Smile again ~また逢えるなら、その笑顔をもう一度~
7.
―俺にはいつから、あんな応援団なんて出来たっけな・・・?
バックネットの向こう側に、見知った顔が四人分。どれも黄色い声援というものを発する生き物だ。こうも今までむさ苦しいものに慣れてきた身だと、異常に華やかなものに抵抗がある。どうしてこうも俺は、黄色い声援を発する女性いう生き物に好かれるのか?真相は謎だが。
俺は未だに、女性という生き物が苦手だ。軽度の女性恐怖症とでも言っておこうか?もちろん、以前西村と会った時から、彼女や宝木。心奈や南口など、様々な女性陣にお世話になったのはありがたい。だが、それでも俺は中学のあの事件以来から、女性という生きものに若干の抵抗があるのだ。心奈こそまぁ別件ではあるが、それでも異性の中に放り込まれると困る。
以前ゴールデンウィーク中に、女性陣に紛れて遊びに言った事があったが、あれこそある意味地獄であった。いや、彼女たちに罪は無い。どちらかといえば、周囲からの目線だ。それも女性からの。過去の経験から、周囲の目をよく気にするようになった。周りの目、空気を見て、行動するようになった。良く言えばこう、悪く言えばこうと様々な事例が上がるだろうが、結論をまとめれば俺は女性が苦手である。まぁ、もちろん男性も周りに沢山いれば別問題だが、それだとまたうるさいに越したことはないし、それも・・・いや、それとこれとは話は別だ。
―ああっ、もう・・・非常にやり辛い・・・。心奈め、後で一言言っておくか。
見られているという緊張感から、どうにもやるにやり辛い。これじゃあせっかくの練習試合だというのに、本調子が出せないではないか。俺は、彼女たちを呼び出した張本人であろう彼女を恨んだ。
「君が、ヒロ君だっけ?」
「んあ?」
ふと、見知らぬ青年に声を掛けられた。パッと姿を見る限り、相手チームのユニフォームを着ている。何だ?ケンカでも売りに来たのか?今俺の気分はグレーなのだ。できればあまり話しかけないでほしいのだが・・・。
声をかけてきた彼に振り向く。見る限り俺とは正反対。いや、次元が違うと言ってもいい。アニメにでも出てきそうな爽やか系男子で、ユニフォーム姿がバッチリ似合っている。その似合い方は、同じ男性としても非常にイラッとくる。
「そうだけど・・・って、え?ヒロ?」
「うん。あれ、違ったかな?」
「ああ、いや。間違ってはないんだ。ただ、俺はホントは裕人って言うんだよ。俺の事をヒロって呼ぶのは、あいつらくらいで・・・」
バックネットの後ろに座る女性陣を横目見る。クソ、呑気にガールズトークなんか楽しみやがって。
「へぇ、そうだったんだ。要するに、ニックネームって訳だね」
「まぁ、そうだけど・・・。で、あんたは?」
「ああ、ごめん。自己紹介がまだだったね。俺は大森誠司。心奈と同じクラスなんだ。ここのチームの副キャプテンもやってる」
「心奈と?じゃあ、あいつに練習試合がしたいって言ったのもお前か?」
「そうなんだ。今日は受けてくれてありがとう。お互い、楽しもうね」
「あ、ああ。まぁお手柔らかにな・・・。ウチ、まだそんなに強くないから・・・」
「ははっ。とりあえず、お互いベストを尽くそう。それじゃあまた試合で」
「お、おう」
―うわーっ、漫画にいるなーああいうキャラ。大体ああいうのって、主人公に後でボコボコにされる奴だよなー・・・。
彼の背中を見つめながら思う。ハッキリ言おう。あいつは俺が苦手なタイプだ。人の第一印象は三秒で決まるとも言うが、やはりあの説は有力だろう。いや、そうであってほしい。後で何かしら後悔しないためにも。
今日はここ。心奈の通う明涼学院高等部で、俺の通う江ノ星高校のフットサル部と、明涼学院のフットサル部で練習試合をすることになったのだ。以前心奈から話があったこともあり、俺が安村先生に相談して、彼が申し出たところ、二言返事で了解を得たらしい。どうやら、向こうもこちらと戦いたいと話があったらしく、すぐに予定が決まったのだとか。好都合なのか、不都合なのかはさておき、彼の申し出によって、こうして今日は練習試合ができるようになった。・・・なったのだが。
「おい、もう無視とかはどうでもいい。ただ、練習試合くらいはちゃんとやれよ?今日は俺たちだけじゃないんだからな?」
後ろのベンチで、宇佐美が彼に話しかける。どうやら、また無視をされたようだ。宇佐美は機嫌が悪そうに舌打ちをすると、普段では踏む事のできない人工芝の上に座り、一人でストレッチを始めた。
一体何を思ったのか、この学校のフットサル部は、人工芝で造られたフットサルコートがあるのだ。ただただ羨ましいの一言に限る。踏み心地抜群。こんなところで毎日練習をしていたら、そりゃあ大会で準優勝もする。ウチの学校とのこの格差は一体何なのか?ぜひともウチの校長にも、設置を考えてもらいたいものだ。
「おーい、ヒロー!」
ふと、バックネットの裏から男性の声ではない何かが聞こえた。きっとあいつだろう。「はぁ」っとため息を吐くと、俺はしぶしぶベンチの後ろへと歩み寄った。
「何だよ?」
一言彼女に問いかける。どうやら、今の俺の気持ちは表情に表れているらしく、彼女は「むーっ」と可愛らしく言うと、一言俺に問うた。
「何でそんなに機嫌悪そうなの?」
「はぁ?いやな・・・佐口はまだしも、西村と宝木が来るなんて、一言も聞いてないんだが」
「えー?いいでしょ別に。みんな、ヒロを応援しに来たんだよ?ねー?」
「ねー」「ねー」
心奈が問うと、両サイドに座る西村と宝木の二人は息ピッタリに答えた。
「いやな?応援してくれるのはありがたいんだ。そこに文句はない。ただな・・・」
「ただ?」
「・・・やり辛い、と言いますか」
「ふふっ、なぁんだ。何かヒロ君らしいね」
西村がクスクスと笑っている。おいやめろ、今俺は、明らかにバカにされているよな?
「何や、真田君。そんなんじゃあ女の子に見られてたら、何もできないんじゃない?」
佐口の一言で、女性陣がドッとふき出して笑い出す。いや、今のそんなに笑うところか?
「うるせぇ。なんつーか、こう。普段見られないでやってるからよ。いきなり応援がいる中でやるとなると、調子が狂うというか・・・」
「裕人くーん。そんな事言ってると、大会で緊張して、一勝もできなくなっちゃうよ?だったら、可愛い私達に見られながら練習練習!ほら、早く行きなー!」
宝木が楽しそうに言うと、俺の右足をバンバンと叩いた。
「ああもう、わぁったよ!」
ため息を吐きながら、逃げるようにしてその場から去る。俺がベンチへと戻ると、さっきまでどこかに行っていた安村が、いつの間にか戻ってきていた。何やら、黙々と資料を眺めている。
「何見てるんです?」
「ん、ああ。相手チームのポジションと選手だよ。一応、把握しておかないといけないらしいからね」
「そうなんですか」
「あ、それとこれ。やっと今日の朝届いたんだ」
安村が大きいカバンの中をガサゴソと漁っている。何を出すのかと思って見ていると、彼は中から小さい袋を取り出した。
「ほら、キャプテンマーク」
確か、ビニロンと呼ばれる種類の袋だ。よく衣類などを包むときに使われる素材である。袋の中には、赤色の布にボールの絵が刺繍されたキャプテンマークが入っていた。以前、全員分のユニフォームと共に注文したのだが、キャプテンマークだけ仕上がりが遅れたらしく、本来なら明日になるはずだったところを、安村が電話で頼み込んで、今朝に届けてもらったらしい。そこまでしなくてもいいのに、と思うものの、それだけ彼がこの練習試合を重要視していることが俺には感じ取れた。
「・・・ホントに俺なんですか?」
目の前に出されたものを見ながら、改めて俺は問う。
「おいおい、今更何言ってるんだよ。裕人。お前がいたから、こうやってみんなが集まってきたんだ。お前が俺と初めて会ったあの日、お前が一人残ってなかったら、今頃はもうこの部活は無くなってたかもしれないんだぞ?」
「それは・・・」
「それに、この間みんなで話し合いをした時に、誰も異論無かったじゃないか。みんなから任されたんだ。自信もってやってみろって」
「・・・分かりましたよ。ゲームメイクとか、出来るとは思いませんけど、それなりに頑張ってみます」
「ははっ、頼んだよ。キャプテン」
しぶしぶとキャプテンマークの入った袋を受け取る。袋の中から取り出し、そっと右腕に通した。これを腕に通すと少しだけ、やはり緊張感が違う。みんなとは違い、俺がみんなを引っ張らないといけないと思うと、どうすればいいのかが分からない。ただただ不安だ。
「さて、試合開始まで十五分前になったから、ミーティング始めるよ」
安村が腕時計を見ながら、全員に集合をかけた。それぞれにバラバラになっていたチームメイトが全員、彼の元へと集まる。
「一応確認するけど、みんな自分のポジションは大丈夫だよね?」
彼が全員を見渡す。特に鈍い反応は無く、彼はそのまま続けた。
「よし。じゃあそれを踏まえて、今日のポジションを発表するよ」
「えっ?今日って、変えるんですか?」
驚いた様子で石明が問うた。
「ん?そうだよ。練習試合だからと言って、自分本来のポジションを練習するという事以外も、練習試合の意味だからね。今回は、このポジションでやってもらうよ」
「じゃあ、まずゴレイロ」そう付け加えて資料を見ながら、安村は言葉を続けた。
「ゴレイロは満也。頼んだぞ」
「あっ、はい!頑張ります!」
ゴレイロとは、サッカーで言うゴールキーパーだ。フットサルのポジション名は、サッカーとは少し異なるのだ。
「次にフィクソ。ここは、今日は明にやってもらう」
「えっ?」
思わずチーム全員が声をあげた。当の本人は、特に異論もなさそうに終始無言のままだ。
「ちょ、ちょっと先生!フィクソにこいつが入ったら、ゴール前がガラ空きになりますよ!?先生だって知ってるでしょ?こいつが個人プレーすること!」
石明が彼に抗議する。フィクソとは、サッカーで言うディフェンダーの事だ。ゴール前のプレイヤーの訳だが、フットサルではここが一人になる。つまり、フィクソのプレイヤーが好き勝手に動いたら、ゴール前がガラ空きになるという事だ。
「真。全ては俺の判断だ。異論があるならベンチでいい」
「それは・・・。・・・分かりました」
何を言っても勝てないと悟った様子の石明は、落胆してしぶしぶ頷いた。
「次、アラだね。ここは、真と裕人についてもらう」
アラはフィールドの中盤を繋ぐプレーヤーである。フットサルではここに、二人が配置される。攻守共に、最も動く位置であり、体力がある選手が抜擢される。
「そしてピヴォ。ここは悠介に任せるよ」
ピヴォは最前線でゴールを狙う選手だ。ここに起用される為には、主にボールのキープ力、フィジカル。そして得点力が重要となってくる。つまり、得点の要だ。本来なら、ここが牛久のポジションだ。
「・・・先生。どうなってもいいんならいいんですけど、本当にこれでいいんですね?今日は、相手チームもいるんですよ?」
不機嫌そうに宇佐美が彼に問う。だが、それでも安村は顔色一つ変えずに彼に答えた。
「俺はこの試合では、この配置が一番いいと思って決めたんだ。今日の目的は、勝つことじゃない」
「勝つことじゃない・・・?何言ってるんすか?」
「・・・プレイしていれば分かるよ。ほら、早く準備して。広大は俺とみんなの応援だ」
「あ、はい!」
「は・・・?ちょ、先生!」
安村はそう言うと、星岩を連れてベンチへと座ってしまった。きっとあれはもう、何を言っても構ってはくれないだろう。それを察した宇佐美は大きく舌打ちをすると、フィールドに入っていってしまった。ウォーミングアップでもするのだろう。
「裕人先輩!アップにシュート、お願いします!」
「・・・え?あ、ああ。オッケー、行くか」
ボーっとしていたところに、俺は二ノ宮に頼まれてゴール前まで向かうと、試合開始まで彼のウォーミングアップに付き合った。各々がそれぞれアップをする中、やはり彼だけは一人で体を動かしている。本当に、このままで大丈夫なのだろうか?一人のチームメイトとして、このチームのキャプテンとして。そして、一人の人間として、今のチームの状況が、ただただ不安で仕方が無かった。
そして、試合開始の時間。コイントスの結果、こちらが先攻になり、今回主審となる相手チームの副コーチらしい彼にボールを渡されて、宇佐美と共に中央のセンターサークルに立った。
「・・・裕人。なるべくあいつにボールを渡すなよ?ただ、あいつが動いたら、俺と石明はゴール前に下がる。いいか?」
「ああ。一応それで行こう。あっちは去年、準優勝したチームだ。攻撃も守備も上だと思うし、なるべく守備に徹しよう」
会話が終わってからの静寂。タイムキーパーが試合開始の笛を鳴らすまでの、試合前の静けさがフィールドを駆け抜ける。
―ダメだ、俺はキャプテンなんだ。俺がしっかりやらないと・・・。
腕時計を見ながら、タイムキーパーがピィ―っと笛を鳴らす。俺は宇佐美へボールを渡すと、一歩左へと下がった・・・!?
「なっ!?」
宇佐美と共に声をあげる。目の前に走って来たそれは、まるで嵐の如く俺たちを抜き去っては、まるで全てを吹き飛ばすかのように向かっていった。
両チームベンチ。フィールドプレイヤー。主審に第二審判。タイムキーパー。観客である女性陣。全ての人間が、何が起こったのかが理解できていないようだった。ただただ、ピィ―っと主審の笛が鳴り響く中。安村だけは、やはり顔色一つ変えずに、ベンチに座ってこちらを見ていた。
「何も、ここまで送らなくてもよかったのに」
駅前で合流した心奈が、隣に立つ彼に言った。
「いいんだよ。気にしないで。俺が勝手に来ただけだから」
「ふふっ、そっか。ありがと」
地元の駅前の十字路前。心奈と大森が、何やら楽しそうに雑談にふけっている。
どうやら彼もこの町に住んでいるらしく、偶に心奈と二人で帰ったりしているという。家の方面は逆方向らしいが、それでもそれが分かると、無性に複雑な何かがこみ上げた。
「それから、裕人君」
彼が爽やかに俺へ話しかける。やめてくれ、とりあえずその爽やかスマイルを俺に向けるな。
「ああ?」
「今日は、楽しかったよ。まさか君のチームに、あんなに素晴らしい選手がいるとは思わなかった」
「あいつは・・・まぁ・・・」
何と説明すればいいのか分からずに、しどろもどろになっていると、彼は笑顔で言葉を続けた。
「また今度、一緒に練習でもしようよ。連絡先、聞いてもいいかな?」
「あ、ああ?」
―嫌だ。
瞬間的に否定する。だが、どうしてもそれを口に出すことは叶わなかった。横目で彼女を見る。マズい、ここで断ったら、後で何を言われるかが分からない。
「・・・分かったよ」
「ありがとう」
相変わらずのスマイルを浮かべている彼と、嫌々連絡先を交換してしまった。仕方ない。とりあえず、片隅にでも置いておいて、そのままあまり触れないでおこう。こいつとは、なるべく関わりたくない。
一体どうして、心奈はこいつなんかと仲良くしているのだろうか?いや、彼女がお人良しなだけなのか?
確かに彼女は純粋だ。中学時代、あいつを友達と信じてしまうくらいなのだ。それだけ彼女の心は純白で美しい。その反面、何色にでも染まってしまう。その結果が、これまでの数年間だ。
またそのようになってしまわないよう、出来る限り彼女をフォローするつもりだ。だが、いつ何時、またそのような事態に陥ってもおかしくはない。それこそこの大森という男が、あいつの手先だとしたら厄介だ。考え過ぎなのかもしれないが、せめて俺だけは、警戒をしておかないと。
「ヒロ?どうしたのー?変なもの見るような顔して」
ふと、彼女が顔を覗いてこちらを見る。そのさりげない動作に、俺は思わずドキリとした。
「あ?ああ。何でもない」
「ふーん。・・・あ!もしかして、私に見られたくないものでもスマホに入ってるんでしょー?」
どうしてそうなる。こちとら貴女を心配していたのに、どうしてそうなるのだ。
「あぁ!?んなことねぇよ!」
「ホントにー?じゃあ、ちょっと見せてよ?」
心奈がモノを強請る子供のように、両手をこちらに差し出した。彼女のこの無垢な一つ一つの行動が、どうしても可愛らしくて仕方がない。
「ば、バカ野郎。人にはプライバシーというものがある。それはプライバシー侵害に値する」
「むー、そうやってまた難しい話を持ってくる。一応彼女なんだからいいじゃん」
― 一応って・・・。
「ダメだ。ダメなものはダメだ!」
「ぶー、ヒロのケチ」
「ははっ、やっぱり仲がいいんだね。話には聞いてたけど、よっぽどお似合いだよ」
片や隣で大森が、何やらニヤニヤと気持ち悪いスマイルを浮かべている。やめろ、そのスマイルをすぐにやめろ。
「も、もう!大森君!」
恥ずかしそうに心奈が彼を一喝する。何だろう。この無性にムシャクシャする気持ちは。
「ははっ。それじゃあ俺はそろそろ行くよ。じゃあ心奈、また明日ね」
「あ、うんっ!またね!」
「おーう・・・」
心奈と共に彼を見送る。彼の姿が見えなくなったところで、俺は一つ気になった事を彼女に問うた。
「何だ、お前ら?また明日会うのか?」
「ん?うん、そうだよ。明日は美帆の家で、文化祭に作る料理のレシピ作りをするんだよ」
「ふぅん。で、何?三人でやるのか?」
「そ!という訳でヒロ。今から時間あるでしょ?」
「あ?元はといえば、お前が呼び出したんだろ?」
「あ、それもそうだね。ふふっ」
練習試合終了後。俺は一旦江ノ星高校へとバスで戻ったのだが、「帰る前に一旦駅で会える?」と心奈に呼び止められ、今すぐにでもベッドに飛び込みたい気持ちを我慢しながら、こうして彼女と再会したのだ。
「でね、明日の練習の練習をしたいから、ちょっと商店街で買い物したいんだ。付き合ってくれてもいいかな?」
「練習の練習、ね。まぁ、それならいいよ。行くか」
「うん!ありがと!」
心奈が嬉しそうにニコッと微笑む。やっぱりこの笑顔は、俺にしか見せない特別な笑顔だ。・・・そうだと信じたい。
駅前の十字路から数分程歩くところにある、商店街。こうして異性と二人きりでここを歩くのは、昔西村と共に歩いた時以来だ。そういえば、それ以来ここに来ていないかもしれない。それくらい、この商店街には縁がない。
「ところで、大森とはそんなに仲良いのか?」
中へと足を踏み入れたところで、俺は問うた。
「うん、仲良いよ。大森君はねー、凄く優しくて女の子想いで、話してて楽しいんだよね。まぁ、偶に嘘をつくんだけど。それでも、全然悪い人じゃないよ?」
「ん、そうか」
特に聞く気もなかったが、彼の大まかな性格も答えてくれた。だが、彼女が彼を慕っていることに変わりはない。相当彼女は、彼に親しんでいるらしい。一体何があったのかは知らないし、知る気もないが少し悔しい。
「それにしてもさー。今日の試合、凄かったね。牛久君だっけ?」
心奈が百八十度話題を変える。話の方向は、今日の試合の話題となった。
「あ?・・・ああ、そうだな」
「もー、どうしたの?そんな顔して。試合には勝ったのに、みんな嬉しくなさそうだったね」
そりゃあそうだ。結局、あれから牛久が暴走するように得点を根こそぎ取っては、十二対七で勝ってしまった。どれも全て、牛久の得点だ。
「違うんだよ・・・。あいつが、何でも一人でプレイするから、俺たちの意味がないんだ」
「でも、試合には勝ってるよ?」
「心奈は、チームスポーツをした事が無いから分からないんだよ・・・」
「む・・・それはっ!・・・わ、悪かったよ」
分が悪そうに、ムスッとして心奈が謝る。
「・・・フットサルは、五人対五人での戦いだ。どれだけ一人が強かろうと、チームワークが成ってなきゃ意味がない。心奈だって見てただろ?途中から、牛久がマークされて攻撃できなくなって、俺たちだけで攻撃と守備してたの」
「うん、だいぶ辛そうだったね。その間に大森君やみんなに七点入れられちゃったけど、牛久君がまた抜け出して、点を取ったのは凄いなぁって思ったよ」
「まぁ・・・それは純粋に凄いと思う。けど、また今度ああなったら、それこそ俺たちだけで全て動かなくちゃいけなくなる。それじゃあ俺たちの体力が持たない。だからこそ、チームワークが必要なんだ」
「チームワークかぁ。正直、私もあんまり分からないなぁ。私も・・・ずっと、一人だったから」
少しだけしんみりした様子で、心奈が呟いた。きっと、過去の事を思い返しでもしているのだろう。この話をする時だけ、彼女はいつも悲しそうな表情を浮かべる。俺は、この彼女の顔が純粋に嫌いだった。見たくないのだ。彼女が悲しむ顔が。・・・彼女を切った、あの日の彼女の顔を思い返すから。
「でもさ。心奈はもう、一人じゃないだろ?宝木や大森もいるんだし。俺だって付いてる。これもある意味、チームみたいなものなんじゃないか?」
「んー、そうなのかな?じゃあ、私達はチームだね!チーム名、どうしよっか?」
「はぁ?」
「うーん。チームアカヅキ!私の苗字だけど、何かカッコよくない?大森君にも、聞いてみようかな?」
人差し指を立てながら、無邪気に答える彼女を見て、俺はドキリとする反面。思わず呆れてしまった。
「まぁそうかもしれないけど・・・。っていうか、今はそういう話じゃなくてだな・・・」
「あはは・・・ごめんごめん」
「ったく。で、まぁなんだ。牛久は、チームプレイをまだ分かってないんだ。一人で何でもできるから、誰にも頼ろうとしないんだよな。だから、チームメイトの大切さが分かってない。何か、それが分かるようないいきっかけはないものかね・・・」
「うーん」と唸る。あの彼に、何か考えを変えさせるようなきっかけ。考えても考えても、全然良い案が浮かんでこない。というより、彼に関する情報が少なすぎるのだ。練習試合が終わって江ノ星高校に帰ってから解散になると、すぐに彼は姿を消してしまった。今日だけじゃない、大体いつも彼は、練習が終わるとすぐに帰ってしまうのだ。その為、彼に話しかけようにも話す機会がなかなか作れない。
「大森君にも聞いてみる?何かいい話があるかも」
「ああ?・・・お前、さっきからあいつの名前よく出すな」
「え?そう?」
「・・・まぁ、別にいいんだけどよ」
「ちょっとー?何その顔ー?何か疑ってるでしょ?一応言っておくけど、大森君とはただの友達だからね?別に浮気だとか、そういうのじゃないよ?」
「ああ?まぁ、別にそれはいいんだけどよ・・・」
「んー?何よ?信じられない?なら、今ここでまたキスする?」
「はぁ!?てめ、こんなとこで何言ってんだバカ!!」
「ふふっ、じょーだん!何本気になってるの?」
「なっ!?い、いや!・・・ああ!うるせぇ!」
珍しく彼女に一本取られてしまった。悔しさと恥ずかしさが入り混じり、思わず声が大きくなる。更には周囲からの目線にも追い打ちをかけられて、挙句には苦笑いを返事として返す始末だ。落ち着け、俺。理性を失っている場合ではないぞ。そう自分へと言い聞かせた。
「あれ・・・裕人先輩?」
「んあ?」
そんな会話をしているや最中。突然背後から、俺の名を呼ぶ声が聞こえた。誰だろうか、あまり聞き覚えの無い声質だ。
ゆっくりと体を百八十度回転させる。そこには、噂をすれば何とやら。見覚えのある虚ろな表情で、後輩の牛久明が、普段からは想像がつかない、私服にエプロン姿で立っていた。
「牛久か?どうした、こんなところで」
「いえ・・・そこ、俺の家なんで」
「あ?」
俺の横にそびえ立つ建物を彼が指差す。左方向へ視線を向けると、そこには『うしくや』と薄汚れた看板に書かれていた。見る限り、弁当屋である。歴史もあるらしく、ここ数年に出来たものではないだろう。きっと、創業十年や二十年も経っているかもしれない。
「うしくや?弁当屋なのか?」
「はい。今は丁度、そっちのお店にお弁当を届け終わったところなので」
「ふぅん・・・そうか」
「それじゃあ、失礼します」
素っ気なく彼はそう言うと、俺の横を通り抜けて、扉を開け店の中へと入ろうとした。
―あ、待て・・・。
ダメだ、今ここで彼を行かせてしまったら、せっかくの願ってもいないチャンスを見過ごすのと同じだ。
「牛久!」
謎の使命感に駆られながら、直感的に彼の名を呼ぶ。彼は動きを止めて、こちらに顔だけ振り向いた。
呼び止めたのはいい。だがどうする?こんなシチュエーションで、いきなり本題に切り出すのも不自然だ。何か、落語の枕のような、小話でも挟んだほうがいいのだろうか?一体何を言えばいい?ここで、何を言えば彼に話が通じる?どんな話題を繰り広げれば、彼を知ることができるだろうか?・・・分からない。
「・・・どうしました?」
一向に言葉を発さない俺を見て、彼が体もこちらへと向けた。いつも虚ろな表情が、いつにも増して不機嫌そうだ。
「いや・・・その・・・」
焦る。焦れば焦るほど、何を伝えればいいのかが分からなくなる。
『ここは、創業何年目なんだ?』
いや、違う。
『随分歴史のありそうな店だな』
違う。明らかに不自然だ。
『店の手伝いして偉いな』
ああ、違う!
いくら考えても、全くいい話が浮かんでこない。元々俺は、人と話をすることが苦手なのだ。自分から話題を持ち込むことなどほとんどない。普段のそのツケがこんなところで回ってくるとは思わなかった。
「・・・ねぇ、ヒロ?こんなところで突っ立ってるなら、お店の中に入らない?私、ちょっと中見てみたいなぁ」
「あ?」
頭を悩ませている俺に、隣でその様子を見ていた、心奈が一言呟いた。果たしてこれは助け舟なのか、はたまた彼女の気まぐれか。いや、どちらにせよ、そのおかげで時間稼ぎはできそうだ。
「あ、ああ。そうだな。中入っていいか?」
「え?ええ、構いませんけど・・・」
よく分からないと言いたげな彼に了解を得て、俺たち二人はお店の中へと頭をくぐらせる。中は意外とスッキリしていて、昔ながらの古風な店内だった。石畳で床が出来ており、カウンターと、向こう側に見える厨房だけが視界に入った。
「あれ。・・・牛久、お前しかいないのか?」
ふと、厨房がすっからかんである事に気がついた俺は、厨房で何か作業をしている彼に問うた。
「え?ええ、今はそうです・・・」
「ふぅん、そうか・・・」
きっと、聞いてはいけない領域なのだろう。特に追及する気もないが、それとなくそんな境遇に彼が置かれているのは、何となくわかった。
「ヒロー!見てよこれ!中華弁当もいいなぁ。あ、でもからあげも食べたいかも・・・」
一人でメニューを眺めながら、ぶつぶつと楽しそうにしている。どうやら、助け舟なんかでは無くて、やっぱりただの気まぐれだったようだ。それに、俺は特に何かを頼む気もない。まぁ、彼女はしばらく放っておいて大丈夫だろう。
「なぁ、牛久。聞いてもいいか?」
今なら、小話などせずに直接聞いても不自然ではないだろう。俺は、ホッとして本題を切り出し始めた。
「何です?」
「・・・と、言っても。俺が何を聞きたいかなんて、お前なら分かるだろ?」
「今日の試合、ですか?」
調理台の上にキャベツやレタス、玉ねぎなどの野菜を置きながら、彼は聞き返した。
「そうだな。でもそれだけじゃない。どうしてお前は、個人プレーに拘るんだ?」
「・・・やっぱり、それを聞きますか。まぁ・・・裕人先輩なら、話してもいいですけど」
シンクで野菜たちを水で洗い流す。複雑そうな顔を浮かべながら、彼は静かに話し始めた。
「俺は・・・他の人に比べて、上手いじゃないですか。自分で言うなって話ですけど」
「・・・ああ、そうだな」
「実は小さい時から、俺はサッカーをやってたんです。でも、俺は昔から人一倍サッカーが上手かった。だから、いつも周りから、点を取ることが期待されてたんです。いや、だからこそ、点を取らなきゃいけなかった。平均得点が下がると、みんなから悪口を叩かれてた。点を取ることが、俺のチームメイトとしての仕事だったんです」
「得点、か」
「・・・点を取らなきゃ怒られる。だから、周りがどんなに上手くないプレイヤーでも、俺が点を入れることで勝ち上がれる。そんなサッカーチーム。それが、俺のサッカーだったんです」
調理台の中から、包丁とまな板を取り出す。シンクで軽く水で流すと、慣れた手つきで野菜たちを切り始めた。
「でも、中学二年生の新人戦の時。二回戦の試合当日に、母さんが倒れてしまったんです。俺の母さんは昔から体が弱くて、よく体調を崩していたので。その時は運悪く、試合の日と重なってしまいました。ウチは母さんと二人暮らしなので、どうしても俺が面倒を見るしかないんです」
「じゃあ・・・もしかして今も?」
「・・・はい」
彼は悲しそうに天井を見上げる。きっと、上の階で彼女は寝ているのだろう。
「母さんは、構わず行けと言ってくれましたが、俺はその試合を休みました。結果、チームは七対零で敗退。俺がいないチームは、ボロ負けでしたよ。それはそれで、チームにはいい経験だと思っていました。それを踏まえて、もっと上手くなってほしいと思ってた。もう少しマシなプレイができるように、練習してくれるとも思っていました。・・・でも、あいつらは違った。『お前がサボったから負けたんだ』って、俺を責め立てました。もう、何と言えばいいか、分かりませんでしたね。最終的に取っ組み合いになってしまい、思わず俺はチームメイトの一人を殴ってしまいました。幸い、大事にはなりませんでしたが、俺は責任を取って部活を辞めたんです。そこから、もうサッカー部には入らないと決めました」
ボウルの中に、切った野菜たちを入れていく。高校一年生とは思えないほど手つきは早く、料理番組などで見るあのスピードと互角の速さだ。
「でも・・・やっぱり俺、サッカーは好きなんですよ。それでもサッカー部に入れば、またそんな事になるかもしれない。そう思っていた時に、フットサル部を見つけたんです。ここなら、それなりにプレイできるかもしれないと思って、入部しました」
「・・・そうか。なるほどな。お前の個人プレーをする理由は分かった。でも、それを直そうとする気は無いのか?」
「・・・直したところで、どうしろって言うんです?先輩を悪く言うつもりはないですが、俺が動かなかったら、誰もまともにプレイ出来ないじゃないですか。だったら、俺一人で全てプレイすればいい。それだけの事です。試合には勝てるんですし、何も悪い事なんか無いじゃないですか」
「ああ、確かにその通りだ。・・・だけどよ。俺たちは、昔のお前のチームメイトじゃねぇ。俺たちだって、ちゃんとしたフットサルをしたい。それに、フットサルはサッカー以上に、ポジションそれぞれの役割が強い。お前に自分勝手なプレイをされたら困るんだよ。分かるか?」
「・・・分かりません」
「はぁ、そうか」
何か、納得させられるような話題は無いものか。彼の動作をボーっと見つめながら、一つ。俺はあの話題を取り上げた。
「・・・実はさ。俺、中学の時は元々バスケやってたんだ」
「先輩が、ですか?」
「ああ。意外か?こう見えて俺、一年生でバスケ部のエースだったんだ。俺が動けば点が取れる。そんな雰囲気、俺の時もあったっけな」
「じゃあ・・・尚更どうして?俺と同じなら、俺と何が違うっていうんですか?バスケだって、結局点が取れれば同じでしょう?」
「そうだな。でも違う。俺は、チームワークっていうのを、知ってたからかな」
「そんなの・・・必要ありますか?」
「ああ。大有りだ。お前は、チームワークを知らないんだ。だから、個人プレーを尊重する。勝ち負けだけに拘って、試合の中身には一切触れない。それだけじゃあ、結局何も変わらねぇよ」
「変わらないって・・・。勝てるんだから、何も変える必要なんて・・・」
野菜を切り終わる。彼はどこからかフライパンを持ってくると、それをガスコンロの上に置き、火を付けた。
「・・・お、そうだ!」
突然、頭の中に良い案がパッと浮かんだ。思わず声をあげて、パンッと手を叩く。そうだ、これだ。きっと彼なら、それで分かってくれるはずだ。早速俺は、思いついた手段を彼へと告げた。
「牛久。バスケやってみないか?」
「・・・はい?」
「バスケだよ、バスケ。今度、俺の家に来いよ。俺のバスケ友達も呼ぶからさ、やろうぜ」
「何ですか、突然・・・。急にそんな事言われても・・・」
牛久が手を止めて、悩む様子で俯く。突然やったこともないスポーツに、知らない輩と一緒にやろうと誘われても、そりゃあ拒むのは当然だ。きっと、俺だって・・・いや、俺ならなる。きっと。
「あら、面白そうじゃない。やってみたら?明」
ふと、どこからか女性らしき声が聞こえた。奥の厨房側の扉。そこから、五十代くらいの女性が、厨房の中へと入ってきたのだ。彼女はピンクのエプロンを身につけて、長い髪を後ろで一つに束ねていた。彼と似てどこか虚ろで、それでも彼とは違って、優しそうな雰囲気を持ち合わせていた。
「か、母さん!?寝てろって言ったじゃないか!」
突然現れた彼の母を見て、珍しく牛久が焦った様子を見せた。きっと、本当に母親想いの子なのだろう。
「もう大丈夫。しっかり寝たから、これから中に入るわ」
「で、でも・・・」
彼の母は、心配する牛久に微笑むと、こちらへと歩み寄った。
「あなたが、部活の先輩さんね?いつも、明がお世話になってます」
「い、いえ。こちらこそ」
突然の母親の登場で、思わずしどろもどろになる。心構えなど当然出来ておらず、素っ気ない返事になってしまった。
「・・・この子、昔から一人で何でもやりたがるの。少しは他人を頼れって言うんだけれど、どうしても聞かなくてね。ぜひ、そこらへんをこの子に叩き込んであげてほしいの。ほら、バスケットもチームプレイで勝つスポーツでしょう?この子にも、いいきっかけになると思うのよ」
「あ、はぁ・・・」
「明の事、お願いできるかしら?」
「え、あ、はい。大丈夫です」
―というか、母親に頼まれてしまったら、断りようがないじゃないか。
せっかくいい気分だったのに、こんな展開になってしまい、少しだけやる気が失せてしまった。そんな俺の気持ちも彼女は知るはずもなく、彼女は嬉しそうに微笑む。
「ふふっ、ありがとうね。明、先輩にちゃんと、色々教えてもらうのよ?」
「・・・分かったよ」
どうやら、母親には頭が上がらないようだ。牛久は嫌々と一つ頷くと、普段の様子で、無言のまま作業を再開し始めた。それに続いて、彼の母も仕込み作業に参加し始める。
まぁ、何とか一段落はついたようだ。話が面倒なことにならなくて安心した。
「あ、話終わったー?すみませーん!中華弁当、一つくださーい!」
ふと、存在すら忘れかけていた心奈が、厨房の中へ向かって声をあげた。それを聞いた彼の母が、申し訳なさそうに彼女を向いた。
「あら、ごめんなさいね。ウチはお昼と夕方の出前しかやってないのよ」
苦笑いを浮かべながら、彼の母が彼女に告げる。
「えええぇぇぇぇぇ!?そんなぁ・・・」
「いや、店の前の看板に書いてあっただろ・・・」
店の看板の下に、それなりに大きく書いてあったのを、彼女は気がつかなかったのだろうか?いや、たとえそれを百歩譲って見逃したとしても、そこのメニューのどこかに記載されていないのか?どちらにせよ、彼女の鈍感さが目に見える。
恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めながら、彼女は一つ、目線をこちらへと向けた。
「むーー!だったら教えてくれてもいいじゃない!ヒロのバカ!」
「え。何で俺、怒られてるの?ねぇ?心奈さん?」
「ふんっ」
「えぇ・・・・」
やっぱり彼女にはどうしても頭が上がらない、俺氏であった。
バックネットの向こう側に、見知った顔が四人分。どれも黄色い声援というものを発する生き物だ。こうも今までむさ苦しいものに慣れてきた身だと、異常に華やかなものに抵抗がある。どうしてこうも俺は、黄色い声援を発する女性いう生き物に好かれるのか?真相は謎だが。
俺は未だに、女性という生き物が苦手だ。軽度の女性恐怖症とでも言っておこうか?もちろん、以前西村と会った時から、彼女や宝木。心奈や南口など、様々な女性陣にお世話になったのはありがたい。だが、それでも俺は中学のあの事件以来から、女性という生きものに若干の抵抗があるのだ。心奈こそまぁ別件ではあるが、それでも異性の中に放り込まれると困る。
以前ゴールデンウィーク中に、女性陣に紛れて遊びに言った事があったが、あれこそある意味地獄であった。いや、彼女たちに罪は無い。どちらかといえば、周囲からの目線だ。それも女性からの。過去の経験から、周囲の目をよく気にするようになった。周りの目、空気を見て、行動するようになった。良く言えばこう、悪く言えばこうと様々な事例が上がるだろうが、結論をまとめれば俺は女性が苦手である。まぁ、もちろん男性も周りに沢山いれば別問題だが、それだとまたうるさいに越したことはないし、それも・・・いや、それとこれとは話は別だ。
―ああっ、もう・・・非常にやり辛い・・・。心奈め、後で一言言っておくか。
見られているという緊張感から、どうにもやるにやり辛い。これじゃあせっかくの練習試合だというのに、本調子が出せないではないか。俺は、彼女たちを呼び出した張本人であろう彼女を恨んだ。
「君が、ヒロ君だっけ?」
「んあ?」
ふと、見知らぬ青年に声を掛けられた。パッと姿を見る限り、相手チームのユニフォームを着ている。何だ?ケンカでも売りに来たのか?今俺の気分はグレーなのだ。できればあまり話しかけないでほしいのだが・・・。
声をかけてきた彼に振り向く。見る限り俺とは正反対。いや、次元が違うと言ってもいい。アニメにでも出てきそうな爽やか系男子で、ユニフォーム姿がバッチリ似合っている。その似合い方は、同じ男性としても非常にイラッとくる。
「そうだけど・・・って、え?ヒロ?」
「うん。あれ、違ったかな?」
「ああ、いや。間違ってはないんだ。ただ、俺はホントは裕人って言うんだよ。俺の事をヒロって呼ぶのは、あいつらくらいで・・・」
バックネットの後ろに座る女性陣を横目見る。クソ、呑気にガールズトークなんか楽しみやがって。
「へぇ、そうだったんだ。要するに、ニックネームって訳だね」
「まぁ、そうだけど・・・。で、あんたは?」
「ああ、ごめん。自己紹介がまだだったね。俺は大森誠司。心奈と同じクラスなんだ。ここのチームの副キャプテンもやってる」
「心奈と?じゃあ、あいつに練習試合がしたいって言ったのもお前か?」
「そうなんだ。今日は受けてくれてありがとう。お互い、楽しもうね」
「あ、ああ。まぁお手柔らかにな・・・。ウチ、まだそんなに強くないから・・・」
「ははっ。とりあえず、お互いベストを尽くそう。それじゃあまた試合で」
「お、おう」
―うわーっ、漫画にいるなーああいうキャラ。大体ああいうのって、主人公に後でボコボコにされる奴だよなー・・・。
彼の背中を見つめながら思う。ハッキリ言おう。あいつは俺が苦手なタイプだ。人の第一印象は三秒で決まるとも言うが、やはりあの説は有力だろう。いや、そうであってほしい。後で何かしら後悔しないためにも。
今日はここ。心奈の通う明涼学院高等部で、俺の通う江ノ星高校のフットサル部と、明涼学院のフットサル部で練習試合をすることになったのだ。以前心奈から話があったこともあり、俺が安村先生に相談して、彼が申し出たところ、二言返事で了解を得たらしい。どうやら、向こうもこちらと戦いたいと話があったらしく、すぐに予定が決まったのだとか。好都合なのか、不都合なのかはさておき、彼の申し出によって、こうして今日は練習試合ができるようになった。・・・なったのだが。
「おい、もう無視とかはどうでもいい。ただ、練習試合くらいはちゃんとやれよ?今日は俺たちだけじゃないんだからな?」
後ろのベンチで、宇佐美が彼に話しかける。どうやら、また無視をされたようだ。宇佐美は機嫌が悪そうに舌打ちをすると、普段では踏む事のできない人工芝の上に座り、一人でストレッチを始めた。
一体何を思ったのか、この学校のフットサル部は、人工芝で造られたフットサルコートがあるのだ。ただただ羨ましいの一言に限る。踏み心地抜群。こんなところで毎日練習をしていたら、そりゃあ大会で準優勝もする。ウチの学校とのこの格差は一体何なのか?ぜひともウチの校長にも、設置を考えてもらいたいものだ。
「おーい、ヒロー!」
ふと、バックネットの裏から男性の声ではない何かが聞こえた。きっとあいつだろう。「はぁ」っとため息を吐くと、俺はしぶしぶベンチの後ろへと歩み寄った。
「何だよ?」
一言彼女に問いかける。どうやら、今の俺の気持ちは表情に表れているらしく、彼女は「むーっ」と可愛らしく言うと、一言俺に問うた。
「何でそんなに機嫌悪そうなの?」
「はぁ?いやな・・・佐口はまだしも、西村と宝木が来るなんて、一言も聞いてないんだが」
「えー?いいでしょ別に。みんな、ヒロを応援しに来たんだよ?ねー?」
「ねー」「ねー」
心奈が問うと、両サイドに座る西村と宝木の二人は息ピッタリに答えた。
「いやな?応援してくれるのはありがたいんだ。そこに文句はない。ただな・・・」
「ただ?」
「・・・やり辛い、と言いますか」
「ふふっ、なぁんだ。何かヒロ君らしいね」
西村がクスクスと笑っている。おいやめろ、今俺は、明らかにバカにされているよな?
「何や、真田君。そんなんじゃあ女の子に見られてたら、何もできないんじゃない?」
佐口の一言で、女性陣がドッとふき出して笑い出す。いや、今のそんなに笑うところか?
「うるせぇ。なんつーか、こう。普段見られないでやってるからよ。いきなり応援がいる中でやるとなると、調子が狂うというか・・・」
「裕人くーん。そんな事言ってると、大会で緊張して、一勝もできなくなっちゃうよ?だったら、可愛い私達に見られながら練習練習!ほら、早く行きなー!」
宝木が楽しそうに言うと、俺の右足をバンバンと叩いた。
「ああもう、わぁったよ!」
ため息を吐きながら、逃げるようにしてその場から去る。俺がベンチへと戻ると、さっきまでどこかに行っていた安村が、いつの間にか戻ってきていた。何やら、黙々と資料を眺めている。
「何見てるんです?」
「ん、ああ。相手チームのポジションと選手だよ。一応、把握しておかないといけないらしいからね」
「そうなんですか」
「あ、それとこれ。やっと今日の朝届いたんだ」
安村が大きいカバンの中をガサゴソと漁っている。何を出すのかと思って見ていると、彼は中から小さい袋を取り出した。
「ほら、キャプテンマーク」
確か、ビニロンと呼ばれる種類の袋だ。よく衣類などを包むときに使われる素材である。袋の中には、赤色の布にボールの絵が刺繍されたキャプテンマークが入っていた。以前、全員分のユニフォームと共に注文したのだが、キャプテンマークだけ仕上がりが遅れたらしく、本来なら明日になるはずだったところを、安村が電話で頼み込んで、今朝に届けてもらったらしい。そこまでしなくてもいいのに、と思うものの、それだけ彼がこの練習試合を重要視していることが俺には感じ取れた。
「・・・ホントに俺なんですか?」
目の前に出されたものを見ながら、改めて俺は問う。
「おいおい、今更何言ってるんだよ。裕人。お前がいたから、こうやってみんなが集まってきたんだ。お前が俺と初めて会ったあの日、お前が一人残ってなかったら、今頃はもうこの部活は無くなってたかもしれないんだぞ?」
「それは・・・」
「それに、この間みんなで話し合いをした時に、誰も異論無かったじゃないか。みんなから任されたんだ。自信もってやってみろって」
「・・・分かりましたよ。ゲームメイクとか、出来るとは思いませんけど、それなりに頑張ってみます」
「ははっ、頼んだよ。キャプテン」
しぶしぶとキャプテンマークの入った袋を受け取る。袋の中から取り出し、そっと右腕に通した。これを腕に通すと少しだけ、やはり緊張感が違う。みんなとは違い、俺がみんなを引っ張らないといけないと思うと、どうすればいいのかが分からない。ただただ不安だ。
「さて、試合開始まで十五分前になったから、ミーティング始めるよ」
安村が腕時計を見ながら、全員に集合をかけた。それぞれにバラバラになっていたチームメイトが全員、彼の元へと集まる。
「一応確認するけど、みんな自分のポジションは大丈夫だよね?」
彼が全員を見渡す。特に鈍い反応は無く、彼はそのまま続けた。
「よし。じゃあそれを踏まえて、今日のポジションを発表するよ」
「えっ?今日って、変えるんですか?」
驚いた様子で石明が問うた。
「ん?そうだよ。練習試合だからと言って、自分本来のポジションを練習するという事以外も、練習試合の意味だからね。今回は、このポジションでやってもらうよ」
「じゃあ、まずゴレイロ」そう付け加えて資料を見ながら、安村は言葉を続けた。
「ゴレイロは満也。頼んだぞ」
「あっ、はい!頑張ります!」
ゴレイロとは、サッカーで言うゴールキーパーだ。フットサルのポジション名は、サッカーとは少し異なるのだ。
「次にフィクソ。ここは、今日は明にやってもらう」
「えっ?」
思わずチーム全員が声をあげた。当の本人は、特に異論もなさそうに終始無言のままだ。
「ちょ、ちょっと先生!フィクソにこいつが入ったら、ゴール前がガラ空きになりますよ!?先生だって知ってるでしょ?こいつが個人プレーすること!」
石明が彼に抗議する。フィクソとは、サッカーで言うディフェンダーの事だ。ゴール前のプレイヤーの訳だが、フットサルではここが一人になる。つまり、フィクソのプレイヤーが好き勝手に動いたら、ゴール前がガラ空きになるという事だ。
「真。全ては俺の判断だ。異論があるならベンチでいい」
「それは・・・。・・・分かりました」
何を言っても勝てないと悟った様子の石明は、落胆してしぶしぶ頷いた。
「次、アラだね。ここは、真と裕人についてもらう」
アラはフィールドの中盤を繋ぐプレーヤーである。フットサルではここに、二人が配置される。攻守共に、最も動く位置であり、体力がある選手が抜擢される。
「そしてピヴォ。ここは悠介に任せるよ」
ピヴォは最前線でゴールを狙う選手だ。ここに起用される為には、主にボールのキープ力、フィジカル。そして得点力が重要となってくる。つまり、得点の要だ。本来なら、ここが牛久のポジションだ。
「・・・先生。どうなってもいいんならいいんですけど、本当にこれでいいんですね?今日は、相手チームもいるんですよ?」
不機嫌そうに宇佐美が彼に問う。だが、それでも安村は顔色一つ変えずに彼に答えた。
「俺はこの試合では、この配置が一番いいと思って決めたんだ。今日の目的は、勝つことじゃない」
「勝つことじゃない・・・?何言ってるんすか?」
「・・・プレイしていれば分かるよ。ほら、早く準備して。広大は俺とみんなの応援だ」
「あ、はい!」
「は・・・?ちょ、先生!」
安村はそう言うと、星岩を連れてベンチへと座ってしまった。きっとあれはもう、何を言っても構ってはくれないだろう。それを察した宇佐美は大きく舌打ちをすると、フィールドに入っていってしまった。ウォーミングアップでもするのだろう。
「裕人先輩!アップにシュート、お願いします!」
「・・・え?あ、ああ。オッケー、行くか」
ボーっとしていたところに、俺は二ノ宮に頼まれてゴール前まで向かうと、試合開始まで彼のウォーミングアップに付き合った。各々がそれぞれアップをする中、やはり彼だけは一人で体を動かしている。本当に、このままで大丈夫なのだろうか?一人のチームメイトとして、このチームのキャプテンとして。そして、一人の人間として、今のチームの状況が、ただただ不安で仕方が無かった。
そして、試合開始の時間。コイントスの結果、こちらが先攻になり、今回主審となる相手チームの副コーチらしい彼にボールを渡されて、宇佐美と共に中央のセンターサークルに立った。
「・・・裕人。なるべくあいつにボールを渡すなよ?ただ、あいつが動いたら、俺と石明はゴール前に下がる。いいか?」
「ああ。一応それで行こう。あっちは去年、準優勝したチームだ。攻撃も守備も上だと思うし、なるべく守備に徹しよう」
会話が終わってからの静寂。タイムキーパーが試合開始の笛を鳴らすまでの、試合前の静けさがフィールドを駆け抜ける。
―ダメだ、俺はキャプテンなんだ。俺がしっかりやらないと・・・。
腕時計を見ながら、タイムキーパーがピィ―っと笛を鳴らす。俺は宇佐美へボールを渡すと、一歩左へと下がった・・・!?
「なっ!?」
宇佐美と共に声をあげる。目の前に走って来たそれは、まるで嵐の如く俺たちを抜き去っては、まるで全てを吹き飛ばすかのように向かっていった。
両チームベンチ。フィールドプレイヤー。主審に第二審判。タイムキーパー。観客である女性陣。全ての人間が、何が起こったのかが理解できていないようだった。ただただ、ピィ―っと主審の笛が鳴り響く中。安村だけは、やはり顔色一つ変えずに、ベンチに座ってこちらを見ていた。
「何も、ここまで送らなくてもよかったのに」
駅前で合流した心奈が、隣に立つ彼に言った。
「いいんだよ。気にしないで。俺が勝手に来ただけだから」
「ふふっ、そっか。ありがと」
地元の駅前の十字路前。心奈と大森が、何やら楽しそうに雑談にふけっている。
どうやら彼もこの町に住んでいるらしく、偶に心奈と二人で帰ったりしているという。家の方面は逆方向らしいが、それでもそれが分かると、無性に複雑な何かがこみ上げた。
「それから、裕人君」
彼が爽やかに俺へ話しかける。やめてくれ、とりあえずその爽やかスマイルを俺に向けるな。
「ああ?」
「今日は、楽しかったよ。まさか君のチームに、あんなに素晴らしい選手がいるとは思わなかった」
「あいつは・・・まぁ・・・」
何と説明すればいいのか分からずに、しどろもどろになっていると、彼は笑顔で言葉を続けた。
「また今度、一緒に練習でもしようよ。連絡先、聞いてもいいかな?」
「あ、ああ?」
―嫌だ。
瞬間的に否定する。だが、どうしてもそれを口に出すことは叶わなかった。横目で彼女を見る。マズい、ここで断ったら、後で何を言われるかが分からない。
「・・・分かったよ」
「ありがとう」
相変わらずのスマイルを浮かべている彼と、嫌々連絡先を交換してしまった。仕方ない。とりあえず、片隅にでも置いておいて、そのままあまり触れないでおこう。こいつとは、なるべく関わりたくない。
一体どうして、心奈はこいつなんかと仲良くしているのだろうか?いや、彼女がお人良しなだけなのか?
確かに彼女は純粋だ。中学時代、あいつを友達と信じてしまうくらいなのだ。それだけ彼女の心は純白で美しい。その反面、何色にでも染まってしまう。その結果が、これまでの数年間だ。
またそのようになってしまわないよう、出来る限り彼女をフォローするつもりだ。だが、いつ何時、またそのような事態に陥ってもおかしくはない。それこそこの大森という男が、あいつの手先だとしたら厄介だ。考え過ぎなのかもしれないが、せめて俺だけは、警戒をしておかないと。
「ヒロ?どうしたのー?変なもの見るような顔して」
ふと、彼女が顔を覗いてこちらを見る。そのさりげない動作に、俺は思わずドキリとした。
「あ?ああ。何でもない」
「ふーん。・・・あ!もしかして、私に見られたくないものでもスマホに入ってるんでしょー?」
どうしてそうなる。こちとら貴女を心配していたのに、どうしてそうなるのだ。
「あぁ!?んなことねぇよ!」
「ホントにー?じゃあ、ちょっと見せてよ?」
心奈がモノを強請る子供のように、両手をこちらに差し出した。彼女のこの無垢な一つ一つの行動が、どうしても可愛らしくて仕方がない。
「ば、バカ野郎。人にはプライバシーというものがある。それはプライバシー侵害に値する」
「むー、そうやってまた難しい話を持ってくる。一応彼女なんだからいいじゃん」
― 一応って・・・。
「ダメだ。ダメなものはダメだ!」
「ぶー、ヒロのケチ」
「ははっ、やっぱり仲がいいんだね。話には聞いてたけど、よっぽどお似合いだよ」
片や隣で大森が、何やらニヤニヤと気持ち悪いスマイルを浮かべている。やめろ、そのスマイルをすぐにやめろ。
「も、もう!大森君!」
恥ずかしそうに心奈が彼を一喝する。何だろう。この無性にムシャクシャする気持ちは。
「ははっ。それじゃあ俺はそろそろ行くよ。じゃあ心奈、また明日ね」
「あ、うんっ!またね!」
「おーう・・・」
心奈と共に彼を見送る。彼の姿が見えなくなったところで、俺は一つ気になった事を彼女に問うた。
「何だ、お前ら?また明日会うのか?」
「ん?うん、そうだよ。明日は美帆の家で、文化祭に作る料理のレシピ作りをするんだよ」
「ふぅん。で、何?三人でやるのか?」
「そ!という訳でヒロ。今から時間あるでしょ?」
「あ?元はといえば、お前が呼び出したんだろ?」
「あ、それもそうだね。ふふっ」
練習試合終了後。俺は一旦江ノ星高校へとバスで戻ったのだが、「帰る前に一旦駅で会える?」と心奈に呼び止められ、今すぐにでもベッドに飛び込みたい気持ちを我慢しながら、こうして彼女と再会したのだ。
「でね、明日の練習の練習をしたいから、ちょっと商店街で買い物したいんだ。付き合ってくれてもいいかな?」
「練習の練習、ね。まぁ、それならいいよ。行くか」
「うん!ありがと!」
心奈が嬉しそうにニコッと微笑む。やっぱりこの笑顔は、俺にしか見せない特別な笑顔だ。・・・そうだと信じたい。
駅前の十字路から数分程歩くところにある、商店街。こうして異性と二人きりでここを歩くのは、昔西村と共に歩いた時以来だ。そういえば、それ以来ここに来ていないかもしれない。それくらい、この商店街には縁がない。
「ところで、大森とはそんなに仲良いのか?」
中へと足を踏み入れたところで、俺は問うた。
「うん、仲良いよ。大森君はねー、凄く優しくて女の子想いで、話してて楽しいんだよね。まぁ、偶に嘘をつくんだけど。それでも、全然悪い人じゃないよ?」
「ん、そうか」
特に聞く気もなかったが、彼の大まかな性格も答えてくれた。だが、彼女が彼を慕っていることに変わりはない。相当彼女は、彼に親しんでいるらしい。一体何があったのかは知らないし、知る気もないが少し悔しい。
「それにしてもさー。今日の試合、凄かったね。牛久君だっけ?」
心奈が百八十度話題を変える。話の方向は、今日の試合の話題となった。
「あ?・・・ああ、そうだな」
「もー、どうしたの?そんな顔して。試合には勝ったのに、みんな嬉しくなさそうだったね」
そりゃあそうだ。結局、あれから牛久が暴走するように得点を根こそぎ取っては、十二対七で勝ってしまった。どれも全て、牛久の得点だ。
「違うんだよ・・・。あいつが、何でも一人でプレイするから、俺たちの意味がないんだ」
「でも、試合には勝ってるよ?」
「心奈は、チームスポーツをした事が無いから分からないんだよ・・・」
「む・・・それはっ!・・・わ、悪かったよ」
分が悪そうに、ムスッとして心奈が謝る。
「・・・フットサルは、五人対五人での戦いだ。どれだけ一人が強かろうと、チームワークが成ってなきゃ意味がない。心奈だって見てただろ?途中から、牛久がマークされて攻撃できなくなって、俺たちだけで攻撃と守備してたの」
「うん、だいぶ辛そうだったね。その間に大森君やみんなに七点入れられちゃったけど、牛久君がまた抜け出して、点を取ったのは凄いなぁって思ったよ」
「まぁ・・・それは純粋に凄いと思う。けど、また今度ああなったら、それこそ俺たちだけで全て動かなくちゃいけなくなる。それじゃあ俺たちの体力が持たない。だからこそ、チームワークが必要なんだ」
「チームワークかぁ。正直、私もあんまり分からないなぁ。私も・・・ずっと、一人だったから」
少しだけしんみりした様子で、心奈が呟いた。きっと、過去の事を思い返しでもしているのだろう。この話をする時だけ、彼女はいつも悲しそうな表情を浮かべる。俺は、この彼女の顔が純粋に嫌いだった。見たくないのだ。彼女が悲しむ顔が。・・・彼女を切った、あの日の彼女の顔を思い返すから。
「でもさ。心奈はもう、一人じゃないだろ?宝木や大森もいるんだし。俺だって付いてる。これもある意味、チームみたいなものなんじゃないか?」
「んー、そうなのかな?じゃあ、私達はチームだね!チーム名、どうしよっか?」
「はぁ?」
「うーん。チームアカヅキ!私の苗字だけど、何かカッコよくない?大森君にも、聞いてみようかな?」
人差し指を立てながら、無邪気に答える彼女を見て、俺はドキリとする反面。思わず呆れてしまった。
「まぁそうかもしれないけど・・・。っていうか、今はそういう話じゃなくてだな・・・」
「あはは・・・ごめんごめん」
「ったく。で、まぁなんだ。牛久は、チームプレイをまだ分かってないんだ。一人で何でもできるから、誰にも頼ろうとしないんだよな。だから、チームメイトの大切さが分かってない。何か、それが分かるようないいきっかけはないものかね・・・」
「うーん」と唸る。あの彼に、何か考えを変えさせるようなきっかけ。考えても考えても、全然良い案が浮かんでこない。というより、彼に関する情報が少なすぎるのだ。練習試合が終わって江ノ星高校に帰ってから解散になると、すぐに彼は姿を消してしまった。今日だけじゃない、大体いつも彼は、練習が終わるとすぐに帰ってしまうのだ。その為、彼に話しかけようにも話す機会がなかなか作れない。
「大森君にも聞いてみる?何かいい話があるかも」
「ああ?・・・お前、さっきからあいつの名前よく出すな」
「え?そう?」
「・・・まぁ、別にいいんだけどよ」
「ちょっとー?何その顔ー?何か疑ってるでしょ?一応言っておくけど、大森君とはただの友達だからね?別に浮気だとか、そういうのじゃないよ?」
「ああ?まぁ、別にそれはいいんだけどよ・・・」
「んー?何よ?信じられない?なら、今ここでまたキスする?」
「はぁ!?てめ、こんなとこで何言ってんだバカ!!」
「ふふっ、じょーだん!何本気になってるの?」
「なっ!?い、いや!・・・ああ!うるせぇ!」
珍しく彼女に一本取られてしまった。悔しさと恥ずかしさが入り混じり、思わず声が大きくなる。更には周囲からの目線にも追い打ちをかけられて、挙句には苦笑いを返事として返す始末だ。落ち着け、俺。理性を失っている場合ではないぞ。そう自分へと言い聞かせた。
「あれ・・・裕人先輩?」
「んあ?」
そんな会話をしているや最中。突然背後から、俺の名を呼ぶ声が聞こえた。誰だろうか、あまり聞き覚えの無い声質だ。
ゆっくりと体を百八十度回転させる。そこには、噂をすれば何とやら。見覚えのある虚ろな表情で、後輩の牛久明が、普段からは想像がつかない、私服にエプロン姿で立っていた。
「牛久か?どうした、こんなところで」
「いえ・・・そこ、俺の家なんで」
「あ?」
俺の横にそびえ立つ建物を彼が指差す。左方向へ視線を向けると、そこには『うしくや』と薄汚れた看板に書かれていた。見る限り、弁当屋である。歴史もあるらしく、ここ数年に出来たものではないだろう。きっと、創業十年や二十年も経っているかもしれない。
「うしくや?弁当屋なのか?」
「はい。今は丁度、そっちのお店にお弁当を届け終わったところなので」
「ふぅん・・・そうか」
「それじゃあ、失礼します」
素っ気なく彼はそう言うと、俺の横を通り抜けて、扉を開け店の中へと入ろうとした。
―あ、待て・・・。
ダメだ、今ここで彼を行かせてしまったら、せっかくの願ってもいないチャンスを見過ごすのと同じだ。
「牛久!」
謎の使命感に駆られながら、直感的に彼の名を呼ぶ。彼は動きを止めて、こちらに顔だけ振り向いた。
呼び止めたのはいい。だがどうする?こんなシチュエーションで、いきなり本題に切り出すのも不自然だ。何か、落語の枕のような、小話でも挟んだほうがいいのだろうか?一体何を言えばいい?ここで、何を言えば彼に話が通じる?どんな話題を繰り広げれば、彼を知ることができるだろうか?・・・分からない。
「・・・どうしました?」
一向に言葉を発さない俺を見て、彼が体もこちらへと向けた。いつも虚ろな表情が、いつにも増して不機嫌そうだ。
「いや・・・その・・・」
焦る。焦れば焦るほど、何を伝えればいいのかが分からなくなる。
『ここは、創業何年目なんだ?』
いや、違う。
『随分歴史のありそうな店だな』
違う。明らかに不自然だ。
『店の手伝いして偉いな』
ああ、違う!
いくら考えても、全くいい話が浮かんでこない。元々俺は、人と話をすることが苦手なのだ。自分から話題を持ち込むことなどほとんどない。普段のそのツケがこんなところで回ってくるとは思わなかった。
「・・・ねぇ、ヒロ?こんなところで突っ立ってるなら、お店の中に入らない?私、ちょっと中見てみたいなぁ」
「あ?」
頭を悩ませている俺に、隣でその様子を見ていた、心奈が一言呟いた。果たしてこれは助け舟なのか、はたまた彼女の気まぐれか。いや、どちらにせよ、そのおかげで時間稼ぎはできそうだ。
「あ、ああ。そうだな。中入っていいか?」
「え?ええ、構いませんけど・・・」
よく分からないと言いたげな彼に了解を得て、俺たち二人はお店の中へと頭をくぐらせる。中は意外とスッキリしていて、昔ながらの古風な店内だった。石畳で床が出来ており、カウンターと、向こう側に見える厨房だけが視界に入った。
「あれ。・・・牛久、お前しかいないのか?」
ふと、厨房がすっからかんである事に気がついた俺は、厨房で何か作業をしている彼に問うた。
「え?ええ、今はそうです・・・」
「ふぅん、そうか・・・」
きっと、聞いてはいけない領域なのだろう。特に追及する気もないが、それとなくそんな境遇に彼が置かれているのは、何となくわかった。
「ヒロー!見てよこれ!中華弁当もいいなぁ。あ、でもからあげも食べたいかも・・・」
一人でメニューを眺めながら、ぶつぶつと楽しそうにしている。どうやら、助け舟なんかでは無くて、やっぱりただの気まぐれだったようだ。それに、俺は特に何かを頼む気もない。まぁ、彼女はしばらく放っておいて大丈夫だろう。
「なぁ、牛久。聞いてもいいか?」
今なら、小話などせずに直接聞いても不自然ではないだろう。俺は、ホッとして本題を切り出し始めた。
「何です?」
「・・・と、言っても。俺が何を聞きたいかなんて、お前なら分かるだろ?」
「今日の試合、ですか?」
調理台の上にキャベツやレタス、玉ねぎなどの野菜を置きながら、彼は聞き返した。
「そうだな。でもそれだけじゃない。どうしてお前は、個人プレーに拘るんだ?」
「・・・やっぱり、それを聞きますか。まぁ・・・裕人先輩なら、話してもいいですけど」
シンクで野菜たちを水で洗い流す。複雑そうな顔を浮かべながら、彼は静かに話し始めた。
「俺は・・・他の人に比べて、上手いじゃないですか。自分で言うなって話ですけど」
「・・・ああ、そうだな」
「実は小さい時から、俺はサッカーをやってたんです。でも、俺は昔から人一倍サッカーが上手かった。だから、いつも周りから、点を取ることが期待されてたんです。いや、だからこそ、点を取らなきゃいけなかった。平均得点が下がると、みんなから悪口を叩かれてた。点を取ることが、俺のチームメイトとしての仕事だったんです」
「得点、か」
「・・・点を取らなきゃ怒られる。だから、周りがどんなに上手くないプレイヤーでも、俺が点を入れることで勝ち上がれる。そんなサッカーチーム。それが、俺のサッカーだったんです」
調理台の中から、包丁とまな板を取り出す。シンクで軽く水で流すと、慣れた手つきで野菜たちを切り始めた。
「でも、中学二年生の新人戦の時。二回戦の試合当日に、母さんが倒れてしまったんです。俺の母さんは昔から体が弱くて、よく体調を崩していたので。その時は運悪く、試合の日と重なってしまいました。ウチは母さんと二人暮らしなので、どうしても俺が面倒を見るしかないんです」
「じゃあ・・・もしかして今も?」
「・・・はい」
彼は悲しそうに天井を見上げる。きっと、上の階で彼女は寝ているのだろう。
「母さんは、構わず行けと言ってくれましたが、俺はその試合を休みました。結果、チームは七対零で敗退。俺がいないチームは、ボロ負けでしたよ。それはそれで、チームにはいい経験だと思っていました。それを踏まえて、もっと上手くなってほしいと思ってた。もう少しマシなプレイができるように、練習してくれるとも思っていました。・・・でも、あいつらは違った。『お前がサボったから負けたんだ』って、俺を責め立てました。もう、何と言えばいいか、分かりませんでしたね。最終的に取っ組み合いになってしまい、思わず俺はチームメイトの一人を殴ってしまいました。幸い、大事にはなりませんでしたが、俺は責任を取って部活を辞めたんです。そこから、もうサッカー部には入らないと決めました」
ボウルの中に、切った野菜たちを入れていく。高校一年生とは思えないほど手つきは早く、料理番組などで見るあのスピードと互角の速さだ。
「でも・・・やっぱり俺、サッカーは好きなんですよ。それでもサッカー部に入れば、またそんな事になるかもしれない。そう思っていた時に、フットサル部を見つけたんです。ここなら、それなりにプレイできるかもしれないと思って、入部しました」
「・・・そうか。なるほどな。お前の個人プレーをする理由は分かった。でも、それを直そうとする気は無いのか?」
「・・・直したところで、どうしろって言うんです?先輩を悪く言うつもりはないですが、俺が動かなかったら、誰もまともにプレイ出来ないじゃないですか。だったら、俺一人で全てプレイすればいい。それだけの事です。試合には勝てるんですし、何も悪い事なんか無いじゃないですか」
「ああ、確かにその通りだ。・・・だけどよ。俺たちは、昔のお前のチームメイトじゃねぇ。俺たちだって、ちゃんとしたフットサルをしたい。それに、フットサルはサッカー以上に、ポジションそれぞれの役割が強い。お前に自分勝手なプレイをされたら困るんだよ。分かるか?」
「・・・分かりません」
「はぁ、そうか」
何か、納得させられるような話題は無いものか。彼の動作をボーっと見つめながら、一つ。俺はあの話題を取り上げた。
「・・・実はさ。俺、中学の時は元々バスケやってたんだ」
「先輩が、ですか?」
「ああ。意外か?こう見えて俺、一年生でバスケ部のエースだったんだ。俺が動けば点が取れる。そんな雰囲気、俺の時もあったっけな」
「じゃあ・・・尚更どうして?俺と同じなら、俺と何が違うっていうんですか?バスケだって、結局点が取れれば同じでしょう?」
「そうだな。でも違う。俺は、チームワークっていうのを、知ってたからかな」
「そんなの・・・必要ありますか?」
「ああ。大有りだ。お前は、チームワークを知らないんだ。だから、個人プレーを尊重する。勝ち負けだけに拘って、試合の中身には一切触れない。それだけじゃあ、結局何も変わらねぇよ」
「変わらないって・・・。勝てるんだから、何も変える必要なんて・・・」
野菜を切り終わる。彼はどこからかフライパンを持ってくると、それをガスコンロの上に置き、火を付けた。
「・・・お、そうだ!」
突然、頭の中に良い案がパッと浮かんだ。思わず声をあげて、パンッと手を叩く。そうだ、これだ。きっと彼なら、それで分かってくれるはずだ。早速俺は、思いついた手段を彼へと告げた。
「牛久。バスケやってみないか?」
「・・・はい?」
「バスケだよ、バスケ。今度、俺の家に来いよ。俺のバスケ友達も呼ぶからさ、やろうぜ」
「何ですか、突然・・・。急にそんな事言われても・・・」
牛久が手を止めて、悩む様子で俯く。突然やったこともないスポーツに、知らない輩と一緒にやろうと誘われても、そりゃあ拒むのは当然だ。きっと、俺だって・・・いや、俺ならなる。きっと。
「あら、面白そうじゃない。やってみたら?明」
ふと、どこからか女性らしき声が聞こえた。奥の厨房側の扉。そこから、五十代くらいの女性が、厨房の中へと入ってきたのだ。彼女はピンクのエプロンを身につけて、長い髪を後ろで一つに束ねていた。彼と似てどこか虚ろで、それでも彼とは違って、優しそうな雰囲気を持ち合わせていた。
「か、母さん!?寝てろって言ったじゃないか!」
突然現れた彼の母を見て、珍しく牛久が焦った様子を見せた。きっと、本当に母親想いの子なのだろう。
「もう大丈夫。しっかり寝たから、これから中に入るわ」
「で、でも・・・」
彼の母は、心配する牛久に微笑むと、こちらへと歩み寄った。
「あなたが、部活の先輩さんね?いつも、明がお世話になってます」
「い、いえ。こちらこそ」
突然の母親の登場で、思わずしどろもどろになる。心構えなど当然出来ておらず、素っ気ない返事になってしまった。
「・・・この子、昔から一人で何でもやりたがるの。少しは他人を頼れって言うんだけれど、どうしても聞かなくてね。ぜひ、そこらへんをこの子に叩き込んであげてほしいの。ほら、バスケットもチームプレイで勝つスポーツでしょう?この子にも、いいきっかけになると思うのよ」
「あ、はぁ・・・」
「明の事、お願いできるかしら?」
「え、あ、はい。大丈夫です」
―というか、母親に頼まれてしまったら、断りようがないじゃないか。
せっかくいい気分だったのに、こんな展開になってしまい、少しだけやる気が失せてしまった。そんな俺の気持ちも彼女は知るはずもなく、彼女は嬉しそうに微笑む。
「ふふっ、ありがとうね。明、先輩にちゃんと、色々教えてもらうのよ?」
「・・・分かったよ」
どうやら、母親には頭が上がらないようだ。牛久は嫌々と一つ頷くと、普段の様子で、無言のまま作業を再開し始めた。それに続いて、彼の母も仕込み作業に参加し始める。
まぁ、何とか一段落はついたようだ。話が面倒なことにならなくて安心した。
「あ、話終わったー?すみませーん!中華弁当、一つくださーい!」
ふと、存在すら忘れかけていた心奈が、厨房の中へ向かって声をあげた。それを聞いた彼の母が、申し訳なさそうに彼女を向いた。
「あら、ごめんなさいね。ウチはお昼と夕方の出前しかやってないのよ」
苦笑いを浮かべながら、彼の母が彼女に告げる。
「えええぇぇぇぇぇ!?そんなぁ・・・」
「いや、店の前の看板に書いてあっただろ・・・」
店の看板の下に、それなりに大きく書いてあったのを、彼女は気がつかなかったのだろうか?いや、たとえそれを百歩譲って見逃したとしても、そこのメニューのどこかに記載されていないのか?どちらにせよ、彼女の鈍感さが目に見える。
恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めながら、彼女は一つ、目線をこちらへと向けた。
「むーー!だったら教えてくれてもいいじゃない!ヒロのバカ!」
「え。何で俺、怒られてるの?ねぇ?心奈さん?」
「ふんっ」
「えぇ・・・・」
やっぱり彼女にはどうしても頭が上がらない、俺氏であった。
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