Smile again ~また逢えるなら、その笑顔をもう一度~

たいちょー

18.

――明日で、六月も最後か。
部活終わりの、八時前。すっかり外の明るみも闇に消え、街灯の光だけが頼りの体育館内。今日も一人で、自主練に励んでいた。
並べた三角コーンをドリブルで避けながら、スリーポイントラインからバスケットボールを投げる。そのボールは、リングを潜り抜ける事無く、捉えられずに床に落ちてしまった。
「はぁ」
あれから二週間。彼女は未だに、学校に現れなかった。きっとそれほど、兄の事が心配なのだろう。
四月から、ほぼ毎日彼女と共に部活後の自主練をしてきた。だが、こうもぷっつりと日常が途切れてしまうと、やる気も元気もこれほどまでに無くなってしまうものなのか。
おまけに、数年間共に人生を歩んできた彼女にも誤解を生んでしまった。今月は、色々と頭が痛くなる事ばかりだ。
そのくせ、大会の日は着々と近づいてきている。もう既に、一ヶ月を切った。他校との練習試合には、彼女との練習のおかげで、ちらほらとスタメンとして出させてもらえるようにはなってきた。だが、まだまだ監督へのアピールは足りないだろう。残り少ない期間で、どうにかして良いプレイを見せなければならないのだが、この調子だ。練習のやる気など、一切湧かない。
――どうしたんだよ、俺。本当にこのままで、いいのかよ……。
「……クッソ」
床に静止したバスケットボールをジッと眺める。無性に、今の自分の不甲斐無さに腹が立った。
「どうした?手が止まってるぞ?」
ふと、唐突に静まり返った体育館の入り口から、一つの声が大きく響いた。その声を発した影は、段々とこちらに歩み寄ってくる。
「ホント、夏樹がいないと何も出来ないのかよ?」
「紀彦……」
「よっ」
小さく手を挙げて、やがて紀彦は自分の前へとやってきた。
「……情けないよな。スタメンになって、大会で優勝するだなんて、叶いもしないデカい目標掲げて、ずっと頑張ってきたのに。あいつがいなくなった途端に、この有り様だよ」
「そうだなぁ、情けないね。夏樹が見たら、なんて言うのかな」
床に落ちたバスケットボールを中田は拾った。今は、このボールを床に突くことさえ嫌気がさした。
「らしくないなぁ、お前。夏樹がいたら、怒鳴られてるぞ?」
「そうかも、しんねぇけど……」
「……俺だって心配だよ。夏樹も、お兄さんも」
「っ…、あいつの兄貴の事、知ってるのか?」
「知ってるも何も、前から言ってるだろ?夏樹と幼馴染だって。小さい時から知ってるし、仲も良かったよ。いつも夏樹と一緒に、バスケをして遊んでた」
「……そうか」
「…前にさ。夏樹が、大会で負けて俺の前で泣いたって話はしただろ?ちょっと、その続きなんだけどさ」
紀彦はそう言うと、弱々しく握られたバスケットボールを中田の手からもぎ取り、ゴールリングに向かって、ボールを投げた。
「あいつは強いよ?立ち直ると、ケロッとしてまた笑うんだよ。いつもみたいにね」
綺麗にリングを潜り抜けたボールは、数度体育館の床を跳ねては、やがて静止した。
「大会のリベンジをしたかったみたいだけど、女子バスケ部のある志望校にあいつ落ちちゃってさ。女子バスケ部が無いウチに来ることになった時。『今度は紀彦たちバスケ部のマネージャーになって、紀彦たちを一番近くで応援するから』って涙目で笑って言ってさ。本当は悔しいくせに、その思いを俺に託してくれたんだ」
彼は転がったボールを手に取ると、今度はそれを中田に向かって差し出した。
「まったく。そんな顔、夏樹に見せられるの?あいつはきっと、もうすぐ帰ってくるさ。……笑いながらね」
「お前……」
「ごめん、ちょっとお節介だったかな。夏樹ほどじゃないけど、助言になれたらって思ってね」
一つ息を飲み込むと、中田は彼からボールを受け取った。彼は嬉しそうに微笑むと、そのままくるりと背を向けた。
「じゃ、邪魔者は退散するとするよ。先生に怒られないうちに帰りなよ?また明日」
「あぁ……」
「あ。今の話は、あいつには内緒な。じゃあね」
紀彦が去るのを立ち尽くしながら見送ると、彼から受け取ったバスケットボールを中田は見つめた。
――夏樹は強い、か。
「……よっ」
数歩下がって、再びゴールリングに向かってボールを投げる。
ボールが綺麗にリングの中心を潜り抜けるのを見ると、中田は小さく、口元を緩めた。

次の日。
「ふぁぁ……」
いつも通りの、眠たい朝。今日は朝練が休みだ。普段よりも少し遅い時間に学校に着き、昇降口から入っては、呑気に廊下を歩いていた。
――今日もあいつ、来ねぇのかな。
彼女の顔を思い浮かべる。しばらく顔を見ていないせいか、無性にその顔が恋しく感じた。
いつも笑顔が絶えなくて、自分たちを引っ張る、バスケ部には欠かせない一部員。そんな彼女がいなくなったバスケ部は、少しだけ寂しさがあった。いつもなら聞こえる黄色い声も一切聞こえず、ただただ男たちのむさ苦しい声々だけが体育館に響く毎日だった。
そろそろ、あの体育館に居続ける事も億劫になりそうだ。早く、帰ってきてほしい。ただ、それだけを祈っていた。
「あっ!」
ふと、後ろから誰かの声がした。しかし中田は特に気にも止めず、そのまま階段へ向かって歩き続ける。
…何やら、背後から気配がする。せわしなく忙しそうにこちらへと向かってくる足音が聞こえた。
――んだよ、うるせぇな。朝っぱらから。
欠伸で涙目になった目を擦り、ポケットに手を突っ込む。一体、騒がしいのはどんな奴だろう。一目この目で見てみようと、後ろを振り向こうとした時だった。
「かーずきっ!」
「え、あふぁっ!?」
「って!あぁ!ごめん!大丈夫?」
後ろを振り向こうとした瞬間、同じく相手もこちらの肩でも叩こうとしたのだろう。その腕が、自分の鼻を思い切り直撃した。
「あ、あぁ…大丈夫だけど、って!夏樹!?」
鈍くジンジンと痛む鼻を抑えながら、そこには久しく見る事が無かった、彼女の姿があった。少しだけ、いつもより目の下にクマが出来ている事以外は、変容の様子は無かった。
「久しぶり、って言ったほうがいいのかな?とりあえず、おはよ」
少し照れ臭そうに、彼女が目線を逸らしながら言った。しばらく会ってなかったからだろうか。少しだけ、その様子が可愛らしく見えた。
「あ、あぁ。おはよう……」
「どう?練習は。順調?」
「あ?まぁ、それなりに」
「そっか。…まぁほら、一緒に教室行こ?」
「ん、そうだな…」
彼女が小さく微笑むと、共に歩幅を合わせて、廊下を歩き始めた。
「もう、大丈夫なのかよ?」
「うん。平気。まだ真人お兄ちゃんは目を覚ましてないけど…。ずっと落ち込んでなんかいられないもん。きっと真人お兄ちゃんも、こういう時なったら、『頑張れ』って言ってくれると思うから」
「そうかよ」
階段を上る。しばらく会っていなかったからか、何を話せばいいのか、どうすればいいかが思い出せない。話したい事はたくさんあったはずなのに、どうしても口から出てこなかった。
「……それにさ、和樹。私、決めたよ」
「んあ?何をだよ?」
階段の踊り場で、急に夏樹が立ち止まる。一段片足だけ上った足を止めて、中田は彼女を振り向いた。
「優勝だよ」
「は?」
「大会で優勝して。そして、玲奈ちゃん、だっけ?和樹の彼女だったあの子にも謝ろう?その時は、私も謝るから」
「ゆ、ゆうしょ!?いや、確かに優勝目指して練習はしてきたけどよ。いざ優勝するって言ったって、そんなの夢のまた夢だぞ」
「でもだって、ここまで和樹は一生懸命頑張ってきたんでしょ!?それも、全部玲奈ちゃんの為に!前、私に話してくれたよね?」
自分を見つめている、彼女の目。それはまさしく、決意を胸に固めた者の表情そのものだった。

数週間前―――
「あーあ。今日もつっかれたぁ……」
「お疲れ様。はい、これ。私の奢り」
「おぉ、いいの?サンキュー」
自主練後。体育館外の階段に座っていた中田は、夏樹からスポーツ飲料水のペットボトルを受け取った。
そのまま彼女が、自分の隣に座った。少しの間、共に無言のまま、すっかり暗くなった夜空を見上げていた。
「和樹さ、最近頑張ってるよね」
「ん?そうか?」
「うん。動きも前より良くなってると思うし、試合に出た時は、点も取れるようになってきた。このままいけば、チームを優勝まで引っ張ってくれる人になれるかもね」
「え、いや、無理無理。俺そこまでの自信無いわ」
「えぇー、もう。そこはちょっとくらい、強がっても『優勝してやるよ』とか言ってくれればいいのに」
「つってもなぁ……」
「そこだよねぇ、和樹の足りないところ。変な所が素直で、変な所で強がる。典型的な、損するタイプだよね。悪く言えば、ネガティブ」
「損って……。まぁ間違ってはねぇかもしれねぇけど…」
「あ、自覚あるんだ」
「……無くはない」
「へぇ」
小さく夏樹が呟いた。
「…優勝か。そう言えば、俺の彼女にも、そんな事を前言われたっけな」
「和樹の彼女?なんて言われたの?」
「俺は頑張ればきっと、大会でも優勝できるくらいにバスケは上手いはずなのにな、って言われてさ。…その言葉がずっと、悔しくてよ。確かに中学の時は、一年生の時からスタメンは貰ってたけど……。なんだかな。三年生の時にはスタメン落とされて、今ではずっとベンチだよ。…一体、何が狂ったんだか」
――まぁあの時は、裕人と一緒にプレイしてたからな。やっぱり、あいつとが一番息が合ってたと思うし。
当時の自分のプレイを思い返す。細かなプレイは今のほうが成長している気はするが、他のプレイヤーとの連携や動きは、当時のほうが明らかに気持ちが良く、不快感無く楽しんでプレイしていた。
「どうだろうね。やる気じゃないの?ただ単に」
「やる気、ねぇ。…ぼちぼち頑張ってるんだけどな」
ペットボトルの蓋を開けて、一口含む。すると隣に座る彼女が、「うーん」と小さく一つ唸った。
「でも私からしたら、まだまだ頑張り足りてない気もするけど?」
「そうか?」
「そ。和樹はまだまだ頑張れる。私は、そう思うよ?」
「いや、どこにその根拠が……」
「だって、ちゃんと和樹上手くなってるもん。それに、センスはあると思うし。バスケ選手の動きとしては、悪くないと思うよ」
「そうなのかねぇ」
そう言うと、彼女は立ち上がり、自分の目の前に立った。
「じゃあ、明日からまた、メニューを一つ追加で!オッケー?」
「…え、また練習増やすの?」
「あ、た、り、ま、え!ふふっ」
彼女は、小悪魔のような笑顔で微笑むと、軽く中田の肩を叩いた。

「確かに、玲奈にはそう言われたけどよ……。優勝ってお前、俺だけの問題じゃないんだぞ?みんなとの連携とか、戦術とか、そういう事だって関わってくる。俺一人だけじゃ、勝てっこない」
「そう、だからチームのみんなにも協力してもらうの」
「協力って……何を?」
「私に、考えがあるから」
「考えねぇ……。どんなだよ?」
彼女が自分に歩み寄る。すると、彼女は何やら楽しそうに、一つ微笑んで答えた。
「ふふっ、それは後で!先、行くよ!」
ポンッと肩を叩くと、彼女は足早に階段を上り、教室へと向かっていってしまった。
帰ってきた彼女がいなくなった途端、いつも通りの、眠たい朝へと廊下が早変わりする。下の階から、続々と生徒たちがこちらへと向かって来ていた。
一つ、大きくため息を吐いた。一体、今からどれだけ頑張れば優勝できるのだろうか。もう、大会までは一ヶ月を切っているというのに。
――まぁ、準優勝したキャプテンの策を、信じてみるとするか。
きっと彼女も、果たしたいのだ。自分では果たせなかった、優勝というリベンジを。今度は、自分達に力を貸すことで。
ポケットに手を突っ込むと、中田はゆっくりと、教室へと向かった。
再び笑顔でやって来てくれた、彼女の元へ。

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