禁断の愛情 怨念の神
三匹のワンちゃん
なんてことだ。これでは怨神に会う前に殺されてしまう。
刀の柄に手を添えながら、数歩退く。情けないことに自身の手が震えているのがわかる。
勝利の確信でもしたのか、三匹の巨大な熊は堂々と私たちに近づいてきた。ずいぶんと肉に飢えているようだ。鋭い牙と牙の隙間から、大量の涎が溢れ出ている。殺戮の衝動が極限まで高まったような赤い眼球が、私たちを捉えて離さない。
考えろ。考えろ。考えろ。
この状況を切り抜けるにはどうしたらいい。逃げるか、戦うか、それともまったく別の方法か……
動揺する私を見て、前衛のショウイチは「やれやれ」とため息をついた。
「修行が足りねえなチヨコ。ミノルと呑気な鍛練しかしねえからこうなる」
「……こんな状況でずいぶんと余裕なのね」
「まあ見てろって。俺が合図するまでそこから離れんなよ。逃げても奴らを無駄に刺激するだけだ」
「み、見てろ……?」
いったいなにを言っているのだ。まさか熊三匹を相手にひとりで戦うつもりか。熊にかかれば人間の首など簡単に千切れる。それを忘れたのか。
村一番の強者は刀すら抜こうとしなかった。両手の骨を鳴らすと、パンと両手を叩いて言い放った。
「さあてかかってきな。ワンちゃんたち」
その馬鹿にした態度は熊にも充分通じたようだ。ショウイチの正面にいる一匹の熊が、憤怒の雄叫びをあげる。
「グルアアアアア!」
獰猛な鋭い爪が、ショウイチの顔面めがけて襲いかかる。
私は思わず両目を覆うとした――のだが。
次の瞬間、信じられない出来事が起こった。
熊の爪が顔面に届く寸前で、ショウイチは獣の腕を片手で抑え込んでいた。熊は鈍い悲鳴をあげながらショウイチから逃れようとするが、ショウイチの腕力は想像を絶していた。熊をも圧倒するすさまじい筋力で腕を捉えて離さない。
「なかなかやるじゃねえか。ワンちゃんにしちゃ上出来だ」
言うなり、ショウイチは両手で熊の片腕を抱え込んだ。そのまま気合いの叫び声をあげるやいなや、あろうことか、熊の全身を持ち上げ始めた。
「そおら覚悟しろよクソガキども! チヨコ、しゃがめ!」
しゃがむ……?
いや、呆気に取られている場合ではなかった。ショウイチの次の行動を予期した私は、慌ててその場にしゃがみこんだ。
まるで夢を見ているようだった。自分より倍はあろうかという巨体を、ショウイチはぶんぶん振り回しているのである。その攻撃は他の二匹さえも巻き込んだ。すさまじい遠心力でもって、二匹の巨大熊を吹っ飛ばす。
信じられない。
まさか『修行』によってここまで強くなっていたなんて。彼の自慢話は誇張でもなんでもなかった。事実そのものだ。
「ほらよくたばれ!」
真上に熊を持ち上げると、ショウイチはそのまま思い切り地面に叩きつけた。轟音が一帯に響き渡る。熊がギャンという悲鳴をあげる。
だが熊とて驚異的な体力を持っている。鈍い声をあげながらも、三匹はのっそりと立ち上がった。
「さあどうするワンちゃんたち。まだ戦うってなら付き合うぜ」
三匹の巨大熊に不敵な笑みを浮かべるショウイチ。
「グ、グルルルル……」
そのときの熊の表情を、私は初めて見た。
怯えている。あまりにも予想外なこの状況に。絶対に勝てるはずの人間に対して、まるで歯が立たないことに。ショウイチという、規格外な強さを持つ男に。
ほどなくして、三匹の熊はこちらに尻を向けると、そそくさと逃げ始めた。もう他の熊が隠れている気配も感じない。
「ふう」
ショウイチは片手で額を拭うと、
「で、いつまでそうしてんだおまえ」
「――え?」
言われて気づいた。とうに熊がいなくなったにも関わらず、びくびくとしゃがんでいる自分に。顔が上気するのを感じなから、私は初めて慌てて立ち上がる。
「す、すごいのね。まさか熊に素手で勝つなんて」
「まあ三匹くらいならなんとかなるさ。もっと群れてきたらやばいけどよ」
なにはともあれ、私はこの男に命を救われた。長老の判断は正しかった。私ひとりで出発していたら、いまごろ熊の腹のなかにいたに違いない。ショウイチの実力はたしかにすごかった。おそらく、とうに先生を超えている。
「ありがとう。ショウイチがいて、助かったよ」
瞬間、ショウイチの顔がかあっと熱くなった。
「う、うるせえ。俺はただ熊とやり合いたかっただけだ」
昨日、ショウイチに求められたときのことを思い出す。すべての筋肉が固く、強かった。あのたくましい身体を手に入れるために、相当な努力をしたのだろう。たしかに私とミノルの修行がお遊びと思われても仕方あるまい。
「な、なあチヨコ」
「なに?」
「まだミノルのことが好きなのか? 俺じゃ駄目なのか?」
「うん……駄目」
「なんでだよ。俺はあいつよりずっと強い。おまえを守るのだって、俺のほうが――」
「違う。そうじゃないんだよ。ミノルはたしかにあなたと比べて弱いのかもしれないけど……ミノルは、人として大切なものを持ってる」
「人として……?」
わかりかねるといった表情で腕を組むショウイチ。彼にとっては難題なのかもしれない。
「わかんねえ。わかんねえけど、いつかわかるようになりてえな」
「うん……そうだといいね」
刀の柄に手を添えながら、数歩退く。情けないことに自身の手が震えているのがわかる。
勝利の確信でもしたのか、三匹の巨大な熊は堂々と私たちに近づいてきた。ずいぶんと肉に飢えているようだ。鋭い牙と牙の隙間から、大量の涎が溢れ出ている。殺戮の衝動が極限まで高まったような赤い眼球が、私たちを捉えて離さない。
考えろ。考えろ。考えろ。
この状況を切り抜けるにはどうしたらいい。逃げるか、戦うか、それともまったく別の方法か……
動揺する私を見て、前衛のショウイチは「やれやれ」とため息をついた。
「修行が足りねえなチヨコ。ミノルと呑気な鍛練しかしねえからこうなる」
「……こんな状況でずいぶんと余裕なのね」
「まあ見てろって。俺が合図するまでそこから離れんなよ。逃げても奴らを無駄に刺激するだけだ」
「み、見てろ……?」
いったいなにを言っているのだ。まさか熊三匹を相手にひとりで戦うつもりか。熊にかかれば人間の首など簡単に千切れる。それを忘れたのか。
村一番の強者は刀すら抜こうとしなかった。両手の骨を鳴らすと、パンと両手を叩いて言い放った。
「さあてかかってきな。ワンちゃんたち」
その馬鹿にした態度は熊にも充分通じたようだ。ショウイチの正面にいる一匹の熊が、憤怒の雄叫びをあげる。
「グルアアアアア!」
獰猛な鋭い爪が、ショウイチの顔面めがけて襲いかかる。
私は思わず両目を覆うとした――のだが。
次の瞬間、信じられない出来事が起こった。
熊の爪が顔面に届く寸前で、ショウイチは獣の腕を片手で抑え込んでいた。熊は鈍い悲鳴をあげながらショウイチから逃れようとするが、ショウイチの腕力は想像を絶していた。熊をも圧倒するすさまじい筋力で腕を捉えて離さない。
「なかなかやるじゃねえか。ワンちゃんにしちゃ上出来だ」
言うなり、ショウイチは両手で熊の片腕を抱え込んだ。そのまま気合いの叫び声をあげるやいなや、あろうことか、熊の全身を持ち上げ始めた。
「そおら覚悟しろよクソガキども! チヨコ、しゃがめ!」
しゃがむ……?
いや、呆気に取られている場合ではなかった。ショウイチの次の行動を予期した私は、慌ててその場にしゃがみこんだ。
まるで夢を見ているようだった。自分より倍はあろうかという巨体を、ショウイチはぶんぶん振り回しているのである。その攻撃は他の二匹さえも巻き込んだ。すさまじい遠心力でもって、二匹の巨大熊を吹っ飛ばす。
信じられない。
まさか『修行』によってここまで強くなっていたなんて。彼の自慢話は誇張でもなんでもなかった。事実そのものだ。
「ほらよくたばれ!」
真上に熊を持ち上げると、ショウイチはそのまま思い切り地面に叩きつけた。轟音が一帯に響き渡る。熊がギャンという悲鳴をあげる。
だが熊とて驚異的な体力を持っている。鈍い声をあげながらも、三匹はのっそりと立ち上がった。
「さあどうするワンちゃんたち。まだ戦うってなら付き合うぜ」
三匹の巨大熊に不敵な笑みを浮かべるショウイチ。
「グ、グルルルル……」
そのときの熊の表情を、私は初めて見た。
怯えている。あまりにも予想外なこの状況に。絶対に勝てるはずの人間に対して、まるで歯が立たないことに。ショウイチという、規格外な強さを持つ男に。
ほどなくして、三匹の熊はこちらに尻を向けると、そそくさと逃げ始めた。もう他の熊が隠れている気配も感じない。
「ふう」
ショウイチは片手で額を拭うと、
「で、いつまでそうしてんだおまえ」
「――え?」
言われて気づいた。とうに熊がいなくなったにも関わらず、びくびくとしゃがんでいる自分に。顔が上気するのを感じなから、私は初めて慌てて立ち上がる。
「す、すごいのね。まさか熊に素手で勝つなんて」
「まあ三匹くらいならなんとかなるさ。もっと群れてきたらやばいけどよ」
なにはともあれ、私はこの男に命を救われた。長老の判断は正しかった。私ひとりで出発していたら、いまごろ熊の腹のなかにいたに違いない。ショウイチの実力はたしかにすごかった。おそらく、とうに先生を超えている。
「ありがとう。ショウイチがいて、助かったよ」
瞬間、ショウイチの顔がかあっと熱くなった。
「う、うるせえ。俺はただ熊とやり合いたかっただけだ」
昨日、ショウイチに求められたときのことを思い出す。すべての筋肉が固く、強かった。あのたくましい身体を手に入れるために、相当な努力をしたのだろう。たしかに私とミノルの修行がお遊びと思われても仕方あるまい。
「な、なあチヨコ」
「なに?」
「まだミノルのことが好きなのか? 俺じゃ駄目なのか?」
「うん……駄目」
「なんでだよ。俺はあいつよりずっと強い。おまえを守るのだって、俺のほうが――」
「違う。そうじゃないんだよ。ミノルはたしかにあなたと比べて弱いのかもしれないけど……ミノルは、人として大切なものを持ってる」
「人として……?」
わかりかねるといった表情で腕を組むショウイチ。彼にとっては難題なのかもしれない。
「わかんねえ。わかんねえけど、いつかわかるようになりてえな」
「うん……そうだといいね」
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