Smile again ~また逢えるなら、その笑顔をもう一度~

たいちょー

10.

一方

一時間前―――。
「惜しいなぁ。さっきまで心奈もいたのに、勿体ない」
台所に戻った美帆が、作業をしながら話している。珍しく無地の赤いエプロンを身に付けており、様相を見る限り、かなりお疲れのようだ。
「心奈が?何かしてたの?」
「んー?文化祭に出す料理のレシピ作りだよ」
「へぇ」
言われてみれば、それとなく部屋の中には醤油ダレのような、濃い香りが漂っている。匂いを嗅ぐだけで、お腹が空いてしまいそうだ。
「一応、何とか完成したんだけどさ。だいぶ材料使っちゃったなぁ。三人でやってたんだけど、みんなお腹いっぱいの中で味見してたから、ホントに疲れたよ。まだお腹膨れてるし」
自分の腹を、酔っぱらいの叔父さんのようにパンパンと叩いている。普段はスラッとした良い体型だが、今日に限っては少しお腹が膨れているのが、こちらから彼女がエプロンを着ていても分かった。
「お疲れ様だね」
「まぁね。・・・それで?玲奈は何しに来たの?」
美帆が問うた。
「そうそう、これ。お母さんが、美帆とご両親にって。こっちがお母さんで、こっちがお父さん。こっちが美帆ね。メキシコのお土産なんだって」
トートバッグの中から取り出しては、母に頼まれた袋をそれぞれ、机の上に置いた。気になる中身は、頼まれた南口も知らない。
「へぇ、今帰ってきてるんだ?」
「うん。今日のお昼に帰国したの。でも、明後日にはまた出掛けるみたい。今度は、パリに出張だって。本当は今日も一緒に来たかったんだけど、疲れてるから寝させてほしいって。今頃ぐっすり寝てるんじゃないかな」
「大変だねぇ。世界的スターは。休む時間もないんじゃない?」
「だろうね。どのくらい休んでるのか、詳しくは分からないけれど、ここ半年はずっと海外に行ってるね。少しはお休みもらって、家で休んだらって言うんだけど、『私を待っててくれる人がいるから』って言って、またどこかに行っちゃうんだよね」
「ふぅん。そっか。じゃあ、明日の夜は楽しまないとね。せっかくのお母さんとの時間なんだから。ガールズトークでもして、のんびりするといいよ」
「そう、だね。そうしようかな」
ゆっくりとソファーに座る。特に何もすることなく、ぼんやりと部屋を眺めていた。壁に掛けてある時計の針は、夜の八時を回っている。
「玲奈のお父さんとお母さんってさ。滅多に一緒に家にいないよね?寂しくないの?」
再び美帆が問うた。
「寂しくない・・・わけじゃないけど。でも昔からだもん。もう慣れてるよ。それに、家にはミケさん達もいるし。話し相手がいないわけじゃないから、平気だよ」
「そう?・・・偶にはウチに泊まっていってもいいんだよ?従姉妹なんだし。お互い兄弟もいないしさ。偶に寂しかったりするんだよね、私」
「まぁそうだね・・・。でも大丈夫。私、自分の家のベッドじゃないと寝付けないんだ。美帆には悪いけど、あんまりお泊りとかしたことないし、苦手だし」
「うーん、そっか。でも、いざとなったらいつでも泊まりに来ていいからね?」
「うん。ありがとう」
南口は、小さく美帆へ微笑んだ。
「あ、そうだ!玲奈、夜ご飯ってまだだよね?」
ふと、唐突に美帆がこちらへ問うた。彼女の様子からして、何となく嫌な予感がする。
「うん?まだだけど・・・」
「だったらさ!ちょっと食べてってよ!今日私たちが作ったやつ。試作品の味見をしてほしいんだ」
「味見?私、今制限中だからあんまり食べられないんだけど」
ちょうど一週間前から、食べるものを少し制限し始めたのだ。しばらくはこのまま、安定するまで続けようと思っている。
「あれ、そう?まぁ細かい事は気にしない気にしない!ペロッと食べてくれるだけでいいからさ!」
「う、うん・・・?」
そう言うと、笑顔のまま美帆は食器棚から何かを取り出した。よく見えなかったが、それなりに大きい皿だったような気がする。
絶対ペロッと平らげられる量じゃない。そんな南口の予想は、目の前に出されたどんぶりが、はっきりと答えを示していた。

「あーあ、結局食べちゃったね」
ソファーの隣に座っている美帆が、嬉しそうにニコニコと笑みを浮かべている。特に嫌なわけではないが、異様に距離が近い。
「食べちゃったも何も、出したのは美帆じゃない。まぁ、美味しかったのもあるけれど・・・。はぁ、また減量しなきゃ」
結局、欲に負けて全て食べてしまった。それも、よりにもよって牛丼とは。これはしばらく、好きなものは食べられそうにない。
「でも玲奈、制限するほどお腹大きくないじゃん。やりすぎも良くないよ?」
「うるさいなぁ。私は美帆と違って、すぐに体に付く体質なんだよ。だからいつも気をつけてるの」
「ふぅん。そんなに気にしなくても、好きなもの食べて運動しておけばいいと思うけどなぁ」
「それでダメだから、制限しているわけでね・・・?」
「あははっ、まぁそれはいいや。満足してもらえたみたいだし、よかったよかった。あ、持っていくよ」
「あ、うん。ごちそうさま」
美帆は立ち上がると、空になったどんぶり椀を南口から受け取り、台所へと持って行った。水道の水を出しながら、何やら作業をしている。
ふと、突然思い出したように「あっ」と声を出すと、美帆がそのまま続けてこちらに問うた。
「そうだ。最近、和樹君とはどうなの?」
「・・・えっ?」
和樹君。そのワードを聞いて、一瞬思考が停止する。
「え?じゃないよ。もしかして、まだ無視し続けてるの?」
「・・・だって、そうでもしないと。気持ちの整理がつかなくて」
以前、佐口に言われた時から、彼とは少し距離を置くようになった。それに、この間は裕人にも言われたせいで、ここ一週間は尚更だ。もはや、彼と話す事が、億劫にまでなってしまっている。
彼と関わることが、ストレスに感じてしまうのだ。今まで仲良くしてきたつもりなのに、ここ一ヶ月で周りから色々と重く言われ続けてきた。それが不満で、また言われてしまうことが不安で仕方がない。
他人の恋愛に関わるな。自分は自分達の思うようにやる。そう言ってしまえば事は終わる。だが、彼女達の助言もまた、全て正しいのだ。それがまた腹立たしい。
一体どうすれば、この悪循環を止めることができるのか。どうすれば、周囲からも認められる事ができるのか。最近は、そればかり考えてしまっている。
「ダメだよ。確かに玲奈の気持ちは分かるよ?だけど、それはどんなに周りの人が言ってても、結局は玲奈自身が気がつかなきゃいけない。それは前も言ったよね?」
そんな南口の気持ちを一蹴するように、美帆が話しだす。また、お説教が始まってしまった。渋々、彼女の話に耳を傾ける。
「うん・・・」
「でもそれはそれ。玲奈の問題は、玲奈の問題なの。玲奈が和樹君と、これからも一緒にいたいのか。それとも諦めるのか。それは、玲奈が決めること。それに、一緒にいたいのなら、どうすれば一緒にいられるのか。それも同時に気がつかないといけないね。そりゃあ私だって、出来る限り玲奈にアドバイスはするよ?でも、最後は全部玲奈が決めるの。
だからね?それを、和樹君に押し付けちゃダメ。今きっと、和樹君は玲奈の様子を見て、心配してると思う。どうしたのかな、何か悪い事をしたのかなって、向こうも不安だと思う。今の玲奈がやってる事は、お互いをもっと悪い方向に向かわせてる。だからせめて、和樹君と話す時くらいは、普段の玲奈でいなきゃ。もっともっと、辛い方向へ行っちゃうよ?」
戻ってきては、再び南口の隣に美帆が座る。ふと、南口の前のテーブルに、一つの紅茶が入ったティーセットが置かれた。いつもこの家に来る時に、決まって出される南口お気に入りの紅茶だ。
「あ、ありがとう・・・」
「好きだよね、その紅茶。玲奈が唯一、市販で売ってる飲み物で好きなやつだよね」
「まぁ・・・家も家だし、海外の飲み物ばかりだから。でも、この紅茶は別。なんか、どの飲み物よりも、一番体にしっくりくるんだ」
カップを持って一口飲む。この香りといい、ほんのりと苦味があるこの味といい、やはり一番自分が好きな味だ。
「ふぅん。ミケさんに頼んで、家に置いて貰えばいいのに」
「それが出来ないから、こうして美帆の家で飲んでるの。色々面倒なんだから。お金があるのに、庶民的な暮らしをしてる美帆の家庭が羨ましいよ」
「・・・そっか」
美帆がソファーに深く座る。目をつむって、何やら考えているようだ。
しばらくお互いに、無言の時間が続いた。南口は特に口を開く気にもなれず、ただただカップを眺めながら、彼女が次に言葉を告げるのを待っていた。
「・・・まぁ、そうだね。結局、あれだよ。行動しないと、変わらない。何だってそう。それは、玲奈だって分かるでしょ?」
「それは、分かってるよ・・・」
「うん。じゃあ後は玲奈次第。例えどっちに事が進んでも、玲奈が決めることだから。もちろん、助けてほしい時は助けるけど、なるべく自分で頑張ること。できる?」
彼女が問うた。
結局、子供らしさが残る彼女に、毎回のようにアドバイスをされてしまっている。何だかんだ言いつつも、彼女の方が分かっているのだ。それを巧みに使って、人間関係を築いている。やっぱり、彼女は凄い。
「・・・うん。頑張ってみるよ、それなりに」
「それなりに、かぁ。ま、それもそうだね」
「よいしょ」と、美帆は反動をつけてソファーから起き上がると、何やらどこかに向かいだした。
「お風呂に入ってくるよ。あ、帰る時はそのまま帰っちゃって。カップもそのままでいいから。後で片付けとく。ドアは・・・」
「知ってるよ。ポストの裏でしょ?」
「あ、覚えてた?そうそう、そこに鍵があるから。閉めてまたそこに置いといて」
「それはいいんだけど・・・よくあんなところに置いておけるよね」
「んー?いちいち持ち歩くのが面倒だからさ。ちょっとポストに仕掛けを作っちゃったってわけ。これは私と玲奈しか知らない秘密だから、お父さんとお母さんには内緒ね」
人差し指を立てながら、悪戯っぽくウィンクする彼女は、やはりどこだか幼らしい。
「そう。分かった、じゃあ閉めておくよ」
「はいはーい。じゃあよろしくー」
彼女はそう言うと、リビングを出てそのまま風呂へと向かってしまった。
一人取り残された、静かな部屋。南口はゆっくりと、紅茶を口へと運んだ。

―すっかり遅くなっちゃったなぁ。
ようやくたどり着いた駅の中を歩く。本当は十分程で変える予定だったのだが、思った以上に時間をかけてしまった。特に支障はないのだが、こんな時間にまでかかってしまったことを少し悔やむ。
特に何かを考えることなく、ひたすらに駅の中を進む。やはりこの時間になると、人気もほとんどない。改札窓口に一人、駅員さんが作業をしている以外、誰も見当たらなかった。
そのまま、反対側の出口から出ようと、階段を下り始めた時。
「何言ってんだ。まだ手術中なんだろ!?大丈夫だって」
ふと、右下のほうから男性の大きな声が聞こえた。どうやら、そこで誰かが喋っているらしい。もう夜の九時を回っているのに、こんな田舎町では珍しい。
「夏樹。大丈夫だって!兄ちゃんだって、いつもどんな苦しい試合でも戦い抜いてきたんだ。今回だって、きっと何とかなる!」
階段の壁のせいでまだ外の様子は見えないが、何やら男女で話しているみたいだ。励ましているのか、何なのか。どうやら明るい雰囲気ではないらしい。
「あ、いや。だから、その・・・。泣くなよ」
階段を下り終わる。振り向く必要はないのだが、恥ずかし気に話す当人の顔を、無性に見てみたくなった。人間の欲というやつだ。
そのまま、声が聞こえた右のほうを向いてみる。そこに、大きな木が立っている。こちらからは背中しか見えないが、その下のベンチに、仲良く男女が座っていた。
そんな二人が今の自身の状況柄。何だかとても羨ましく見えた。
「和樹・・・」
「・・・・・え?」
彼の隣に座る、制服姿の女性が声をあげた。聞き慣れたワードに、思わず南口の口から声が漏れる。
―和樹?和樹・・・中田君?いや、気のせい、だよね?
足が、重くなったかのように立ち止まる。嫌なワードだ。どうせ、偶々に違いない。考え過ぎなのだ。そうだ、きっとそうだ。もういい、早く立ち去ろう。
ふと、こちらの声に気付いたのか、そこに座る女性と目が合った。泣いていたようで、その顔は涙に濡れている。そんな彼女を見て、隣の彼が顔を動かした。
「夏樹?どうし・・・」
「っ・・・!?中田、君?」
彼の横顔がハッキリと見えた。明らかに、自身が知る中田和樹だ。それが分かると同時に、手に持っていたトートバッグが、握る力さえも失った手から滑り落ちる。
「れ、玲奈・・・」
彼がこちらを見て名を呼ぶ。その瞬間、もはや心の奥底に、何年もの間仕舞っていた、怒りという感情が。南口の中に沸々と湧き上がった。
「中田君・・・。なんで、二人きりで女の子といるの?泣くなよって、何の事?」
彼に近づく。そうだ。怒りとは、こんな感情だった。相手が憎くて、目の前にいることが堪らなく嫌で嫌で仕方がない。今すぐにでも、どうにかしてやりたくなる。
「あ、あぁ!?そのっ!これはだな・・・」
彼が声を張って手を振っている。誤魔化すつもりだろうか?そんなことしても無駄だ。何せ、自分は見てしまったのだ。彼が、違う女といるところを。
「ねぇ、中田君。私の事、好きって言ってくれたよね?私の事も好きなのに、中田君はその子の事も好きなの?それって、おかしいよね?私って、中田君の・・・彼女、なんだよね?それじゃあ言ってること、違うよね?」
目頭が熱い。本当は、心底悲しくて辛くて堪らない。だがそれ以上に、とにかく彼に言葉を浴びせてやりたい気持ちが勝る。ここで涙を流すわけにはいかないという感情が募り、必死に涙が零れ落ちないように我慢する。
「れ、玲奈!!話を聞いてくれ!違うんだ!」
「私は・・・っ!」
彼の目の前に到達する。
「私は、中田君の事が、大好きで大好きで!!それなのに、中田君は私で遊んでたの!?そうやって嘘ついて、平気で昔から私と付き合ってたの!?」
彼の顔を見て怒鳴る。だが、それでも彼は抵抗をやめない。
「違う!だから話を・・・!?」
彼の顔に、唇同士が重なり合ってしまうのではないかと思うほど近づいた。だが、すると彼は体をいっぱいに仰け反らせてしまった。そんな彼の反応に、またしても怒りが募る。
「・・・美帆にも、璃子ちゃんにも、ヒロ君にも言われた。私達、本当に恋人同士なのって」
「は、はぁ?」
よく分からない。そんな表情だ。
どうしてそんな表情をする?一番それが分かっているのは、あなた自身ではないのか?そうやって嘘をつき、人を弄ぶ。そんなことを簡単にしてしまうあなたこそ、そんなこと分かっていたはずだ。心の中で、南口は彼を呪った。
「でも、今ハッキリした。私達、やっぱりそういう関係だったんだね。もういいよ、中田君なんて」
そのまま彼から背を向ける。別に特別寒くないのに、唇が、体が震えていた。そんな体を動かして、顔だけ彼を振り向く。
『怒るタイミングは重要だ』
『その時はもう、思ったことをどんどん言っちゃえばいい』
『結局、あれだよ。行動しないと、変わらない』
『じゃあ、和樹にバカ野郎って言えるか?』
―今が・・・きっとその時なんだ。言わなきゃ。言って、中田君と・・・。
ギッと歯ぎしりをする。大きく息を吸って、正直に思ったことをそのままに。言葉を、吐き出した。
「中田君の・・・中田君のバカ!!」
バカ。そのたった二文字に、今までの全ての思いを込めて怒鳴った。それと同時に、我慢しきれなくなった涙が、目から零れ落ちる。それを見られないように、すぐさまその場から立ち去ろうとした。
「おい!玲奈!!待てよ!待てって!!」
「っ!触らないでっ!!」
そんな自分を逃げられないようにと、彼が肩を掴んできた。嫌気がさして、そんな彼の手を強引に振りほどく。
そのまま、落としてしまったトートバッグを急いで拾っては、その場から逃げるようにして立ち去った。
―さようなら・・・中田君。
溢れ出る涙をそのままに、走りながら南口は、心の奥底でそっと呟いた。

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