Smile again ~また逢えるなら、その笑顔をもう一度~

たいちょー

2.

一方

―そういえばこの猫のぬいぐるみは、彼がお祭りで取ったものなんだっけ。
少女は英語のテキストが開かれた机の上でボーっとしていると、ふとベッドの上に寝ころんでいる眠たそうな目をした猫のぬいぐるみを見つめた。すっかり色が褪せてしまい、従来の色ではなくなってしまっているが、捨てたくても捨てられない、少女唯一の宝物だった。
「・・・どうして今更、あいつのことなんか」
ボソッと呟いた。今更彼を想ってどうなる?自分をもてあそび、挙句に裏切った彼のことなど、今更どうでもいいのだ。いいはずなのだ。それなのに・・・。
「・・・どうしてるかな」
何故だろう。いつも、彼の事ばかりを心配し、どうしているかが気がかりだ。しっかり睡眠は取っているだろうか?病気にはなっていないだろうか?高校では、ちゃんと友達はできただろうか?・・・もしかしたら、新しい彼女と楽しく過ごしているのだろうか?
机の電気を消し、ベッドに横になると、猫のぬいぐるみを抱きしめた。
「最近はね、美帆っていう友達ができたんだ。少し抜けてるところもあるけど、とっても優しくていい子なんだよ。それと、香苗っていう子とも仲良くなった。彼女はいつも元気いっぱいで、頑張り屋なんだ。将来、お店を継ぐために、一生懸命毎日お手伝いをしてるんだよ」
ぬいぐるみにいつもの少女らしく語り掛ける。しかし、返ってきたのは外の電車の音だけだ。
性格を偽るようになってから、何年が経つのだろう。もうすっかり、猫を被るのは慣れた。まるであの彼女のように周りに語り掛けると、自分の周りからは誰もいなくなる。『嫌われる』ということが、一つの快感にも感じてしまえるほどになった。
それでも美帆は、自分から離れなかった。寧ろ、更に近づいてきている。嬉しさはあったが、それでも美帆にさえ、被っている猫を剥がしたくはない。
本当の弱い自分をさらけ出すと、また同じような出来事が繰り返されるのが怖いのだ。それなら、今のように性格を偽っていたほうがよっぽどいい気がする。
弱い自分はさらけ出さない。そうすることで、彼女の中に安心感が生まれた。
家での自分と外での自分。これをもっと使い分けられるようにならなければならないのだ。
「心奈、入るよ」
ふと、ドアがコンコンと叩かれた。
「ん、いいよ」
ドアを開けて入ってきたのは、一緒に暮らしている祖母だった。
少女はこの家で、祖母と二人で暮らしている。二人だと少し大きい間取りの家なのだが、それでも少女は、今のこの空間に満足していた。
「あら、また英語の勉強してたのかい?」
祖母が机の上のテキストを見て言った。
「うん。今はちょっと休憩」
「そうかい。ホントに英語が好きなんだねぇ」
「へへ・・・」
決して祖母には、外での自分は見せたくなかった。幼いころから、女手一つで育ててくれた彼女にだけは、本当の自分で接していられた。
「それで、どうしたの?何かあった?」
「ああ、そうだった。これから漬物を漬けようかと思ったんだけど、ちょいと手伝ってくれるかい?最近腰が痛くてねぇ」
「大丈夫?無理しないでね?」
「ああ、平気さ。元気な心奈が、私の一番の薬だからねぇ」
「おばあちゃん・・・ありがとう。よし、じゃあ台所いこっか。手を握って?」
来年で七十歳を迎える祖母は、最近は段々身体の不自由が見え始めてきた。ちょっとした段差でも、彼女には気をつけて貰わなければならないのだ。
「ああ、ありがとう。心奈はホント、優しい子だねぇ」
「もう、おばあちゃんのためだもん。このくらいはしないとね」
「えぇ、えぇ。将来は、立派な奥さんになれるねぇ」
「え、奥さん・・・?」
ふと、唐突に彼の顔が過ぎった。不覚にも、彼の笑顔が脳裏に浮かんだ。
「うん?どうかしたのかい?」
祖母が不思議そうにこちらを見上げた。
「あ、ううん。大丈夫。将来はいい旦那さんを見つけて、おばあちゃんに私のウエディングドレス姿、見せてあげるからね」
「えぇ、えぇ、楽しみにしてるよ」
祖母は楽しそうに満面の笑みで笑った。

次の日
少女は歩いていた。
今日は美帆と二人で、近くの街の水族館で最近公開がされた、赤ちゃんペンギンを見に行こうという話であった。待ち合わせ場所に着くと、一足先に来ていた美帆が、こちらに手を振った。
「おはようー心奈」
「おはよう。それじゃあ、行きましょうか」
外では偽りの自分を演じる。絡みづらくて、上から目線の話し方。これが外での自分だ。本当の自分と言動が混同しないように、今日も心掛けねばならない。
「楽しみだねぇ、赤ちゃんペンギン」
美帆が楽しそうに、目をキラキラと輝かせている。よっぽど今日が待ち遠しかったみたいだ。
「そうね」
「心奈って、水族館行った事あるの?」
美帆が問うた。
「水族館は無いわね。あ、小学校の時の遠足で一度だけあったけれど、それだけね」
「えぇー、いいなぁ。その時何見たの?」
「うーん、あんまり覚えていないけれど、イルカのショーを見たのは覚えてるわ」
「あぁ!イルカ!イルカも見たいなぁ。ペンギンの赤ちゃん見たら、イルカも見に行こうよ?」
「えぇ、いいわよ。行きましょう」
「やったぁ!楽しみだなぁ・・・」
彼女を見ていると、昔の自分を鏡で見ている気分になる。そして自分は、彼女だ。彼女も昔、自分をこんな風に見ていたのだろうか?子供染みて、バカらしく、嬉しそうにはしゃいでいる。彼女には、昔の自分はどのように映ったのだろう。ほんのひと時の関係だったが、彼女は自分と接していて、楽しかったのだろうか?
「心奈?どうかした?」
美帆が少女に声をかけた。
「・・・ふぇ?」
「ぷっ・・・はははは!」
声をかけられて何事かと思えば、突然美帆は大きな声で吹き出して笑いだした。
「な、何よ。私、何か変だったかしら?」
「だって、変も何も・・・ふふ、気づいたときの返事が、いつもと違って凄く可愛くて。なんかギャップがあって可笑しくって・・・」
「し、失礼ね。無意識に出た声だもの、仕方ないでしょう」
「はは・・・はぁ、はぁ。あー、面白い。もう、普段から今みたいな感じなら、もっと楽しいと思うのになぁ」
笑い涙を手で拭いながら、美帆が楽しそうに言った。
「今の感じって、どんなよ?」
「うーん。もっとこう、堅苦しい言葉遣いじゃなくてさ。気楽に話す感じかな。心奈って、少しお嬢様みたいな話し方でしょ?心奈は元々可愛いし、もっと砕けていいと思うかなぁ。まぁ、今の心奈も充分いいんだけどね」
「う、うるさい・・・なぁ」
少女は、尻すぼみな返事をした。もちろん、これもわざとだ。
「あー!そうそう、そんな感じ」
「なんだか気が狂うわね。こっちのほうが気が楽ね」
「そう?まぁ、心奈の好きでいいとは思うけどね」
そう言って、美帆は微笑んだ。
―それじゃダメなんだよ美帆。私は、砕けちゃいけないの・・・。
心の中で彼女に呼びかける。その声は届くはずもなく、彼女はニヤニヤとしているだけだ。
「美帆」
「うん?なぁに?」
―本当の自分じゃなくてごめんね。
言葉で言えるはずもなく、少女はただただ笑って誤魔化した。
「ううん、なんでもないわ」
「そう?あ、バス停見えてきたよ。あれに乗れば、水族館直行だよ」
「そうなの。じゃあ、さっさと並んでおきましょ」
―本当に、ごめんなさい。美帆。
心の中で繰り返し謝りながら、少女は彼女の後ろを歩いた。

コメント

コメントを書く

「現代ドラマ」の人気作品

書籍化作品