している、黒色の小さい冷蔵庫が、横になって置かれていた。そういえば、よくよく考えてみると、小さくブォー…という鈍い音が地面を伝って聞こえてくる。今の今まで環境音だと勘違いして、一切気にしていなかった。
「ちょっと?それは流石に校則違反なんじゃ…」
「何言ってる。これも、元々この部屋に置いてあったやつだ。どういう理由でこの部屋に置かれたのかは知らないが、学校のものなんだから、違反じゃない」
「いやいやいや、そうだとしても、勝手に使っていいものなの?」
「だから隠してる。それだけだ」
「はぁ…。そ、そう」
――なんか、論点がズレてるような……。まぁ、いっか。
どうせ彼に何を言ったって、百倍にされて返されるんだ。それなら、互角以上に言い合える手の内がある場合以外は、彼に物を言わないほうが身の為でもある。
「それで?本番は今日なんだろ?」
お茶を一口含むと、缶を机に置いて、彼はこちらに問うた。
「あ、うん。そうだよ」
「リハーサルとか、ないのか?」
「あるよ。あと少ししたら、そっちに行かなきゃ」
壁に掛けてある時計を見た。
「そうか」
「……もしかして、気にしてくれてるの?」
「何で俺がお前の事を気にしなくちゃいけないんだ」
「だって、話すようになって始めの頃は、全然私の事聞いたりしなかったのに。最近は、そういう事も聞いてくれるようになったなぁって思って」
「別に。ただ、話す事が無いから聞いただけだろ」
「話す事が無かったら、いつもみたいに本読んでればいいじゃない」
「……ふん」
「あ、またそうやって目線逸らす!さては図星だなー?」
「しつこい、早くリハーサルに行ってこい」
彼は面倒くさそうに頬杖を突くと、片手でサッサと虫を払うかのように右手を振った。
「むー、あーもう。分かったよ、行くよ!それじゃあね!」
――ホント、こういう所は案外子供なんだもん。ズルいよね。
微笑ましく思いながら、西村は立ち上がる。そのまま、適当に言って教室を出ようとした時だった。
「…陽子」
「……ふぇっ?」
突然自らの名を呼ばれて、ドキリとする。咄嗟に振り向くも、目の前には今さっき会話をしていた、彼一人しかいなかった。普段と変わらない様子で、彼はこちらを見つめている。
「え、け、健二?」
「……まぁ。それなりには、応援してる。…頑張れよ」
応援してる、頑張れよ。その二言が、何度も耳の内で反響した。
いつにも増して、鼓動が激しい。突然の出来事で、息が苦しくなる。
「あ………ありがと……」
「どうした、行かないのか」
数十秒前とは打って変わり、面倒くさそうに彼は気怠そうに欠伸をした。
「う、ううん!行くよ!ま、待っててよ?私達の音楽!絶対、聴きに来てよね!」
「……気が向いたらな」
「ふふっ」と笑うと、西村は逃げるようにその場から立ち去った。
あんな場所、あのまま居続けたら心臓が破裂してしまいそうだ。あんな奴のたった一言のセリフに、こんなにも胸が高鳴ってしまうのは、どうしてだろう。
「……よーっし、頑張れ、私!」
頬に両手で一発ビンタを食らわせると、西村は音楽室まで、急ぎ走りで向かい始めた。

昼下がり。時刻は十四時四十分、五分前。体育館のステージ裏。
催し物が終わり、校内の全生徒、教員。他校の生徒や、大人達が体育館へと集まる中。続々とステージ上での発表が進んでいく。その大トリを務めるのが、いつもの五人組だ。
「いい?みんな」
緊張感が募る中、円陣を組む五人に、リーダーの美沙希が声を掛け始める。
「今まで、この日の為に私達はたくさん練習をしてきました。色んな事を一緒に乗り越えてきた。笑い合ったり、悲しみ合ったり、時にはケンカもしたり。本当にたくさんの経験をしてきました」
美沙希が、面々を一人一人見ていく。最後に、自分と目が合った。小さく、彼女に向かって頷く。
「確かにまだまだ、不備な所はたくさんあります。直したいところは、数多くある。でも、それらを踏まえた上での、今回最初の本番です。みんなそれぞれ、今自分に出来る事を、全力で出し切りましょう。出し惜しみは無しよ。次の夏のコンサートでは、より良い演奏が出来るように。今は、今私達が出来る事を、精一杯しましょう」
ふぅっと彼女が一息吐く。一度間を置いてから、彼女は言った。
「リトルアンジュ、行きましょう!」
「おー!」
五人全員で力強く声を出し合う。そのまま順々に、全員がステージの上に駆け上がった。本番前の、楽器の音と、マイクの調整の為だ。
ふと、西村はステージ前に座る、大勢の人々の群れを見た。きっと、目で大雑把に数えるだけでも四桁は超えるだろう。スタート前でこの人数だ。きっと、まだまだ増えるに違いない。
果たして、この中に彼はいるのだろうか?今はいなくても、彼は来てくれるのだろうか?今一番の、不安の種であった。
――ううん、きっと来てくれるよ。絶対聴きに来てくれる。だから、頑張るの。チームみんなの為にも。……あの人の為にも。
自分の譜面台の前に立つ。深く深呼吸をする。大丈夫だ、今ならいける。大丈夫だ。
メンバーそれぞれが、音のチェックを全て終える。美沙希が裏に立つマイクを持った女子生徒の一人といくつか言葉を交わすと、その女子生徒がステージの横に出た。
「それでは、時間になりました。これより、ジャズバンド『リトルアンジュ』による、演奏会を始めたいと思います!」
観客席から、大きな声援が上がる。すぐに声が鳴りやむのを待つと、ドラム担当の千鶴による合図で、一曲目の伴奏がスタートした。

コメント

コメントを書く

「現代ドラマ」の人気作品

書籍化作品