禁断の愛情 怨念の神
人類の足掻き
ショウイチの意識は戻らなかった。
いくら名前を叫んでも彼の目は開かない。
「かろうじて生きてはいますが……もってあと数時間かと」
「そんな。助かる方法はないんですか」
「心臓を突かれて、それでも生きているほうが奇跡です。最新の医学ならあるいはどうにかできるかもしれませんが」
私はがくっと顔を落とした。
最新の医学? そんなもの、都が潰れたいま、存在するわけがない。
賊の拠点地。私は、元は医者であったという男の話を聞いていた。昨日ショウイチが私を守ってくれたこの部屋で。いつもの威勢の良さが嘘のように、彼は寝ござの上で無言のまま死を待っている。
あのあと、ミノルは私たちをそのままにしていずこへと去っていった。直接手をくださなくても近いうちに人間は死ぬ。そう判断してのことだろう。私と生き残った賊たちは、傷を引きずりながらなんとか拠点に戻ってきた。
「ショウイチ……」
もう何度呼んだかわからない男の名前。
彼は私のために闘った。そしていま、生死の境をさまよっている。私はミノルを裏切ったばかりか、また別の男性を危機に陥れてしまった。挙げ句、ミノルには捨てられてしまう始末。
それだけではない。
人類はいま滅亡の一歩手前にいる。怨神によって食料の入手源がすべて根絶されてしまった。どうあがいても、私たちに生きる術はない。
「チヨコ。いるか」
扉を叩いてから、男が部屋に入ってきた。カクゾウだ。
「どうだったの?」
「やはり駄目だ。近辺に生息する動物や魚にも、『清恨の森』の怪物と同じ現象が起きている」
「……そう」
作物が手に入らないのであれば、狩りや釣りで肉を得ればよい。私のその提案はやはり通じなかった。怨神の力の影響か、ごく普通の地域に生息している動物も巨大化しているとのことだ。それでは人間側が先に狩られてしまうのは目に見えている。
自然界において、人間はあまりにもちっぽけな存在に成り果てた。
「カクゾウ……さん。あなたはこれからどうするの」
「このままじっとしてても飢え死にするだけだ。ワシは準備を整え次第、清恨の森へと向かう」
「……死ににいくつもりね」
 「ただでは死なぬ。周辺の他の賊集団や生き残りの村民を結束させ、華々しく散るつもりだ」
にやりと笑いながら言うカクゾウ。
こんな非常事態に図太い男である。だから賊の長を務めていられたのかもしれない。
絶望的な危機に陥ったいま、彼ら賊の気持ちがなんとなくわかった気がする。賊だって私たちと同じ心を持っている。互いが尊重しあえば、協力して暮らすこともできるはずだ。からといって、彼らの悪行を認めるつもりはないけれど。
「おまえはどうするつもりだ、チヨコ」
「私はいますぐにでも行くよ。清恨の森に」
「いますぐにでも? 正気か?」
「うん」
数日前、怨神にミノルを取られて私は自分の世界に閉じこもっていた。
あのとき、苦しかったのは私だけではないはずだ。同じように身内を亡くした者もいるだろう。それなのに私は、村の復興を他人に任せて惰眠を貪っていた。本当に愚かだったと思う。
だからこそ、今度は常に前を向いていたい。たとえ数日前よりも絶望的な状況であっても。
「……ひとりで森に行って、なにか策でもあるのか?」
「いちからミノルと話し合いたいと思う。殺されるかもしれないけど」
「話し合いなど通用するとは思えんが……まあよかろう。互いに好きなようにしよう。馬車を貸すか?」
「……ありがとう。助かるよ」
「ふん。どうせ近々死ぬのだ、財産など残していても仕方あるまい」
そのときだった。
弱々しく、私の腕が掴まれる感触があった。
驚いて視線を落とすと、ショウイチが青白い顔でこちらを見上げていた。
「俺も……連れてってくれ……」
「ショウイチ……」
「頼む……俺も……ミノルと……」
そこまで言って限界が訪れたらしい。ショウイチはがたんと腕を落とし、再び長い眠りについた。
私は元医者の顔を見た。元医者は申し訳なさそうに首を横に振った。
「あまり無理をすると、それだけ死期が早まります」
「でも、このまま安静にしてても危ないんでしょ?」
「……はい」
私は考え込んだ。ショウイチには生きていてほしい。だがこのまま寝ござの上でそのときを待つのは彼の本意ではないだろう。たかだか数日だが、一緒に旅をしてなんとなくわかる。それを元医者に告げると、特に反対されることもなく、静かに頷かれた
。
出発のとき。
ショウイチを背負った私は、本拠地の入り口で呼び止められた。
「おーい、チヨコちゃーん」
振り返れば、いつぞや話をした全身包帯の元・刀の職人が歩いてきていた。
「あなたは……」
「いやーすまねえ。どうしても渡してえもんがあってよ」
言うなり、男は一本の刀を差し出してきた。その刀に触れて驚いた。銀色の鞘に収められたその刀から、いわく言いがたい霊気を感じる。静寂な魔力を肌に感じる。
「こ……これは……?」
「最新作だ。非戦闘員みんなでつくった。なんだかいま大変なことになってるんだろ? 俺たちにはよくわかんねえし何もできねえが……願いを込めてつくった。受け取ってくれ」
刀はずしりと重かった。単なる和鉄による重量ではない。いまを懸命に生きる人々の魂が刻み込まれてるような気がした。
「ありがとう。大切に使うね」
「おう」
それから男は気恥ずかしそうに言葉を続けた。
「あんたは俺たちの天使だ。頑張れよ。負けるんでないぞ」
その優しさに込み上げてくるものがあった。
私たち人間はただ欲深いだけじゃない。敵だと思っていた人々ともわかりあえる。協力して未来を切り開くことができる。
私は重ねて礼を言ってから、ショウイチを背負って馬車に乗った。
☆
世界は、もはや人間が気楽に住める場所ではなくなっていた。
馬車の窓から外を覗くと、巨大なうさぎや猿などが自由気ままに昼寝をしたり戯れたりしていた。つい最近まで人里にまったく近寄ってこなかった動物らが、のんびりと自由を満喫している。人間だけが自然を独占しているようすはどこにもない。もちろん、金や利権のために争っているようすもない。
人間がいなくなるだけで、世界はこんなにも平和になるのか。
――己の利を超えた見方すら知らぬ、愚かな生物だ――
かつて怨神が言っていた言葉に思いを馳せながら、私は馬車に揺られ続けた。
いくら名前を叫んでも彼の目は開かない。
「かろうじて生きてはいますが……もってあと数時間かと」
「そんな。助かる方法はないんですか」
「心臓を突かれて、それでも生きているほうが奇跡です。最新の医学ならあるいはどうにかできるかもしれませんが」
私はがくっと顔を落とした。
最新の医学? そんなもの、都が潰れたいま、存在するわけがない。
賊の拠点地。私は、元は医者であったという男の話を聞いていた。昨日ショウイチが私を守ってくれたこの部屋で。いつもの威勢の良さが嘘のように、彼は寝ござの上で無言のまま死を待っている。
あのあと、ミノルは私たちをそのままにしていずこへと去っていった。直接手をくださなくても近いうちに人間は死ぬ。そう判断してのことだろう。私と生き残った賊たちは、傷を引きずりながらなんとか拠点に戻ってきた。
「ショウイチ……」
もう何度呼んだかわからない男の名前。
彼は私のために闘った。そしていま、生死の境をさまよっている。私はミノルを裏切ったばかりか、また別の男性を危機に陥れてしまった。挙げ句、ミノルには捨てられてしまう始末。
それだけではない。
人類はいま滅亡の一歩手前にいる。怨神によって食料の入手源がすべて根絶されてしまった。どうあがいても、私たちに生きる術はない。
「チヨコ。いるか」
扉を叩いてから、男が部屋に入ってきた。カクゾウだ。
「どうだったの?」
「やはり駄目だ。近辺に生息する動物や魚にも、『清恨の森』の怪物と同じ現象が起きている」
「……そう」
作物が手に入らないのであれば、狩りや釣りで肉を得ればよい。私のその提案はやはり通じなかった。怨神の力の影響か、ごく普通の地域に生息している動物も巨大化しているとのことだ。それでは人間側が先に狩られてしまうのは目に見えている。
自然界において、人間はあまりにもちっぽけな存在に成り果てた。
「カクゾウ……さん。あなたはこれからどうするの」
「このままじっとしてても飢え死にするだけだ。ワシは準備を整え次第、清恨の森へと向かう」
「……死ににいくつもりね」
 「ただでは死なぬ。周辺の他の賊集団や生き残りの村民を結束させ、華々しく散るつもりだ」
にやりと笑いながら言うカクゾウ。
こんな非常事態に図太い男である。だから賊の長を務めていられたのかもしれない。
絶望的な危機に陥ったいま、彼ら賊の気持ちがなんとなくわかった気がする。賊だって私たちと同じ心を持っている。互いが尊重しあえば、協力して暮らすこともできるはずだ。からといって、彼らの悪行を認めるつもりはないけれど。
「おまえはどうするつもりだ、チヨコ」
「私はいますぐにでも行くよ。清恨の森に」
「いますぐにでも? 正気か?」
「うん」
数日前、怨神にミノルを取られて私は自分の世界に閉じこもっていた。
あのとき、苦しかったのは私だけではないはずだ。同じように身内を亡くした者もいるだろう。それなのに私は、村の復興を他人に任せて惰眠を貪っていた。本当に愚かだったと思う。
だからこそ、今度は常に前を向いていたい。たとえ数日前よりも絶望的な状況であっても。
「……ひとりで森に行って、なにか策でもあるのか?」
「いちからミノルと話し合いたいと思う。殺されるかもしれないけど」
「話し合いなど通用するとは思えんが……まあよかろう。互いに好きなようにしよう。馬車を貸すか?」
「……ありがとう。助かるよ」
「ふん。どうせ近々死ぬのだ、財産など残していても仕方あるまい」
そのときだった。
弱々しく、私の腕が掴まれる感触があった。
驚いて視線を落とすと、ショウイチが青白い顔でこちらを見上げていた。
「俺も……連れてってくれ……」
「ショウイチ……」
「頼む……俺も……ミノルと……」
そこまで言って限界が訪れたらしい。ショウイチはがたんと腕を落とし、再び長い眠りについた。
私は元医者の顔を見た。元医者は申し訳なさそうに首を横に振った。
「あまり無理をすると、それだけ死期が早まります」
「でも、このまま安静にしてても危ないんでしょ?」
「……はい」
私は考え込んだ。ショウイチには生きていてほしい。だがこのまま寝ござの上でそのときを待つのは彼の本意ではないだろう。たかだか数日だが、一緒に旅をしてなんとなくわかる。それを元医者に告げると、特に反対されることもなく、静かに頷かれた
。
出発のとき。
ショウイチを背負った私は、本拠地の入り口で呼び止められた。
「おーい、チヨコちゃーん」
振り返れば、いつぞや話をした全身包帯の元・刀の職人が歩いてきていた。
「あなたは……」
「いやーすまねえ。どうしても渡してえもんがあってよ」
言うなり、男は一本の刀を差し出してきた。その刀に触れて驚いた。銀色の鞘に収められたその刀から、いわく言いがたい霊気を感じる。静寂な魔力を肌に感じる。
「こ……これは……?」
「最新作だ。非戦闘員みんなでつくった。なんだかいま大変なことになってるんだろ? 俺たちにはよくわかんねえし何もできねえが……願いを込めてつくった。受け取ってくれ」
刀はずしりと重かった。単なる和鉄による重量ではない。いまを懸命に生きる人々の魂が刻み込まれてるような気がした。
「ありがとう。大切に使うね」
「おう」
それから男は気恥ずかしそうに言葉を続けた。
「あんたは俺たちの天使だ。頑張れよ。負けるんでないぞ」
その優しさに込み上げてくるものがあった。
私たち人間はただ欲深いだけじゃない。敵だと思っていた人々ともわかりあえる。協力して未来を切り開くことができる。
私は重ねて礼を言ってから、ショウイチを背負って馬車に乗った。
☆
世界は、もはや人間が気楽に住める場所ではなくなっていた。
馬車の窓から外を覗くと、巨大なうさぎや猿などが自由気ままに昼寝をしたり戯れたりしていた。つい最近まで人里にまったく近寄ってこなかった動物らが、のんびりと自由を満喫している。人間だけが自然を独占しているようすはどこにもない。もちろん、金や利権のために争っているようすもない。
人間がいなくなるだけで、世界はこんなにも平和になるのか。
――己の利を超えた見方すら知らぬ、愚かな生物だ――
かつて怨神が言っていた言葉に思いを馳せながら、私は馬車に揺られ続けた。
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