天使に紛れた悲哀の悪魔

堕天使ラビッツ

第1章 イオという男

「ハァ……ハァッ……」

 星が綺麗に瞬く早朝の四時。どれだけこの暗い道を走ったのだろう。
 真冬だというのに裸足で、何処で付いたかも分からない傷で服は血が滲み、見るに堪えない程にボロボロで、武器になりそうな物も何一つ持ってない。
 何故わたしは走っているのかと言うと……
 ――一筋の光さえ通さぬ牢獄。そんな所に十六年間も閉じ込められていたのだ。暗くて孤独で、夏はむせ返るように暑苦しく、冬は肌が爛れるほど寒い。
 そんな場所から逃げたくなって、去年からずっとずっと、食事の時に支給されるナイフで、どんなに厚いかも分からない壁を削り、やっとこの日……脱出する事に成功した。

 あれだけ放任主義だった国王も何故かわたしが脱出したと知ったら沢山の兵を放ち、捜索させているらしい。
 どんな事情があってそんな行動に出たのかは全くもって理解できないけれど、今まで散々好き勝手わたしの事を扱ってくれた奴が困り果てて焦っている姿を見る事が出来て達成感で一杯だ。
 そんな感情も一時の物。どうせこの先長くはない、沢山の兵がわたしを探して回っている、きっとすぐに見つかってしまうだろう。


 そしたらわたしは処刑かしら、実の親に処刑されるなんて滑稽ね。
 ――せめて太陽というものを、この目で見させて。

 限界を超える疲労と凍えるほどの寒さで意識が朦朧としながらも、無我夢中で走り続けた。
「いたぞ! 止まれ! 止まらなければ撃つぞ!」
 ついに兵士に見つかってしまった。
 振り返ると3人の兵士。有無を言わさず仕留める。と言わんばかりに弓矢を構えている。

 ――もうわたしに逃げ場はない、終わった。


 降参しようと再び振り返ると……
 そこには、血を流し倒れた3人の兵。

 ――さっきまで弓を構えていた兵士だ。一瞬だった、たった一瞬。わたしが目を離した隙に……一体何が?

「何が起きたのか分からないのも無理ない。追われているのだろう?」
 いつの間にわたしの背後に居たのだろう。背後からは 見知らぬ男の声。
 恐ろしいほど気配を感じない。まさかこの男もわたしを捉えに……

 振り返るとそこには銀の長髪で赤と青のオッドアイの男。
 それだけで兵士では無いと分かった。
「貴方は……?」
 敵か味方かも分からないこの男は怪しげに微笑んだ。
「ただの通りすがりの者さ。さぁ、ここで話していては俺も君も死んでしまう、行こう」
 この人を信用してもいいのかな。走り疲れて酸欠の思考で考える暇もなく本能的に、わたしは男について行った。

 無言の時間が暫く続き、歩き疲れたころ、男は立ち止った。
 そこには月の光を浴びて輝いて見える白馬。

「これで安心だ」
 と男は呟き、繋がれた馬に乗る。そしてわたしをその後ろに乗せた。
 初めて乗る馬に慌てるわたしをよそに、馬は走り出した。

「今夜は月が綺麗だ……」
「……」
「……。ところで、どうしてあの連中に追われていた。見たところ数十とは言わない兵が辺を彷徨いていたが?」
「きっと、わたしが抜け出したから……」
「捕虜か」
「貴方こそ、どうしてこんな所に?」

「俺は魔法を探しに旅をしていた。だが、急に帰らなくてはならなくなってな」

「魔法……? 」
「ああ。君はどうして脱走を図った?」

「わたしは小さな頃から捕えられていたの。自由も何一つ無い狭くて暗い部屋で。でも、わたしに優しくしてくれた使用人が居たのよ……外の世界の事や言葉を教えてくれたりね。本を読んでもらったり。それがわたしの生きがいでもあった……」

「――その使用人が殺された、と言う事か」

「正解。わたしと話している事が見つかってしまって、殺されたの。――その時だったかな、ここから逃げようって心に決めたのは……」

 思い出すだけで涙が出る。
 楽しくて幸せだった。唯一の生きがいで、わたしに光を与えてくれた人。
 でも父に殺された。どうして? おかしい、憎い、悔しい……これ以上考えると負の感情で父を殺してしまいたくなりそうで自分が怖かった。
 ここにいてはだめ、どんどん壊れて行ってしまう。そんな気がした。

「君、行く宛もないだろう。俺のいる城に来るといい」
「――貴方、何者なの?」
「大口を叩いてはいるが、そんなに偉いものでは無い」
「何が目的?」

「ただ……光を見てみたくないか?」

 突然馬は走るのをやめ、男は振り返って微笑んだ。
 タイミングを見計らったのか、眩しいほどの光が見え始める。

 ――これが朝日……
 ずっとこの目で見たかった光……

 ――けれど運命は残酷だ。

「さぁ、行くぞ。天使の王国アンジュへ……!」

 わたしは自分が悪魔の王国ディアーブルの姫君だ、なんて言えないまま……
 また馬は走り出した。

 きっとこの男はわたしの事を、どこかの小国の金持ちの捕虜だとでも思ってるであろう。
 わたしがディアーブルの人間だと知ったら……?
 ――絶対言えない。

「君、名前は?」
「わたしはサリー」
「俺はイオ。智天使イオフェルから取った名前らしいが……そんな優れた指導者に俺はなれない。名前など、ただの皮肉に過ぎないな……」
「そう、ね……」

「最初は暗くてよく見えなかったが、君は綺麗な顔をしている。早く良い物を着せてあげねば勿体無いな」
「わたしってどんな姿をしているの?」
「顔はとても綺麗だ。でも残念ながら体は傷だらけ、髪の毛も服もボロボロで勿体無い」

 綺麗なんて初めて言われた。
 そりゃそうよ、わたしに味方など居なかったのだから……。

 皆わたしを否定して。みんなみんな、嘘つきばっかり。

「……っ!」

 まただ、憎しみや恨みを感じると胸の奥が痛くなる。きっと、死んだあの人が叱ってるのね。
 ――そんな事を思っていては駄目だと。

「ほら、王国が見えてきたぞ」

 彼の指差す先には、朝日で照らされた一面白銀の城。周りは真っ白な城下町。その中心には、城まで伸びた綺麗な青い絨毯。

 彼が馬を降りると人々は一斉に絨毯までの道を開けた。

「やっぱり貴方……何者なの?」
「ここの国の王子の片翼……と言えば恰好良く聞こえるか?」

 王子の片翼? 一体どういう事なの。

 城の中に入ると人々は深く礼をした。わたし達以外時が止まったのかと思うほどに。

「おかえり! 遅かったな」

 青い絨毯の行き止まり。王座に座るのはわたしと同じ年くらいの少年。

 汚い事は何一つ知らない無垢な碧色の瞳。
 わたしとは正反対で目を逸らしてしまった。

「イオ、その者は?」
「はっ、帰還の途中殺されそうになっていた捕虜を見つけ、連れて帰って参りました」
「ほう、よくやった。僕はセラ。セラフィムだ。よろしく!」
「はじめまして、わたしはサリーです。よろしくお願い致します、王子」

 無垢なその可愛い笑顔が少し羨ましかった。わたしはどうしてもそんな風には笑えない。

「サリー、君はどういう者なのか?」
 王子がわたしに不思議そうに問いかける。

 わたし? ただのディアーブルの恥。
 ――なんて言えるわけがない。

「ただの小国の捕虜です。そこの富豪に子供の頃から囚われておりました」
「そうか……辛い生活を続けてきたのだな。もう安心していいぞ、ここにいれば安心して過ごせる!」
「ありがとうございます、王子は貧しい民に優しいのですね」

 こんな王子もいるのね。わたしのようなどこの者かも分からない小汚い娘にも情けをかけてくれる。

「王子、彼女は魔法に興味があるようですよ」
「イオ、教えてあげるといい、そなたは勉学に長けているから得意であろう?」
「え? わたしにも魔法使えるの?」

 イオはわたしの質問に一瞬キョトンとし、微笑んだ。
「あぁ、人間は誰でも魔法を使える。言わば原石を持っている。あとはその原石を磨いて磨いて、光り輝く時を待つのさ」

 ――努力すればわたしにも……

「天使の国と言われているが、悪に手を染める者もいるのが現実だ。だから最低限自分の身を守れるように基礎だけでも覚えておかなければいけない」
「イオ、お願いできるか?」
「私では力不足で御座います、もうじきあやつも戻ってくるでしょうし」
「ははは! そうであったな。でも、教えるのはイオの方が上手だ。だから、頼んだ!」
「承知致しました、王子」

「あやつ……?」
 一体誰の事かしら……まだ内部に誰かいるの?
「もう一人の片翼さ。俺とは正反対で力で物を言うやつでな。確かに教えるのは苦手そうだな」

 ――バレないようにしなきゃ。
 バレたら殺されてしまう。

「ではこれから魔法を教える、行くぞ」
「はい。」

 不安に埋もれながら、わたしはイオについて行った。


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