Smile again ~また逢えるなら、その笑顔をもう一度~

たいちょー

Memory.28

8月 お盆

「それじゃあ、ばあちゃんはちょっくら林さんとお話してくっからね。気が済んだら、麻美あさみちゃんに言って帰っておいで」
「うん・・・分かった」
彼女は不安定な足取りで、ゆっくりと歩いて行った。
心奈は夏休み某日、沖縄に来ていた。祖母の妹が沖縄在住で、今回は心奈の気分転換も兼ねて、二泊三日を沖縄で過ごす予定だ。
麻美というのは、妹の娘さんで、三十代くらいの女性だ。何回か昔に話したことがあるが、あんまりどんな人だったかは覚えていない。今回もここに来るまで車で連れてきてもらったが、祖母とずっと話していて、自分とはほとんど口を利かなかった。
心奈がやってきたのは、沖縄の代名詞、海だ。
この夏のシーズンだ。海には人が、ゴミのように沢山だった。いっそ、大きな津波でも来てみんなを巻き込んでしまったら面白いのに。
―・・・私、なんでそんな恐ろしいこと。
恐ろしい考えを、首を振って消し去る。それでもやっぱりそれは今の本心のようで、楽しそうに砂浜で遊ぶ人々が、とても憎たらしかった。
少し歩こう。心奈は少し先に見えた、周囲に誰もいない堤防に座った。
向こうに比べて、比較的静かだった。海の匂いがする。普段はあまり嗅ぐ事ができない、塩っぽい匂いだ。それに、地元の海に比べて水が綺麗だ。透き通っていて、一つの大きな宝石のようだった。
「はぁ・・・」
左腕を見る。傷はようやく絆創膏で対処できるくらいにまで収まってきた。後一週間も経たないくらいで、すっかり治ることだろう。
それでも、心奈の心の傷は一向に癒える気配が見えなかった。
「・・・お前がそんなだから、父親に裏切られて、弟が身代わりになったんだよ。・・・か」
海に向かって、心奈はポツリと呟いた。これは、あの日彼に言われた言葉だ。
確かに自分は裏切られた。自分のせいで弟は身代わりになった。それで自分は生きている。
どうして、自分は生きている?彼が身代わりになったから?母が生んでくれたから?・・・皆の憎しみや恨みを受ける、サンドバックの様な存在として?
それが自分の存在意味?存在理由?存在価値であり存在意義?
知りたかった。けれど、その真実を知りたくなかった。
「ヒロ・・・」
自然と口が彼の名を呼ぶ。だが、どうして呼んだ?もう彼とは関われない。それが分かっているくせに、頭では分かっているのに、心がそれを認めない。
私は、彼を今でも必要としている。何故だ?裏切られたくせに、どうして私は彼を欲する?どうして?どうして?どうしてだ?
分からない、何も。分かるはずもないのだ。
ふと、目の前に広がる海を見た。
―・・・死んだら楽に・・・なれるかな?また、お母さんやあの子に会えるかな?
自然と足は立ち上がると、一歩一歩、堤防の柵の前まで来た。
そうだ。何も簡単じゃないか。
どうして今まで、気がつかなかったのだろう?
足が勝手に柵を乗り越える。あと一歩動かせば、すぐに楽になれる。
「・・・ごめんね、ヒロ」
彼の名を呼んだ。その瞬間、足が宙へと浮いた。

「・・・?」
何だろう。体の半身だけ水に浸かっているのは分かる。だがそれ以上に、右腕と右半身が痛い。
ゆっくりと目を開ける。
「おい!聞いてるのか!?何やってんだって言ってんだ!」
「・・・えっ・・・?あっ・・・その・・・」
現実に引き戻される。下半身は海に浸かり、上半身の右側面を堤防の壁にぶつけ、右腕は若い男性に掴まれていた。
「お前、そんなに若いくせに、まさか死のうとか考えてたりしないよな?」
「いやっ・・・その・・・体が、勝手に・・・」
「ああ!それは後だ!引き上げるから、力抜くなよ?」
彼はそう言うと、心奈を軽々と海から引き揚げた。お姫様抱っこのような状態になる。初めてされたが、こんな気持ちなのかとこんな時のくせについつい思った。
「ったく、正気か?お前。一回精神科で見てもらったほうがいいんじゃねぇの?」
「なっ・・・余計なお世話です!」
助かったと思えば、いきなり罵声だ。ムキになった心奈は、思わずそっぽを向いた。
「おいおい、それが助けてもらった人への第一声か?」
「あっ・・・ごめんなさい。その、ありがとう・・・ございます」
「はいはい、どういたしまして」
機嫌が悪そうに彼は心奈を下ろすと、濡れた手をポケットから出したハンカチで拭いた。
「で?お前は本気で死ぬ気で飛び込んだのか?」
彼が問うた。
「いえ・・・気がついたら、いつの間にか」
「はぁ?やっぱりお前、精神科行ってこい。考え方が常人じゃない」
「常人じゃ・・・そう、ですよね」
彼の言葉に、心奈は落胆してしまった。すると彼はますます機嫌を悪くしたようだ。
「ああもう!なんでそうなるんだよ!」
「え、だって・・・私、やっぱり普通じゃないですよね。普通の人は体が勝手に海に飛び込みませんもんね」
「だぁ!めんどくせぇ!お前、超めんどくせぇ!」
彼が頭をわしゃわしゃと掻きむしる。よっぽどイラついているようだ。
「あの・・・怒ってます?」
「当り前だ!どうして沖縄に旅行に来たのに、親にパシリにされるわ、お前みたいな変な奴を助けるハメにならなきゃいけないわ・・・」
「大変、ですね」
「ああ!?そもそもお前が飛び込まなきゃいいんだろうが!」
「・・・すみません」
心奈は頭を下げた。
「・・・ああもう!お前、下濡れてるだろ。早く来い!」
突然彼が、こっちに来るように手のジェスチャーで呼んだ。
「え、でも・・・」
「うるせぇ!助けちまったんだから、最後まで面倒見なきゃいけねぇだろうが!」
「え、その・・・すみません」
「ああ!!謝るな!分かったから、謝るな!イライラする」
「すみま・・・ごめんなさい」
「だぁ!一緒だろそれ!」
「あっ・・・そうですね」
自分で言ったくせに、思わず自分で笑ってしまった。すると彼は、突然拍子抜けしたような表情を浮かべた。
「・・・お前、良い笑顔するじゃねぇか」
「へ・・・?あ、いや!ごめんなさい!」
「ああ!だから謝るな!お願いだから謝るな!」
「は、はいっ!」
口は悪いけど、なんだかんだいい人なのかもしれない。
心奈は彼に連れられて、先程の海の浜辺に立っている海の家へと連れてこられた。
「ん、なんだ秀樹ひでき。彼女か?」
すると、家の中で定番の焼きそばを焼いていた、五十代くらいの亭主らしき叔父さんが彼に声をかけた。
「ちげぇよ!こいつが海に飛び込もうとしてたから、仕方なく助けてやったんだよ!」
「ほぅ?じゃあ、これからの彼女候補かな?」
彼はニコニコしながら言った。
「バカ野郎!なんで俺がこんな訳の分からない女と付き合わなきゃいけねぇんだ」
「む・・・訳の分からないは余計です」
「はぁ?お前、さっきまで『常人じゃないですよね』とか自分で言ってただろうが」
「さっきはさっきです。今は違います」
「意味わかんねぇよ!」
すると、二人の会話を聞いていた亭主が、はっはっはと高笑いをした。
「面白いね、お嬢ちゃん。君、名前は?」
「え?あ、明月心奈です」
「心奈ちゃんか。私は見ての通り、ここの店をやっている。秀光ひでみつ叔父さんとでも、呼んでくれ。そっちはさっきも言ったが、息子の秀樹だ」
「勝手に紹介すんな!」
「お?自分で自己紹介がしたかったか?そりゃ失礼」
はっはっはと彼は笑うと、出来上がったらしい焼きそばを、紙皿に乗せた。
「おや?どうやら濡れているね。秀樹、あっちの棚からタオルをもってきてやりなさい」
「あー、はいはい。言われなくてもそうするつもりだったよ」
秀樹は店の奥に入ると、真っ白な大きいタオルを一枚持って、心奈に投げ渡した。
「そこに座っておくれよ。海に飛び込んだと言ったかな?まぁ、色々思いつめているのかもしれないけど・・・とりあえず、お近づきの印に」
秀光は、心奈が立つ前の机の上に、たった今出来上がった焼きそばを置いた。
「え、でも・・・私、今お金持ってないです」
「ああ、いいんだよ。気にせずに、食べてってくれ」
「いいん、ですか?」
「もちろんだとも」
「ありがとう・・・ございます」
彼は仏の笑みのような満面の笑顔を見せた。
心奈はタオルである程度濡れた体を拭き終わると、椅子に座り「いただきます」と言ってから、彼の出来立ての焼きそばを口にした。
「美味しい・・・ソースは、自家製ですか?」
「おぉ?よく気づいたね。私の特製なんだ」
はっはっはと彼が笑う。彼の笑い方はなんだか、聞いていて安心する。
「心奈ちゃんは、ここら辺に住んでいるのかい?」
「いえ。三日間だけ、親戚に会いに。住みは関東です」
「ほう、そうかい。それじゃあ、私達と同じだな」
「叔父さん達も、関東なんですか?」
「そうとも。普段は東京で過ごしてるんだが、夏の間だけ、沖縄のこの店で、海の家をやらせてもらってるんだ。沖縄の海は綺麗で、毎年見ても飽きないね」
「そうですね。本当に綺麗で・・・まるで、宝石みたい」
「宝石だぁ?海は固形物じゃねぇよ」
奥から戻ってきた秀樹が言った。
「む・・・例えを言っただけです!」
「例えねぇ・・・例えにしては下手くそだな」
「じゃあ、秀樹さんも言ってみてくださいよ」
「ああ?」
面倒くさそうに彼はしていたが、少しの時間、上の空でじっと考えていた。
「・・・純粋な女の心。かな」
「・・・ぷっ。あははははは!」
まさか彼がそんな事を言うとは思わなかった。心奈はそのギャップに、思わず吹き出して笑ってしまった。
そんな反応を見た彼は、再び機嫌が悪そうに怒鳴った。
「てめぇ!さっきとは随分態度がちげぇじゃねぇか。怒るぞ!」
「まぁまぁ秀樹。落ち着きなさい。他のお客さんに迷惑だ」
「ぐぅ・・・」
彼は歯を食いしばりながら、こちらを睨みつけている。その睨みには恐怖は全く湧かず、寧ろ親近感さえ湧いていた。
「ところで、秀樹さんはおいくつなんですか?」
「あ?俺か?大学一年だ」
「そうなんですか」
「そういうてめぇは?見たところ、中学生か?」
「はい、中学二年です」
「チッ。わけぇのに自殺なんてするんじゃねぇよ。てめぇの親が悲しむだろうが」
「っ・・・親・・・」
親。そのワードを聞いた途端、再び忘れかけていた気持ちが蘇った。思わず心奈は目線を落とした。
「・・・あ?どうした?」
「あっ・・・その・・・私、両親がいなくて」
「は?死んでんのか?」
「こら、秀樹」
「・・・悪い」
秀光が秀樹に注意すると、彼はしぼんだように俯いてしまった。
「あ、いいんです。結構前の話ですから。それに、慣れてますし。そういう反応、しないでください」
心奈は、精いっぱいの笑顔で言った。
確かに家族はいない。だけど、それ以上に周りの人からの哀れみの目が嫌いだった。
たとえ共に悲しんでくれても、彼らに本当の辛さは分からない。それなのに、どうして彼らはそんな目をする?幸せなら、もっと幸せなのだと、誇ってもいいのに。
「すまないね。昔からこいつは一言余計なんだ」
「大丈夫です。こういうこと、よく言われますし」
心奈は笑顔で答えた。
「・・・おい、心奈って言ったか?」
「へ?あ、はい」
突然、彼が下の名で自分を呼び捨てで呼んだ。突然の呼び捨てに、思わず声が裏返ってしまった。
「焼きそば食い終わったら、さっきの堤防に来い。そこで待ってる」
そう言うと彼は、足早に海の家を出て行ってしまった。
その顔は真剣で、何かを決めたような顔だった。
「どうしたんでしょう?秀樹さん」
「ふむ、これはこれは・・・心奈ちゃん。どうかバカな息子だが、よろしく頼むよ」
「へ?あ、はい・・・」
秀光は、何故か嬉しそうにニヤニヤと笑っていた。

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