禁断の愛情 怨念の神
神との邂逅
清恨の森に到着したのは、それから三十分後ほどであった。
馬車の操縦者に礼を言ってから、私は意識のないショウイチを背負って地に降りた。
操縦者に「ここで待ってましょうか」と聞かれた。だが断った。戻ってこられるかの自信がない以上、待たせても悪いだけである。怨神のことだ、私たちが向かってきていることくらいすでに気づいているだろう。
あたり一面を見渡す。かつて長老に教わったように、前方に巨大な穴がある。都ほどの面積はあるであろう悪魔の口。穴の周囲は見慣れた草原がひろがっているが、その穴の恐るべき存在感によって草原にも暗い雰囲気が漂っている。
私は服の内側を首元からまさぐった。長老から授かった勾玉状の石を手に取り、天にかざす。
瞬間。
石から深緑の煌めきが発せられたかと思うと、それは急に眩いばかりの閃光へと変貌した。思わず目を閉じてしまう。数秒後に目を開けたときには、さきほどとはまったく異なる風景が目の前にあった。
森。そう、森である。
しかし、私が普段見る森とは根本的な違いがある。
すべての木々が樹齢千年にも迫るほどに大きい。さらにそれら大樹は淡い水色の微光をまとっており、強く神秘的な空気が漂っている。夜でもないのに蛍のような光点が舞っているのも幻想的だ。
ここが清恨の森……。怨神の住み処。
私は覚悟を決めた。もう、逃げない。
ためらいなく森に足を踏み入れたとき――
「来たか」
聞き覚えのある声がして、私は身構えた。
――まずい、いまはショウイチが……
「そう構えなくていい」
私の目の前に、空から降りてくる男。
「ミ、ミノル……」
「怨神様に会いにきたんだろう? こっちだよ、ついてきな」
「え……?」
昨日のような敵愾心は彼にはなかった。といって穏やかというわけでもなく、極めて事務的な態度で接してくる。
「二度も言いたくないよ。ついてこい、怨神様はこっちだ」
そう言ってこちらに背を向け、いずこへと歩いていくミノル。
罠かと思って警戒しながら後を追う。だが彼がなにかをしてくる様子はこれっぽっちもなかった。何者かが潜んでいる気配もない。
どういうことだ……?
訳がわからないままついていく私。森に来たのは確かに怨神が目的だ、案内してくれるのならありがたいが……
だいぶ歩いた。
森のなかは穏やかだった。可愛らしい鳥のせせらぎと、葉の隙間からこぼれてくる気持ちのよい陽の光。一回巨大な猿と出会ってぎょっとしたが、彼らはきわめて友好的だった。好奇心たっぷりの目を私に向けるなり、まさかこちらの気持ちを察しているのか、親しげに手を振るとどこかへと去っていった。
「だいぶ歩くのね」
前を進むミノルに初めて訊ねる。
「ああ。怨神様は森の最奥にいらっしゃるからね」
「……なんで私たちを案内するの? 罠じゃないよね」
「我々がそんな卑怯なことすると思うかい。怨神様の指示だよ」
怨神の指示……?
だとしたら尚更罠としか思えないのだが。
ミノルには聞きたいことや話したいことが沢山ある。でも、どう声をかけたらいいのかわからなかった。気まずい空気を肌に感じながら、私は想い人の背中を追いかけ続けた。
やがて。
川のせせらぎが聞こえてきた。
なにかが見えた。私はじーっと目を凝らす。
透き通った水に足のみを浸し、地面に座ってリスを撫でている女がいた。
忘れもしない。
すべての事件の発端にして、私の大事なものを奪い尽くした神ならざる神。
まごうことなき、怨神であった。
神は顔をあげて私を見つめた。
「……来ましたね、チヨコ」
「…………」
ショウイチを落とさないようにしながら、刀の柄に手をおく。
そんな私を見て、怨神は悲しそうな表情を見せた。初めて見る顔だった。
「そんなふうに構えないでください。あなたをどうこうしようとは考えていません」
「なによ、いまさらあんたなんか信じられるわけが……」
言いかけてはっとした。
様子がおかしい。かつての傲岸不遜きわまりない態度がいっさいない。それどころか、どこか悲哀に満ちた雰囲気すら感じられる。
馬鹿な。こいつは本当にあの怨神か……?
私が戸惑っていると、怨神は膝上のリスを「あっちいってなさい」と地面に移した。リスは名残惜しそうに怨神を見上げていたが、やがて観念したか、どこかへと去っていった。
怨神は立ち上がるなり、私の肩に視線を移した。
「その者がショウイチね。ひどい傷……」
「へっ……?」
ひどい傷もなにも、原因はいったい誰だと思っている。
怨神は片腕を突き出した。その手から淡い光が発せられるなり、おぶっていたショウイチがひとりでに宙に浮きはじめた。
「あ――」
取り返そうと思ったが遅かった。ぐったりと手足を伸ばしたまま、ショウイチは怨神の手前までふわふわ浮いていった。
瞬間、怨神の手から今度は金色の煌めきが発せられ。
そのほんのりとした優しい光が、衣のごとくショウイチを包み込んだ。
いったいなんなんだ……?
あまりにも常軌を逸した状況に私が唖然としていると、ショウイチから光の衣が消え失せ、彼はばたりと地面に落ちた。
すると。
「ん……」
余命数時間を言い渡されていたはずのショウイチが、ぱっと目を開けた。それからきょろきょろと周囲を見渡し、口をぽかんと開けていた私と目が合う。
「チ、チヨコ……?」
「ショウイチ……まさか、意識、戻ったの?」
「へ? 意識?」
見れば、ミノルに貫かれたはずの胸の傷が包帯ごと消えてなくなっている。
なんてことだ、こんなことが……
回復したショウイチを見て優しい笑みを浮かべている怨神に、私は訊ねた。
「あんた……どういうつもりなの」
「あなたたちは私の被害者です。できる範囲でのお詫びはします」
お詫びだと……?
人間の破滅をたくらむ神がいったいなにを言っているのか。私にはまったくわからなかった。
馬車の操縦者に礼を言ってから、私は意識のないショウイチを背負って地に降りた。
操縦者に「ここで待ってましょうか」と聞かれた。だが断った。戻ってこられるかの自信がない以上、待たせても悪いだけである。怨神のことだ、私たちが向かってきていることくらいすでに気づいているだろう。
あたり一面を見渡す。かつて長老に教わったように、前方に巨大な穴がある。都ほどの面積はあるであろう悪魔の口。穴の周囲は見慣れた草原がひろがっているが、その穴の恐るべき存在感によって草原にも暗い雰囲気が漂っている。
私は服の内側を首元からまさぐった。長老から授かった勾玉状の石を手に取り、天にかざす。
瞬間。
石から深緑の煌めきが発せられたかと思うと、それは急に眩いばかりの閃光へと変貌した。思わず目を閉じてしまう。数秒後に目を開けたときには、さきほどとはまったく異なる風景が目の前にあった。
森。そう、森である。
しかし、私が普段見る森とは根本的な違いがある。
すべての木々が樹齢千年にも迫るほどに大きい。さらにそれら大樹は淡い水色の微光をまとっており、強く神秘的な空気が漂っている。夜でもないのに蛍のような光点が舞っているのも幻想的だ。
ここが清恨の森……。怨神の住み処。
私は覚悟を決めた。もう、逃げない。
ためらいなく森に足を踏み入れたとき――
「来たか」
聞き覚えのある声がして、私は身構えた。
――まずい、いまはショウイチが……
「そう構えなくていい」
私の目の前に、空から降りてくる男。
「ミ、ミノル……」
「怨神様に会いにきたんだろう? こっちだよ、ついてきな」
「え……?」
昨日のような敵愾心は彼にはなかった。といって穏やかというわけでもなく、極めて事務的な態度で接してくる。
「二度も言いたくないよ。ついてこい、怨神様はこっちだ」
そう言ってこちらに背を向け、いずこへと歩いていくミノル。
罠かと思って警戒しながら後を追う。だが彼がなにかをしてくる様子はこれっぽっちもなかった。何者かが潜んでいる気配もない。
どういうことだ……?
訳がわからないままついていく私。森に来たのは確かに怨神が目的だ、案内してくれるのならありがたいが……
だいぶ歩いた。
森のなかは穏やかだった。可愛らしい鳥のせせらぎと、葉の隙間からこぼれてくる気持ちのよい陽の光。一回巨大な猿と出会ってぎょっとしたが、彼らはきわめて友好的だった。好奇心たっぷりの目を私に向けるなり、まさかこちらの気持ちを察しているのか、親しげに手を振るとどこかへと去っていった。
「だいぶ歩くのね」
前を進むミノルに初めて訊ねる。
「ああ。怨神様は森の最奥にいらっしゃるからね」
「……なんで私たちを案内するの? 罠じゃないよね」
「我々がそんな卑怯なことすると思うかい。怨神様の指示だよ」
怨神の指示……?
だとしたら尚更罠としか思えないのだが。
ミノルには聞きたいことや話したいことが沢山ある。でも、どう声をかけたらいいのかわからなかった。気まずい空気を肌に感じながら、私は想い人の背中を追いかけ続けた。
やがて。
川のせせらぎが聞こえてきた。
なにかが見えた。私はじーっと目を凝らす。
透き通った水に足のみを浸し、地面に座ってリスを撫でている女がいた。
忘れもしない。
すべての事件の発端にして、私の大事なものを奪い尽くした神ならざる神。
まごうことなき、怨神であった。
神は顔をあげて私を見つめた。
「……来ましたね、チヨコ」
「…………」
ショウイチを落とさないようにしながら、刀の柄に手をおく。
そんな私を見て、怨神は悲しそうな表情を見せた。初めて見る顔だった。
「そんなふうに構えないでください。あなたをどうこうしようとは考えていません」
「なによ、いまさらあんたなんか信じられるわけが……」
言いかけてはっとした。
様子がおかしい。かつての傲岸不遜きわまりない態度がいっさいない。それどころか、どこか悲哀に満ちた雰囲気すら感じられる。
馬鹿な。こいつは本当にあの怨神か……?
私が戸惑っていると、怨神は膝上のリスを「あっちいってなさい」と地面に移した。リスは名残惜しそうに怨神を見上げていたが、やがて観念したか、どこかへと去っていった。
怨神は立ち上がるなり、私の肩に視線を移した。
「その者がショウイチね。ひどい傷……」
「へっ……?」
ひどい傷もなにも、原因はいったい誰だと思っている。
怨神は片腕を突き出した。その手から淡い光が発せられるなり、おぶっていたショウイチがひとりでに宙に浮きはじめた。
「あ――」
取り返そうと思ったが遅かった。ぐったりと手足を伸ばしたまま、ショウイチは怨神の手前までふわふわ浮いていった。
瞬間、怨神の手から今度は金色の煌めきが発せられ。
そのほんのりとした優しい光が、衣のごとくショウイチを包み込んだ。
いったいなんなんだ……?
あまりにも常軌を逸した状況に私が唖然としていると、ショウイチから光の衣が消え失せ、彼はばたりと地面に落ちた。
すると。
「ん……」
余命数時間を言い渡されていたはずのショウイチが、ぱっと目を開けた。それからきょろきょろと周囲を見渡し、口をぽかんと開けていた私と目が合う。
「チ、チヨコ……?」
「ショウイチ……まさか、意識、戻ったの?」
「へ? 意識?」
見れば、ミノルに貫かれたはずの胸の傷が包帯ごと消えてなくなっている。
なんてことだ、こんなことが……
回復したショウイチを見て優しい笑みを浮かべている怨神に、私は訊ねた。
「あんた……どういうつもりなの」
「あなたたちは私の被害者です。できる範囲でのお詫びはします」
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