スノーフレークが枯れた

酸化

スイートピー«始まり»

「お前、この娘のモデルいるのかい?」
低い聞き慣れた声が部屋に消える。僕は鉛筆を動かす手を止め、問いに対する答えを頭に浮かべる。
「…わからないんです」
「は?」
間抜けな返事に対して少し苛立ちを感じて、再び鉛筆を動かす。キャンパスには鉛筆で描かれた線が弧を描いている。それが幾つも重なり、ひとつの風景となる。そのキャンパスには三つ編みの髪型でロングワンピースを身につけた少女が、日傘をさしてどこか遠くを見つめている。うまく影を使って顔は映らないようにしている。
「肯定でも否定でもなく、疑問形か…、どういうことかね」
この無駄にかっこつけている男の人は、美術部顧問の天河星伍。白衣には絵の具がべっとりくっついて、ボサボサの黒髪、黒縁メガネ。僕とは美術部の顧問、部員という関係なのにウザったらしく絡まれるようになってしまった。
「この娘は、僕の記憶にしかいないんです。僕しか覚えていないというか。だからモデルと言っていいのかわからないんです。実在してるのかさえ、定かではないから」
そういうことだ。この三つ編みの少女は、実在していない。だが、僕の頭の中にはこの娘との記憶がしっかり刻まれている。断片的なものではあるが、実際に会ったことは確かなんだ。
「へえ…やっぱり君って面白いね。頭の中が色々と。君の生い立ちをご両親にじっくりと聴きたいものだ」
「母に先生の写真渡しておきます。不審者ってことでいいですか?」
「おいおい、俺だって教師だぞ教師」
だが、僕の頭の中はたしかにおかしいのかもしれない。いつだって、ノートの切れ端のような記憶が転がっている。ありもしない記憶、だが、絶対ないとは言いきれない。
「先生、聞いてくれませんか?」
「んう?」
相変わらずの抜けな声だ。
先生の持っているスマホからニュースが流れる。今日、アメリカで飛行機が墜落し大量の死者と怪我人を出し、日本人1名が巻き込まれた事故から1年経つらしい。その日本人はアメリカの病院で、まだ意識が戻っていないとか。
数秒だけ目を閉じて浮かべる、あの時の景色を。泣き叫んだあの日を、笑い崩したあの時間を。だが、また忘れてしまうのだろう。
「_君?」
四月の下旬だというのに、季節外れの金木犀の香りが鼻をつく。
ああ、そうだ、僕の名前は___。



「シン・オスマンサス」
「…は?」
混乱している頭にこれ以上情報を埋め込まないで欲しい_小さな彼は頭にそんな言葉を浮かべながら、高身長な男性を不満そうに見上げる。
この高身長な男性の名前はシュウ。巨大な剣を背中に背負い、その下の赤いマントが微かな風になびく。
「貴方の名前です。記憶を失くした、ということはよくあることですので」
信じ難いことを言いながら、シュウは柔らかな笑みを浮かべる。シン、と呼ばれた少年はまた頭を抱えた。
「さっきから頭が限界なんですけど…」
怪訝そうな顔で室内から窓の外を見る。そこから見えるのは、煉瓦と木造の家が立ち並ぶ街並みが言える。
「ここです、この奥に貴方の護衛役、そして騎士と呼ばれる人物が眠っています」
シュウの声が聞こえ、顔を前に向ける。先程の窓からは死角になるであろう場所に来ていた。城の中の上品で優雅なデザインとは異なり、重々しく禍々しい鉄製の扉。
その奥には、きっと彼の常識を超えた何かが待っているのだろう。そう思いながら、酷く冷たい扉へ一歩近づいた。



これは数時間前の話。
小さながらも平和なオスマンサス国は、水車とともに日常を回している。
眩しい日差しに顔を照らされ目を覚ました少年は、後々シンと呼ばれる少年である。彼の身長は約160cmという小柄な体型で、弱々しく見える。日差しに照らされた髪の毛は金色に染まり、女性のショートボブくらいの長さだ。左側だけ前髪が異様に長く、左目を隠している。幼顔で、一部の女子には受けそうな容姿をしている。
窓ぎわに置かれたベッドの上で、上半身だけを怠そうに起こす。
「……ん?」
周りを見渡すと、そこは自分の知っている場所とは大きく異なっていた。木造の部屋に幾つもの真っ白なベッドが置かれ、その中の一つに自分は眠っていたそうだ。壁際には、薬品らしきものが並べられた棚。簡易的な病院にも見える。
「何処だここ…」
つい口からそう漏れる。妙な胸騒ぎを覚え、急いでこの場を去ろうとベッドから降りる。その時自分の服装を見る。半袖の白いシャツに黒いズボン。黒いズボンは学校で男子生徒が身につけているものだ。だが、その服装に少年は違和感を覚えた。そもそも自分がここに来るまで何をしていたのか、全く思い出せないのだ。不安と焦りが全身を支配し始める。生唾を飲み込みながら、周りを見渡す。すると寝ていたベッドの左側の壁に、木造の扉があることに気づいた。とにかくここから出ようと、少年は勢いよく扉を開け、その先へ大きく踏み出した
「きゃっ!」
「わっ!!」
勢いよく飛び出したせいで、目の前の人間に気づかなかった。少年は人がいた驚きとぶつかった衝撃で数歩下がり、尻餅をついた。尻に鈍痛が走るのを耐えて立ち上がり、ぶつかった人を見る。
「いたた…」
飛び込んできたのはピンクのツインテール。少年は腰を屈めて手を差し伸べる。
「あ、あの…」
その声に反応したのか、座り込んでいた人間は顔を上げた。大きなピンクの瞳がしっかりと少年を捉える。この人間のピンク色の瞳には、ベタな青春物語のワンシーンのような景色が映し出されているのだろう。
「あ、ありがとうございます」
その手を握り立ち上がった人間は、華奢な少女だったが、普通に立つと少年と全く身長が変わらないのが、胸をかすめるように痛かった。
「先程は、失礼しました…」
「いえ、こちらも前をちゃんと見てませんでしたし…。あ、それよりやっと目を覚ましたんですね!」
少女は嬉々として少年の手を握り、花が咲いたような笑顔を浮かべる。
「あ、言い忘れてました。私の名前はモミって言います。ここの病院のナースをやってます」
「は、はい…。あの、僕ここに来た記憶がなくて、ここは何処なんですか?」
少年は、なるべく変人と思われぬように柔らかく問う。その言葉に対してモミという名の少女は笑顔で答える。
「その事なんですが、実は私の口からはあまり言えないんです。」
「え?」
「あなたは、自分の名前を言えますか?」
「言えますかって…」
頭に自分の名前を浮かべ、当たり前のように口から言葉を出した。
はずだった。声にしようとした瞬間、その名前は頭からふっと消える。音にすべき言葉が見つからない。思わず自分の口を抑える。
「あれ、なんでだ…」
「その症状、単なる記憶喪失じゃないんです。もうすぐでそのことをあなたに伝える人間がきます」
記憶喪失_混乱している頭に、その言葉が重くのしかかる。自分の今までのことが思い出せない、わからない恐怖が体を支配する。だが、そんな少年を見ても、モミは笑顔のままだった。
「じゃ、じゃあここはどこなんですか?僕はどうしてここに?!」
「…ここはオスマンサス国。緩やかな山地に囲まれた国です。山から流れてくる川を利用して水車が立っているんです。あなたが何故ここにいるのかという答えは、貴方の実力次第で、わかるんじゃないかしら」
ピンクの瞳が真っ直ぐ少年を捉える。先程のモミとは雰囲気も変わり、まるで別人だ。
「ん?あ、ちょうど来たみたいです。さあ、外へ出ましょう!」
窓を見たモミは先程の華奢な少女に戻り、少年の手を引く。木造の廊下を少し行った先のドアを開けると、そこには無限に続くかと錯覚してしまうほど美しい草原、遠方には聳え立つ山が緑に染まっている。自然の広大さを目にした少年は思わず、息を飲んだ。
「おーい!シュウさーん!!」
モミは少年の向いている方向とは逆方向に手を振っている。少年も振り返ると、そこからは別世界。煉瓦や木で作られた家々が立ち並んでいる。立地的にこの病院は丘の上に立っているようだ。何故、わざわざこんな上り坂の上に病院を立てたのか、正直不思議だ。その上り坂を一人の男性が登ってきている。
「全くここの坂は相変わらずきついな」
「トレーニングになっていいじゃないですか」
先程シュウと呼ばれた男性は、少し顔をあげなければ顔を合わせて会話ができなさそうなほど、高身長だった。赤マントに、その上には剣。黒い服飾の施された服から生えるたくましい腕に、オールバックにも似た髪型は真っ黒である。まるで狼のような鋭い目付きの奥には、藍色の瞳が静かに闘志を燃やしているように見えた。
「では、シュウさん。後はよろしくお願いします!」
モミが弾けるような笑顔で敬礼をする。
「ああ、ここまでありがとう」
目の前で謎の会話を繰り広げられた少年は口を半開きにして二人を交互に見ていた。すると、不意にシュウと呼ばれた男性と目が合う。
「驚かせてしまいましたかね、無理もないでしょう。私の名前はシュウと申します。以後お見知り置きを」
屈強な体をしながら驚くべき紳士的対応に驚き、少年は一瞬お辞儀が遅れた。だが、もう既にこの世界観についていけていない。誘拐でもされたかと思ったが、自分の名前もその他のことも思い出せないのなら、誘拐という規模ではない。だがこれは、明らかに彼自身に起きている事実なのだ。
シュウは柔らかい笑みを浮かべて話し出す。
「では、混乱されているとは思いますが、行きましょう。」
「え?」
シュウは静かに、どこか遠くを見つめた。同じくその方向を見ると、
「なにこれ…」
そこには真っ白な城があった。所謂おとぎ話に出てきそうな美しい建造物であった。再びシュウが少年の方を振り返る。
「さあ、行きましょうか。オスマンサスの王よ」
その言葉は明らかに少年に向けられていた。
時は、城内の鉄製の扉の前まで戻る。シュウに名付られたシンという名とともに、新たな人生を迎えようとしていた。
鉄製の扉は鍵も鎖もつけておらず、誰でも中に侵入できそうな状態であった。
「ここの扉は、誰でも開けることが出来るのですが、開けようと思うものはそういないでしょう。…王となる資格を持つ者のみが、この先の騎士を目覚めさせることが出来るのです」
「資格…」
なぜ自分がそのような資格を手のしたのかわからない。だが、それを知る為のもこの扉を開けなければいけないのだろう。シュウが扉の前に行き、片手で押すとその扉はゆっくりと開いた。
「…っ」
空いた途端体を刺す冷気、そして、広がる暗闇。よくよく考えたら、シンの服はシャツ1枚にズボンのみ。冷気がこもったこの先に人がいると思うと悪寒が走る。
「少々冷えますが、行きましょう。」
シュウは、扉の中の壁にかけられたランタンに火を灯し、扉の奥の階段を進む。
「いやこれ、少々じゃないでしょ…」
愚痴を吐きながら、シンもシュウの後を追う。
地下へ続く暗い階段ではランタンは気休め程度で、足元も満足に見えない。ほとんど間隔で進んでいる状況である。下へ進むにつれ気温は少しずつ下がって行き、指先がかじかむ。
だが、十数秒もしない内にまた大きな扉が現れた。先程の扉と似ているデザインだが、所々に霜らしきものが見える。
「この奥です」
ランタンでシュウが扉を照らしながら言う。こんなにも冷えているのに、シュウの額にはうっすら冷や汗らしきものが浮かんでいる。
「では開けます。気をつけていてください」
そう言った後、シュウは想像以上の勢いで扉を開けた。
そこには、ランタンが無くてもその部屋の内部を見ることが出来た。その部屋は決して広いわけでも、狭いわけでもなかったが、ひとつおかしなところがあった。それは、部屋のど真ん中に巨大な氷の塊があったこと。部屋の天井まで氷のが届いており、氷山がそのまま目の前に現れたようだ。
「綺麗…」
それは、光を放っているのか反射しているのか、四方八方に光を放っていた。
「見るのは、私も初めてです。噂には聞いていましたが、これ程とは…」
シュウの口からも感動の声が上がる。
「そしてこれを王の資格を持つものが触れると、国の騎士が目覚めると言われています」
「これに…?」
氷の塊は、神秘的な光を放ち、まるで触れられることを拒むような雰囲気を発している。シンは氷の塊の前に立ち片手を伸ばすも、謎の恐怖で手を戻してしまう。
「王、もし危険が迫りましたら、私が必ずお救いしますので、ご安心を」
シュウが背中の剣を抜き、一歩シンに近づく。覚悟を決め、震える腕を伸ばす。指先が氷に触れた。
(冷たくない…?)
その瞬間、ビキっと音が響いたかと思うと、氷の塊がヒビを生い、大きな音をたて勢いよく崩れ始めた。
「!!!」
「王!!」
週に腕を引かれ間一髪、その欠片の雪崩に触れることは無かった。だが、すべてが小さな欠片になったかと思ったが違った。先程まで氷の塊があった場所に、人間が立っていた。
先程の自然も美しかったが、それに引けを取らない美しい人間だった。先程の氷の塊の様に光を放っているかのような輝きを持ち、薄紫の長髪の髪はその光に反射しているのか、とても綺麗である。黒を基調とした服装であり、上に来ている襟は丸く首周りを囲んでいる。その服は前側は胸あたりまで、後ろ側はふくらはぎまでの長さで、あまりみない形態の服だが 、素材の異なったロングパーカーのように見える。その下はシャツの様な白い服。下は黒のズボンで、膝下までを細かい鎖が巻きついている。服の効果もあるのか、足が長く見える。装飾も豪華で金属類のアクセサリーが服の上から体に巻きついている。そして、顔は全てのパーツが完璧な位置に配置され、口元のホクロがまた色気を出している。
「人…?」
一瞬人か神でも舞い降りたか迷っていまうほどの美貌。その声に反応したのか、閉ざされていた両目がゆっくり開く。その瞳は血でもたらしたかのように真っ赤に染まっており、オニキスのような黒い瞳孔が、二人の姿を捉えた。
「………………」
一言も発さずただ見つめられ、だんだん辱めを受けているように感じたシンは、なにかこの状況を脱する一言を考え始めた瞬間だった。
「…そうか、君が王の継承者…」
部屋に低い声が響く。男性か女性か迷っていたところだったが、声と身長からして男性ということがわかった。美男子というより美男性という年に見えるその人は、氷の欠片の山から足を抜いて、出口の前にいる二人に向かって歩き出す。
「貴方がこの国の騎士、レイア様…ですか?」
シュウがシンの前に立つ形で男性に問う。レイアと呼ばれた男性は、真っ赤な瞳でシュウを見ると、1つ溜息をついた。
「…誰か伝えなかったのか?私はその役目を果たせなかったはずだ。このまま眠ってしまっていても良かったというのに…」
レイアの整った顔からは哀愁が漂っており、あの氷に閉じ込められる前に何かがあったのか、とシンは察した。
「先代の王は確かに亡くなりました。ですが、貴方がいなくては元も子もありません。どうか、我々に力をお貸し下さい」
「…そうか、あいつは死んだか…」
レイアはそう呟き、また1つ溜息をつく。
高身長で顔の整った二人が織り成す会話についていけていないシンに、レイアの冷ややかな瞳が向けられる。
「君の存在が私にとっては苦痛なんだ。頼むから、私に必要以上に関わらないでくれ」
「!」
突然の言葉に、シンは言葉も出ずその場に固まってしまった。
何故か、その言葉に反応したように頭に痛みが走る。
「うっ…」
そして、一瞬頭に映る情景。人の冷ややかな目、否定の言葉、頭に写ったそれは、この世界とは明らかに違う場所。凶器でも突き付けられたかのような焦りと恐怖を駆り立てる映像。心臓が痛くなる。呼吸が苦しい。
「…王?」
声をかけられ、我に返る。目の前には、心配そうな表情をしたシュウがこちらを覗き込んでいた。この部屋には、もうレイアはいない。
「どうかなさいましたか?体調がどこか優れないとか…」
「い、いや。大丈夫、です…」
頭に浮かんだ情景が、なんなのかはわからない。もしかしたら、あのレイアが見せたもの?と、シンは思考を巡らせた。
「とにかくここを出ましょう。あまり長く居ると体温が奪われますから」
気づくともう自分の指の先が真っ赤になっている。シュウにつられ、再び暗闇の階段を上がる。その際、何故部屋の氷の欠片は一切溶けていなかったのか気になったが、シンは特に深追いせず、階段を上った。
これからの日々に、不安を抱きながら。






コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品