禁断の愛情 怨念の神
和解、そして
「グ……ギャアアアア!」
醜い姿と成り果てたその巨大蜘蛛に、かつての人間らしさは微塵もなかった。地獄の雄叫びとともに足を振り回し、見境なく暴れはじめている。もはや仲間の顔すら忘れてしまったらしい。人間だった頃の名前を呼ばれながら、巨大蜘蛛は誰彼かまわず殺戮を繰り返している。
「お、おい小僧!」
カクゾウが目を剥いてミノルに歩み寄った。初めて見る表情だった。
「いったいなんなんだ! あの化け物を止めるにはどうすればいい!」
「わ、わからない……。たぶん、息の根を止めるしか……」
そうこうしている間にも、人型の化け物は次から次へと闇の可視放射を放っている。人が、動物が、生きとし生きる者すべてが欲の化身にさせられている。
まさに地獄絵図だった。
昨日の炎上した都など比較にならない。
互いが互いを恨みあい、殺しあう。恨みのためだけに破壊を繰り返す。
「ひ、ひいいい……。お頭、どうしよう……」
「うろたえるな! 必ず打開の方法はある! 一時撤退、立て直すぞ!」
「お、お頭……」
「ええい泣くな! 死にたくなけりゃあ俺についてこい! ガキども、互いに生き残れていたらまた会おう!」
言いながらカクゾウ率いる賊集団はいずこへと走り去っていった。いかなる状況であっても冷静さを失わない彼の胆力は、もはやあっぱれというしかない。
――私も、いつまでも腰を抜かしてはいられない。
「ミノル、ショウイチ!! 私たちもいこう!」
「おう!」
返事をしたのはショウイチだけだった。ミノルは両膝をついたまま動かない。いままで光線を喰らっていなかったのが奇跡ともいえる状況だった。
「ね、ねえミノル!! なにしてんの!」
私とショウイチは光線に気を配りながらミノルの元へ駆け寄った。だが彼に動く様子はない。
「おら、どうしたミノル! まだ洗脳が解けてねえのかよ!」
「いや……そんなのはとっくに切れてるさ」
ミノルは顔をあげ、つぶやくように言った。
「不思議な気分だよ。殺したんだね。僕が。多くの人を……」
ミノルの視線の先には、焼け焦げた人々の死体が無惨に転がっている。みな苦悶の形相を浮かべたまま固まっていた。
「君たち二人も僕は殺そうとした……。ほんとうに、ごめん」
「今更なに言ってんだバカヤロー。そんなチンケな謝り方じゃすまねえ。あとできちんと謝れ」
「……悪いけど、僕なんかが生き残っちゃいけない。君たちは君たちで行ってくれ」
私のなかでなにかが弾けた。
気づいたとき、私は彼の頬を平手で打っていた。
「バカ!! なに甘えてんの!」
「チ、チヨコ……」
頬をさすりながら、ミノルは呆然と私を見上げた。
「ミノルだけじゃない! 私だって……私だって自分のためにやっちゃいけないことをした! ミノルを裏切った!」
そしてそれがきっかけで、神に洗脳されたミノルを怒らせてしまった。言ってしまえば世界が危機に陥っているのも、私が原因だ。
自分の小ささに情けなくなったこともあった。
死でもって償おうと考えたこともあった。
結局、世界を救うことはできなかった。怨神は私の目の前で殺された。私の目の前で多くの人が死んだ。私の力なんて小さくて、弱くて、情けない。
でも私は彼の見たのだ。絶望的な状況にあって懸命に生きる人々を。弱い自分を受け止めて、それでもできることを少しずつこなしていく人々を。
「だから私は諦めない! 私にできることなんかたかが知れてるけど……それでもできることはあるはずよ!」
「チヨコ……そうか、君は……」
ミノルが驚いたように目を見開いた。
「変わったね。村にいたときとは別人みたいだ」
その曇りのない瞳に、久々に胸が高鳴った。
「そ、そりゃあ誰かさんを連れ戻すためにだいぶ苦労したからね」
そっか、とミノルは小さく言った。
「そうだね。君の言う通りだ。僕だけこんなところで死んでちゃいけないね」
「そ、そうよ。わかった?」
「うん。ごめんね……ありがとう」
言いながら小さく微笑むミノル。
――と。
ぽんと、いきなり背中を押された。私はミノルの胸めがけて思いきり顔をうずめた。
「わ、わ」
慌てたように私を受け止めたミノルが、たどたどしく顔を見上げた。
「な、なにするんだよショウイチ!」
「早くくっつかねーもんだからよ、じれったくてな」
「く、くっつくって……」
「抱き締めてやれよ。そいつ、おまえのためにかなり苦労したんだぜ」
「でも、君だって、その……チヨコのことが……」
「けっ。俺なんかよりな、おまえと一緒にいたほうがチヨコは幸せなんだよ」
「ショウイチ……」
「そんな顔すんな。俺だってやっちゃいけねえことしたんだ」
男同士の会話を聞きながら、私は暖かなぬくもりのなかに身を委ねていた。ずっとこのままでいたい。けれども、もちろんそういうわけにはいかないのだ。
私はミノルから離れ、立ち上がった。
「いこう……みんなを助けに」
「うん、そうだね」
そう言ってミノルが立ち上がろうとした、その瞬間。
「危ねえ!」
怒鳴り声が聞こえた。
ショウイチがミノルに体当たりをしていた。さっきのおちゃらけた雰囲気とは様子が違った。
そして。
欲の塊が放ったと思わしき闇の怪光線が、ショウイチの胸を貫いた。どす黒い霊気がショウイチのまわりを覆い尽くしていく。
まさか。
私は叫んだ。彼の名を。弱い私を何度も助けてくれた男の声を名を。
「へっ……これも罰か……」
そんな。
こんなことがあってなるものか。
みんな揃って、これからって時なのに。
ショウイチの身体がみるみるうちに膨らんでいく。鋭利な体毛がぞわぞわと皮膚から発生し、肌すら視認できなくなる。精悍だった瞳は縮小していき、恐ろしげな赤い粒に変わっていく。
「チヨコ……ミノル……幸せ……に……」
それが彼の最期の言葉だった。
「ガアアアアッ!」
かつてショウイチだった巨大蜘蛛は凶悪な咆哮を発した。その獰猛きわまる口を開いたまま、こちらに向かって疾駆してくる。大量のよだれが、奴の進行方向とは逆向きに落ちていく。
私は刀を抜き、ショウイチの攻撃に備えた。頭上から降ってくる光線にも注意せねばならない。
なんてことだ。
私は、どうすれば――
醜い姿と成り果てたその巨大蜘蛛に、かつての人間らしさは微塵もなかった。地獄の雄叫びとともに足を振り回し、見境なく暴れはじめている。もはや仲間の顔すら忘れてしまったらしい。人間だった頃の名前を呼ばれながら、巨大蜘蛛は誰彼かまわず殺戮を繰り返している。
「お、おい小僧!」
カクゾウが目を剥いてミノルに歩み寄った。初めて見る表情だった。
「いったいなんなんだ! あの化け物を止めるにはどうすればいい!」
「わ、わからない……。たぶん、息の根を止めるしか……」
そうこうしている間にも、人型の化け物は次から次へと闇の可視放射を放っている。人が、動物が、生きとし生きる者すべてが欲の化身にさせられている。
まさに地獄絵図だった。
昨日の炎上した都など比較にならない。
互いが互いを恨みあい、殺しあう。恨みのためだけに破壊を繰り返す。
「ひ、ひいいい……。お頭、どうしよう……」
「うろたえるな! 必ず打開の方法はある! 一時撤退、立て直すぞ!」
「お、お頭……」
「ええい泣くな! 死にたくなけりゃあ俺についてこい! ガキども、互いに生き残れていたらまた会おう!」
言いながらカクゾウ率いる賊集団はいずこへと走り去っていった。いかなる状況であっても冷静さを失わない彼の胆力は、もはやあっぱれというしかない。
――私も、いつまでも腰を抜かしてはいられない。
「ミノル、ショウイチ!! 私たちもいこう!」
「おう!」
返事をしたのはショウイチだけだった。ミノルは両膝をついたまま動かない。いままで光線を喰らっていなかったのが奇跡ともいえる状況だった。
「ね、ねえミノル!! なにしてんの!」
私とショウイチは光線に気を配りながらミノルの元へ駆け寄った。だが彼に動く様子はない。
「おら、どうしたミノル! まだ洗脳が解けてねえのかよ!」
「いや……そんなのはとっくに切れてるさ」
ミノルは顔をあげ、つぶやくように言った。
「不思議な気分だよ。殺したんだね。僕が。多くの人を……」
ミノルの視線の先には、焼け焦げた人々の死体が無惨に転がっている。みな苦悶の形相を浮かべたまま固まっていた。
「君たち二人も僕は殺そうとした……。ほんとうに、ごめん」
「今更なに言ってんだバカヤロー。そんなチンケな謝り方じゃすまねえ。あとできちんと謝れ」
「……悪いけど、僕なんかが生き残っちゃいけない。君たちは君たちで行ってくれ」
私のなかでなにかが弾けた。
気づいたとき、私は彼の頬を平手で打っていた。
「バカ!! なに甘えてんの!」
「チ、チヨコ……」
頬をさすりながら、ミノルは呆然と私を見上げた。
「ミノルだけじゃない! 私だって……私だって自分のためにやっちゃいけないことをした! ミノルを裏切った!」
そしてそれがきっかけで、神に洗脳されたミノルを怒らせてしまった。言ってしまえば世界が危機に陥っているのも、私が原因だ。
自分の小ささに情けなくなったこともあった。
死でもって償おうと考えたこともあった。
結局、世界を救うことはできなかった。怨神は私の目の前で殺された。私の目の前で多くの人が死んだ。私の力なんて小さくて、弱くて、情けない。
でも私は彼の見たのだ。絶望的な状況にあって懸命に生きる人々を。弱い自分を受け止めて、それでもできることを少しずつこなしていく人々を。
「だから私は諦めない! 私にできることなんかたかが知れてるけど……それでもできることはあるはずよ!」
「チヨコ……そうか、君は……」
ミノルが驚いたように目を見開いた。
「変わったね。村にいたときとは別人みたいだ」
その曇りのない瞳に、久々に胸が高鳴った。
「そ、そりゃあ誰かさんを連れ戻すためにだいぶ苦労したからね」
そっか、とミノルは小さく言った。
「そうだね。君の言う通りだ。僕だけこんなところで死んでちゃいけないね」
「そ、そうよ。わかった?」
「うん。ごめんね……ありがとう」
言いながら小さく微笑むミノル。
――と。
ぽんと、いきなり背中を押された。私はミノルの胸めがけて思いきり顔をうずめた。
「わ、わ」
慌てたように私を受け止めたミノルが、たどたどしく顔を見上げた。
「な、なにするんだよショウイチ!」
「早くくっつかねーもんだからよ、じれったくてな」
「く、くっつくって……」
「抱き締めてやれよ。そいつ、おまえのためにかなり苦労したんだぜ」
「でも、君だって、その……チヨコのことが……」
「けっ。俺なんかよりな、おまえと一緒にいたほうがチヨコは幸せなんだよ」
「ショウイチ……」
「そんな顔すんな。俺だってやっちゃいけねえことしたんだ」
男同士の会話を聞きながら、私は暖かなぬくもりのなかに身を委ねていた。ずっとこのままでいたい。けれども、もちろんそういうわけにはいかないのだ。
私はミノルから離れ、立ち上がった。
「いこう……みんなを助けに」
「うん、そうだね」
そう言ってミノルが立ち上がろうとした、その瞬間。
「危ねえ!」
怒鳴り声が聞こえた。
ショウイチがミノルに体当たりをしていた。さっきのおちゃらけた雰囲気とは様子が違った。
そして。
欲の塊が放ったと思わしき闇の怪光線が、ショウイチの胸を貫いた。どす黒い霊気がショウイチのまわりを覆い尽くしていく。
まさか。
私は叫んだ。彼の名を。弱い私を何度も助けてくれた男の声を名を。
「へっ……これも罰か……」
そんな。
こんなことがあってなるものか。
みんな揃って、これからって時なのに。
ショウイチの身体がみるみるうちに膨らんでいく。鋭利な体毛がぞわぞわと皮膚から発生し、肌すら視認できなくなる。精悍だった瞳は縮小していき、恐ろしげな赤い粒に変わっていく。
「チヨコ……ミノル……幸せ……に……」
それが彼の最期の言葉だった。
「ガアアアアッ!」
かつてショウイチだった巨大蜘蛛は凶悪な咆哮を発した。その獰猛きわまる口を開いたまま、こちらに向かって疾駆してくる。大量のよだれが、奴の進行方向とは逆向きに落ちていく。
私は刀を抜き、ショウイチの攻撃に備えた。頭上から降ってくる光線にも注意せねばならない。
なんてことだ。
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