異世界宿屋の住み込み従業員

熊ごろう

164話 「宿にお客さんが来ない訳」

夕食前の食堂にて集まった探索者達を前に立つバクスの姿があった。
全員の意識が自分に向いているのを確認したバクスは軽く咳をすると口を開く。

「あー、今日はお前さん方の他にお客さんが一人泊まっている」

他に客がいると言ったところで探索者達の間からおおと歓声があがる。

「まじか、初めてじゃね?」

「いや、確か前に一人いたかと思いますが……」

「ドラゴンはノーカンじゃろ」

口々に好き勝手に喋り出す探索者達、そのまま収拾が付かなくなりそうになった所でバクスがパンッと手を軽く叩き再び注目を集める。

「お前ら静かに。で、だ……間違ってもちょっかいだすなよ? 出した奴は分かってると思うが……具体的に言うと処分をアイネさんかうーちゃんに任せる事になる」

処罰じゃなく処分と言うあたりがあまり笑えない。
探索者達も少し引きつった表情を浮かべ引き気味である。

「まあ、そんな訳だ今日と明日の朝だけだがよろしく頼む」

そう〆て厨房へと戻るバクス。
入れ替わる様に食堂へと入ってくる例の女性。探索者達は先ほど言い含められた事もありちらりと視線を向けたりはする物の積極的に絡んでいこうとするものは居ない。

「先日はどうも」

「あ、昨日はありがとうございました。あの後この宿の事を知りまして来てみましたの、昨日の屋台もそうですけどお風呂もいい湯でしたし、今日の夕食も楽しみです!」

席に着いた女性に対し注文を取りに行った加賀。
風呂と聞いてちらりと視線を上に向けると確かにまだ髪は湿っており、頬も心なしか上気している、風呂からあがったばかりなのだろう。

「ん、期待に応えれる様がんばりますね。今日の日替わりについてくるスープはこの中から選べます、あとデザートも付きますので……今日はちょっと多めなのでパン等は少な目に食べると良いかもですね」

「デザート……ではスープはこの卵入りの奴で。私こう見えて結構食べるんで大丈夫ですよ」

「あ、そうでしたか。お代わりが必要な場合は言ってくださいね、別料金ですけど追加で出せますので」

では、少々お待ちをと言って厨房へと向かう加賀。
中では3人が探索者達の注文を先行で作り始めていた。

(お風呂であまり驚いてはなかったかなー……あれが普通な生活してるって事だよね)

やっぱ貴族様なのかなーと思う加賀。

(ま、やる事はいつもと変わらないんだけどねー……っと、手動かさないと)

相手が貴族様だとしても恐らくお忍びで一般の客として来てる以上やることは何時もと同じである。
探索者達からの追加注文ががんがん入ってきているのを見て慌てた様子で仕事を開始するのであった。


「本当にいっぱい食べましたねー……あ、食後に飲み物出してますけど何が良いですか? アルコールはこちら……それ以外ですとココア、コーヒー、紅茶を用意できますけど」

女性はその言葉通りかなりの量を食べていた。
探索者向けに多めに作られているはずの日替わりをお代わりした上、デザートにいたっては2回お代わりしている。
デザートは普通のとチョコ味の生クリームを使った果物とシロップ漬けたっぷりのオムケーキが2個、それに焼き菓子が数点付く。オムケーキは割とボリュームがあり手のひらから少しはみ出るほどの大きさだ。
加賀は女性の食べっぷりに関心しながらすっとメニューを差し出す。

「そうですね……コーヒーにココア? ですか、聞いたことは無いですね」

女性はアルコールは飲まないようでココアとコーヒーの文字を不思議そうに眺めている。
聞いたことのない飲み物故にどんな味か想像がつかないのだろう。
そんな悩む女性の後ろにすっと人陰が現れる。

「おっ、飲み物かーお勧めはコーヒーだぜえ」

いい感じに酔っぱらったヒューゴである。
バクスの言葉をすっかり忘れて女性に自らのトラウマとなっているコーヒーを進めようとしているようだ。

「そ、そうですの……えぇと」

「ちょっと酔っ払いは黙ってなさい。……少し苦いですけど美味しいですよ。ボクは割と好きです」

ヒューゴをびしっと指さし注意する加賀。
少し引いている女性に向かい微笑みかけ、ちゃっかりコーヒーを進める。

「ボク……? えと、それじゃコーヒーをお願いしますね、どんなのか楽しみです」

加賀の一人称に首を傾げる女性であるが、とりあえず加賀の話を聞いてコーヒーを飲んでみる気になったようだ。


「はい、コーヒーお待たせしましたー」

「これがコーヒー……香りは良いですね」

恐る恐るコップを持ち上げとりあえず匂いを嗅いでみる女性。
それを後ろでニヤニヤしながら眺めるヒューゴ。だがもちろん加賀が女性に出したコーヒーには砂糖と牛乳がたっぷりと入っている。

「ん……少し苦い、でも美味しいです。これ!」

「うそやん」

女性の反応を見て唖然とするヒューゴ。
そこに追い打ちをかける様に加賀がすっとコーヒーの入ったカップをヒューゴの前に置く。

「はい、ヒューゴさんお勧めのコーヒー。もちろん飲むよね?」

「……ハイ」

にっこりと微笑む加賀に力なく頷くヒューゴ。
もちろん加賀がヒューゴに出したコーヒーには砂糖も牛乳も入っていない。思いっきりブラックである。

「美味しいですね、ヒューゴさん」

「うん……おいしゴフゥッ」

ヒューゴが口に含んだコーヒーをこぼすと言うトラブルはあった物の特にトラブルはなく時は過ぎて行く。
翌朝になり、朝食を今度は3人前平らげた女性は満面の笑みを浮かべ宿を出て行った。
いつかまたかならず来ると言い残し。


「いったか……しかしなんで他にお客さんこないのやら」

女性が見えなくなったところで腕を組みそう零すバクス。

「そりゃー……宿の客全部俺らみたいなごついのですもん、普通の客はびびってこねえっすよ」

「……それもそうか」

ヒューゴの言った理由に眉間にしわ寄せるも納得してしまうバクス。新たな客が宿に来るのは当分先になりそうである。

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