Smile again ~また逢えるなら、その笑顔をもう一度~

たいちょー

3.

―雨かぁ。
廊下の窓から見える、灰色交じりの曇り空を眺める。今日で雨が降り続いて三日目だ。休日の二日間も雨だったが為に、そろそろ晴れている青空が恋しくなってくる。この間、とうとう梅雨時期に入ったらしい。雨は嫌いだ。このどんよりとした空気がどうしても好きになれない。早いところ梅雨にはお引き取り願い、夏空というものを見せてほしいものだ。
「・・・何故付いてくる?」
ふと、前を歩く憎たらしい彼が問うた。その顔は、やめてほしいと書いてあるのが見え見えだ。
「だって私達、一緒の係になったでしょ?」
「頼んだ覚えはない」
「別に頼まれなくたって、私は私の意思で一緒になったの。あんたの意見はどうあれ、一緒の係に決まっちゃったんだからしょうがないじゃない」
「・・・チッ。勝手にしてくれ」
「オッケー、勝手にするね」
彼が半身を向いてこちらを睨みつける。その眼鏡からギラリと覗く目つきは、恐怖さえ覚えた。
―おお、怖い怖い。
半笑いしながら目を逸らす。彼は「ふん」と息を吐くと、そのまま目的の教室まで歩いて行った。その後ろ姿を眺めながら、黙々とその後を付いていく。自分より身長が高い彼の後ろを歩くと、何だか自然と胸が高鳴った。

一週間ほど前―――
キーンコーンカーンコーン・・・。六限目のチャイムが鳴った。これからホームルームの時間だ。六月末の文化祭の話し合いをするのだという。
正直、この時間だって、自分の時間にしたい。自分のクラスの事なんかよりも、もう片方のほうがよほど大事なのだ。本番もそう遠くない。
幸いなことに、テストで赤点を一つも取らなかったことだけが唯一の救いだ。おかげで、余計な心配が一つ減り、肩の荷が軽くなった気分である。
「それじゃあ委員長。後は頼んだ。渡辺」
担任教師がクラスメイトの渡辺の名を呼んだ。彼は教師に呼ばれるまま、教室の外へと出ていく。
ゴールデンウィーク明けから、面倒事は委員長に任せて、担任は生徒と一対一で進路に対する面談をする時間を取っている。まだ自分の番は回っては来ていないが、あの教師の事だ。一体何を言われるのか、検討すらつかない。そろそろ自分だって、進路を決めなければならないのに、やることが多すぎて困る。
それに、大抵この時間は、委員長が場を仕切るものの、大体は野球部と威勢のいい女子たちだけの話し合いになる。他の輩はそれぞれ集まって、適当に雑談なんかを始めてしまう始末だ。それでも、あまり面倒ごとには関わりたくない自分としては好都合なのは否定しない。
ふと、隣に座る男の横顔を見た。話し合いが始まった途端に、机の中から本を出しては黙々と読み始める。こいつは本当に、本を読むことしか頭にないのだろうか?
「ねぇ、文化祭で何かやりたい事あるの?」
特に意味もなく、西村は憎たらしい彼に問うた。
「・・・何故俺に聞く」
「何となく。で、あるの?」
机に頬杖を突き、彼を向いて聞き返す。彼は面倒くさそうに、ため息を吐いた。
「俺にあると思うか?」
「何で?無いの?せっかくの最後の文化祭なんだし、何かこう、やってやろうとか無い訳?」
「無い。ハッキリ言って、文化祭なんてバカの集まりだ。俺はそれを傍から見ているだけ。・・・お前だってそうだろ」
「ん・・・まぁそれは、間違ってはないけど・・・」
何だろう。西村は彼の言葉に、何故か違和感を覚えた。
「でも、私はちゃんと、やりたいことはあるよ」
「何だ?」
「えっ?」
「・・・何だ。何かあるのか?」
「ああ、いや・・・」
―まさか?こいつが、私に質問した?
突然の事に、戸惑いを隠せない。初めて彼が、自分に質問を投げかけたのだ。全く関心を持たれていないと思っていたが、これは少しでも彼に近づいているということなのだろうか?それとも、自分の思い違いか?嬉しさと驚きが入り混じり、鼓動が少し早まっていく。
「私は、入ってるバンドの演奏を完成させたいんだ。メンバーみんなで。今年は、特別難しい曲に挑戦してるの。まだみんなとの息が全然合ってないけど、何とか文化祭までに、この曲を完成させてやるんだ」
喜びも募ってか、自信満々に彼へ答えてやった。果たして彼は一体どのような反応を見せてくれるのかと多少の期待を寄せたものの、その態度はいつも通り素っ気なく、「そうか」と一言発しただけだった。
「むー、何よ?少しは『頑張れよー』とか無い訳?」
「言ってどうする?それでお前のバンドが成功するのか?」
「それは・・・そ、そんなの分からないじゃない。ただ、応援してくれる人がいるってことは、凄く嬉しいことだよ?」
「・・・そうか」
「ああもう、いいよ!知らない!」
結局進展していたと思っていたのに、全くの無関心な彼に呆れてムッとする。西村はやけになって、机に突っ伏した。
チラッと横目で彼を見る。彼はやっぱりこちらの気持ちなど考えもせず、視線を本へと移してしまった。
―はぁ・・・。本当に、このままで大丈夫なのかなぁ?
目をつむり、暗闇の中でため息を吐く。一体このどうにもできない想いは、どうすればいいのだろうか?この調子では、一向に良い方向へは向かない気がする。だからと言って何もできない今の自分にも腹が立つ。やっぱり自分には、彼の気持ちを動かすことは不可能なのだろうか?それとも、自分は恋愛なんてしないほうが無難なのだろうか?
「はいはーいみんな!ちょっと聞いて!」
ふと、教室の前で委員長の声をあげた。その呼びかけて、クラスメイトの大半が彼へと視線を移す。
「今ちょっと話に出たんだけどさ、バカッコイイやりたいと思うんだけどどう?」
「おー」「いいね、やりたい!」「めんどくさくね?」「面白そう」
教室中でざわめき始め、様々な意見が飛び交う。だが耳に入る限り、賛成派のほうが多そうだ。
「バカッコイイ?」
その中で、西村はボソッと呟いた。どこかで聞いたことがあるような単語だが、流行などにほとんど無頓着である自分には、イマイチよく分からない。
「・・・三階から一階にペットボトルを投げてゴミ箱に入れたりする、バカみたいな動画だ」
ふと、読書をしながら隣の憎たらしい彼が声をあげた。どうやら、彼は自分に話しかけてくれたらしい。
「へぇ、そうなんだ。っていうか、何でそんなの知ってるの?」
「・・・お前には関係ない」
「ふぅん・・・そっか」
―何だろう、この感じ。
やっぱり今日は何か変だ。いつもとは何かが少し違う、そんな気がする。
「でも、編集は誰がすんの?」
教室の反対側、一番後ろに座る男子生徒が手を挙げて委員長に問うた。
「ああ、それは大丈夫」
委員長はそう言うと、視線を何故かこちら側に向けた。え、一体誰だろう?
「・・・おーい、健二くーん」
教室内に、隣の彼を呼ぶ声が鈍く響く。その発言により、一斉に室内が静まった。皆の視線が、西村の隣へと向けられる。西村もそれにつられて、隣の彼を見た。
「お前、ネットに何か動画あげてるんだろ?実は噂になってるんだぜ?」
「・・・ネットに?」
西村が隣の彼に問う。隣の彼は、今のこの状況にも目もくれず、ひたすらに本へと視線を向けていた。彼なりの無視なのか、集中して本当に話を聞いていないのかは謎だ。
「あー、何か『何とかのやり方』とかいう動画出してるんだっけ?難しくてよく分かんなかったけど見たよ。健二のくせに、上手いなーとは思った」
前に立つ一人の女子生徒が続けて声をあげる。
「他にもいくつか出してるよ?まぁ、説明だったり紹介動画だけど、編集力は結構凄かった」
野球部の一人も続けて称賛する。どうやら、彼自身の評価に対してのこの言葉なのだから、よっぽど凄い動画なのだろう。少し気になる。
「で、お前が一番やってくれれば助かるんだけど、どうなの?」
「断る」
委員長が改めて聞き終わる前に、彼は読んでいた本をパタンと閉じて、キッパリと断った。教室内がざわめき始める。まぁ、こちらとしては予想通りだが。
「何でだよ?一応、同じクラスメイトだろ?」
「・・・だから何だ?」
「は?」
委員長の顔が強張る。教室内に、どよめき声が伝わり出した。
「クラスメイトだろうが何だろうが関係ない。普段は人をゴミのように扱うくせに、こういう時だけ態度を変える。お前らは何様だ?貴族にでもなった気分でいるのか?」
「ああ?お前なんて言った?」
「ちょ、ちょっと!落ち着きなよ!」
委員長が教壇から降りて、こちらに向かおうとするのを必死に女子生徒二人が取り押さえる。マズい、このままこいつに言わせ続けたら、いつかはケンカになってしまう。
「お前しかできないから頼んでるんだろ!?ただやってくれればいいだけだろ!」
「何をバカな事言ってるんだ?誰だって学べばそんなものできる。何も俺がやらないといけない訳じゃない。それに、それが人にモノを頼む態度なのか?お前はそうやって幼稚園から学んできたのか?だったらなら、相当残念な育ち方をしたものだな。親も悲しむだろう。少しは小学校の教科書を読み直して来い。話はそれからだ。いつになるかは知らないがな」
「テメェ・・・言わせておけば好き勝手言うじゃねぇか」
「きゃっ!ちょっと!」
委員長が女子生徒を振り払ってこちらへと歩いてくる。マズい、どうにかしなければ大変なことになる。ここで彼を庇えるのは・・・きっと自分しかいない。何か・・・何か無いのか。西村は必死に考えを巡らせた。
・・・こうなりゃ賭けだ。どうにでもなれ。座っている椅子をガタッと後ろに引くと、立ち上がり西村は委員長と向き合った。
「ちょっと待って!」
「・・・何だよ?」
不機嫌そうに彼が問う。
「あ、えっと・・・その・・・」
何も考えずに咄嗟に立ち上がったために、しぼむように言葉を失った。しどろもどろになりながら横の彼を覗く。そっぽを向きながら、ただただ無言で座っていた。
「・・・健二はその、みんなに褒められてちょっと恥ずかしいんだよ。ほら、健二は自己表現が苦手でしょ?だから、その、健二なりの照れ隠しなんだよ。ちょっと怒ってるように見えるけど、怒らないであげて?」
「お前・・・何言ってるんだ?」
西村の横に座っていた彼が、こちらを睨みつけながら言葉を向けた。かなり不機嫌そうだが、それでも怒ってはいないようだった。
「健二もさ。嫌だったら私だって手伝うよ。ほら、一人より二人でしょ?パソコンとか苦手だけど、横から口を挟むくらいならできると思うから。せっかくの最後の文化祭なんだよ?あなたにしかできないこと、やってみようよ?ね?」
必死に彼へ呼びかける。彼は何かを考えるように俯くと、小さく一言を放った。
「・・・お前、バンドはどうするんだ?」
「バンド?ああ、何とかするよ。バンドも大事だけど、私は人の役になるなら、それでもいいの。だって、喜んでもらうって、凄く嬉しいことでしょ?」
「大変じゃなかったのか?」
「大変だよ?すっごく大変。本当はこの時間だって、演奏の練習をしたいくらい。でもね?あなたがいいよっていうなら、私は喜んで手伝うよ」
「だから、やろうよ」と、西村は気が付いた時には、彼に微笑んでいた。周りにクラスメイトがいることも忘れて、笑ってしまっていた。ハッと思い出して周りを見渡す。・・・一気に恥ずかしさがこみ上げた。
「あ、いやっ・・・そのっ・・・あはは、つい・・・」
皆を向きながら、適当に笑って誤魔化す。マズい、余計なことをしてしまったかもしれない。悪い癖だ。何かに集中すると、周りが見えなくなってしまう。何度もこの癖で後悔してきたのに、またやってしまった。
「・・・チッ」
ふと隣で、彼が舌打ちをする。面倒くさそうに、頭をボリボリと掻いた。
「やればいいんだろ?やれば。但し、俺の好きなようにやらせてもらう。それでいいな?」
西村の説得があったおかげか、彼は委員長を見ずに、そっぽを向きながらしぶしぶ了解した。どうやら、恥をかいて損はなかったらしい。
「・・・あ、ああ。頼んだ」
先程までの怒りはすっかり冷めてしまった様子の委員長は返事をすると、スタスタと教壇へ戻っていってしまった。果たしてこれでよかったのかは疑問だが、とりあえず大きな騒動にはならなくてホッとした。
「頑張ろうね」
ホッとして椅子へと座る。相変わらず不機嫌そうにムッとしている彼に、西村は呟いた。
「ふん」といつも通り息を吐くと、再び彼は本を開いて、読書をし始めた。

「そういえば、お前・・・」
突然彼は後ろを振り向くと、何やら嫌そうな目つきでこちらを見た。珍しい。一体どうしたというのか?
「何?」
「お前・・・あの時、俺を呼び捨てで呼んだよな?」
「あの時・・・?あっ!」
思い出した。そういえばあの時、感極まって思わず彼の名を呼んでしまった。裕人でさえ呼び捨てで呼んだことが無いのに、どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。再び恥ずかしさがこみ上げ、頬が熱くなった。
「いい、いや!その・・・あの時は、つい思い切って言っちゃって!別にその、変な意味じゃないよ!ホントだよ!?」
気持ち悪いものを見るような目で彼がこちらを見つめる。どうやら、信じられていないらしい。まぁ、当然である。だが彼は諦めたように前を向くと、小さくボソッと呟いた。
「・・・まぁいい。次からは言葉に気をつけろ」
「え?あ、うん・・・」
―何だろう、やっぱり気が狂う・・・。
一切の感情を表さない彼に、やはり本意が分からない為か、どうすればいいのかが全く分からない。怒っているのか、呆れているのか、はたまた喜んでいたりするのか。例えどれであろうと、全く以て分からない。
「ところでお前、バンドはどうした」
そんな事に悩んでいると、再び彼が問うた。
「ん?ああ、大丈夫だよ。週に一度は、こうやってクラスのほうに行くって言ったらオーケーしてくれたから。家で自主練もしてるし、安心して」
「別に心配はしていない。ただ聞いただけだ」
「あ、そうですかー。はいはい。あ、着いたね」
特別教室の前に到着する。彼は鍵を鍵穴に差し込むと、教室の扉を開いた。
「そういえば、前ここで一緒に友達探ししたよね。覚えてる?・・・って、流石に覚えてるか」
「・・・忘れた」
「えぇ!?まだ四ヶ月前くらいだよ!?ホントに!?・・・また嘘ついてるんでしょ?」
「・・・ふん」
彼はさらっと適当に受け流すと、勝手に椅子に座って、カバンのファスナーを開いた。どうやら、これ以上答える気は無いらしい。彼は中からノートパソコンを取り出すと、画面を開いて電源を入れた。
「何それ?」
彼が持つ小さい黒いものを見て、西村は問うた。
「USBメモリだ。そんなものも知らないのか」
「う・・・そ、そうだよ!私はそんなものも知らないの!凄い?」
「・・・ただのバカだ」
「むー・・・つまんない奴」
「ふん」
「それで?そのユーエスビー?っていうのは何に使うの?」
「この中に、動画のデータが入ってる。今から、それをこっちに入れる」
「あれ?もう撮影始まってたの?」
「知るか。さっき渡されたんだ。俺は何も聞いていない」
「ふぅん。私がバンド行ってる間に、いつの間にか始まってたんだ。まぁ私は出る時間ほとんどないし、裏方でよかったかな」
彼のパソコンのデスクトップと呼ばれる画面が表示される。情報の授業の時間で使うパソコンによく見る、青色のシンプルな画面だった。その中で、彼が淡々の作業を始める。機械音痴の西村には、一体何をしているのか、全く分からなかった。
「あれ?どうしたの?」
突然、彼が椅子から立ち上がる。パソコンの画面には、何やら緑のメーターらしきものが動いていた。
「他の用事だ。絶対触るなよ?」
それだけ言うと彼は、さっさと教室を出ていってしまった。教室に一人取り残される。
よく分からない画面の、緑色のメーターとにらめっこしてみる。「七個のファイルを移動中」と書かれており、その下には全く以て意味不明な文章が色々と蠢いていた。
―・・・ん?
ふと、デスクトップ画面の右下の黄色いモノに目がいった。確か、ファイルと呼ばれるものだったはずだ。そのファイルには、「飛鳥」とだけ単語が添えられている。
「何だろう?」
―まだ、帰ってこないよね?
何故か無性に中身が気になった。いけないことなのは分かっているのだが、どうしてもその中を見たくて仕方がない。彼には悪いが、少しだけ拝見させていただこう。
慣れない手つきでマウスを握ると、西村はそのファイルの上でマウスをダブルクリックした。
「えっ・・・?」
ファイルの中身が開かれる。一面にバッと映されたその画面に、西村は思わず驚愕した。
「これって・・・」
画面をスクロールする。果たしてこれは、見てはいけないものを見てしまったのだろうか?そこには、彼の内に秘められた素顔が残されていた。
トン、トン、トン・・・。微かに開く扉の外から、鈍い音が響く。マズい、帰ってきた。急いで西村はファイルを閉じると、さっきまで自分が座っていた椅子に座り直した。ガラッと音がして扉が開く。
「・・・どうした?」
早速何か異変に気がついたのか、彼が真っ先に西村に問うた。悟られまいと、必死に適当な表情を作ってみる。
「え?何が?」
「・・・気持ち悪い」
「へ?」
「その表情、どうにかならないのか?もう少しまともな表情をしていろ。吐き気がする」
「な、何よ!?突然帰ってきて言い出したかと思えば!」
「ふん」
彼は怒る西村を無視すると、再び椅子に座った。
「そんな事言ってると、手伝わないよ?」
「寧ろそうしてくれ。騒音がいると気が散る」
「誰が騒音だって?」
「お前しかいないだろ」
「むー!ああもう!知らないっ!」
―やっぱりこいつ、大っ嫌いだっ!!
西村の怒りの叫びが、特別教室の中に響いた。

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